醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  877号  白井一道

2018-10-11 16:25:37 | 随筆・小説


 「とことん共産党」をyou tubeで見た


 共産党宣伝番組に若手の保守論客といわれている東京工業大学教授中島岳志氏が出演していた。私は中島氏の著書を一冊も読んだことがない。ただこの番組を見た感想を書いてみたい。
 中島氏自ら話したことで知ったことがあった。師匠が東大教授であった西部邁だということ。反共の闘志のように思っていた福田恆存が「大東亜戦争」に反対していたということを知った。
 西部邁と言えば、60年安保、全学連の闘志として知られていた人物である。ブントの理論家の一人であった。当時の日本共産党系の学生たちからトロツキストと言われていた人々の指導者の一人であった。唐牛健太郎という輝かしい全学連委員長と一番仲が良かったのが西部邁だと彼自身が後に評論家佐高信との対談番組で述べていた。
 後に西部邁は保守の論客として論壇で活躍した。晩年の西部は現日本共産党書記局長小池晃氏と一緒にテレビ番組に出演し、共感し合ったようだ。
 西部邁、政治学者中島岳志氏らが主張する政策と現日本共産党の政策に共通のものがあるということを述べていた。日本共産党の政策に日本の保守派の主張が共感しているということのようだ。日本共産党の政策が保守的なものに変わってきているというのだ。それにもかかわらず中島岳志氏は日本共産党という党名を堅持していることを褒めていた。日本共産党には96年にわたる歴史がある。共産党という看板を背負って亡くなっていった方々からの教訓、制約があるから共産党という党名は堅持していってほしいということのようだ。このことを死者の制約と言う言葉で述べていた。
 歴史は一夜にして変わることはないということを中島岳志氏の話を聞いて思った。昔読んだ寺沢恒信著『弁証法的論理学試論』を思い出した。この中で変化には急激に一気に起こる変化と徐々に少しづつ変わっていく変化があると述べていた。例えばロシア革命のように一気に急激に社会が変わることがある一方封建社会は少しづつしか変わっていかない。このことを「ハゲ頭」を例に取って説明していた。一本一本頭から毛を抜いていけばいつかは禿頭になるが、禿頭になるのがいつのことなのかわからない。頭の髪の毛が何本になったら禿頭になったといえるのか不明であるが確実に髪の毛を一本づつ抜いて行けば禿頭になる。
 資本主義社会が永遠に続いていくとは考えられない。しかしいつ資本主義社会が崩壊するのか誰にもわからない。ただ確実に資本主義社会が崩壊に向かっていることは間違いない。パックスアメリカーナの時代は終わっている。1929年の大恐慌が資本主義崩壊の始まりじゃないかと私は考えている。いやそれとも第一次世界大戦、第二次世界大戦が資本主義崩壊の始まりだったのかもしれない。これらの悲劇の中で新しい社会がうごめき始めたといえるのかもしれない。大きな社会の変動と観点から見ると急激な社会の変化はないようだ。
 例えばロシア革命にしても世界は大きく変わったように見えても現在のロシア社会を見れば社会は大きく変わらなかったということが言えそうだ。フランス革命にしても世界は大きく変わったと言えると同時にそれほど社会は変わらなかった。少しづつしか社会は変わっていかないということを小池晃氏と中島岳志氏の話を聞いて感じた。
 日本共産党は死者からの制約、または死者の財産の上に少しづつ社会を変えていく方向に向かって歩んでいるということのようだ。そうでなければ小池晃氏が主宰する共産党宣伝番組に中島岳志氏が出演するはずがない。
 日本共産党がこのように少しづつ社会を変えていく方向に梶を切る上で大きな役割をしたのが不破哲三氏なのではないかと考えている。大変な理論家なんだなぁーと思ってしまう。
 小池晃さん、私は一面識もありませんが、野党共闘を実現するため、共産党アレルギーを日本国民からなくすためにリベラルな人をこれからますます「とことん共産党」に出演してもらい、これが今の本当の共産党ですと宣伝してほしいと思います。

醸楽庵だより  876号  白井一道

2018-10-10 16:51:49 | 随筆・小説


 「大比叡やしの字を引いて一霞」芭蕉34歳 延宝5年(1677)


句郎 この句は『六百番俳諧発句合』に載せてある。
華女 「俳諧発句合(はいかいほっくあわせ)」とは、俳諧発句集ということなのかしら。
句郎 磐城平藩主内藤風虎が江戸藩邸で開催した俳諧発句を競い合う大会があった。開始の左右に発句を一句づつ詠み、判者が判定する。このような俳諧発句合というイベントが江戸磐城平藩邸で開催された。
華女 そのイベントに俳諧師として芭蕉は参加しているのね。芭蕉は誰と戦ったのかしら。
句郎 俳諧師芭蕉は青木春澄と戦った時の句が「大比叡やしの字を引いて一霞」だった。
華女 判者ば分かっているの。
句郎 伊勢久居藩主藤堂任口(とうどうにんこう)だったようだ。
華女 芭蕉の対戦相手青木春澄はどんな句を詠んでいるのかしら。
句郎 「きのふこそ寒ごり見しか水あみせ」と春澄は詠んだ。
華女 何を詠んでいのか、ピンとこない句ね。
句郎 「寒ごり」とは、「寒垢離」の事なんじゃないのかな。  
華女 「寒垢離」とは、何なの。
句郎 寒中に寺社に参り冷水を浴びて神仏に祈願することをいうようだ。「寒垢離」は冬の季語になっている。
華女 今では使われなくなった季語のようね。
句郎 この句が左に置かれ、芭蕉の句が右に置かれて判定された。
華女 どちらの句が勝ったのかしら。
句郎 判者の任口は春澄の句を勝と判定したみたい。
華女 芭蕉の句は負けちゃったのね。芭蕉は負けちゃったとくよくよしたのかしらね。
句郎 遊びとは云え、俳諧師にとっては、生活がかかっている遊びだから、真剣勝負だったんじゃないのかな。
華女 春澄の句のどこが良かったのかしら。
句郎 真冬の水浴びに清らかさが詠まれているのがいいということのようだ。
華女 そんなことで判定されていたのね。文学的な評価じゃないように思うわ。
句郎 芭蕉の句には、言葉遊びのようなものがあるよね。
華女 芭蕉の句「大比叡やしの字を引いて一霞」とは、何を言っているのかしら。
句郎 「大比叡や」とは、比叡山のことだと思う。「しの字を引いて一霞」とは、比叡山に霞がたなびている景色を芭蕉は思い出して詠んでいる。
華女 実景じゃないのね。磐城平藩の江戸藩邸で詠まれているのだったわね。
句郎 「しの字を引いて」とは、「一休が比叡山の僧侶等に大きな字を所望され、比叡山から麓の坂本まで「し」の字を書いた」という『一休噺』が伝わっていた。この話を芭蕉は知っていた。この「し」の字を横たえたのが比叡山にかかった霞だと詠んだ。
華女 観客もいたのかしら。
句郎 お客さんがいたんじゃないのかな。お客さんは皆ご祝儀を持って来たんじゃないのかな。
華女 『俳諧発句合』とは、一種の興行だったのね。俳諧師はお客さんを楽しませなきゃならなかったのね。
句郎 俳諧師は元禄のお笑いタレントだったのかもしれない。


醸楽庵だより  875号  白井一道

2018-10-09 10:43:10 | 随筆・小説


  少子高齢化とは、貧困化だ



 私の住む町の県会議員が情報を発信している。月刊『むぎわら』である。このミニ新聞を読み、ショックを受けた。
 私が住む市の国民健康保険に加入している世帯は3万7696世帯、加入者は6万89人(平成30年3月31日現在)だそうだ。加入世帯の平均所得は102万円。平成28年度と比較すると2万円減少しているようだ。確実に貧困化がじわりじわりと進んでいる。更に年間所得が100万円に満たない世帯がおおよそ60%になっているという。これでよく国民健康保険制度が成り立っているものだと不審に思う。
 国民健康保険制度を維持するためなのだろうか。今年度から国保は市単位の運営から都道府県単位の運営に制度が改められたようだ。
 国民健康保険税の税額は、県が示す標準税率を参考にして市町村が独自の税率で徴収することになった。
 私が住む市では、今まで市が徴収していた国保の税額では県が示す税額を納入できないことが判明した。その結果、今後六年間にわたって段階的に毎年市の国保税を増額していく方針を決めた。
 その結果、来年度は102万円所得世帯への国民健康保険税の税額は14万4千円になるそうだ。全収入に占める国保税の割合は14.1%になる。更に再来年度には国保税は増額されることになる。市民の貧困化が進んでいくことが予想される。
なぜ貧困化が進むのかと言うと市民の高齢化ではないかと私は疑っている。同じ市内に住む知人は都内の有名私立大学を卒業し、名の知れた旅行会社に就職した。その後、旅行会社を二度ほど転職した。トラバーユなんていう言葉が流行したころだ。彼は結婚をしなかった。そのためだろうか、家を持とうとしなかった。老後のことなど何の心配もしなかった。旅行会社の支店長として楽しく充実したサラリーマン人生を送った。定年後、年金額の少なさに驚いた。なぜこれほど年金額が低いのか、分からなかったが、調べてみて分かった。転職先の会社が厚生年金に加入していなかった。その分、確かに給料は高かったような印象を定年後思った。
 プライドの高い彼は貧しい生活を愚痴ることはない。七十を過ぎ、右足が不自由な彼に収入を得る仕事などない。年金が唯一の収入である。家賃の安いアパートに一人で住んでいる。
 市の徴税課は過酷である。法令の執行に人情はない。国保税滞納者には差し押さえをする。平成29年度、市は1026件の差し押さえを執行した。その額は4憶3750万円だった。そのうち市が強制的に動産、不動産を金銭に換えたものが653件9740万円だった。この差し押さえ、換価は前年の約二倍近くになっているそうだ。
 老人世帯の増加は貧困化だ。私の家の周りでも夫婦二人っきりの世帯が多い。子供はいても親と一緒に住む子供世帯は少ない。子供は結婚すると男の子も女の子も親の家を出ていく。残るのは年老いた老夫婦のみだ。老夫婦が新たに収入の道を得ることは難しい。圧倒的多数の老人たちは老いて収入の道を絶たれているのが現実だ。
 憲法25条には、次のように書かれている。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」このことを実現すべく市には頑張ってもらいたい。健康な生活には医療の充実が大事だ。国民健康保険税を滞納しているため、保健医療が受けられないような状況があってはならない。
 埼玉県会議員秋山文和は主張している。市の平成29年度の国保特別会計決算審査によると一般会計からの繰入額は約1億634万円だったが前年の平成28年度は7億5955万円だったことが判明したようだ。平成28年度に比べて平成29年度は大幅に国保特別会計への一般会計からの繰入額が減額されている。これまで通りに一般会計から国保特別会計へ繰入を行えば、国保加入世帯一戸に対して1万円引き下げることが可能だと秋山文和埼玉県会議員は主張している。
 市民税や地方交付税などをどのように配分するかと言うことについての市民の合意を形成することが市議会議員の仕事である。秋山議員は県会議員であるから市議会への参考意見でしかないのだろうけれども貴重な情報提供であり、意見である。憲法25条実現のためにも市議会は検討してほしい。

醸楽庵だより  874号  白井一道

2018-10-08 16:22:27 | 随筆・小説


  俳句の「切れ」について


花子 野火の句会に出て何か、学んだことはあった?
侘助 うん、一つは「茶の花」が冬の季語だということを知ったよ。
華女 お茶の木は冬、白い花をつけるよ。
句郎 そうなんだ。小さな花なのかな。
華女 二センチぐらいの花よ。黄色い雌蕊を白い花弁が囲んで咲くのよ。
句郎 「茶の花や午後の日差のぬくもりぬ」という提出句に対して主宰者の孝夫さんが▽を付けたんだ。なぜ▽を付けたのか、分からなかった。
華女 そうね。どうしてなのかしらね。分かったわ。切字が「や」と「ぬ」の二つが入っているということなんじゃないの。
句郎 正解。その通りなんだ。句に切れ字は一つがいいんだっけ。
華女 そうなんじゃない。
句郎 そうだよね。分かっていてもすぐには気が付かない。言われてもすぐには分からない。困ったことだよ。
華女 句郎君は分かっていたの。
句郎 うん、分かっていたよ。有名な句を知っているんだ。「降る雪や明治は
遠くなりにけり」。
華女 中村草田男の句ね。
句郎 「降る雪や」と「けり」と、二つの切字が入っている有名な句だよ。
華女 成功している句もあるのよね。
句郎 「降る雪」と「明治は遠くなりにけり」のバランスがいいんじゃないのかな。降っているのは雪だなぁー、明治は本当に遠い昔になってしまったなぁーという感慨が深い思いを読者にあたえているんじゃないのかな。
華女 素人にはなかなかこのバランスがとれないのよね。
句郎 そうなんだろうね。だから切字を二つ、入れると句の焦点が絞れなくなってしまうということなのかな。
華女 確かに、そうね。お茶の花が咲いているわ。午後の日差がぬくいわと、言うのでは、やっぱり焦点がぼやけるわね。お茶の花が午後の日差の温みの中に咲いているのがとてもきれいだわと、詠んだ方が良いわね。
句郎 そうだよね。だから孝夫さんは「茶の花や午後の日差のぬくもりに」と添削した。
華女 完了の助動詞「ぬ」の終止形「ぬ」を連用形「に」に変えたのね。
句郎 「に」に変えたことによって「茶の花」を修飾する語句「午後の日差のぬくもりに」になった。これで季語「茶の花」に焦点が絞られたということかな。
華女 さすがね。
句郎 読んですぐ感じるということは長年の経験がそのような感覚を作っているんだろうね。
華女 でも理屈でわかることが初めなんじゃないの。
句郎 理由がしっかり分からなくちゃ、また同じような過ちを犯してしまうからね。確かに理屈でわかることが出発かな。
華女 句法というのかしらね。数学で言えば、公式のようなもの、その理屈を知ることね。その理屈が経験によって感覚にまで高まると俳句があふれ出すのかもしれないわよ。
句郎 そうだといいんだけどね。なんでもそうなんだろうね。数学なんかでも高校生の頃、公式ができるまでを何回も練習して初めて公式が持つ意味を実感した経験があるからね。
華女 原理が大事なのよ。

醸楽庵だより  873号  白井一道

2018-10-07 13:02:58 | 随筆・小説


 「雲とへだつ友かや雁の生き別れ」芭蕉二九歳 寛文一二年(1672)


句郎 この句には次のような文章が残っている。「かくて蝉吟子の早世の後、寛文一二子の春29歳仕官辞して甚七と改め、東武に赴く時、友だちの許へ留別」。竹人著『芭蕉翁全伝』にこのような文章がある。
華女 芭蕉が江戸に立つときに仲間に贈った留別吟だったということね。
句郎 芭蕉が仕官していた藤堂蝉吟が寛文6年亡くなった。それから6年間、芭蕉は藤堂藩に仕えていた。がしかし、寛文12年に官を辞し江戸に出て、俳諧師として立机する夢を抱いて故郷伊賀上野を後に江戸に向かった。
華女 江戸には伝手があったのかしら。
句郎 芭蕉は主君蝉吟亡きあとも京の北村季吟の下に通い、古典文学を学んでいたようだ。その北村季吟の伝手を頼って江戸に出たのだと思う。
華女 元禄時代には地方の人が仕事を求めて東京に出てくるようなことがもうすでに始まっていたということなのね。
句郎 東京の下町、太陽のない街、長屋街、貧民窟がつくられていった。
華女 東京の下町には江戸開府以来300年にわたる歴史があるということなのね。
句郎 芭蕉も仕事を求めて江戸に出た。江戸には俳諧の需要があると考えたんだと思う。
華女 京や大坂でなく、江戸に出たということが芭蕉を芭蕉にしたということかしらね。
句郎 そのとおり。京や大坂では蕉風の俳諧を完成させることはできなかったと思う。芭蕉は江戸に出たからこそ俳諧宗匠になり、新しい俳諧を想像することができた。  
華女 どうしてそんなことが言えるの?
句郎 京や大坂には古い俳諧宗匠たちの堅い地盤が張っていたからね。新しい俳諧を創造するには抵抗が強いだろうからね。芭蕉は江戸に出たからこそ若くして俳諧宗匠として立机することができた。
華女 芭蕉は目端の利く人だったのね。
句郎 江戸に出た芭蕉は上水道建設やらその維持管理の仕事を請け負う商売人としても成功しているようだからね。
華女 孤高の俳人というイメージが芭蕉にはあるわよね。でも違っているのね。生活力旺盛な俳人だったということなのね。
句郎 どうもそうだよ。田中善信著『芭蕉二の顔』を読むと高校生の頃、国語の授業で培ったイメージが壊されたかな。
華女 考えてみればそうよね。伊賀上野の田舎から江戸に出てきて錦を飾って帰郷した俳諧師ですものね。
句郎 渡り鳥、雁の旅たちに擬えて江戸への旅立ちを芭蕉はこの句で詠んでいる。自然を詠んで人間を表現している。
華女 人間が表現されていなければ文学じゃないということなのよね。
句郎 人生とは出会いと別れだから別れ、留別というのは俳句の主題の一つだ。芭蕉にはいくつものの留別吟がある。
華女 『おくのほそ道』は別れで始まり、また新しい別れで終わっているのじゃないかしら。
句郎 そうかな。「行く春や鳥啼魚の目は泪」。日光街道出発、千住で詠んだ句はまさに別れの句で始まっている。最後の句「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」だ。別れは同時に新し出会いでもあるからな。大垣で終わった陸奥への旅の終わりはまた新しい伊勢路への旅の始まりだった。
句郎 「雲とへだつ友かや雁の生き別れ」の「雁」と「仮」とは掛詞にしているのかもしれないな。また「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」の「ふたみ」は「二見ケ浦」の「二見」を掛けているようだから芭蕉の句には談林派俳諧の発句の強い影響が生涯ついてまわっていた。俳諧読者の支持を得ることなしに芭蕉は生きることができなかった。だから談林派的な俳句を芭蕉は詠んでいるのではないかと考えている。何も食わずに生きることはできない。だから支持者の共感が必要だ。それは文学者芭蕉の求めるものではなくとも談林派的な句を詠まざるを得なかった。ここに芭蕉の生きる哀しみがあったのではないかと考えている。

醸楽庵だより  872号  白井一道

2018-10-06 07:56:48 | 随筆・小説


  「しほ(を)れふすや世はさかさまの雪の竹」芭蕉二四歳 寛文七年(1667)


華女 何を詠んでいる句なのか、さっぱり分からない句ね。
句郎 この句には前詞が付いている。「子にを(お)くれたる人のもといて」とある。「子におくれたる人」とは、子を亡くした人という意味のようだ。だからこの句は若き芭蕉の追悼句だと思う。
華女 「しおれふす」とは、意思消沈しているという意味なのね。分かったわ。でも「しおれふす」で五音よね。この五音「しおれふす」で十分なのに、「や」を付けて意識的に字余りにしている理由は何かしら。
句郎 じっくりこの句を読んでみると「しおれふす」の五音じゃ、気持ちがのらない。「しあれふすや」とすると間が長くなる。半拍だった間が一拍になる。「しおれふすや」とすることで子を亡くした親の気持ちが表現できる。そのように若き芭蕉は思ったのだと思う。
華女 字余りの上五には気持ちが籠るということがあるということなのね。
句郎 後『おくのほそ道』鶴岡で詠んだ句「あつみ山や吹浦かけて夕すずみ」という句を芭蕉は詠んでいる。この句の上五に「や」を付け、字余りにしている。この句の場合も「あつみ山」では気持ちが籠らない。「あつみ山や」と表現して初めて気持ちが籠る。そのように理解している。
華女 「しおれふす」ということを詠んでいるということね。
句郎 子を亡くすということはさかさまの世だ。雪の重みにしおれ伏す竹のようだと子を亡くした人の気持ちを表現してお悔やみを述べた。
華女 子を亡くした親の気持ちに芭蕉は寄り添った。親御さんの気持ちに寄り添うことが追悼するということなのね。
句郎 竹林に降った雪の景色を見て、そこに子を亡くした親の気持ちを表現した。
華女 「雪の竹」を詠んで人間が生きる哀しみを表現したということね。
句郎 自然の景色を描いた絵画も人間を表現しているという話を若いころ聞いたことがある。  
華女 絵も音楽も文学もすべて人間を表現しているということなのね。
句郎 自分の隣にいる人の気持ちに寄り添うということが人を理解するということなんだろうと思う。
華女 寄り添うということは同じ気持ちになるということなのよね。
句郎 隣の人の気持ちに寄り添うことが俳諧の発句を詠むということだと気付いたのかもしれない。俳諧を楽しむということを通じて芭蕉は文学の本質を知っていった。そのようなことを「しほ(を)れふすや世はさかさまの雪の竹」という句を読んで感じた。

醸楽庵だより  871号  白井一道

2018-10-05 12:54:33 | 随筆・小説


  「時雨をやもどかしがりて松の雪」芭蕉二三歳 寛文6年(1666)


華女 このような句を私が詠んで句会に出したならコテンパンにやられてしまうわ。そうでしょ、この句は季重なりと言って誰からも採ってもらえないと思うわ。
句郎 「時雨」は冬の季語、「雪」もまた冬の季語ということかな。
華女 季重なりの句で有名な句もあるわよ。最も有名なところでは「目には青葉 山ほととぎす初がつを」、山口素堂の句ね。季語が三つも入っている有名な句よね。
句郎 芭蕉の句にも季重なりの句があるな。『おくのほそ道』に載せてある句「啄木も庵はやぶらず夏木立」。この句も現代にあっては季重なりということになるかな。「啄木鳥」は秋の季語、「夏木立」は夏の季語だから。
華女 啄木鳥というと水原秋櫻子の季重なりの有名な句があるわね。「啄木鳥や 落ち葉をいそぐ 牧の木々」。「啄木鳥」と「落ち葉」よね。この句は「啄木鳥」と「落ち葉」との主従というか、何を詠んでいるのかというのが明確に読者に伝わる句はいいと聞いたことがあるわ。秋櫻子は啄木鳥を詠んでいることが読者に伝わるからいいということなのよね。
句郎 芭蕉の句「啄木も」の句は「夏木立」を詠んでいることが読者に伝わるからいいということになるということかな。
華女 そうなのよ。芭蕉の句「時雨をや」の句は「松の雪」の「雪」を詠んでいることが読者に伝わるからいいと思うわ「もどかしがりて」という言葉が今ではちょっとわかりづらい言葉ね。
句郎 「もどかしい」と言う言葉は今でも使われているのじゃないかと思う。「きがもめる」とか、「じれったい」と言う意味だと思う。
華女 「気がもめて」いるのは誰なのかしら。
句郎 季を揉んでいのは芭蕉本人なんじゃないの。時雨がいつまでも降ったり止んだりしているのがもどがしく芭蕉は感じていただと思う。
華女 「時雨をやもどかしがりて松の雪」ということは、「雪」を擬人化しているのね。
句郎 「松の雪」は時雨を間違いなく「もどかしがって」いるに違いない。芭蕉は自分の思いを「松の雪」に託した。    
華女 俳句を詠む場合、できるだけ擬人法は避けた方がいいという話を聞いたことがあるわ。
句郎 擬人法を使った芭蕉の名句があるよ。最上川を船で下った芭蕉は「五月雨をあつめて早し最上川」と詠んでいる。名句の誉れ高い句として知られている。擬人法が嫌われる理由は何なのかな。
華女 確かに擬人法を用いた名句があるのを私も知っているわ。「大寺を包みてわめく木の芽かな」と高浜虚子は詠んでいるわ。「木の芽」が「わめく」と虚子は詠んでいるのよ。この句は擬人法の句よね。でも上手よね。芭蕉や虚子は名人だから擬人法の句を詠んでもいいのよ。俳句初心者が擬人法の句を詠むとわざとらしさというか、気取りが見え見えで嫌味になってしまうみたいよ。
句郎 若き芭蕉の句「時雨をや」の句は擬人法の句で嫌味の句だという人がいるみたいだ。
華女 雪が時雨をもどかしがっているということね。ここに嫌味があるということね。分かるような気がしてきたわ。芭蕉もまだ俳句初心者だったということね。
句郎 岩波新書小宮豊隆著『芭蕉俳句抄』に「時雨をや」の句が紹介されている。この著書は1961年に出版され、私か読んだものは1972年に印刷された13版のものだ。この小宮の著書は読者の共感を得たものだと思う。この中で小宮は芭蕉の実感が表現された句として紹介している。夏目漱石の弟子「漱石山房」に集まった小説家小宮の芭蕉俳句解釈はそれなりに評価されていると思う。小宮の批評を読み、夕べからあり続けた時雨がいつの間にか、雪が変わり朝起き戸を開けてみると松の枝に積もった雪を見、その美しさに感動した芭蕉の実感がこの句には表現されていると主張し、擬人法の句だという理由で嫌味の句だとは言えないと主張している。
華女 降りみ降らずみの時雨に溜まり兼ねた雪がよくぞ枝に降り積もってくれたと芭蕉は感じたということね。

醸楽庵だより  846号  白井一道

2018-10-04 12:31:30 | 随筆・小説


  花に明かぬ嘆きや我が歌袋  芭蕉 24歳 寛文7年



華女 この句は何を詠んでいるのかしら。芭蕉が何を表現したのかしらね。
句郎 この句には前詞がある。「花の本にて発句望まれ侍りて」とある。桜の花の下で一句お願いしますと、芭蕉は依頼されたが、何も詠むことができなかった。俳諧師として恥ずかしい思いが湧きあがった。何も詠めませんと嘆いた。この嘆きを詠んだ句なんじゃないのかな。
華女 俳諧師のつもりになっていた若き芭蕉にも一句いかがですと依頼されても、恥ずかしながら,詠めませんという「嘆き」を詠んだということね。でも「花に明かぬ嘆き」とは、どんなことを言っているのかしら。
句郎 発句が詠めない苦しみからとっさに言葉が湧きでてきた。『伊勢物語』に親しんでいた芭蕉は在原業平の歌を思い出した。「花に飽かぬ嘆きはいつもせしかどもけふの今宵に似る時はなし」。この歌だ。「花に飽かぬ嘆き」を「花に明かぬ嘆き」としてみてはどうかなとね。
華女 業平の歌の「花飽かぬ嘆き」は分かるわ。桜の花はどんなに見ていても飽きることがない。花の美しさに魅入られてしまうことを嘆きと表現したということよね。でも「花に明かぬ嘆き」ということがピンとこないのよ。
句郎 「花に明かぬ嘆き」とは、花の美しさをどのように表現したらいいのか、分からないということを言っているのではないかと思っているんだけどね。
華女 「飽かぬ」を「明かぬ」と言い換えることによって「嘆き」の意味に句を詠めない苦しみ、恥ずかしさを持たせようとしたということね。
句郎 花に明け暮れる日を過ごしていても句が詠めない「我が歌袋」よということじゃないのかな。
華女 俳諧師を目指していてもちっとも句が詠めない。花を見ても何も見えてこない。このような苦しみを青年芭蕉は経験しているということね。青春の苦しみをしている芭蕉の姿が偲ばれるような句ね。
句郎 「飽かぬ」を「明かぬ」と言い換えることによって新しい発句を詠んでみようとしたところに芭蕉の若さのようなものを感じる。
華女 私たちと同じような芭蕉がいたという感じがする句だと思うようになったわ。
句郎 芭蕉は努力の人だったんだろうね。特に才能に恵まれた人でもなかったように感じるな。    
華女 『新古今和歌集』や『伊勢物語』、『源平盛衰記』、『平家物語』などをむさぼり読んだというような青少年期を過ごした人だったのね。
句郎 そのような人だったことを思わせる句の一つが「花に明かぬ嘆きや我が歌袋」なのかもしれない。

醸楽庵だより  845号  白井一道

2018-10-03 15:00:46 | 随筆・小説




  知縁の会十月例会  第四回唎酒の会  

A、越後秀山 巻機 純米吟醸 限定生詰原酒ひやおろし  720ml 1750円      
  新潟県南魚沼市    高千代酒造    
  酒造米:新潟県産米の一本〆  精米歩合:53%精米  アルコール度数:17~18度
  日本酒度:+5 酸度:1.5 アミノ酸度:1.3  酒販店、季節限定のお酒です。
「ひやおろし」の語源とは
江戸の昔、冬にしぼられた新酒が劣化しないよう春先に火入れ(加熱殺菌)した上で大桶に貯蔵し、ひと夏を超して外気と貯蔵庫の中の温度が同じくらいになった頃、2度目の加熱殺菌をしない「冷や」のまま、大桶から樽に「卸(おろ)して」出荷した酒。

B、水芭蕉 純米吟醸ひやおろし  720ml 1400円
  群馬県利根郡川場村    永井酒造株式会社
  酒造米:兵庫県産山田錦 精米歩合:60% アルコール度:15度 日本酒度:+3  季節限定酒
  秋に一番の飲み頃をむかえる酒。純米吟醸酒特有のお米の旨みがしっかりと表現され、辛口に仕上がっています。飲み飽きの来ない味わいです。

C、浦霞 純米酒ひやおろし 生詰  720ml 1280円       宮城県外のみの流通限定の季節商品
  宮城県塩竈市市    株式会社佐浦
  酒造米:まなむすめ 精米歩合:65% 日本酒度:+1 酸度:1.5 アルコール度:16~17度 
  ひと夏越えてほどよく熟成した、米の旨味と酸味が感じられる純米酒です。もっとも美味しいと言われる時期のお酒を加熱殺菌せずに生詰めし、蔵出しそのままの旨さがお楽しみ頂けます。

D、純米 神鷹 ひやおろし 720ml  980円  季節商品
  兵庫県明石市      江井ケ嶋酒造株式会社
  精米歩合:75%   アルコール度:17度
  厳寒の酒造最適齢期に仕込んだ寒造りの純米原酒を瓶詰後、蔵元の冷房庫にて半年間貯蔵熟成させました。丸みのある深い味わいをお愉しみいただけます。

E、山廃酛 群馬泉 本醸造 720 ml  898円 通年商品
  群馬県太田市  島岡酒造株式会社
  精米歩合:60% 
 知縁の会しをり  四号
 毎年のことです。十月例会のお酒は「冷おろし」のお酒です。「冷おろし」のお酒を「秋あがり」といったし
ています。呑ン平の歌人若山牧水は秋の夜の酒を「白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに飲むべか
りけり」と詠んでいます。昔の人は清酒のことを「白玉」と呼んでいたようです。
牧水友人であった石川啄木は『悲しき玩具』の中で「しっとりと酒のかをりにひたりける脳の重みを感じて帰
る」と詠っています。お酒を飲むと生きる哀しみが胸に迫り、頭の重みを感じたのかもしれません。明治に生きた歌人の哀しみに対して昭和に生まれた恋の歌人、『サラダ記念日』で脚光を浴びた二〇代前半だった俵万智は「コップ酒濱の屋台のおばちゃんの人生訓が胃に沁みてくる」と詠んでいます。若い女が一人、浜の屋台でコップ酒を楽しんでいる。時代は変わっても若者が生きていくのは昔と変わらず、生き難いものがあるのだろう。
快い海風に吹かれてコップ酒を若い女が楽しむようにはなっても生きる哀しみは変わらない。

醸楽庵だより  844号  白井一道

2018-10-02 17:59:31 | 随筆・小説


 石破氏の話を聞いて


 沖縄知事選で佐喜真候補は公約として「地位協定改定」を掲げていた。「日米地位協定改定」を掲げていた佐喜真候補を安倍官邸は支持した。共産党は小池書記局長は記者会見の席で「日米地位協定改定」は与党の政策課題になったと記者からの質問に答えていた。日米地位協定は運用の改定で十分だと公の席で安倍総理は発言している。安倍総理初め、安倍内閣は日米地位協定改定の意思はないのであろう。「選挙での公約だ」ということで野党の追及にあっても柳に風と受け流していくのではないかと思う。それが許されると踏んでいる。選挙での公約とはとても軽いもののようである。この付けはいつか大きな仕返しがあるのじゃないかと思う。
 昨日、「BSTBC報道19/30」を見た。石破茂自民党衆議院議員が出演していた。キャスターの松原耕二氏が石破氏に質問した。佐喜真候補か辺野古新基地建設に佐喜真候が一切触れないのはどうなのかと尋ねた。その松原氏の質問に対して佐喜真候補は辺野古移設に賛成であったと思う。しかし選挙というのは当選しなくちゃならない。当選するためには辺野古新基地建設の問題には触れないでおこうということなんじゃないかと述べていた。玉城デニー候補が翁長前沖縄県知事の意思を継ぎ、辺野古新基地建設はさせないと明確にしていたのに対して佐喜真候補が辺野古新基地建設には触れなかったことを弁護していた。沖縄県にとって決定的に大事な問題に対して県民の気持ちを経済問題や普天間基地返還問題に向けさせるようなことをするのが選挙のようだ。石破氏は選挙で県民の気持ちを左右するようなことをしてもいいと考えているようだ。選挙とは県民の意思をくみ取り、その民意を県政に反映するのが選挙だという考えはないようだ。
 沖縄から中継され沖縄知事予定者になった玉城デニー氏が番組に登場した。デニー氏は石破氏と挨拶を交わした後、松原氏に促されて石破氏に質問した。前防衛大臣の稲葉氏が参議院外交防衛委員会で辺野古米軍基地が建設されても普天間基地は返還されないと民進党議員の質問に答えているがこの問題はどうなのかと玉城氏は石破氏に質問した。この質問に対して石破氏は明確な回答をしなかった。話はしたが何を話しているのか私には分からなかった。この石破氏の発言を聞いてやっぱりそうなのかなと思った。普天間米軍基地の危険を取り除くには辺野古に米軍の新基地を作る以外に方法はないという話をよく聞くが本当は普天間米軍基地の返還について安倍政権は真剣にアメリカ政府と交渉していないというのが実態なのだろうなと思った。佐喜真候補が知事選で熱を込めて話していた普天間基地の返還も当選してしまえば、選挙の時の公約などかなぐり捨ててしまうのが自民党なのかもしれない。安倍政権は嘘を言う。安倍政権の言うことを国民は信じていないが、選挙になると自民党に投票する国民がいる。これは国民が選挙に興味も関心もないからなのだろう。
 安倍政権が全力を注ぎ、佐喜真候補を応援したが敗北した。公明党は本土の人間を五千人とも六千人とも言われる選挙のベテランを沖縄に派遣し、徹底的な支援態勢を組んだようだが、玉城デニー候補の選挙開票速報の会場には創価学会の三色旗が翻っていた。辺野古新基地建設に反対だと主張していた創価学会員は中央の指示を拒否し、玉城候補に投票したようだ。自民党にあってもおよそ25パーセントの自民党支持者が玉城候補に投票したようだ。
 安倍総理は口を開けば沖縄の民意にそっていきたいという。また選挙の結果は真摯に受け止めたいと発言する。一方、菅官房長官は辺野古新基地建設をやめる意向はないと明確に発言している。安倍政権は沖縄の民意を真摯に受け止める意向はないようだ。沖縄の民意を分断し、沖縄の民意を圧し潰すのが安倍政権のようだ。これが民主主義だとうそぶいている。
 安倍総理が沖縄知事選の結果を真摯に受け止めるならば、辺野古新基地建設はやめ、普天間米軍基地の返還を実現し、沖縄県民に米軍跡地を返還すべきなのだろう。
 安全保障のために沖縄県民の土地を取り上げ、沖縄県民を危険にさらすことが正義だと主張する。そんな安全保障があるのだろうか。どこの国を仮想敵国にしているのだろう。そんな仮想敵国は存在しない。仮想敵国を創るのではなく、平和友好を実現するのが安全保障じゃないのか。今世界は経済が世界的規模になってきているのだから、世界が平和でなければ経済は発展しない。平和友好を進め、経済交流が深まっていくなら軍事基地など必要ない。
 このように私は考えている。