遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『神の火を制御せよ 原爆をつくった人びと』パール・バック 径書房

2011-08-13 01:37:51 | レビュー

本書の解説によれば、あの『大地』の作者がこの作品を1959年5月に出版したという。そして、この本は1960年代の欧米における「反核運動」の原動力の一つになったと。しかし、この翻訳が今まで日本で出版された形跡はないともいう。
本翻訳書が出版されたのは2007年7月だ。
パール・バックの作品が翻訳されているのは3分の1位ということなので、翻訳されない方にはいってもおかしくはない。しかし、1960年代に欧米で「反核運動」の原動力になるくらいであったなら、話題性に敏感な日本で翻訳されなかったというのはなぜか。

1954年3月1日、南太平洋ビキニ環礁で行なわれたアメリカの水爆実験で静岡県・焼津の漁船「第五福竜丸」の乗組員の被曝が直接の契機となり、原水爆禁止日本協議会(日本原水協)が発足したのが1955年8月の第1回原水爆禁止世界大会の後だ。原水爆禁止日本国民会議結成が1965年2月。反核が日本でも動き出し始めた時代だ。
一方、日本最初の原子炉JRR-1の臨界が1957年。国産第1号原子炉JRR-3の臨界が1962年で点火が翌1963年。1960年代初頭はまさに日本で原子力の平和利用が華々しく喧伝され始めた時期だ。この状況では、出版市場は未だ話題性が梃子になるほどではなかったということなのだろう。

さて、この本は史実を踏まえているが小説・フィクションとして描かれている。そのためか、「マンハッタン計画」という名称はどこにも出てこない。重要なプロジェクトという表現が使われている。
主要登場人物は3人。シカゴ大学原子力物理学者バートン・ホール。彼の昔の院生だった若い物理学者スティーブン・コースト。そして独身女性科学者ジェーン・アールである。(現実のマンハッタン計画に直接携わった女性科学者はいない。本書の解説者は、これら3人のモデルになった科学者を推定している。)
先の二人は家庭を持つ。このプロジェクト開始時点でその組織の責任者になるバート。ジェーンはバートの助手となる。バートから期待を寄せられ、当初は天然ウランで核分裂の連鎖反応を研究するスティーブ。バートとスティーブは、物理学者であり女性であるジェーンにそれぞれ心を動かされる。
夫を愛しているが物理学理論を理解できない妻との家庭を営む科学者。研究に没頭する科学者の夫に対応する妻の生活。共に科学者であるキューリー夫妻を理想と考え、科学の仕事に重きをおくジェーン。原爆が作られていく過程を軸にしながら、戦争兵器として開発することになることへの科学者の葛藤や、そのプロジェクトのために居住地を変え、間接的にそれに巻き込まれていく二つの家庭の様子。妻の苦悩と行動。一方で若いヒロインをめぐる三つ巴の複雑なロマンスが展開する。

小説は四章構成である。
1章 大統領の決断
 1940年、バートが密かにプロジェクトを想定し、結集させたい科学者への秘やかな打診を始める。大量殺人兵器としての使用可能性を憂慮して避けていく科学者。巻き込まれていく科学者。ドイツよりも先に原爆開発を主張する亡命科学者。原爆の開発を決断する大統領。スティーブは「核兵器の製造には加担したくありません」とバートに宣言する。バートは「核分裂研究委員会」の責任者の道を歩む。

2章 真珠湾攻撃の翌朝
 1941年12月8日真珠湾攻撃。この朝、アメリカ在住の日本人画家ヤスオ・マツギがバートンの家を訪れることから話が始まる。彼はバートに別れを告げに来た。一個人としての友人関係と所属国レベルの対立関係。(在米日本人は米国内の収容所送りとなる。)
 ジェーンはスティーブに言う。「あなたのような人たちが協力しなければ、みんなどんな希望が持てると言うの? ・・・試作品は必ずつくられる。恐ろしい競争の真っただ中にいるのよ。私たちがつくらなくてもナチスがつくる。ナチスは必ず使う。それは間違いない。・・・私たちは試作品をつくらなければならないけど、使ってはならない。敵に見せつけてわからせる。それだけよ」スティーブは原爆開発が真珠湾攻撃により可能性から現実になったと認識する。

3章 カウント・ゼロ
 シカゴ郊外、ニューメキシコ州メサ、ワシントン州、テネシー州の4箇所で一大プロジェクトの研究が密かに併行して進展して行く。生活共同体に組み込まれる科学者の家族を含めると25万人の集団が形成されたと描いている。
 原爆開発に一層深く関わらせる機密文書を読んだことで、スティーブの意識が転換する。それは「バターンの死の行進」と「南京攻略」の資料だった。スティーブはバートに言う。「配置転換してほしいのです」「私は回心しました。」
 研究者が課題の実験中に死亡する事故が起こる。一方で、『ゼロ』と呼ばれる地点での起爆実験が実行される。巨大なきのこ雲が立ち上る。
「新しい神の世界だ」バートはすすり上げた。
「新しい時代には違いないが、果たしてそこには神が住む世界だろうか」スティーブは暗い気持ちで反問した。

4章 原子爆弾投下
 科学者の役割は終わった。陸軍長官は言う。「我々の大きな任務はこの戦争を速やかに、かつ成功裡に終結させることだ。新兵器によって我が国は圧倒的な戦力を持つことになる。」次元がシフトした。戦略と数の論理が優先される。「低く見積もって、低くだぞ、上陸を敢行すればアメリカ兵五十万人が死ぬ。日本人の死者は二百五十万人だ。」「私の推測では、都市にあれを落とせば二万人ぐらいは死ぬだろうが、それ以外の大半はたすかるだろう」
 作者は若い科学者に語らせる。「科学者としての私たちの責任は、方向性はどうあれ、あくまでも知識の追求です。私たちが発見したものを科学者以外の人たちがどう使うかについては、科学者に責任はありません。・・・原子爆弾を使用したときに生じる未曾有の破壊について説明することはできますが、それを使うか使わないかを選択するのはあなた方です」
一方で、開発に携わった科学者が戦争に使用しないことを訴える署名運動を始める。ジェーンは署名した後、実験の成功を機にプロジェクトを去る。「私たちがつくってしまったあの物に対して、闘って、責任を取りたい」
 研究開発集団の中には、ロシアと主体的に通じていた科学者がいた。「おかしなことに、すべて良心に従ってやったと言うんだ」「あなたは信じないかもしれないけれど、かれはそうだったの。科学は万人が分かち合うべきものと考えていた。原子爆弾でさえもね。安全のためにはそれしかないと言っていた。みんなが知れば使う人間はいなくなるとも言っていたわ」
 スティーブは決断する。「私は多数決に従う」と。
 そして遂に、7月26日、降伏の要求が放送と文書で日本に通告された。27日には日本の各地に大量のビラが巻かれた。8月5日、依然として日本からの返事はワシントンに来なかった。原爆が投下される。新聞記者に尋ねられた若い爆撃手は語る。「ほかの爆弾と変わりないですよ。それだけです」
 原爆投下後、プロジェクトは開散される。

4章の末尾は、バートの独白で終わる。「・・・・近ごろの若い連中のことはわからない。・・・『おーい、僕は朝に命令してやったぜ!』とな」

この小説の原題は、”Command the Morning"だ。パール・バックは、1章の始まる前に旧約聖書ヨブ記38章1節から12節を引用している。その12節にこの原題が出てくる。
神がヨブに問いかける詩編の一節だ。「お前は一生に一度でも朝に命令し/曙に役割を指示したことがあるか」

パール・バックは、ヨブ記の引用で始め、ヨブ記の言葉で4章を締めくくる。
解説者はこの語句に作者は様々な意味合いを重層的に重ね併せていると見ている。私は、根底には神の領域の事柄を人間が扱えるのかという問いかけがあると感じた。

科学の発見・発明は、世界で同時並行して発生している。科学の進化の方向は止めがたい。優秀な一科学者が意志を持って断念しても、誰かが研究開発する。それは知の探求の必然的なダイナミズム。しかし、それをどう使うか。知の探求の次元から活用の次元にシフトする段階で様々な問題事象が発生する。原子爆弾と原発はそのシンボリックなものだろう。改めて、そのことの是非、対応について考えさせる小説だ。

この小説自体は、2つの科学者の家庭の問題とジェーンをめぐるロマンス、科学者が葛藤・懊悩しながら原子爆弾を開発していくプロセスの描写が中心である。
この小説が「反核運動」の原動力となったのは、科学者の懊悩の根底にある思いと女性の物理科学者ジェーンの行動と思想に仮託した作者パール・バックの思いではないか。そして、ヨブ記から借用されたタイトルの重みのように思う。


この本のテーマと関連する事実情報を広く押さえて行くと、さらにこの本の理解を深めることができると思い、ウィキペディアその他のソースから、原子爆弾その他関連情報をネット検索してみた。

大昔、学校の歴史の授業で、昭和時代以降の現代史を学習する機会はほとんど無かったと記憶する。平成になって二十有余年。今の授業は昭和時代をキッチリ教えているのだろうか。(たぶんそうはそうなっていない気がするが・・・)
この小説をトリガーに、歴史の史実を理解するきっかけとしたいと思う次第である。
史実を変えることはできない。史実から教訓として何を学ぶかが、大切だろう。未来に向けての礎にどう役立てていくか・・・・だと思う。

キーワードを列挙しよう。ウィキペディアでは語句項目の相互リンクが張られているので関心を抱けば、さらに拡げて情報を収集することができる。

原子爆弾:広島→ウラン爆弾、長崎→プルトニウム爆弾

リトルボーイ と ファットマン

マンハッタン計画  と マンハッタン計画の年表

トリニティ実験


Atomic Energy for Military Purposes (The Smyth Report)
The Official Report on the Development of the Atomic Bomb Under the Auspices of the United States Government
By Henry De Wolf Smyth
APPENDIX 6. WAR DEPARTMENT RELEASE ON NEW MEXICO TEST, JULY 16, 1945

BBC News  The day the world lit up By Kathryn Westcott

広島市への原子爆弾投下 と 長崎市への原子爆弾投下

広島原爆資料館(広島平和記念資料館)

広島原爆戦災誌第二巻第二編
   pdfファイルのダウンロードができます。

広島原爆戦災誌 全資料のアクセス先:Baidu.jpライブラリ

バターン死の行進

南京事件(1937年)   南京攻略戰 

「虐殺」命令

捕虜 日米の対話

日系人の強制収容


日系アメリカ人: 日系アメリカ人の辿ってきた道を追うオンライン歴史資料館


最後に、つい最近テレビで、原爆投下直前の状況についての新事実報道番組を見た。原爆搭載までの判断はできないがB29そのものの接近について、モールス信号を担当者が受信し、それを上官に報告していた。しかし参謀本部(だったと思う)はその情報を一切、広島や長崎に連絡しなかった。この事実の証言や記録文書が明らかにされた。編隊を組んだB29の発信基地とは違う島から発進するB29の存在やこのB29が違うコードを使用しているところまで、解明しその事実をつかんでいたという。上層部のどこかのレベルで情報が隠蔽された。ショッキングな内容だった。
福島第一原発事故の情報隠蔽、情報の後出しとどこか通底している気がする。不思議の国日本だ。歴史に学ばない国なのだろうか。