文庫本の背表紙を見ていて、「ぶつぞう入門」とひらかなで記されているのが目にとまった。著者を見ると「柴門ふみ」。どんな本? 表紙を見ると3躰の仏像イラストが載っている。ペラペラと中を見ると、イラストや漫画のページもあるエッセイ。最近集中的に仏像関係のテキスト的な本を読み継いでいる。この一冊、おもしろそうなので読んでみた。
単行本が2002年9月に出版されていたのだった。文庫本は2005年8月が第1刷である。
漫画家の柴門ふみさんが最初は『オール讀物』の編集部の人の同行で始まった全国各地の寺院での仏像鑑賞のようだ。それが他に引き継がれ、それらの結果を綴ったエッセイである。漫画家の強味を活かして、仏像のイラストを載せ、寺院での拝観エピソードをエッセイの後に1ページ漫画に仕立てて併載している。
この本のおもしろいところは、最初の「広隆寺、清水寺の御本尊」というエッセイに堂々と記されている。「入門書一冊、ロクに読んでおりません。ミロクと観音がどういう位置関係かもいまだあやふやです」それでいいのか、それで、いいのだ、というやりとりから始まった仏像鑑賞記というスタンスだ。たぶん、これって普通の庶民が観光を兼ねて寺社仏閣を訪れ、仏像を拝観する感覚、目線とほぼ同じだろう。だからこそ「ぶつぞう入門」として手頃なのかもしれない。
しかし、である。最初のスタンスは同じかもしれないが、大きく異なる点がある。それは、著者が漫画を描く人であること。つまり漫画のベースになる絵画視点を踏まえて仏像鑑賞をする感性がそこに存在する。だからこそ、読みやすくて、おもしろいタッチの文章の中にきらりとした光が見えるのだろう。
もうひとつの違いは、仏像鑑賞のためのアドバイザーがついていたということ。私は本書で初めて知った人だが、石井亜矢子さんがその役割を担われたようだ。目次の裏ページに「仏像解説 石井亜矢子」と記されていて、本文の中にもところどころで名前が登場する。
読後印象として、本書の特徴を列挙してみよう。
1. エッセイの文章がけっこうくだけていて親しみやすい書きぶりである。
仏像の相貌を現在の身近な芸能人、文化人や有名人、時には漫画の登場人物などに喩えている。ぱっとイメージが湧きやすいくおもしろい。なるほどな・・・とうなずくことしばし。反面、自分の知らない人に喩えられていると、さっぱり不明ということになる。つまり、当世風である。20年、30年したらもうその喩えのおもしろみが理解しかねるようになっているかもしれないが・・・・。まあ、著者・サイモンはそんなこと、全く気にはしていないだろう。
例えば、法隆寺・釈迦三尊像(=布袋寅泰)、同・夢違観音(=松嶋菜々子)、大宝蔵院・地蔵菩薩像(=反町隆史)、東寺・梵天像(=エリツィン)、三十三間堂・風神像(=岡村隆史)、同・摩和羅女像(=雨に濡れた富田靖子)、同・婆藪仙人像(=疲れ切った元小泉総理)、覚園寺・日光菩薩像(=川崎のぼるの漫画、星飛雄馬の姉・明子)、戒壇院・多聞天と広目天(=マリナーズの佐々木顔)、同・増長天と持国天(=ギョロメの花紀京顔)・・・といった具合である。今の我々にとっては、こういうタッチの印象記、楽しくなるではないか。
2. 鑑賞対象となったメインの仏像には、著者のイラストが掲載されている。さすが漫画家。実物を拝見したり、写真で眺めたりした仏像の特徴がうまく捉えられている。
このイラストを見るだけでも、ちょっと見応えがある。ところどころ漫画付きのご愛嬌があるが、仏像イラストはエッセイ文章のやわらかさとは対照的である。やはりプロ意識が発揮されていると感じる。きりっとしている。硬いという意味ではない。両者がいいバランスになっているというニュアンスである。
3. イラストを描いた仏像について、「歴史度、技巧度、芸術度、サイモン度」という4つの観点での星取り評価表が載っている。併せて仏像の特徴を要約した短文と像(cm表示)が記されている。このページだけでも簡便な鑑賞ガイドとなっていて、興味深い。大半のイラストがほぼ同じサイズで描かれているので、絵だけによるミスリードをしないためか、像高が付されている。
本書には歴史度、技巧度、芸術度について、私の見落としで無ければ、どこにもその評価基準が明確には提示されていない。どのような基準によるものか・・・ちょっと不明瞭。取り上げられた仏像群の相対的評価なのかもしれない。
サイモン度というのは、著者・柴門ふみさん個人の感性での主観的評価のようだ。最初の3つの観点と要約短文は石井亜矢子さんが執筆分担されたと推測する。目次の最後に「仏像解説 石井亜矢子」と明記されている。それと、次の記述があることによる。
連載を始める直前に、「よい仏像とは」という質問に、石井さんは仏像鑑賞の助言として3点述べられたと記す。「①バランスがとれている。②彫りが立っている(技術的にノミづかいが上手だということ)。③ありがたい」。(これが最初の3つの観点の評価基準にどうも関連しているようだが・・・・)そして、その続きの文に「・・・イラストの下方にある星取り表で、師匠の意見とサイモン度が全く一致していないことでもよくわかる」という一文(p234)があるからだ。
4. エッセイの末尾に1ページのコマ漫画が載っていて、これがエッセイに触れられたエピソードの漫画化であり、一種のまとめでもあって楽しめる。これは通常の随筆本にはないおもしろみである。
5. 一種の弥次喜多道中的な思い込み、失敗談、愚痴などの側面をふんだんに盛り込んだエッセイであり、普通の観光拝観客の目線から書かれている。隣のオバサンの語り感覚があっておもしろい。かつ、サイモン流の好みの感性で目にした「ぶつぞう」についてバッサリと印象を記している点が楽しい。
ちょっとお寺に出かけてみようか・・・そんな気楽な誘いとなる入門書。敷居が低い入門書である。お遊び感覚に溢れている。
サイモン流の語り口をいくつかご紹介しておこう。こういう見識もおもしろく、興味深い。
*(法隆寺・釈迦三尊像について)
他を威圧するこの飛鳥様式の仏像は、巨大な顔面とどっしりした太い鼻が特徴だ。それだけだとただの「コワい人」なのだが、口元のアルカイック・スマイルが「コワい人」を「威厳のある人」に昇格させている、いや、ご立派で。というのが私の感想である。国宝だしね。 p25
*(法隆寺・百済観音について)
すべての優れた芸術作品には、テーマとポイントがある。と、私は思う。この百済観音について言えば、やはりその長身スリムなプロポーションの良さと水瓶を持つ手であろう。だから、顔は溶けてても、むしろ溶けているくらいの方が、全体としてバランスが良いのかもしれない。 p28
*(観心寺の如意輪観音について)
声を失うほどの美しさだったのだ。と言っても過言ではない。・・・・あらん、ちょっと酔っぱらっちゃったわぁと頬を染め目を潤ませているぽっちゃり系のお姉ちゃんを、うんと洗練させた感じ。 p41-42
*(興福寺・阿修羅像について)
興福寺ベストワンは、巨大千手観音よりも・・・<興福寺・阿修羅とその仲間達>であると気づいたのだ。・・・・ライティングによっては、阿修羅はすごく怒っているようにも見える。故夏目雅子に似ているとか、貴乃花に似ているとか、諸説乱れ飛ぶが、私としては故沖田浩之である。右脇面は確かに貴乃花に似ている。・・・・あの苦しげな眉根がどうしても気になるのだ。美少年の苦しげな顔というのは私の潜在的サディズムを刺激する。 p54
*(東寺の帝釈天に対する同行の編集者の感想を引き合いに出して)
男性信者は観音に官能を見出し、女性信者は天部衆にひそかに恋する。こうやって日本人の心の奥深く仏教は浸透していったのである。というのが、サイモン説。以上。 p56
*(キリスト教美術と仏教美術について)
読み書きもできない、文化も芸術もわからぬ民衆を引きつけるには、裸体である。裸体と大きさね。この二つに、民衆はびっくり仰天しちゃうのだ。・・・・・そして、東西の宗教美術を結ぶもう一つの共通項が、<エロティシズム>なのである。 p81-82
*貴族好みの定朝様がもてはやされ、定朝の様式を受け継いだ院派・円派の仏師達は、おだやかでゆったりとした優しい仏像を作り続けた。それがニーズだったからだ。やる気の無さそうな、おっとりした阿弥陀仏像が大量生産されたのは、そういう時代背景があったからだ。
そんな中で、奈良仏師の一派だけが主流から取り残された。・・・その仏師の一人が、運慶の父、康慶なのだ。売れるからといって、定朝というお手本をなぞっただけの仏像を彫り続けることに異議を唱えたのが、慶派だ。そして運慶二十代の傑作「円成寺大日如来像」はその所信表明であったのだ。
なぜ私が定朝様式に心を動かされないのかよくわかった。運慶が好きだからなのだ。貴族趣味より、リアリズムを愛するからなのだ。 p128-129
本書の前半から引用してみた。後半も抜き書きしたい箇所がいくつもあるが・・・・
あとは本書をお読みいただき、ここを抽出して紹介したかったのではないかと、推測していただくとおもしろいのではないか。
本書末尾に付けられた「お寺案内」は「解説 石井亜矢子」と明記されている。本書に登場する仏像を拝見できる寺をアイウエオ順で1ページに3つ、簡潔に説明されている。その寺名だけ、ここではわかりやすく地域に分けて列挙しておこう。
京都府:秋篠寺、一休寺、永観堂、蟹満寺、願徳寺、観音寺、清水寺、広隆寺、
三十三間堂、浄瑠璃寺、神護寺、清凉寺、泉涌寺、千本釈迦堂、醍醐寺
東寺、平等院、法界寺、六波羅密寺
奈良県:飛鳥寺、円成寺、興福寺、聖林寺、新薬師寺、当麻寺、中宮寺、東大寺
法隆寺、法華寺、室生寺、薬師寺、
滋賀県:向源寺、
大阪府:観心寺、葛井寺、野中寺
和歌山県:金剛峯寺、道成寺
兵庫県:浄土寺
神奈川県:覚園寺、高徳院、浄光明寺、東慶寺
福島県:勝常寺、
岩手県:黒石寺、中尊寺
これくらいじゃ、ピンとこない・・・? それなら、ちょっと立ち読みから初めてみてはいかがだろうか。
本書に掲載の漫画には子豚が常に登場する。これはサイモンさんのキャラ?
ご一読ありがとうございます。
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本書関連で少し情報検索してみた。一覧にしておきたい。
石井亜矢子
ネット検索すると、次の著書が出版されていた。
『仏像の見方ハンドブック-仏像の種類と役割、見分け方、時代別の特徴がわかる』
(池田書店のハンドブックシリーズ) [新書]
『仏像図解新書』(小学館101新書) [新書]
法隆寺・夢違観音(画像) :ウィキペディア
大宝蔵院・地蔵菩薩像 :「奈良の文化と芸術」
「法隆寺大宝蔵院は平成10年に完成」のページに掲載の画像
東寺・梵天像 :「東寺弘法市」
風神・雷神と二十八部衆 :「三十三間堂」
三十三間堂 :「京都旅行寺めぐり」
このページの最後に「風神」の顔部分をクローズアップした画像が載っている。
三十三間堂・摩和羅女像(画像)
”ピカいちさんの『雨ニモマケズ』”に掲載の「雲関(うんかん)」という記事から
ここには、一千一躰の十一面千手観音像の全体写真も掲載あり、リンクしている。
三十三間堂・婆藪仙人像(画像) :ウィキペディア
東大寺・戒壇堂篇 :「うましうるわし奈良」
四天王像の顔部分の写真がずらりと冒頭に。
阿修羅像 :「興福寺」
円成寺大日如来座像 ← 「忍辱山円成寺」ホームページ
トップページの下の方に仏像写真が掲載されている。
水月観音菩薩半跏像 :「東慶寺」
仏師系図 :「神奈川仏教文化研究所」
仏師 定朝 :「神奈川仏教文化研究所」
定朝 :ウィキペディア
仏師 運慶 :「神奈川仏教文化研究所」
運慶 :ウィキペディア
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こちらの読後印象記もご覧いただけるとうれしいです。
『仏像 日本仏像史講義』 山本勉 平凡社
『仏像のひみつ』・『続 仏像のひみつ』 山本 勉 / 川口澄子 朝日出版社
単行本が2002年9月に出版されていたのだった。文庫本は2005年8月が第1刷である。
漫画家の柴門ふみさんが最初は『オール讀物』の編集部の人の同行で始まった全国各地の寺院での仏像鑑賞のようだ。それが他に引き継がれ、それらの結果を綴ったエッセイである。漫画家の強味を活かして、仏像のイラストを載せ、寺院での拝観エピソードをエッセイの後に1ページ漫画に仕立てて併載している。
この本のおもしろいところは、最初の「広隆寺、清水寺の御本尊」というエッセイに堂々と記されている。「入門書一冊、ロクに読んでおりません。ミロクと観音がどういう位置関係かもいまだあやふやです」それでいいのか、それで、いいのだ、というやりとりから始まった仏像鑑賞記というスタンスだ。たぶん、これって普通の庶民が観光を兼ねて寺社仏閣を訪れ、仏像を拝観する感覚、目線とほぼ同じだろう。だからこそ「ぶつぞう入門」として手頃なのかもしれない。
しかし、である。最初のスタンスは同じかもしれないが、大きく異なる点がある。それは、著者が漫画を描く人であること。つまり漫画のベースになる絵画視点を踏まえて仏像鑑賞をする感性がそこに存在する。だからこそ、読みやすくて、おもしろいタッチの文章の中にきらりとした光が見えるのだろう。
もうひとつの違いは、仏像鑑賞のためのアドバイザーがついていたということ。私は本書で初めて知った人だが、石井亜矢子さんがその役割を担われたようだ。目次の裏ページに「仏像解説 石井亜矢子」と記されていて、本文の中にもところどころで名前が登場する。
読後印象として、本書の特徴を列挙してみよう。
1. エッセイの文章がけっこうくだけていて親しみやすい書きぶりである。
仏像の相貌を現在の身近な芸能人、文化人や有名人、時には漫画の登場人物などに喩えている。ぱっとイメージが湧きやすいくおもしろい。なるほどな・・・とうなずくことしばし。反面、自分の知らない人に喩えられていると、さっぱり不明ということになる。つまり、当世風である。20年、30年したらもうその喩えのおもしろみが理解しかねるようになっているかもしれないが・・・・。まあ、著者・サイモンはそんなこと、全く気にはしていないだろう。
例えば、法隆寺・釈迦三尊像(=布袋寅泰)、同・夢違観音(=松嶋菜々子)、大宝蔵院・地蔵菩薩像(=反町隆史)、東寺・梵天像(=エリツィン)、三十三間堂・風神像(=岡村隆史)、同・摩和羅女像(=雨に濡れた富田靖子)、同・婆藪仙人像(=疲れ切った元小泉総理)、覚園寺・日光菩薩像(=川崎のぼるの漫画、星飛雄馬の姉・明子)、戒壇院・多聞天と広目天(=マリナーズの佐々木顔)、同・増長天と持国天(=ギョロメの花紀京顔)・・・といった具合である。今の我々にとっては、こういうタッチの印象記、楽しくなるではないか。
2. 鑑賞対象となったメインの仏像には、著者のイラストが掲載されている。さすが漫画家。実物を拝見したり、写真で眺めたりした仏像の特徴がうまく捉えられている。
このイラストを見るだけでも、ちょっと見応えがある。ところどころ漫画付きのご愛嬌があるが、仏像イラストはエッセイ文章のやわらかさとは対照的である。やはりプロ意識が発揮されていると感じる。きりっとしている。硬いという意味ではない。両者がいいバランスになっているというニュアンスである。
3. イラストを描いた仏像について、「歴史度、技巧度、芸術度、サイモン度」という4つの観点での星取り評価表が載っている。併せて仏像の特徴を要約した短文と像(cm表示)が記されている。このページだけでも簡便な鑑賞ガイドとなっていて、興味深い。大半のイラストがほぼ同じサイズで描かれているので、絵だけによるミスリードをしないためか、像高が付されている。
本書には歴史度、技巧度、芸術度について、私の見落としで無ければ、どこにもその評価基準が明確には提示されていない。どのような基準によるものか・・・ちょっと不明瞭。取り上げられた仏像群の相対的評価なのかもしれない。
サイモン度というのは、著者・柴門ふみさん個人の感性での主観的評価のようだ。最初の3つの観点と要約短文は石井亜矢子さんが執筆分担されたと推測する。目次の最後に「仏像解説 石井亜矢子」と明記されている。それと、次の記述があることによる。
連載を始める直前に、「よい仏像とは」という質問に、石井さんは仏像鑑賞の助言として3点述べられたと記す。「①バランスがとれている。②彫りが立っている(技術的にノミづかいが上手だということ)。③ありがたい」。(これが最初の3つの観点の評価基準にどうも関連しているようだが・・・・)そして、その続きの文に「・・・イラストの下方にある星取り表で、師匠の意見とサイモン度が全く一致していないことでもよくわかる」という一文(p234)があるからだ。
4. エッセイの末尾に1ページのコマ漫画が載っていて、これがエッセイに触れられたエピソードの漫画化であり、一種のまとめでもあって楽しめる。これは通常の随筆本にはないおもしろみである。
5. 一種の弥次喜多道中的な思い込み、失敗談、愚痴などの側面をふんだんに盛り込んだエッセイであり、普通の観光拝観客の目線から書かれている。隣のオバサンの語り感覚があっておもしろい。かつ、サイモン流の好みの感性で目にした「ぶつぞう」についてバッサリと印象を記している点が楽しい。
ちょっとお寺に出かけてみようか・・・そんな気楽な誘いとなる入門書。敷居が低い入門書である。お遊び感覚に溢れている。
サイモン流の語り口をいくつかご紹介しておこう。こういう見識もおもしろく、興味深い。
*(法隆寺・釈迦三尊像について)
他を威圧するこの飛鳥様式の仏像は、巨大な顔面とどっしりした太い鼻が特徴だ。それだけだとただの「コワい人」なのだが、口元のアルカイック・スマイルが「コワい人」を「威厳のある人」に昇格させている、いや、ご立派で。というのが私の感想である。国宝だしね。 p25
*(法隆寺・百済観音について)
すべての優れた芸術作品には、テーマとポイントがある。と、私は思う。この百済観音について言えば、やはりその長身スリムなプロポーションの良さと水瓶を持つ手であろう。だから、顔は溶けてても、むしろ溶けているくらいの方が、全体としてバランスが良いのかもしれない。 p28
*(観心寺の如意輪観音について)
声を失うほどの美しさだったのだ。と言っても過言ではない。・・・・あらん、ちょっと酔っぱらっちゃったわぁと頬を染め目を潤ませているぽっちゃり系のお姉ちゃんを、うんと洗練させた感じ。 p41-42
*(興福寺・阿修羅像について)
興福寺ベストワンは、巨大千手観音よりも・・・<興福寺・阿修羅とその仲間達>であると気づいたのだ。・・・・ライティングによっては、阿修羅はすごく怒っているようにも見える。故夏目雅子に似ているとか、貴乃花に似ているとか、諸説乱れ飛ぶが、私としては故沖田浩之である。右脇面は確かに貴乃花に似ている。・・・・あの苦しげな眉根がどうしても気になるのだ。美少年の苦しげな顔というのは私の潜在的サディズムを刺激する。 p54
*(東寺の帝釈天に対する同行の編集者の感想を引き合いに出して)
男性信者は観音に官能を見出し、女性信者は天部衆にひそかに恋する。こうやって日本人の心の奥深く仏教は浸透していったのである。というのが、サイモン説。以上。 p56
*(キリスト教美術と仏教美術について)
読み書きもできない、文化も芸術もわからぬ民衆を引きつけるには、裸体である。裸体と大きさね。この二つに、民衆はびっくり仰天しちゃうのだ。・・・・・そして、東西の宗教美術を結ぶもう一つの共通項が、<エロティシズム>なのである。 p81-82
*貴族好みの定朝様がもてはやされ、定朝の様式を受け継いだ院派・円派の仏師達は、おだやかでゆったりとした優しい仏像を作り続けた。それがニーズだったからだ。やる気の無さそうな、おっとりした阿弥陀仏像が大量生産されたのは、そういう時代背景があったからだ。
そんな中で、奈良仏師の一派だけが主流から取り残された。・・・その仏師の一人が、運慶の父、康慶なのだ。売れるからといって、定朝というお手本をなぞっただけの仏像を彫り続けることに異議を唱えたのが、慶派だ。そして運慶二十代の傑作「円成寺大日如来像」はその所信表明であったのだ。
なぜ私が定朝様式に心を動かされないのかよくわかった。運慶が好きだからなのだ。貴族趣味より、リアリズムを愛するからなのだ。 p128-129
本書の前半から引用してみた。後半も抜き書きしたい箇所がいくつもあるが・・・・
あとは本書をお読みいただき、ここを抽出して紹介したかったのではないかと、推測していただくとおもしろいのではないか。
本書末尾に付けられた「お寺案内」は「解説 石井亜矢子」と明記されている。本書に登場する仏像を拝見できる寺をアイウエオ順で1ページに3つ、簡潔に説明されている。その寺名だけ、ここではわかりやすく地域に分けて列挙しておこう。
京都府:秋篠寺、一休寺、永観堂、蟹満寺、願徳寺、観音寺、清水寺、広隆寺、
三十三間堂、浄瑠璃寺、神護寺、清凉寺、泉涌寺、千本釈迦堂、醍醐寺
東寺、平等院、法界寺、六波羅密寺
奈良県:飛鳥寺、円成寺、興福寺、聖林寺、新薬師寺、当麻寺、中宮寺、東大寺
法隆寺、法華寺、室生寺、薬師寺、
滋賀県:向源寺、
大阪府:観心寺、葛井寺、野中寺
和歌山県:金剛峯寺、道成寺
兵庫県:浄土寺
神奈川県:覚園寺、高徳院、浄光明寺、東慶寺
福島県:勝常寺、
岩手県:黒石寺、中尊寺
これくらいじゃ、ピンとこない・・・? それなら、ちょっと立ち読みから初めてみてはいかがだろうか。
本書に掲載の漫画には子豚が常に登場する。これはサイモンさんのキャラ?
ご一読ありがとうございます。
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石井亜矢子
ネット検索すると、次の著書が出版されていた。
『仏像の見方ハンドブック-仏像の種類と役割、見分け方、時代別の特徴がわかる』
(池田書店のハンドブックシリーズ) [新書]
『仏像図解新書』(小学館101新書) [新書]
法隆寺・夢違観音(画像) :ウィキペディア
大宝蔵院・地蔵菩薩像 :「奈良の文化と芸術」
「法隆寺大宝蔵院は平成10年に完成」のページに掲載の画像
東寺・梵天像 :「東寺弘法市」
風神・雷神と二十八部衆 :「三十三間堂」
三十三間堂 :「京都旅行寺めぐり」
このページの最後に「風神」の顔部分をクローズアップした画像が載っている。
三十三間堂・摩和羅女像(画像)
”ピカいちさんの『雨ニモマケズ』”に掲載の「雲関(うんかん)」という記事から
ここには、一千一躰の十一面千手観音像の全体写真も掲載あり、リンクしている。
三十三間堂・婆藪仙人像(画像) :ウィキペディア
東大寺・戒壇堂篇 :「うましうるわし奈良」
四天王像の顔部分の写真がずらりと冒頭に。
阿修羅像 :「興福寺」
円成寺大日如来座像 ← 「忍辱山円成寺」ホームページ
トップページの下の方に仏像写真が掲載されている。
水月観音菩薩半跏像 :「東慶寺」
仏師系図 :「神奈川仏教文化研究所」
仏師 定朝 :「神奈川仏教文化研究所」
定朝 :ウィキペディア
仏師 運慶 :「神奈川仏教文化研究所」
運慶 :ウィキペディア
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『仏像 日本仏像史講義』 山本勉 平凡社
『仏像のひみつ』・『続 仏像のひみつ』 山本 勉 / 川口澄子 朝日出版社