「地獄信仰」というワードと副題「小野小町は奪衣婆になったのか」に興味を惹かれてこの本を手に取り、読み始めた。
感想をひとことで言えば、十王堂・焔魔堂を巡り歩き、奪衣婆オタクが蘊蓄を傾けた関東地域を中心にした地獄のキャラクター・ガイドブックである。
奪衣婆を中核に据えながら、閻魔大王を含む十王、倶生神、司命・司録、鬼卒など、地獄のキャラクターたちを様々に軽口の文体で、時には妄想を展開しながら、今風な脱線をまじえつつ懇切丁寧に一つ一つ説明してくれる。
著者自身が記している。「地獄のキャラクターたちは、仏像というジャンルに含めてしまってほんとうにいいのかと思うほど、とんでもなく個性豊かなのだ。」「この本では、奪衣婆と地獄のさまざまな謎を解明するというよりも、さまざまな謎を見つけて出し、それをもとに妄想に励んできた」と。
著者のいう地獄のキャラクターたちは、確かに『図説仏像巡礼事典』(新訂版・山川出版社)を見ても、四天王像、十二神将像と同列に「天部」としてとりあげられている。天部とは「仏教に帰依し、仏法の守護にあたる尊である」とされる。
書名中のキーワードから私が勝手に想像していたものとはかなり違った方向の内容だったが、奪衣婆に対する著者の思い入れを結構楽しみながら読むことができた。
京都の住人なので、この本に記されている寺の幾つかは過去訪れたことがある。京都の六道珍皇寺や六波羅密寺、化野念仏寺、奈良の白毫寺などだ。だが、この著者の視点を採り入れて、手近な関西の地獄のキャラクターたちを、改めてこの目で確かめてみたいと心動かされている。
関東地域の人々には、この本をガイドブックにして、身近なところの地獄のキャラクターたちにご対面すると、興味が増しおもしろいかもしれない。
東京一の巨大地獄は新宿二丁目の太宗寺にあるそうな。
閻魔さまや三途の川といえば、大概の人は多少は知っているだろう。
奪衣婆は? ちょっと怪しくなるかもしれない。著者はこの奪衣婆にぞっこんなのだ。
奪衣婆とは、「人は死後七日目(あるいは十四日目)に三途の川を渡って冥界にいくという。その川岸で待ち構えて、亡者の着衣を剥ぎ取る鬼婆」のことだ。
この奪衣婆の彫像は大変バリエーションが豊富であることに驚く。冒頭に写真集のページがあるが、その見開きに11体の事例が載っていて、17ページにも15体のさまざまな奪衣婆が集合している。これらの写真だけまず見ても結構面白い。
著者はこの奪衣婆たちがどこに所在して、どんな感じなのか、現地で対面した体験と雰囲気を、想像力豊かに妄想も加えて軽やかに語り部として本書をまとめている。
この本を読み、初めて知ったことがかなりあった。
そのいくつかを列挙してみよう。
*奪衣婆が「しょうづかのばあさん」「サードのばあさん」「味噌なめ婆さん」「綿のおばば」などと親しみをこめて呼ばれてもいること。
*奪衣婆が亡者の衣を剥ぐのに対し、「懸衣翁」が居て、衣領樹の枝に衣を懸ける役割を担っていること。(著者は、懸衣翁はちょい役だとみなしている。)
*地獄の備品の三点セットは、業の秤(はかり)と人頭杖と浄玻璃の鏡だということ。
*火葬場で、遺骨を二膳の箸で拾骨する。昔は、箸でつまんだ遺骨を次の人が箸で受け取って順々に箸で渡して行く「箸渡し」という風習があったとのこと。「箸と橋を掛けて、三途の川を橋で渡してあげるという意味らしい。橋で渡るということは善人だということだから、地獄へ堕ちることはない。」
*死者が川を渡ってこちらの世界からあちらの世界に行くという発想は、世界に多くみられるということ。エジプトならナイル川、ギリシャではステュクス川、ゲルマンの神話ではギョル川、中国では奈河という川であること。
*箱根で大地獄、小地獄と呼ばれていた噴気地帯が、明治天皇行幸の際に、大涌谷、小涌谷と改名されたのだとか。
*「死出の山」および「犀の河原」は仏教の経典には関係なく、日本独自のものらしい。
*女性バスガイドが日本で初めて誕生したのが昭和3年で、別府の地獄をバスで巡る観光だったようだ。その地獄観光の立役者は油屋熊八氏だということ。
*日本三大地獄(または日本三大霊地)は、立山、恐山の地獄と湯沢の河原毛地獄だとか。
さて、著者はおもしろい謎を提起して、論じている。
*奪衣婆は三途の川のどちら岸に居るのか?
*本物の三途の川が日本に存在するのか?
*犀の河原は何川の河原なのか?
*閻魔さまは地獄にいるのか、そうでない別の場所にいるのか?
*奪衣婆は小野小町だったのか?
これらの謎は興味深い!
著者はオタクらしく本領を発揮し掘り下げて蘊蓄を傾けている。
ここらあたりを拾い読みするだけでも「地獄」の発想を考える好材料になる。
そして、著者はこんな風にとらえている。
「日本のあの世は、世界でも珍しく、身近にパラレルに存在してきた。十王堂も、火山と温泉の地獄と極楽も、三途の川もそうだ。そして閻魔さまや奪衣婆は恐いだけでなく、やさしく、愛嬌すらある身近な存在だった。・・・地獄は恐いけど身近で親しみのある世界だった」
「火山の地獄は、地球上の生命、人間が生きる力の根本にある景色だと思う。それは、赤い炎が踊り猛る地獄絵の躍動感と同じだ」
「『ただなんとなく』というのが日本人のような気もする。別にご利益を期待していなくてもいい。神や仏にただなんとなく手を合わせ、有名人を見るとただなんとなく喜ぶ。閻魔様も『なんかすごいから』ただなんとなく拝む。それでいいのだ」
178ページには、「那須には無間地獄があるが、『無限地獄』と誤記されることが多い。本来の地獄思想で『無限』ではなく『無間』であり、『隙間がない』あるいは『間断がない』という意味だとされる」と丁寧に書いている。
しかし、152ページに、「那須の地獄も気持ちいい。・・・・無間地獄がある。天上の地獄、天国のような地獄だ。・・・無限地獄からは、どこまでも白い噴煙が、・・・・」とある。これでは紺屋の何とかだ。ちょっと惜しい次第だが、これもご愛嬌か・・・
著者の語り口に、ちょっとついて行けない箇所もあった。これは個人の好みかもしれない。
上記の謎に対する筆者の見解や奪衣婆との対面の体験語りを読み進めていると、「地獄」が身近になってくること請け合いだ。
読了後、興味にかられてネット検索をしてみた。
なんと!
奪衣婆の画像がオンパレードされている。(ここに本書掲載の写真も勿論載っている)
それ以外に、この本に出てくるキーワードから幾つかを拾っみる。
東京 内藤新宿・太宗寺
京都 六道珍皇寺
小野篁
大阪 全興寺・地獄堂
地獄(仏教)
八大地獄
閻魔
十王
国宝 地獄草紙
地獄絵図(動画)
長岳寺・地獄図(フォトビュー)
小野小町
小野小町九相図
補陀洛寺・小町老衰像
中有
満中陰法要(四十九日法要)
筆者の皆さんに感謝!
ネット検索で得た情報を重ねて、思考材料にしていくと、本書の理解を拡げる役に立つ。