宮応かつゆきの日本改革ブログ

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科学的社会主義の多数者革命論―不破氏の「革命論研究」(下)より

2016年04月04日 | 綱領関連

 不破氏は「マルクス、エンゲルス 革命論研究」上(2010年1月)・下(2010年2月)刊行しています。 

 同書下巻173頁には、「2 議会の多数を得ての革命ー1878年のマルクスの定式」が記載されています。

 「民主主義の政治体制を実現したところで、人民の多数者を結集したら、労働者階級が選挙での多数を得て政権をにぎることができるーーこれは、マルクス、エンゲルスが、共産主義の革命家として活動を始めた最初の時期から追及しつづけた路線でした。 当時は、そういう政治体制をもった国はヨーロッパには存在せず、将来形で語ることができただけでしたが、70~80年代(1800年代)には、各国の情勢もかなりの変化をとげてきました

 「イギリスでは、立憲君主制のもとで、議会はかなり大きな権限をもつようになっていましたが、議会への選挙権がきびしく制限され、地主貴族の寡頭政治が続いてきました。 しかし、1867年の第2次選挙法改正で、都市の労働者階級の大部分が選挙権を得、84年の第3次改正では選挙権が農村の労働者の大部分に広がるなど、選挙制度の改革が一歩一歩進みました」

 「ドイツは、すでに詳しくみたように、67年に北ドイツ連邦に普通選挙権が採用され、労働者党の議員が活躍するヨーロッパで最初の議会を生みだし、71年のドイツ帝国成立でそれが全ドイツに広がりました。 こうして、ドイツは、労働者階級が普通選挙権を『解放の道具』として、活用した最初の国となり、国際的な社会主義運動のなかで文字通り開拓者的な役割を果たしましたが、その議会は、きわめて小さい権限しか与えられていない君主制の付属物で、政治体制としたは最も遅れた状態にとどまりました」

 「こうして、70年代以降のヨーロッパは、40年代とは違って、政治体制の性格の違いが、革命運動の前途を考える上で、特別の意義を持つ段階を迎えていたのです」

 ―中略ー

 「マルクスはここで、『議会の多数を得ての革命』という展望のある国として、イギリスと合衆国をあげています。 イギリスは共和制ではなく立憲君主制の国であり、まだ普通選挙権が実現されていない国です。 アメリカは世界で最初に民主共和制を実現した国でしたが、それを活用する労働者党はまだ存在していない政治状況の国でした」

 「しかし、マルクスは、この2つの国を、労働者が議会で多数を占めれば、社会変革を合法的な道で実行できる可能性のある典型的な国としてあげたのです。 それぞれの国の政治体制および運動の将来的発展を考慮にいれてのことだったと思います」