今日発売の「週刊文春」(4月21日号)は、「”甘利疑獄”一色武氏が初めて明かす『URの秘密爆弾』」の見出しで新たな”事実”を報道しています。
昨日のテレビや今日の新聞は、「UR2職員を複数回接待 甘利氏側に現金の業者」(「朝日」)「UR幹部、接待受ける 甘利氏に金銭提供の業者から」(「しんぶん赤旗」)等と大きく報道しました。
「週刊文春」は、接待の内容について、一色氏の証言として次のように報じています。
「特に、道路工事責任者だったA氏とは頻繁に会っていました。~ 支払は常に私で、一晩で10万円以上支払う日もあった」 「領収書やメモなど証拠が残っているだけでも、およそ100万円を2人の接待に使っています」
A氏はどんな役割を果たしていたのでしょうか。
同誌は、一色氏の証言として、次のように報じています。
「当時、道路建設をめぐる薩摩とURの補償交渉は難航していました。 清島氏に『何とかしていただけないか』と相談したところ、『私が間に入りましょう』と言って、URに内容証明を送ることを提案してくれたのです」
「その提案通り、薩摩興業は5月20日、内容証明をUR側に送付。 さらに6月7日、清島氏は甘利事務所のベテラン秘書のM氏をUR本社に向かわせた。 すると約半月後、一色氏に『補償額のことで話し合いをしましょう』と連絡してきたのA氏だった」
「A氏は『(URの)弁護士は闘おうと思えば闘えると言っているが、そんなバカなことをやっていたら、工事が進まない』と言っていました」
「小誌の既報の通り、当初は1億8千万円だった補償額は、交渉の場で2億円なり、最終的に2億2千万円まで増額された。 13年8月20日、振り込まれた補償金の一部から一色氏は5百万円を口利きのお礼として清島氏に手渡したのだった」
同誌は、4月10日のA氏とのインタビュー記事も掲載しています。
「一色から100万円近く接待を受けている」
「はい・・・・。すべて工事を進めるためにやったことでした。 そのために一色さんとお付き合いしていた。 フィリピンパブには7回行きました。 断れなかったんです。 まずいなと思いましたが、一色さんが黙ってくれていると思って・・・・。 間違った選択をしてしまいました。 ただ、このまま続けるのは良くないと思って、昨年12月に80万円、今年1月に10万円返しました」
「一色氏にUR内部の情報を流していたのか」
「工事を進めるためには本音の話をしましょう、というつまりでした。 『工事を進めれば、ひび割れも進行するので、その時にはお金を払います」『(コンクリートが)全損になれば、1千万円単位になります』といった話はしました。 ただ想」定の範囲内(の額)です」
「1億8千万円が2億2千万円になった経緯は」
「まだ概算額なので、ブレ幅があったんです。 2億円くらいと考えていて、ブレ幅の下(1億8千万円)を言いました。 (2億2千万円は)震災後、工賃などが高くなり、それを足し算した額。 本当に急いで工事をやっていて、建物の一部を残したまま再配置をするなど複雑な動きをしているので、説明が難しいのですが・・・・」