日本語が英語に飲み込まれるかも知れない。だから日本語を護らなければならない。「日本語を護るのに理由など要りません。日本人なら当然のことなのです」という立場からこの本が書かれている。
以前、水村美苗著『日本語が亡びるとき-英語の世紀の中で』を読んだ。その記憶が多少あったので、この本のタイトルに惹かれてまずは読んで見た次第だ。
著者は日本語学者ではない。奥書によれば、南イリノイ大学でスピーチ・コミュニケーションでPh.D.を取得され、英語を教えている筑波大学の教授である。「英語支配」という観点からいくつもの著書を書かれている。日本語防衛論が英語学者により書かれたということがまずは面白い。日本語を研究している学者は、日本語が滅びるという警世に対してどう考えているのだろうか。日本語学者の書いた日本語「防衛」論はあるのだろうか。
本書は二部構成担っている。
第一部 英語ストレス大国・日本の現状 --深化する英語支配、交替する日本語
第二部 言語防衛論 --日本語を護るための言語理論と、五つの戦略
第一部で著者は、「世界標準語」として英語が君臨する世界には、「英語支配のタテの構造」が出来上がっているという。
「ネイティブ・スピーカー」-「英語第二言語話者」-「英語を外国語として使う者」-「英語と接触がない者」というピラミッド構造である。経済のグローバル化が進み、英語を優先する風潮が高まり、母国語を軽視する傾向が強まることを著者は「英語支配」と捉える。そして、日本は既に「英語支配空間」にあると見る。
第一章では「外来語」という語句を著者は使っているがほぼ英語ととらえて論じているように理解した。あふれる外来語の問題点を3つ上げている。
①英語の氾濫でカタカナ語が濫用、氾濫して、「在来日本語」が減少してきている。
例として、「モチベーション」が上げられる。行動心理学用語として「動機付け」と訳されるが、在来日本語では「やる気」「やる気を出すこと」である。しかし、「モチベーション」を使う人が増えている。「外来生物」の進入で「在来生物」の消滅という比喩を使っている。
②「外来語は意味がわかりにくいばかりでなく、意味を曖昧にする欠点」がある。
例として、「ハザードマップ」「コンセプト」「ワークシェアリング」「デフレスパイラル」「コンテンツ」等々を上げている。
「ワークシェアリング」という外来語は単なる「仕事の分担化」ではなく、経営者側の考えからのものであり、労働者の立場では「減給」という待遇になることだ。「そんなつらい待遇を覆いかくすようなことば」であり「外来語によって、意味が曖昧になり、『減給』という厳しい現実を隠していることがわかります。外来語のトリックです」と。
③外来語があふれることは、日本語の地位と威信の低下になる。
著者は、明治時代初期に西洋語を必死で翻訳し、「新しい日本語」を大量に作りだした「知識人たちの懸命の努力の姿勢」を是とする。そして「日本語は外来語なしで立派に成り立つ言語です。日本語は外来語なしで十分に美しい言語です。日本語の主体性を回復するために、外来語の使用を最小限にすべきです」と主張する。
なんでもかんでもカタカナ語(外来語)を使う風潮には私もいささか抵抗感がある。一方で最適な翻訳努力により「新しい日本語」にどこまで定着できるのか。明治初期と比べて諸科学が急激に拡大してきた現状でもそれが可能なのか。「最小限にする」というのはどのレベル、どういう範囲をいうのか。いろいろと疑問が出てくる。
第二章では、ユニクロと楽天の例にみられる「英語社内公用語化」に反論を提起している。英語による「言語差別」が起き、「英語オンリー」は日本人のやる気をそぐ。そこには「言語=道具」幻想と「国際化=英語」幻想が存在すると述べ、この二つが幻想だという解説と「公用語」とは何かを論じ、社員は社内公用語を学ぶ義務はないという。日本語を話せないのは「言語権の侵害」だと議論を展開する。また、日本政府が2000年に言い出し立ち消えになった「英語第二公用語論」を引き合いに出してくる。
著者は日本企業の国際化戦略は「日本語プラス英語」のうまい使い分けをすることだと論じている。
第三章では、日本が「英語重視社会」になれば、英語ができるかどうかで人と人との間に格差ができ、日本語と英語の間に格差が生まれ、日本語が「下位言語」になることを憂慮する。そして調査データを引用し、「『英語力』だけが収入の格差を引き起こしているのではないが、『英語力』は格差を生み出す重要な要因になっているのです」という。
著者は「『英語重視社会』は、日本語を窮地に追い込む」ことになると主張する。
TOEICのスコアと年収差、主な職種の年収差(男性)などの調査結果を提示しているが、そのデータの読み方として英語力を強調しすぎていないかという点が気になった。
第四章は「英語教育の早期化と英語による英語教育」を論じている。
著者は英語教育の早期化に危機感を抱き、4つの問題点を指摘する。小見出しが簡潔なので、それを引用する。
①子供たちは日本語を捨て、英語に「乗り換え」ないだろうか?
②英語信仰、欧米信仰の早期化と固定化
③「セミリンガル」という不幸を生み出す。(つまり、「あることばを中途半端にしか使えない(人)」という意味)
④「英語が話せても、勉強ができない子供」が増える?
一方、「英語で英語を教える」ことは、「英語が主、日本語は従」の意識をより一層育て、ネイティブ・スピーカーの先生が良いという信仰が定着する可能性を述べる。日本語での「文法用語」を使わない英語教育はよりわかりにくくなると判断している。さらにこの英語だけでの「一言語主義」的な英語教育は「植民地化支配の実践」なのだと述べている。
しかし、苫米地英人氏(『英語は逆から学べ!』シリーズの著者)の説では、英語脳と日本語脳は別であり、英語学習には日本語を介在させず英語だけで英語を学ぶやり方が自然な学習だと論じている。日本における英語教育方法についてはどんな論議が専門家の間で進んでいるのだろうか。日本語を介して英文法、英文読解の形で英語を学んだ世代としては、この方法論自体に経験的に疑問を感じている側面がある。
第五章では、英語国以外で使われる「第二の英語」を社会言語学でいう「国際英語」として、その問題点を論じている。国際英語が拡大すると、日本語が「下位言語」となり、話す人の母語の数だけ多様になる「国際英語」のわかりにくさを指摘する。「こういう人たちには、無理して英語で対応してはいけません。一貫して日本語で対応すべきです」と著者は言うが、「通訳者」がいなければ意思疎通ができなくなるにしか過ぎないのではないか。実務的に実現容易な意見とは思えない。国際英語を使えば、話者が主導権を握り、話者の母語に応じて、平等なコミュニケーションにはならないと論じている。確かに英語に近い言語圏の人の国際英語と平均的日本人の国際英語を想定すれば、そうだろうなと思う。
第二部で、著者は言語防衛論を展開する。
最初になぜ日本語を護るのかの理由を5つ列挙する。要点はこうだ。
①ことばと民族は切り離せない。日本人=日本語人なのだ。日本語は日本人の情緒の源泉であり、原点であり、精神的支柱である。
②国語は国家の基盤である。国語が揺らぐと国家が揺らぐ。「日本は翻訳に精力を注ぎ込み、翻訳により国語を発展させ」て、近代国家の基盤を成立させた。
③日本語は日本の「公共文化財」である。日本に脈々と受け継がれてきた精神的・文化的遺産であり、護り、発展させることは日本にとって最優先課題である。
④日本人は明治以降ずっと欧米をお手本として「自己改造」を行ってきた。「自己改造」をやめて「自己回復」が必要だから日本語を護る必要がある。日本人の原点に戻り、日本語に回帰すべきである。
⑤日本語は「非西洋語」であり、「西洋語」にはない価値がある。「日本的発想」を世界に伝えるべきである。「自己抑制」「自己規制」の効いた言語であり、「エゴイズム」の肥大化を抑える機能を持った日本語は「世界平和」に役立つ。
「目標を設定し、具体的な行動を計画する」という定義で「戦略」という言葉を使い、「日本語を永続化させる」目的で、5つの「言語防衛戦略」を論じている。
①日本では日本語を使う。これは日本の「言語権」の行使にすぎないという。
それが外国人の意識を変える。つまり、外国人の「英語信仰」を崩し、平等・対等な国際関係を築け、外国人の日本語学習を促進するのだと。
②日本語本位の教育を確立する。
著者は、夏目漱石の「西洋本位」「他人本位」を戒めた「自己本位」の思想を援用している。そして提言する。大学で日本語を必須科目にし、英語は選択科目にする。小学校の英語教育は即刻中止する。「日本語を護る」=「日本を護る」ことだから、「愛国心」教育を行なう。
著者は言う。「英語は勉強したい者だけがすればよいのが私の意見でありました、それを制度化したほうがより良い英語教育になるはずです」と。
今は「常用漢字」といわれるが、以前は「当用漢字」と呼ばれていた。著者はこれは日本語を破壊しようとした戦後のGHQの国語改革の産物だという。「『当用漢字』の『当用』とは『漢字が廃止になるまで当面の間使用する』という意味だそうで、あくまでも『漢字制限』の思想が根底にあり、最終目標は『漢字の廃止』だったのです。」「当用」がこんな意味を含んでいたというのを初めて知った。
③海外に日本語の足場を築き、日本語を国際語にする。
国際機関の公用語化を働きかける。教師その他の費用は一切日本の寄付で、世界各国の大学に「日本語科」を設置する。世界各地に「日本語・日本文化センター」を設置する。日本の情報とイメージを発信、輸出する。日本語教師養成を充実する。
④法律を制定し言語を護る。「日本国の国語は日本語である」と成文化する。
著者は日本における多言語化の急速な進展が、各言語話者からの「言語権」の主張がいずれ起こることを予測し、日本語の言語権を確立しておくべきと主張する。そして、各国の国語保護のための言語法を紹介している。その上で、著者は自ら「『日本語保護法』草案」を提言する。
⑤現代は情報戦争の時代である。国の宣伝・広報活動が重要であり、日本のソフト・パワーをもっと世界に示すべきである。そして、日本の「ソフト・パワー」の源泉は「美しい日本」と「品格ある日本人」にあり、それが原動力になる。
最後に著者は、日本の「友好一辺倒」の精神は間違いであり、害悪ですらあると断定し、この精神で「国際化」「グローバル化」を推進すれば、「これは日本を亡ぼす非常に危険で、愚かな姿勢です」と主張している。国は国家戦略を持ち、個人レベルでも「戦略的態度」が頭にインプットされていて、「『自分の利益になるか?』という発想で行動しています。まったく抜け目のない自己利益追求者が外国人だと思っておいたほうがいいと思います」と述べている。
最後に、「今こそ『鎖国』の意義を再評価すべきです。そして10年間でも20年間でもいいから「鎖国」を実施すべきです」と提言し、「『鎖国』で休むことにより、日本人の『自己治癒力』が回復し、きっと今まで以上のエネルギーが日本人全体にみなぎってくるに違いありません」「そうすれば、日本をきっと護れます。日本語もきっと護れるはずです」と本文を締めくくっている。
なかなかユニークな本だ。水村氏の『日本語が亡びるとき-英語の世紀の中で』を読んだ時、印象に残る章句を抜き書きしたメモがある。しかし、著者が着目した引用部分とは全く重ならなかった。その点も、私にはおもしろかった。
著者は日本国という領土の中にあってはと言う前提で論じておられるものと解釈した。
第一部の英語についての主張には、ストンと納得できる部分と、論理の展開についていけない部分が混在する。だが、第一部を読み結構刺激を受ける部分があった。
グローバル化、インターネットの時代で世界が緊密に一体化している中で、英語が「国際英語」の形で急速に拡大しているのは今更止めようがないのではないか。普遍語となった「英語の世紀の中」で、異なる国の人々が、コミュニケーションのツールとして「英語」を使うのを避けられないとすれば、世界との対応として「英語」を道具として使い分けることは必然であると思うのだが。
短期的に海外に行く場合、短期間にその国の言葉を学んでコミュニケーションできるほど多言語能力がないのが普通であろう。そうするとかなりの確率で「国際英語」を道具にせざるを得ない。一方で中長期間特定の国に在住し生活する場合は、やはりその国の主たる言語(母語)を学び、当国の人々とコミュニケーションの密度を高めていくことになるのは当然だと思う。日本に来る外国人にもやはり同様に二種類の人々がいるのではないだろうか。また、上位言語・下位言語という構造化の視点と、水村氏のいう普遍語(英語)と国語の視点とは異なるような気がする。
第二部では、「言語権」という視点を改めて考えるきっかけを与えてくれた点は参考になる。日本語を護る理由と言語防衛論について、やはり納得できる部分と今一つしっくりこない部分が混在する。私自身は、長年英語学習を続けてきて、英語を学ぶ中で、逆に日本語について考えるところが多々ある。特に英文を翻訳してみようとしたときに痛切に言語の違いを感じる。それぞれの言語のユニークさを改めて学び、日本語をより深く知る一助にもなっている。日本語が下位言語という意識はない。
著者は平成の「鎖国」を主張する。しかし、どういう形の「鎖国」をイメージされているのか本文からは具体的な主張が見えて来ない。もし「鎖国」を実行するならば、日本語の国際語化、公用語化戦略が世界に受け入れられるはずがなかろう。「日本語科」設置などの戦略も自己破綻するのではないか。私には著者の提言に論理矛盾が生じているような印象を持った。著者の論理の読み方が浅いのかもしれないが・・・・・
著者は「戦略」という言葉を自ら定義して使っている。しかし、一方で、「愛国心」「日本回帰」「自己回復」「大和魂」という言葉を明確な著者自身の定義なしに、当たり前の如く使われているように受け止めた。これらの言葉にも著者の明確な定義が必要ではなかったか。かつて意図的に使われ手垢に汚れた側面を持つ言葉である故に、著者の主張を納得できるかどうかの判断以前に曖昧性を残す結果になっていると思う。
英語と日本語を考えるために、斜め読みでも良いから、思考材料として一読する意味はある本だ。考えるためのよい刺激剤になる。
この本を読み、改めて対立する立場である英語公用語論にも関心が湧いてきた。ブックオフで見つけて読んで見ようと買っていた未読の『あえて英語公用語論』(舟橋洋一・文藝春秋)を早速読んで見よう・・・・
著者が引用されている情報のソース並びにこの本のテーマの関連情報をいくつかネットで見つけた。参考にアクセス先を列挙してみる。
『海外の日本語教育の現状 日本語教育機関調査・2009年 概要』
財団法人日本語教育振興協会
日本語教育機関の運営に関する基準
海外交流審議会
「日本の発信力強化のための5つの提言」
提言骨子:
<世界的なポップカルチャー人気を活かした日本語・日本文化の発信>
<外国の有識者層に対する対日関心向上のための取組>
英語の第二公用語化
英語公用語化論 ? 世界はひとつの言語でよいのか
加藤秀俊 著作データベース
英語公用語論を批判する 加藤秀俊
日本における英語教育と英語公用語化問題 八田洋子
三木谷浩史・楽天会長兼社長――英語ができない役員は2年後にクビにします(1)
- 10/06/16 | 16:20
ユニクロ、楽天だけじゃない 英語公用語化へ向かう現実
2010年08月30日
日本企業の英語社内公用語化に賛否両論
2010年11月28日 20:15 発信地:東京
英語公用語化はチャンスかピンチか? 高橋俊之 2010.7.23掲載