宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
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いまもなを、朝鮮・韓国の植民地支配を反省できない日本の支配層

2018年03月02日 | 国民主権・国家主権

 3月1日は、日本では、「被災64年2018年3・1ビキニデ―集会」が静岡県焼津市内で開催され、1800人が参加し、核兵器廃絶の願いを語り、ヒバクシャ国際署名の取り組みの飛躍を誓い合いました。

 韓国では、日本の植民地支配に抗した「三・一運動」の記念式典が文大統領出席のもとで、はじめてソウル市内の西大門刑務所歴史館(刑務所跡地)で開かれました。

 「読売」紙2日付「社説」は、「歴史を歪曲する『反日』体質」の見出しで、文大統領演説を批判しました。 その内容で、特に、見逃すことができないと感じたことは次の主張です。

 「文氏は植民地支配からの解放について、『我々の先祖の独立運動は世界のどの国よりも熾烈だった』と語り、『外から与えられたものではない』と語った。 第2次世界大戦での日本の敗戦が独立につながった歴史的事実に反する」と述べています。

 第2次世界大戦で日本が敗北し、ポツダム宣言を日本が受諾したたことが、韓国・朝鮮の日本の植民地支配からの解放につながったことは、歴史の事実の重要な側面であったことは、同感できます。 しかし、それだけで、その後の韓国の主権回復・独立が実現できたのか、この点での冷静な分析・検証が必要ではないでしょうか。

 故吉岡吉典氏(元日本共産党政策委員長、常任幹部会員・元参議院議員)の「『韓国併合』100年と日本」のなかで、次のような指摘がされています。(同書93ページ)

 「終戦必至となった1945年5月14日に開いた政府と軍部による最高戦争指導会議構成員会議で、ソ連に『和平』の斡旋を依頼しようとし、そのための『対ソ交渉方針』を決めますが、その際の条件として、『我譲渡範囲』を『場合に依りては千島北半を譲渡するも止むを得ざるべし』といいながら、『但し朝鮮は之を我方に留保すること』を決めていました」(「日本外交年表並主要文書」下、612ページ)

 このことについて、吉岡氏は、次のように書き遺しています。

 「日本の歴史的領土である千島列島の北半分(「千島北」)はソ連に譲っても、植民地支配下の『朝鮮』は戦後も確保しつづけるという方針を決めていたのです。 ところが、ポツダム宣言受諾によって、朝鮮の解放、独立を認めることになったのです」

 「日本政府がポツダム宣言を受諾した戦後になっても植民地支配を美化・合理化する『朝鮮半島認識』を考えるうえで、戦争末期にこういう決定があったことに注目しておきたいと思います」

 文韓国大統領は、記念式典の演説で次のように、「三・一運動」を語っています。(「しんぶん赤旗」2日付、栗原千鶴 記者)

 「先祖たちの独立運動は世界のどの国よりも激しかった。 光復(日本の植民地支配からの解放)は外から与えられたものではない」

 「三・一運動の経験と記憶が、その後の独立運動の『精神的土台になった』と表明。 2017年に朴クネ前政権を倒した市民の『ろうそく集会』が『三・一運動で始まった国民主権の歴史をよみがえらせた』と語りました」

 そして、文氏は、次のように表明しました。

 「朝鮮半島の平和は、国民の力でつくることが可能である」「今後、光復100年に向け、朝鮮半島の平和共同体、経済共同体を完成させなければならない。 分断がこれ以上、私たちの平和と繁栄の障害にならないようにしなければならない」

 朝鮮半島の民族が平和と民主主義を生かし、繁栄し、自主的な統一を展望していることに、大変勇気づけられています。