醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  887号   白井一道

2018-10-21 09:21:06 | 随筆・小説


  ひやおろしのお酒


侘輔 「ひやおろし」の酒、昔の人が待ち焦がれた酒だったらしいよ。
呑助 「ひやおろし」の酒とは、どんな酒をいうんですか。
侘助 昔の酒造りは寒造りといって冬が近づいてくると農閑期になった酒屋者が杜氏に引き連れられて酒蔵に働きに来出た。冬仕込まれた酒が酒樽に詰められて蔵に貯蔵される。厳しい夏であっても酒蔵の中は案外涼しい。春の初めに貯蔵された酒が夏を越して秋になるまで新酒を熟成させる。この熟成させた酒は旨いと云った。酒好きが待ち焦がれた酒が「ひやおろし」なんだ。
呑助 なんで熟成した酒を「ひやおろし」と云うんですか。
侘助 夏を越し、酒蔵の中の気温と外気の気温が同じぐらいになると陽射しと外気の気温による酒の劣化が少なくなる。そこで販売用の小樽に酒を摘めた。これを「ひやおろし」と言ったようだ。
呑助 あー、それで秋あがりの酒を「ひやおろし」と云うですね。
侘助 およそ、半年寝かした酒が美味しいと云われ
ているんだ。
呑助 そうですか。冬、酒蔵で槽(ふね)から絞った酒を柄杓で汲んで飲んだことがあるんですが、美味しかったですね。
侘助 真冬の酒蔵で飲む酒は確かに旨いね。
呑助 新酒より熟成した酒の方が美味いんですかね。
侘助 新酒は新酒の味わいがあるんじゃないかな。酒を飲みなれてくるとやはり、熟成した酒の方が美味いみたいだよ。
呑助 熟成するって、何なんですかね。
侘助 新酒には口に触るものがあるみたいだよ。なめらかじゃないんだ。滑らかな酒の方が咽越しがいいみたいなんだ。
呑助 新酒の角が取れるということなんですかね。
侘助 そうなんだ。新酒には刺々しさがあるようだ。だんだん年を取ってくると人間だって丸くなってくるだろう。丸くなった人間の方が若々しい人より味わいが深いということがあるでしょ。酒だって、人間だった同じなんじゃないかな。
呑助 新酒の酒より、「ひやおろし」の酒の方が味わい深いということなんですか。
侘助 そうだと思うよ。
呑助 じゃー、どんな酒でも寝かした方が美味しくなるんですか。
侘助 うーん、そこが難しいところなんだ。たとえば、飯米で醸した酒と酒造米で醸した酒を飲み比べてみると新酒の場合、ほとんど同じ味わいのようなんだ。ところが口を開け、三・四日もすると飯米で醸した酒の劣化は歴然とするみたいだよ。
呑助 へぇー、そんなもんですか。
侘助 熟成して美味しくなる酒造米があるんだ。吟醸酒メッセに行った時にね。酒造米で一番良いと云われている雄町で醸した熟成した酒と酒造米では有名な山田錦で醸した熟成した酒とを飲み比べてみたら、雄町の酒の方が断然美味しかった。
呑助 どこの酒なんですか。
侘助 岡山県の酒、「歓びの泉」という銘柄の酒だつたかな。酒造米「雄町」にこだわって造っている酒蔵みたいだった。
呑助 酒造米「雄町」は岡山県産の酒造米なんですか。
侘助 そうなんだ。瀬戸内は酒造米の産地なんだ。

醸楽庵だより  886号  白井一道

2018-10-20 16:16:29 | 随筆・小説



  象潟や雨に西施がねぶの花


 象潟に咲く合歓の花に雨が降っているところは古代中国・春秋時代、越国の美女、西施がまどろんでいるようだ。「ねぶ」という言葉が掛詞になっている。「ねぶの花」という言葉に「眠っている」という意味を含ませている。
 この句は「西施」という言葉が何を意味しているかを知らなければ鑑賞することができない。高校生の頃、私は「西施」を楊貴妃と並ぶ中国の絶世の美女だと教わったような気がする。夏、磯でまどろんでいると雨が降ってきた。夏の強い雨をものともしないですやすやと眠っている美女を想像したように思う。そうずっーと思ってきた。
 今回、「奥の細道」を読み、私が想像していたようなものとは違ってる。こう思った。今まで三回ほど「奥の細道」を読んだことがある。にもかかわらず、記憶に残っていなかったことがある。それはこの句の前に「象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。」この文章がある。美女、西施の美しさはうらむがごとく、
寂しさに悲しみを加え、悩んでいる姿ではないかと感じた。
 西施は越の王から呉の王に献上された奴隷だった。この女奴隷の悲しみを表現した句ではないか。
 呉越同舟という四語熟語がある。春秋時代は小さな都市国家がいくつも出現した時代である。それらの小さな国々が興亡を繰り返し、最終的には戦国の七雄といわれる七つの国にまとまっていく。その過程は戦乱につぐ戦乱であった。最終的には中国南部の地域は呉の国に統一されていく。この呉の国の文化が日本に影響を与えた。その一つに呉服がある。呉服の起源は呉の国の服装であった。また漢字に呉音読みがある。これは当時の呉の国の漢字の読みの音に違いない。呉は大国であった。呉が大国になっていく過程で敵国の越の国の人と同じ船に乗ることを呉越同舟という。また「臥薪嘗胆」という四語熟語がある。日清戦争後、下関条約で遼東半島の割譲を清国に承認させたが、三国干渉によって遼東半島を清に返還させられた。この時、欧米諸国に復讐を誓ったスロ
ーガンが「臥薪嘗胆」である。薪の上に臥して屈辱を忘れない。三国干渉の屈辱を忘れてなるものか。
同じように越の国が呉の国への復讐を誓った言葉が「臥薪嘗胆」である。
復讐に燃える越の国の男たち、女の体に溺れる呉の国の男にそんな戦などどうでもいいではないか。戦の好きな男たちに対するやり切れない哀しみ、寂しさに満ちた儚い美しさが篠つく夏の雨ではなく、霧雨に煙るような雨に打たれて眠る西施の姿を芭蕉は胸に描いて詠んだ句ではないかと考えるようになった。
 臥薪嘗胆などという復讐を誓う男がいなければ、呉の王に女を贈り物として届けられるようなことはなかった。戦の好きな男に対する深い絶望に裏打ちされた女の哀しみを表現したのが「象潟や雨に西施がねぶの花」という句ではないか、こんな考えを持つようになった。
 古代ギリシアでも同じように戦を好む男を笑う喜劇「女の平和」という演劇がある。男は戦が好き。女は平和が好き。女たちが団結して男たちに戦をやめさせる芝居である。

醸楽庵だより  885号  白井一道

2018-10-19 11:38:27 | 随筆・小説


 上着きてゐても木の葉あふれだす  鴇田智哉


 日曜、朝のNHK俳句を楽しみにしている。先日、神野紗希氏がゲストとして出演し、鴇田智哉氏の句を紹介した。この句は現代の
気分が表現されているというような発言をした。鴇田氏の句が何を表現しているのか、私には全然わからなかった。寒くなってきたか
ら上着をきてゐても「この葉あふれ出す」。何を言っているのか、全然通じない。こんなのが現代の俳句なのか。こんな句が今の若者の心に染みるとはなになんだ。
 調べてみたら、鴇田氏は45歳だ。若者とは言えないな。中年の親爺がこんな人を煙に巻くような句を詠み、若い俳人と称する人々に人気を得ているようだ。
 また、「上着きてゐても」と「い」の字を旧仮名「ゐ」を用いている。現代仮名遣いの「い」ではなく、旧仮名の「ゐ」で表現しようとしたことは何なのか。「ゐ」は「wi」だ。だから少し間ができる。「い」は「i」だ。間が抜けるのかな。「ゐ」の方が「い」よりゆっくりした時間が流れるように感
じる。何べんも声を出してこの句を読んでいるうちにふっと気づいた。寒くなってきたなー。上着を着ていーても木の葉が木から落ちてくるように私の心から言の葉があふれてくる。そういえば、今の日本社会は経済成長が止まり、給料が上がっていくことがない。正規職員への就職は難しい。豊かさのようなものが感じられない。上着を着ていても、寒い、寒いと木の葉があふれだすように不平、不満があふれだしてくる。
 バブル景気に酔った若者がジュリアナ東京で踊り狂った話を聞くにつけ、今の若者はなんと寂しく、寒いのか、こんな若者の気分を
表現したものが鴇田氏の句なのかもしれないと感じた。今の若者は寒くなっていく時代を軽く軽く受け流している。鴇田氏の句のこの軽さが今の若者の心に染みるのかもしれない。
 鴇田氏は上着を着て散歩でもしていた時の心象風景を詠んだものと私は理解した。
 鴇田氏はまた、文語でこの句を表現している。文語で句を詠むとどのような効果があるのだろう。
 山本健吉の「現代俳句」を読んだときに心に残った句があった。芝不器男の句である。「人入って門のこりたる暮春かな」。行く春の情緒が静かに表現されているなぁーと、しばらくぼんやりしていたことを思い出す。もう一句。「白藤の揺りやみしかばうすみどり」。垂れ下がった白い藤が静かに風に揺れている。揺れている白い藤の揺れが止まると白い藤に葉の緑が反射するのか薄緑に見える。ただそれだけの句だ。藤棚の下に一人たたずみ、藤の花をぼんやり眺めている自分が想像される。なんとなくゆったりした自分一人の時間が表現されているなぁー。
 これはもしかしたら文語で表現されているからなのかなと鴇田氏の句を読み感じた。
 『青春の文語体』」の中で安野光雅が言っている言葉を読んだ。文語文を知らなくとも楽しく生きていける。ただ「本当の恋をしらず」におわるだけだ。
 文語文を読むと人を大事にする気持ちがそこはかとなく湧いてくるのかもしれない。それは言葉が流れていく時間がゆっくりしているから。ゆったりした時間間隔が芝の句の魅力になっているのだ。

醸楽庵だより  884号  白井一道

2018-10-18 15:00:07 | 随筆・小説



 道のべの木(む)槿(くげ)は馬に食われけり



 「野ざらし紀行」に載っている句の一つである。この紀行文の最初の句が有名な「野ざらしを心に風のしむ身かな」である。旅に死ぬ私の髑髏(されこうべ)が野ざらしになっていることを想像すると心の中に吹く秋風が冷たく寒い。旅に生き、旅に死ぬ覚悟を詠んだ句である。時に芭蕉四十一歳、貞享元年(1684)、元禄時代の直前である。こんなに重い覚悟の句の直後に芭蕉は馬上吟の句、「道のべの木槿は馬に食われけり」と詠んでいる。この句が「軽み」を表現した句である。
「野ざらしを心に風のしむ身かな」、この句はとても重い。死ぬ覚悟ができると心が軽やかになったのであろう。すべての柵(しがらみ)から解放され、後ろ髪引かれるものが無くなったのであろう。日常普段に眼にするものをそのまま表現する。卑近なものであっても卑俗にならない。ここにこの句が軽みを表現していると言われる
所以がある。モーツアルトの音楽の軽快さに共通するものがある。
 芭蕉と曽良、他の門人たちは深川の芭蕉庵から隅田川をさかのぼり千住で船をあがる。門人たちは芭蕉と曽良の後姿が見えなくなるまで見送ってくれた。そのときに詠んだ句が「行春や鳥啼魚の目は泪」である。なんと後髪の引かれる思いであったことでろう。門人たちは皆、目に泪をたたえ、別れを惜しんでいる。それはもう二度とまみえることがないだろうという不安を抱えていたからである。芭
蕉たちもまた振り返ることもなく足早に後姿が小さくなっていった。
 このような重い別れであったのに比べて「奥の細道」最後の句「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」、大垣に駆けつけてくれた門人たちとの別れのを詠んだ句はなんとも軽い。大きな旅を無事終えた芭蕉にとっては身も心も軽くなっていたことでろう。そんな気持ちの軽さが表現されている。ここにも軽みがある。
 将来を背負ったときには荷の重さが心を占める。人生の歩みが始まってしまえ
ば心は軽くなるものなのかもしれない。忙しい毎日が過ぎていく。その忙しさに人間は楽しみを見出していく。歩く足裏の痛みもいつしか笑いの種になる。日射しの暑さに咽の渇きを覚えることがあったても井戸水で咽を潤す喜びがある。風の音に秋の訪れを感じる寒さがやってきても迎え入れてくれる門人たちのぬくもりに癒される。雨に濡れる冷たさはあっても見飽きることのない景色を心にとどめていく楽しさは今、生きているという実感があったであろう。
 テクテク歩く旅を通して芭蕉は人間の本質を究めた。その人間の本質とは重く悩み苦しむことではなく、生活を楽しむ軽さにあると気づいたのである。
 生きる苦しみにではなく、生きる楽しみに人間の本質はある。老いの苦しみに老いの本質があるのではなく、老いの楽しみに人間の本質はある。
 死ぬ危険性をたたえた旅を真正面から受け入れたとき、実感をもって知った人間の本質であった。この現実を肯定的に受け入れることによってこの現実を変える力を得るのだ。

醸楽庵だより  883号  白井一道

2018-10-17 12:58:45 | 随筆・小説


 「今日よりや書付消さん笠の露」元禄二年 芭蕉

 

句郎 「今日よりや書付消さん笠の露」。『おくのほそ道』、山中温泉を曽良が先に旅立つにあたって芭蕉が詠んだ送別の句がこの句だ。
華女 芭蕉は曽良と一緒に江戸を立ってずっと一緒に『おくのほそ道』の旅をしてきたのよね。山中温泉で芭蕉と曽良は別れ別れになったということなのね。
句郎 今栄蔵著『芭蕉年譜大成』によると元禄二年八月五日に曽良への送別吟「今日よりや」の句を芭蕉は詠んでいる。
華女 『曽良旅日記』八月
五日にはどのようなことが記入されているかしら。
句郎 『おくのほそ道』には、「曽良は腹を病て、伊勢の国長島と云所にゆかりあれば、先立て行に」とあるが、『曽良旅日記』には「腹を病て」というようなことは何も書いていない。
華女 曽良が腹を病んだというのなら、普通なら山中温泉に逗留するというのが普通よね。体の具合が悪いのに一人で山中温泉から伊勢まで一人、旅立つて行くというのは変ね。
句郎 でしょ。だから山中
温泉で曽良が腹を病んだというのは嘘だという説がある。近世文学者の復本一郎神奈川大学教授は言っている。曽良が腹を病んだというのは嘘だとね。
華女 『おくのほそ道』にはフィクションがちりばめられているのね。
句郎 『おくのほそ道』は文学作品だからね。
華女 長旅を一緒にしてきた曽良との別れの挨拶の句を詠んだ句が「今日よりや」の句ということね。
句郎 人生とは人との出会いと別れのようだから、芭蕉にはたくさんの別れの挨拶句がある。
華女 芭蕉の別れの句の傑作は何という句だと句郎君は思っているの?
句郎 気に入っている句は、「麦の穂を便りにつかむ別れかな」。元禄七年五月十一日、芭蕉は江戸を立って帰省の最後の旅に出る。品川で門人との別れに際して詠んだ留別の句が「麦の穂を」の句だ。十月、芭蕉は大坂で亡くなる。
華女 「麦の穂を」の句、とてもいい句ね。このような句が詠めるといいなぁーと思うわ。でも詠めないのよね。
句郎 簡単そうに見えて難しい。料理にしても、スポーツにしても、職人の仕事はすべて簡単そうに見えて、とても難しい。
華女 「今日よりや書付消さん」の「書付」とは、何なのかしら。
句郎 旅人は日よけの笠を被っていた。その笠には「乾坤無住同行二人」と書いていた。
華女 「天地に居住する場所を持たず、大師様と二人」という今では四国遍路の旅に出る人が編笠に書いている言葉ね。江戸時代の旅人は今の遍路の旅だったのね。
句郎 当時の旅は死を覚悟した旅であったんだろう。同行二人の曽良が去り、私一人になってしまう。その哀しみを詠んでいるのではないかと思う。
華女 笠に落ちる露が書付を消し去っていくように曽良が身の傍から離れていく悲しみね。
句郎 曽良自身もまた芭蕉を置いたまま立ち去る苦しみがあった。その思いを超える理由、公にできない理由が曽良にはあった。芭蕉も納得せざるを得ない理由があった。それが曽良忍者説かな。

醸楽庵だより  882  白井一道

2018-10-16 11:55:56 | 随筆・小説


  きりぎりすに芭蕉は何を詠んだのか


句郎 キリギリスを詠んだ芭蕉の句が五句ある。元禄二年に詠んだ「むざんやな甲のしたのきりぎりす」、元禄三年作の「白髪抜く枕の下やきりぎりす」、元禄四年「淋しさや釘に掛けたるきりぎりす」、元禄七年「猪の床にも入るやきりぎりす」、年次不詳「朝な朝な手習ひすゝむきりぎりす」の五句が伝わっている。この句の中で華女さんが一番良いなと思う句はどの句かな。
華女 予備知識なしに分かる句は元禄三年作の「白髪抜く枕の下やきりぎり
す」ね。ほかの四句は予備知識がなくては分からない句ね。
句郎 「むざんやな」の句も謡曲『実盛』を芭蕉は思い出していたのかなという想像があって初めてなるほどということなる。謡曲『実盛』がどのような内容の話なのかを知っていなければ伝わってこない句だね。
華女 そうなのよ。そのような句は人びとから忘れられていく句なんじゃないかしら。
句郎 そうするとかろうじて残っていく句は元禄三年作の「白髪抜く枕の下
やきりぎりす」だけということになるね。
華女 「きりぎりす」という季語についての理解が必要ね。
句郎 元禄時代に「きりぎりす」と言われていた虫はコウロギのようだからね。
華女 平安時代からじゃないのかしら? 古今集に「きりぎりす鳴くや霜夜のさ莚(むしろ)に衣片敷きひとりかも寝む」と藤原良経が詠んでいるわよ。
句郎 コウロギの古称がきりぎりすと古語辞典にある。現在のきりぎりすを昔は「はたおり」と呼んでいたようだ。
華女 キリギリスの鳴き声に哀れさを発見したものが句になったということね。
句郎 「むざんやな」の句も源平の合戦に活躍した武人の哀れを詠んだということかな。
華女 「白髪抜く」の句も無常観という哀れを表現した句ね。
句郎 無常なる人間世界の哀れを嘆くのではなく、笑ったのが芭蕉の俳句なんじゃないのかな。
華女 分かるわ。芭蕉は髪の毛を掻きむしったんじゃないのそかしら、抜けた髪の毛が白髪だった。このことを詠んだ句が「白髪抜く」の句よ。白髪を見て芭蕉は微笑んだのよ。
句郎 「むざんやな」の句も笑いなのかもしれないな。
華女 元禄四年の「淋しさや釘に掛けたるきりぎりす」。「釘に掛けたるきりぎりす」が今いち、分かりづらいけど、この句も笑いの句なのかしら。
句郎 きりぎりすが釘にかけてあるなんてあり得ないよね。きりぎりすを描いた絵が釘にかけられていたんじゃないのかな。
女 あっ、そういうことね。絵に描かれたきりぎりすが壁の釘にかけられていると寂しく感じるもんねということね。
句郎 庶民のあばら家の壁にむき出しの釘が打たれ、そこにきりぎりすの絵がかかっている。こんなところにあってもきりぎりすの鳴き声を思い起こすと寂しさがあるねと、笑ったのかもしれない。
華女 無常観の哀れを嘆いたのが和歌だったとしたら、無常観の哀れを笑ったのが芭蕉の俳句だったということなのね。
  

醸楽庵だより  881号   白井一道

2018-10-15 13:37:17 | 随筆・小説



 総理大臣安倍晋三のウソ



 9月26日に行われた日米首脳会談の後、日米共同声明が発表された。
 「日米はFTA(自由貿易協定)ではなく、「物品貿易協定」(「TAG」)について交渉に入ることに合意した」と安倍首相の発言をテレビ中継した。私は「物品貿易協定」(「TAG」)という初めて聞く言葉を聞いた。
 その後、you tube で日本共産党志位和夫委員長の話を聞いた。「物品貿易協定(TAG)は」とはFTA(自由貿易協定)であると、英文の日米共同声明、日本の外務省訳、駐日アメリカ大使館訳とを記者たちに配布して説明していた。
 私は興味を持った。早速、ネットで検索すると農業協同組合新聞(電子版)にヒットした。問題の箇所の英文と訳が載せてある。それが次のようなものである。
3. Japan and the United States will enter into negotiations,following the completion of necessary domestic procedures, for a Japan-United States Trade Agreement on goods,as well as on other key areas including services,that can produce early achievements.
(米国大使館)
3. 米国と日本は、必要な国内手続が完了した後、早期に成果が生じる可能性のある物品、またサービスを含むその他重要分野における日米貿易協定の交渉を開始する。
(日本国外務省)
3. 日米両国は,所要の国内調整を経た後に,日米物品貿易協定(TAG) について,また,他の重要な分野(サービスを含む)で早期に結果を生じ得るものについても,交渉を開始する。
「Japan-United States Trade Agreement on goods」を直訳すると確かに日米物品貿易協定になるが誤訳だ。その理由は「goods」の「g」が小文字で大文字になっていないからだ。この「goods」は「as well as」以下の言葉を意味している。
 安倍総理はトランプアメリカ大統領と自由貿易協定を結び、アメリカの農産物を輸入する約束をしたのだ。なぜ正々堂々と安倍総理はアメリカと自由貿易協定を結んだというのを憚り、ウソをついたのか。その理由について志位共産党委員長は完結に述べていた。安倍総理は国会においてアメリカと自由貿易協定を結ぶ意図はないと発言しているからだと述べていた。
 農業協同組合に結集する全国の農家の支持を維持するためのウソを安倍総理はついた。ネットの時代は恐ろしい。私のような末端の一国民も日米共同声明の英文、日本外務省訳、在日アメリカ大使館訳を知ることができる時代になった。ありもしない日米物品貿易協定なるものをつくりだし、国民にウソをつく。そのウソが国民にすぐさま指摘されてしまう時代になった。
 旧ソ連時代「プラウダにイズベスチヤ(ニュース)はなく、イズベスチヤにプラウダ(真実)はない」という小咄、アネクドートがあったと聞く。今、日本の新聞、テレビにニュースはない。日本のニュースには真実はない」と言える状況になってきているのかもしれない。しかしネットがある。ネットで得られたニュースに対するリテラシーがあれば、真実を知ることができる時代がきいている。
 ソ連が崩壊した理由は真実を国民が知ったからではないかと話を聞いた。ペレストロイカ、立て直しの中心の一つがグラスノスチ、情報公開であった。この情報公開によってソ連共産党は国民の支持を失った。日本にあっても情報公開が進めば自民党政権は国民の支持を失うのではないかと思う。
 日本の報道の自由度、2018年度は世界180ケ国中67位、韓国は43位、アメリカは45位。日本に住んでいるとそれほど報道の自由度が低いように感じることはないが他国と比較すると自由な報道が行われていないことを知る。私は民主主義国日本に住んでいると思っている。自民党政権も自ら民主主義を標榜している。報道の自由があって初めて民主主義国と言える。報道の自由ランキング、世界で67位とは、実に低い。本当に日本は民主主義国なのかどうか、疑問だ。
 国民にウソをつく総理大臣がいる国が日本だ。このような総理大臣がいることは自由な報道が行われていない証拠なのだろう。自由な報道が行われているなら安倍晋三氏のような人間が総理大臣でいられるはずないだろう。報道管制しているからこそ安倍晋三氏は総理でいられるのかもしれない。

醸楽庵だより  880号  白井一道

2018-10-14 15:59:52 | 随筆・小説


 「助詞」の働きについて


「住吉に住みなす空 □ 花火かな」 阿波野青畝

 右の句の□に一字を入れて下さいと岸本尚毅氏は静かに話した。俳句経験のある二人の女性は「の」の字を入れた。テレビを見ていた私も「の」かなと思って見ていた。解答は「は」であった。そうか、「は」なんだ。「は」にすることによってこの句は俳句になった。「の」では凡庸ななんでもない言葉に過ぎない。俳句は助詞の働きによって俳句になる。岸本氏は阿波野青畝の句「水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首」を紹介し「へ」は動きを表現すると述べた。この句を聞いて名句だと思った。宇治平等院鳳凰堂の前には池がある。水の揺れる鳳凰堂を眺めていると蛇が泳いでいく姿を阿波野青畝は見たのだろう。何でもない当たり前のようなちょっとした出来事を述べたに過ぎないが単なる文章ではなく、俳句を感じさせる力がこの句にはある。
「水馬(みずすまし)鳳凰堂をゆるがせる」飴山實
 最小限の言葉が大きなことを表現する。大きなお堂をアメンボが揺るがす。大きな働きをする言葉が助詞「を」なんだ。
 芭蕉の句「今朝の雪根深を園の枝折哉」がある。
 雪景色の中にネギが突っ立っている。あそこがネギ畑なんだと教えてくれる。根深が園の枝折哉と詠んだのでは単なる平叙文に過ぎないが「根深を園の枝折哉」とすることで雪の原の大きさが表現されている。俳句だと読者を納得させる。
 助詞の大切さを岸本氏に教えられたテレビ番組だった。

醸楽庵だより  879号  白井一道

2018-10-13 12:36:51 | 随筆・小説


 我が家の庭に一輪の山茶花が咲いた



 使いから帰ると一輪の山茶花が咲いていた。秋な
んだ。どんより曇った日の夕暮れに山茶花が咲いた。季節は廻りくる。立ち止まり山茶花の花を眺めた。また玄関に至るアプローチに花びらが舞い散る日が来るな。
 「山茶花の花のこぼれに掃きとどむ」。虚子の句が思い出された。本当にそうだ。だが日がたつと茶色に変質し、地面にへばり付くと汚くなってしまう。心を鬼して箒で掃き清めて初めて山茶花の花のこぼれの美しさを味わうことができる。掃き掃除の楽しさがまた山茶花の花を愛でる楽しさなのだ。
 「さざんくわのいくひこぼれてくれなゐにちりつむつちにあめふりやまず」。歌人、会津八一が詠っている。二階の屋根に届くやに思われる我が家の山茶花花が満開になると毎日毎日雨が降るように零れ落ちてくる。一雨ごとに寒さが一段と厳しくなっていく。無情な雨が山茶花の花の上に落ちてくる。秋は日ごとに深まっていく。私の老いもまた深まっていく。無情な時の流れの中にあることに山茶花は日々私に押し付けてくる。
 「山茶花の匂ふがごとく散り敷ける」。日野草城は山茶花を詠んでいる。うち重なって山茶花の花びらが降り積もる。紅が匂うのだ。匂うからこそどこからともなく蜂が集まってくる。蜂の羽音に山茶花の花びらが震えている。
 私は寒椿と言うのよ。冬に咲く真っ赤な花が好き。こんなことを言った女が飲み屋にいた。山茶花の花を見ると真っ赤な厚ぼての唇をした女を思い出す。今が私の女盛りなのよと言っているように感じたものだ。美容院の客から解放されたのか、カウンターに座った女はぬる燗の酒を注文する。椅子からはみ出したお尻。甲高い笑い声、ママとニコニコ笑いながら話す。「もう紅葉は終わりね」。「どこに行ってきたの」。「奥鬼怒に行ってきたのよ。ちょうど良かったわ。一泊してきたのよ」。誰と行ってきたのと、私が口を挟むと「野暮なこと、聞くもんじゃないわ」とママが言った。「彼と行ったということよ」と私にママが言った。高校を卒業した子供がいるはずの美容院の先生にはご主人と彼と子供がいるみたいだ。
 寒椿。椿の生花を胸に差した女、「椿姫」を中学生の頃詠んだ記憶がよみがえる。クルチザンヌ、日本でいえば江戸吉原の花魁、城を傾けたという美女、傾城、マルグリット・ゴーチェの純情な恋を表現した小説だ。寒椿の紅い花は高級娼婦クルチザンヌ、吉原の花魁を形容する花なのかもしれない。
 椿も山茶花も寒椿もみな照葉樹だ。葉が光り、厚ぼったく堅い。このような木が照葉樹だ。中国の雲南から日本にかけての地域が照葉樹林帯だ。昔、中尾佐助の著作を読み、日本文化の源流の一つが照葉樹林文化だという認識を得た。椿の花を愛でる。山茶花の花を愛でる。これも照葉樹林文化の一つなのかなと考えてみる。東アジアの花の文化、椿や山茶花の花を愛でる文化がフランスに伝わり、『椿姫』のイメージがデュマ・フィスの脳裏にうかんだのかもしれないなと私の想像は膨らんでいく。
 しかし日本文化を代表する花は桜の花だ。平安時代に日本文化が花開いた。その時から日本人が愛でる花は桜であり、椿や山茶花の花ではなかった。椿の花や山茶花の花は中国文化を表象するような花のイメージが私にはある。ぼってりとした肉厚感は日本のものではない。そんな印象がある。紅い色の強烈さも日本のものではないように思う。日本のものはもっと淡いもの、薄いもの、薄命なもの、そう桜の花びらが風に舞う姿が日本の文化のように感じる。
 宮尾登美子の小説に『寒椿』がある。この小説の世界も高知の廓に生きた女の話だ。日本のクルチザンヌ、花魁の話だ。濃い紅い色の世界の話だ。寒椿がイメージする世界だ。背中の入れ墨が月明かりにギラギラ光る世界にマッチする花が山茶花の紅い色のように感じる。どす黒い命がうごめく世界をイメージする花が椿や山茶花の花なのかもしれない。

醸楽庵だより  878号  白井一道

2018-10-12 16:12:17 | 随筆・小説


 つくば市の酒「霧筑波」


侘輔 今日のお酒は一度蔵元を囲んで楽しんだお酒なんだ。覚えているかな。今は無くなってしまった商工会議所の一室を借りて楽しんでいたころのことなんだけれど。
呑助 えっ、そんなこと、ありましたっけ。
侘助 そう、最近は昨日のことも思い出せないほど、記憶力が無くなってきているからね。五年以上前のことになると思い出せないないよね。昔はいろいろイベントがあった。
呑助 そうでしたね。ただ楽しかった。記憶にあるのはそれだけでそれ以上
のことはありませんね。
侘助 楽しさとは、そのようなものなのかもしれないな。心に残るものは良くないとタモリが言っていた。笑い、楽しさとは、そのようなものなのかもしれない。
呑助 それで今日楽しむお酒は何ですか。
侘助 筑波のお酒、「霧筑波・純米大吟醸・雄町」。つくば市の浦里酒造さんが醸したお酒だ。
呑助 「霧筑波」と聞いて思い出しました。ラグビー選手のような蔵元でしたね。お土産に美味しいお酒を一本持ってきてく
れたような記憶がありますね。
侘助 そうでしたね。今日楽しむ浦里酒造さんのお酒も十号酵母にこだわって醸している。
呑助 いい香りのするお酒は九号酵母で醸したお酒が多いんですよね。十号酵母で醸したお酒の特徴はどんなところにあるんですかね。
侘助 十号酵母は七月例会で楽しんだ水戸の明利酒類のお酒「副将軍」、金子さんが差し入れてくれたお酒、覚えているかな、あの「副将軍」を醸す蔵から採取された酵母として醸造協会に認められ、十号酵母として教会が頒布している。特に酸が少なく、高い吟醸香が出ると言われている。
呑助 「霧筑波」のお酒は繊細な柔らかさがあるお酒だったような印象があるな。
侘助 ほのかな吟醸香と柔らかな繊細さというのが「副将軍」と「霧筑波」の共通性かもしれないな。
呑助 九号酵母のお酒と十号酵母のお酒の違いと言うとどんなところにあるんでしようね。
侘助 九号酵母のお酒はちょっと専門的になるけれどもカプロン酸系のフルーティーな香り、華やかな香りが特徴かな。それに対して十号酵母のお酒は落ち着いた香りのように思っている。山形に十号酵母にこだわった酒造りをしている蔵がある。醸している酒の銘柄は「くどき上手」。このお酒を女性に勧めると女性の心が開いてくるのかもしれない。
呑助 へぇー、そんな銘柄のお酒があるんですか。 十号酵母のお酒は女性向きのお酒なのかぁー。
侘助 今度、楽しんでみようよ。十号酵母で醸した酒「くどく上手」。
呑助 女の人は口説かれ上手になるんですかね。
侘助 最近酒造米「雄町」の人気が高まってきてるようだ。しかし浦里酒造さんはもう二十年以上前から「雄町」で酒を醸している。売れるからといって生産石数を増やすようなことはしていない蔵だ。地酒屋は地元で売るのが原則という信念を貫いている蔵のようだ。
呑助 世の中の浮き沈みに拘泥しない。
侘助 自信がある。流行に惑わされないようだ。