葉室氏の小説はだいぶ前に『秋月記』を読んだ。関心を持つ作家の一人だ。この小説はこのタイトルに惹かれて手にとった。
「刀伊」という言葉は初めて目にする。「寇」という語からは「元寇」を連想した。「藤原隆家」も記憶にない。学生時代に日本史を授業として学び、新書で通史的な本を読んだことがあるがどちらも記憶にはない。
この本を読んで、「刀伊」が契丹族に滅ぼされた渤海の末裔・女真人のことで、九州を襲い、藤原隆家が撃退したということを知った。
この本を読んでから、書棚に積読で眠っている『詳説日本史研究』(山川出版社)という日本史の学習参考書を引っ張り出して探してみると、一つの長文にほんの少し触れられていた。(この本、高校の教科書レベルの日本史を読み直して見たいと思って買ったまま眠っている)
「(略)1019(寛仁3)年、沿海州にいた女真人(刀伊)が九州北部を襲った際、刀伊が略奪した日本人捕虜を高麗が奪還して送還するなど、」という一節である。隆家は出てこない。
『新撰日本史図表 年表・地図・資料』の年表を見たら、
「平安時代 1019」の項に、「4 刀伊の賊(女真人)、北九州に来寇、太宰権帥藤原隆家らが撃退」と載っていた。
そこで、いつもお世話になるウィキペディアで検索すると、なんと「藤原隆家」「刀伊の入寇」という項目があった。結構詳しい説明が載っている。ウィキはほんと便利で重宝だ。
この小説、藤原隆家を、平安時代の貴族として権力の中枢にいながら、平均的貴族から見ればある意味奇人的生き方をした非凡な人物として活写している。
隆家は藤原北家の血筋で、父道隆は天皇家の外戚・摂政関白となった人物。道隆の四男で、彼には5歳年長の兄・伊周(これちか)や3歳年上の定子がいる。定子はあの清少納言が仕えた一条天皇の后・中宮だった人。隆家は17歳で権中納言になっている。伊周は父を継いでいずれ摂政関白にと意欲を燃やすが、隆家は出世にはとんと無関心。
「どこかに、強い敵はおらんものかな」と不穏なことをつぶやく人物だ。武芸に秀でているという貴族らしからぬ人物である。
その隆家に要所要所で関わりを持つ黒衣的人物として、在野の行者・乙黒法師が登場する。(この乙黒、実は刀伊と関わりのある人物だったという設定)
小説は「第一部 龍虎闘乱篇」「第二部 風雲波濤篇」の二部構成となっている。
第一部は、退位させられ藤原家に怨みを抱く花山院(天皇だった権威者で法力があるとされる)・強き者との闘いが中心に描かれる。直接には花山院に仕える護法童子である烏烈(うり)や頼瀬との闘いである。鬼とみなされるこれらの輩が実は、日本に渡来してきていた刀伊だった。隆家と花山院の闘いを軸にしながら、一方で、平安時代の宮廷の有り様が絡み合って展開していく。道隆が亡くなった後の権力争いで、道長が表に出てきて権謀術数を弄しながら摂政関白をめざし、伊周は道長に挑むが野望を遂げられず失意に沈んでいくという政治舞台の動き、それに絡まる宮中・女の世界では、道長の謀略の中で、父の死後、懐妊した定子が衰退の道を歩み、道長が娘・彰子を入内させていく道づくりをする状況などが描かれる。
道長の策謀で伊周と隆家は罪に問われ、伊周は太宰権帥、隆家は出雲権帥に左遷されることになる。出雲への途次、但馬に長逗留する隆家に、花山院の許に仕えている瑠璃という女が自らの長に命じられたとして契りを求めて近づいてくる。この瑠璃も刀伊の一人。それは、「国を統べるに足る高貴で猛き血が欲しいのでござります」という理由だという。七日間通い詰め、七日目に遂に契りを結んだ瑠璃は、約束の刀伊の物語を隆家に語る。
乙黒が隆家の許に現れ、告げる。「瑠璃はおそらく男子を生むであろう。破軍の星を持ち、戦って巻けることの無い勇者となる子をな」「二十年後、お前と瓜ふたつの者がこの国を亡ぼしにやってくるのだぞ。それを迎え撃てる者はお前しかおるまい」「今宵はそのことを告に来てやったのだ」
第二部は、道長の娘・彰子が入内し中宮となり、定子が皇后になるという正妻が二人並び立つという状況を道長が作るという背景から話が始まる。そして、清少納言が定子に紫式部を引き合わせ、源氏物語を語らせるという話、隆家が道長の金峯山寺詣の邪魔をし、蔵王権現の霊験を得られないように企てる話、大嘗祭の儀式の話など、いくつかのエピソードが綴られ、隆家という人物像を浮彫にしていく。
隆家は、1013(長和2)年8月、摂政関白道長に、自ら太宰権帥に成りたい旨申し出る。「強い敵と弓矢を持って命がけの戦いがしてみたい」。道長にとっては、これは物怪の幸いである。隆家は長和4年4月21日、太宰府に出立する。
1019(寛仁3)年3月、野望を達成した道長は出家入道する。4月17日、太宰府から飛駅使が、刀伊来寇を伝える。
「強い者と闘いたい」隆家は遂に、乙黒の予言に立ち向かうことになる。瑠璃が生んだ子・18歳となった烏雅が頭として、隆家に怨みを抱く烏烈とともに来襲するのだ。父と子の闘いが始まる。道長ですら、この国の命運が隆家にかかっていることを認めざるを得なくなる
海上の戦いで、互いに敵と認識し対面する隆家と烏雅の投げかけ合う言葉が素晴らしい。
作者は、隆家に「神々も御照覧あれ、われこの国の雅を守るために戦わん」と凛々たる声を発せさせた。
「美しきものを守るために戦う」という隆家像、雅と汚濁をないまぜた平安貴族からは超然とし、強い敵との闘いを希求する毅然とした強さと清々しい生き方を、作者は描きたかったのだろう。その思いは達成されていると感じる。読後感は爽やかだ。
刀伊入寇という史実から紡ぎ出された物語。強き者との闘いを望む隆家が刀伊の来襲に立ち向かう。国を守る戦いが、実はわが子との戦いだったという設定に、歴史小説のロマンを感じる。