本書発刊の目的は「あとがき」に著者自身が明確に述べている。その発端は『禅林画賛』(毎日新聞社、1987年刊)に収録された解釈にあるのだ。著者がその解釈に疑問を感じたきっかけに端を発するという。「本書ではその旧解をできるだけ紹介し・・・誤謬を指弾することが目的なのではなく、過ちには多くの学ぶべき点があると考えた」結果なのだ。そして、陥りやすい落とし穴として、「上から目線」と「自分中心の思考形式にとらわれてしまうこと」を指摘している。
本書は、著者がかつて「室町禅林の画賛解釈の再検討に挑戦してみた」(p20)論考をわかりやすく書き換えたものだという。賛詩の解釈の進め方は緻密で硬い部分を含むが、その論理展開と論証は、素人にも読みやすい。ある意味で、文献解釈のやり方を学べる書でもある。
本書は、如拙の描いた瓢鮎図の絵と禅僧たち三十一人の賛詩は切り離して解釈できるものではなく、渾然一体にして解釈してこそ、本来の「瓢鮎図」の理解に至るのだという立場に立ち、論証されている。それは偈頌の最初に出てくる「新様」という語句の解釈から始まっている。著者は「新様」が「新しい様式の描き方」という美術史の立場からの解釈に疑義を述べる。巻末にあるノーマン・ワデル氏との対談の中で、明確に自分の立場を語る。
「絵の上の31人のコメント、これをしっかり受け止めないと、この全体の意味はわからないだろう、というのが私の考えなんです。『新様』が『新しい様式の描き方』であったならば、31人のコメンテーターのうち誰かが必ずそのことに触れているはずでしょう」
つまり、絵の巧みな禅僧も31人のなかに数人含まれていることを根拠とする。
そこで、初めに結論を要約しておこう。あくまで私の読後理解であるが。
「瓢鮎図」は禅文化の作品であり、如拙の絵と禅師の賛詩は全体で解釈すべきである。この作品は、人間の「心の模様」を描いたものだ。そこには仏教思想における「心」がテーマとして表されている。つまり、「すぐれて禅的なテーマ」が扱われている。心(認識)で本心を捕らえられるか。瓢箪と鮎はそれぞれ「心」を象徴したものである。「認識」と「本来心」は互いに因となり果となり絡み合うものなのだ。
著者は35~36ページにこう記す。「あえて結論をいうならば、『瓢鮎図』の企画するところは禅の本旨以外の何ものでもなく、すぐれて禅的なメッセージを詩画にしたものにほかならない。・・・そのテーマは何か。心である。心(ナマズ)を心(瓢箪)でとらえるということです」と。
「はじめに」と「あとがき」の間は次の構成になっている。
第1章 賛詩の意味
第2章 賛詩をどう解釈するか
第3章 画の意味するところ
第4章 「瓢鮎図」のその後
対 談 「瓢鮎図」をめぐって -芳澤勝弘 、ノーマン・ワデル
旧釈の誤謬がどこに由来するか。美術史家の見方の問題点は何か。これらが精緻に分析され、論証されていく。この論証のプロセスこそ、本書の読みどころである。
また、この絵の理解が時代を経る中でどのように変化して行ったかの解説もなかなか興味深い。
基本的なことに触れておこう。本書に説明のあることだが・・・・。
*「瓢鮎図」は京都妙心寺山内の退蔵院の所蔵。
*室町時代に、四代将軍足利義持(1386~1428)が如拙(生没年不詳)に描かせた絵。
如拙は日本人画家。
*水墨画の雪舟の師周文(生没年不詳)のさらに師匠にあたるのが如拙だという。
→ 日本水墨画の源流に「瓢鮎図」が位置づけられる。
*31人の禅僧は京都五山の高僧たちだった。生没年不詳の人が多い。
*「瓢鮎図」のような様式のものは詩画軸とか、画賛と呼ばれる。
*中国において「鮎」の字はナマズの意味で「鯰」と同じ。
*足利義持はきわめて熱心な禅宗の信奉者だった。禅に傾倒していた人物だったとか。
*「瓢鮎図」には江戸時代の模写が3点ある。その内の2点は男の手の形が原本とは異なる。そこから江戸時代に既に「瓢鮎図」の本来の意味がわからない状態になっていたことがわかる。
本書で、緻密な論証過程をお楽しみ願いたい。著者の論証のための文献資料の渉猟と、それを基にした論理の展開に敬服する。
詩画軸が描かれた時代までの歴史的背景と描かれた時代の環境・背景に即しながら、理解し解釈するという基本の大事さをここから学べる。これは他の対象物の理解・解釈にも通底することだと感じた。
ご一読ありがとうございます。
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本書に関連する語句を検索してみた。本書理解の参考として、一覧にしておきたい。
如拙 :ウィキペディア
不思議な絵 ―如拙筆「瓢鮎図」― :「博物館ディクショナリー」(京都国立博物館)
足利義持 :ウィキペディア
宗鏡録 禅籍データベース :「花園大学国際禅学研究所」
宗鏡録 :ウィキペディア
大津絵 :ウィキペディア
鯰絵 大津絵 :ウィキペディア
「大雅 蕪村 玉堂 と 仙」 出光美術館 :「きらきら星」
「瓢鯰図」池大雅の絵がこのブログ記事に引用されている。
白隠 曲馬図 :「東京国立博物館」
著者の論文
「画賛解釈についての疑問-五山の詩文はどう読まれているか」
「瓢鮎図・再考」
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本書は、著者がかつて「室町禅林の画賛解釈の再検討に挑戦してみた」(p20)論考をわかりやすく書き換えたものだという。賛詩の解釈の進め方は緻密で硬い部分を含むが、その論理展開と論証は、素人にも読みやすい。ある意味で、文献解釈のやり方を学べる書でもある。
本書は、如拙の描いた瓢鮎図の絵と禅僧たち三十一人の賛詩は切り離して解釈できるものではなく、渾然一体にして解釈してこそ、本来の「瓢鮎図」の理解に至るのだという立場に立ち、論証されている。それは偈頌の最初に出てくる「新様」という語句の解釈から始まっている。著者は「新様」が「新しい様式の描き方」という美術史の立場からの解釈に疑義を述べる。巻末にあるノーマン・ワデル氏との対談の中で、明確に自分の立場を語る。
「絵の上の31人のコメント、これをしっかり受け止めないと、この全体の意味はわからないだろう、というのが私の考えなんです。『新様』が『新しい様式の描き方』であったならば、31人のコメンテーターのうち誰かが必ずそのことに触れているはずでしょう」
つまり、絵の巧みな禅僧も31人のなかに数人含まれていることを根拠とする。
そこで、初めに結論を要約しておこう。あくまで私の読後理解であるが。
「瓢鮎図」は禅文化の作品であり、如拙の絵と禅師の賛詩は全体で解釈すべきである。この作品は、人間の「心の模様」を描いたものだ。そこには仏教思想における「心」がテーマとして表されている。つまり、「すぐれて禅的なテーマ」が扱われている。心(認識)で本心を捕らえられるか。瓢箪と鮎はそれぞれ「心」を象徴したものである。「認識」と「本来心」は互いに因となり果となり絡み合うものなのだ。
著者は35~36ページにこう記す。「あえて結論をいうならば、『瓢鮎図』の企画するところは禅の本旨以外の何ものでもなく、すぐれて禅的なメッセージを詩画にしたものにほかならない。・・・そのテーマは何か。心である。心(ナマズ)を心(瓢箪)でとらえるということです」と。
「はじめに」と「あとがき」の間は次の構成になっている。
第1章 賛詩の意味
第2章 賛詩をどう解釈するか
第3章 画の意味するところ
第4章 「瓢鮎図」のその後
対 談 「瓢鮎図」をめぐって -芳澤勝弘 、ノーマン・ワデル
旧釈の誤謬がどこに由来するか。美術史家の見方の問題点は何か。これらが精緻に分析され、論証されていく。この論証のプロセスこそ、本書の読みどころである。
また、この絵の理解が時代を経る中でどのように変化して行ったかの解説もなかなか興味深い。
基本的なことに触れておこう。本書に説明のあることだが・・・・。
*「瓢鮎図」は京都妙心寺山内の退蔵院の所蔵。
*室町時代に、四代将軍足利義持(1386~1428)が如拙(生没年不詳)に描かせた絵。
如拙は日本人画家。
*水墨画の雪舟の師周文(生没年不詳)のさらに師匠にあたるのが如拙だという。
→ 日本水墨画の源流に「瓢鮎図」が位置づけられる。
*31人の禅僧は京都五山の高僧たちだった。生没年不詳の人が多い。
*「瓢鮎図」のような様式のものは詩画軸とか、画賛と呼ばれる。
*中国において「鮎」の字はナマズの意味で「鯰」と同じ。
*足利義持はきわめて熱心な禅宗の信奉者だった。禅に傾倒していた人物だったとか。
*「瓢鮎図」には江戸時代の模写が3点ある。その内の2点は男の手の形が原本とは異なる。そこから江戸時代に既に「瓢鮎図」の本来の意味がわからない状態になっていたことがわかる。
本書で、緻密な論証過程をお楽しみ願いたい。著者の論証のための文献資料の渉猟と、それを基にした論理の展開に敬服する。
詩画軸が描かれた時代までの歴史的背景と描かれた時代の環境・背景に即しながら、理解し解釈するという基本の大事さをここから学べる。これは他の対象物の理解・解釈にも通底することだと感じた。
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如拙 :ウィキペディア
不思議な絵 ―如拙筆「瓢鮎図」― :「博物館ディクショナリー」(京都国立博物館)
足利義持 :ウィキペディア
宗鏡録 禅籍データベース :「花園大学国際禅学研究所」
宗鏡録 :ウィキペディア
大津絵 :ウィキペディア
鯰絵 大津絵 :ウィキペディア
「大雅 蕪村 玉堂 と 仙」 出光美術館 :「きらきら星」
「瓢鯰図」池大雅の絵がこのブログ記事に引用されている。
白隠 曲馬図 :「東京国立博物館」
著者の論文
「画賛解釈についての疑問-五山の詩文はどう読まれているか」
「瓢鮎図・再考」
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