醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1314号   白井一道

2020-01-31 16:09:40 | 随筆・小説



    徒然草 第139段 家にありたき木は



原文
 家にありたき木は、松・桜。松は、五葉もよし。花は、一重なる、よし。八重桜は、奈良の都にのみありけるを、この比ぞ、世に多く成り侍るなる。吉野の花、左近の桜、皆、一重にてこそあれ。八重桜は異様(ことやう)のものなり。いとこちたく、ねぢけたり。植ゑずともありなん。遅桜(おそざくら)、またすさまじ。虫の附きたるもむつかし。梅は、白き・薄紅梅。一重なるが疾(と)く咲きたるも、重なりたる紅梅の匂ひめでたきも、皆をかし。遅き梅は、桜に咲き合ひて、覚え劣り、気圧(けお)されて、枝に萎(しぼ)みつきたる、心うし。「一重なるが、まづ咲きて、散りたるは、心疾(と)く、をかし」とて、京極入道中納言は、なほ、一重梅をなん、軒近く植ゑられたりける。京極の屋(や)の南向きに、今も二本侍るめり。柳、またをかし。卯月ばかりの若楓(わかかへで)、すべて、万の花・紅葉にもまさりてめでたきものなり。橘・桂、いづれも、木はもの古り、大きなる、よし。草は、山吹・藤・杜若(かきつばた)・撫子。池には、蓮。秋の草は、荻(をぎ)・薄・桔梗・萩・女郎花(をみなへし)・藤袴・紫苑(しをに)・吾木香(われもかう)・刈萱(かるかや)・竜胆(にんだう)・菊。黄菊(きぎく)も。蔦(つた)・葛・朝顔。いづれも、いと高からず、さゝやかなる、墻(かき)に繁からぬ、よし。この外の、世に稀なるもの、唐めきたる名の聞きにくゝ、花も見馴れぬなど、いとなつかしからず。

現代語訳
 自宅に植えておきたい木は松と桜。松は五葉松も良い。桜は一重の花が良い。八重桜は奈良の都にのみあるのはこの頃のことだ。世間には増えてきている。吉野の桜、宮廷の左近の桜、皆一重のものだ。八重桜は異様なものだ。とてもごたごたしていて、曲がりくねっている。植えなくともいい。遅桜はまた時期がしっくりしない。桜の木には虫のつくのが嫌味だ。梅は白か、薄紅梅がいい。一重の花がいち早く咲き、更に紅梅の薫りが優しく、すべてに趣きがある。遅咲きの梅は桜の花と一緒に咲き、見映えが劣り、桜の花に圧倒され枝に萎み付いている様子が心苦しい。「梅は一重であるが、まずいち早く咲き、散るのことに特徴がある」と言い、京極入道中納言は、一重の梅を家の軒近くに植えられている。京極入道中納言の家の庭には南向きに、今も二本の梅が植えられている。柳の木もまた趣きのある木だ。卯月の若葉が美しい若楓、すべての花は紅葉にも優るめでたいものだ。橘、桂、いずれも木はどことなく古びた大木であるのがいい。草は、山吹・藤・杜若・撫子がいい。池には蓮の花がいい。秋の草は、荻・薄・桔梗・萩・女郎花・藤袴・紫苑(しをに)・吾亦紅・刈萱(かるかや)・竜胆(にんだう)・菊。黄菊(きぎく)も。蔦(つた)・葛・朝顔。いづれも丈が高くなく、こじんまりした垣根に繁茂しないのがいい。この他の世に珍しいもの、中国風の名の聞きにくい見慣れぬ花など、全然懐かしみがない。

原文
 大方、何も珍らしく、ありがたき物は、よからぬ人のもて興ずる物なり。さやうのもの、なくてありなん。

現代語訳
 おおよそ、何も珍しく、めったにない物は、教養に欠けた人が楽しみ興ずるものである。そのような物は無くてもいいものだ。

 桜について    白井一道
 芭蕉の句に「四つ五器のそろはぬ花見心哉」がある。この句には次のような前詞がある。「上野の花見にまかり侍りしに、人々幕打ちさわぎ、物の音、小歌の声さまざまなりける傍らの松陰を頼みて」。元禄7年3月に芭蕉はこの句を詠んでいる。元禄7年10月に芭蕉は51歳で亡くなっている。この句は芭蕉の最晩年の句の一つである。満足な食器も揃わぬ上野の山で周りからは小唄の声が聞こえてくる中、松蔭の静かな場所で芭蕉の仲間は花見を楽しんでいる。元禄時代に生きた江戸庶民の花見文化を芭蕉の句は表現している。
自宅の庭に桜の木を植え、花を楽しむのが平安末期に生きた貴族の楽しみだったのが江戸元禄時代になると上野の山に庶民が集まり、それぞれ酒と肴を持ち寄り花を楽しむようになっていたことを芭蕉の句を読んで知ることができる。花見文化が庶民のものになったことを芭蕉は表現している。