『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』は2013年にデビュー作として出版されている。この前書を楽しく読むことができたので、この永徳第2作を読んだ。第1作は、現在、国宝指定の『上杉本 洛中洛外図屏風』として有名な屏風絵を如何にして描きあげたかというそのプロセスに焦点を当てた絵師永徳誕生ストーリーだった。狩野派の伝統的な粉本ベースの絵画制作主義からの超脱に、御曹司永徳が闘いを挑むという経緯が実に興味深かった。
この第2作は、そのタイトルに「安土」と冠することから、今は焼尽して跡形もない安土城に、永徳が絵筆を振るったプロセスが描かれるということが構想の中心になっているのだろうな、と想像させる。当然、それは織田信長という天下布武のビジョンを抱く男と絵の世界では己が覇者と自負する永徳という男とが、このストーリーでどのような心理合戦を展開するだろうか、という興味をまず抱いた。
この小説を読み、著者のパースペクティヴはもっと広がりを持っていたので、期待を裏切られなかった。全体の構想と展開の時間軸が思っていたよりも長く、全体のストーリー構造を入り組ませていて、おもしろ味を倍加している。つまり、このストーリーの全展開の中で、信長の要求に応えて信長を唸らせる障壁画を描き安土城内部を飾る、そのための構想と作品化に永徳が苦しみもがき、仕上げていくというプロセスは、勿論最初の大きなピークに位置づけられている。つまりそれだけを描くストーリーではなかった。
その後にくる安土城炎上により、永徳の画業の結晶が焼尽してしまう。そう、本能寺の変、秀吉の中国大返しによる明智光秀の敗退とその敗退プロセスの波紋の一つとして発生する安土城炎上。狩野家の惣領永徳といえども、如何ともしがたい状況の展開となる。一絵師永徳がその状況の中でどう対応したか。著者は永徳の心理面と行動面をフィクションを交えながら描き挙げていく。これがそれに続く山場となる。それは絵師永徳の心理的存亡、実存に関わって行く時代の変転である。
著者は本書の最終コーナーで、安土城炎上後の永徳がまず何をしたかの場面を描き加えて行く。父松栄の許にもたらされた絵の依頼。大徳寺塔頭・聚光院の方丈建立に伴う襖絵を描くという仕事である。それは永徳の心境転換のトリガーとなり、新たな挑戦への始まりなのだ。狩野永徳が狩野派惣領としての世俗での道と、他絵師の追随を許さぬユニークな絵師として画技・画境の高みへと邁進する孤高の道を如何に両立させるかへの挑戦でもある。自らを画狂と思い定めた永徳の再スタートとも言える。
わずか23ページで描き出される場面であるが、このストーリーの構想の中では、実に重みを持つ場面とも言える。そこに、その後の永徳と対決する人物達がちゃんと組み込まれている。
そして、「終」の章では、秀吉の依頼を受けた信長の追善絵を、新たな天下人となった秀吉自身に届けて見せる場面を加える。その対面の場で、安土城本丸に描いた障壁画を描き直したものという、唐獅子の障壁画を永徳は秀吉に贈る。
「これを、お納めくだされ」
「よいのか? 斯様なものを」
「天下人の下でこそ輝く絵でございましょう」
その後に、次のやり取りがこの対話のエンディングになる。
「天下一の絵師、狩野永徳よ、今後も傍近くにあり、絵を描け」
「はっ」
この永徳と秀吉の対話場面の後に、この小説の最後のしめくくり9行の記述がある。
いくつかの山場とそのストーリー展開を構成したいくつかの人間関係軸の渦中に居た永徳の思いが凝集されている。『安土唐獅子画狂伝』は、この9行を氷山の見える先端として示すために、描き込まれた背景と言えるかもしれない。
さらに、聚光院の障壁画制作場面とこの「終」の場面は、画狂伝狩野永徳の第三作への伏線になっている。そんな気がする。
さて、このストーリーの構想・展開での奥行きを深め、読者を惹きつけるとともに、この時代を考える側面としての素材にもなる永徳に絡めた人間関係構図をご紹介しておきたい。これらの視点・次元を異にする人間関係の組み込み方、絡ませ方がこのストーリーを楽しませ、味わわせる仕掛けでもあると思う。箇条書き的に列挙してみる。
*永徳とその妻廉の関わり方。二人の間に、四郎二郎・宰相と名づけられた息子たち居る。この家族と永徳の人間関係が底流に流れている。絵のことしか心にない永徳を廉がどのように眺めているか、対応しているかが描き込まれる。絵を介した息子たちと永徳の関係も興味深い。画狂と称される由縁の一端がここにある。
*織田信長と狩野永徳の絵画次元での心理合戦の繰り広げという人間関係。お互いに相手を折るというスタンスの生き様が彩なす展開がワクワク感を抱かせる。
*狩野派という絵画集団における人間関係。絵師としての世俗での柵が背景となり、戦国時代の絵師の有り様や伝統と才能、生活の基盤などがリアル感を加える。父・松栄と永徳の弟・宗秀描かれる。
*狩野永徳と長谷川信春とのライバル予感としての人間関係。永徳の前に「信」と記された絵馬の小さな龍の絵図から始まり、長谷川が狩野派に入門し、ある理由で永徳が破門するという関係。永徳が長谷川の絵に、絵師としての闘争心をかきたてられる。要所要所で長谷川が登場して来るから興味深い。
*狩野永徳と海北友松の人間関係。年長の友松が狩野派の画業では永徳の弟子となる。このねじれた人間関係がストーリーの背景に隠れながら、重要な場面で友松が黒子的に登場する。永徳が心にかける弟子、絵を続け大成を期待する弟子でもあり、ある意味で相談相手として登場するところがおもしろい。友松の人生の一端を垣間見せる取り上げ方になっている。
*秀吉が永徳に木村彦一を絵師の卵として紹介し、弟子という形で託すところから始まる人間関係。木村彦一、後の狩野山楽の登場である。当初その姿にこの世のすべてを恨むというスタンスに危うさを永徳は感じる。だがその彦一が、この安土城での障壁画制作の始まりから、無くてはならない貴重な弟子となっていく姿が描き込まれる。二人の人間関係がこの第2作のテーマでは重要なものとなっていく。
*永徳と千利休の人間関係。絵師永徳の生き様にとり重要なポイントとなるところで、千利休が登場する。絵師永徳は、利休が関わる「茶」それを茶道にせんとする姿を認めない。異なる次元で天下一を目指すというズレの妙味の中での人間関係が点描される。利休は長谷川信春を世に押しだそうという立場で、永徳との確執関係を演じる。利休の展望は茶道の下に、あらゆる芸術を従える、人間をも茶道の下に置くというスタンス。永徳との対決を背景描写の一つに組み込む点がおもしろい。千利休の信念、意志力としたたかさが垣間見える。
*永徳と武将との人間関係。信長は別格として、最初に本書のテーマ絡みで取り上げた。それ以外では、まず永徳と秀吉との関わりである。ささやかな事から始まり、天下人秀吉との面談場面にまで、点描風な関わりの場面描写でステップアップしていくおもしろさがある。
永徳と松永弾正との人間関係。信長以前の京都での関わりから、安土城での障壁画制作への弾正による橋渡しなど、要所要所での弾正描写は、永徳に信長を感じさせる間接話法的な描写になっていて興味深い。弾正についての永徳視点での評価描写も同様に考える材料になる。
永徳と明智左馬助の人間関係。左馬助の登場も要所要所のスポットだけだが、永徳との関わりがおもしろく描かれている。その登場場面はこの時代の風潮と気風をうまく漂わせることに役立ってもいる。
他にも色々な人物が登場するがこれだけの人間関係でも、永徳を取り巻く人間関係構図が絵師永徳を支え、阻み、引き上げ、引き落とし・・・・と作用していく。ひたすら絵だけを描きたいという画狂永徳を放っておかないのである。逆に、この人間関係構図があったからこそ、永徳の独自性のある絵が創造される土台になり、肥やしになったとも言える。そんな感想を抱いた。
ご一読ありがとうございます。
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本書からの関心の波紋として少し調べてみた結果を一覧にしておきたい。
唐獅子図屏風 右隻:狩野永徳 :「宮内庁」
唐獅子図屏風 :「Salvastyle.com」
源氏物語屏風 伝狩野永徳 :「宮内庁」
狩野永徳の代表作品・経歴・解説 :「Epitome of Artists 有名画家・代表作紹介、解説」
永徳の信長像や探幽の障壁画 京都・大徳寺、16日から特別展 2017.9.15 :「京都新聞」
狩野永徳筆、織田信長像に関する解釈の余白に :「無題」
織田信長像 :「MUSEY」
洛中洛外図屏風(上杉本) 狩野永徳 :「Canon 綴TSUZURI」
狩野永徳と長谷川等伯の二大国宝!この驚くべき付合はいったいなんだ!
:「INTOJAPAN」
龍虎図屏風 長谷川等伯 :「Canon 綴TSUZURI」
春季特別展「光悦・等伯ゆかりの寺 本法寺の名宝」:「茶道総合資料館」
平成26年の特別展 波龍図屏風 長谷川等伯筆 この画像の掲載あり
狩野永徳 :「コトバンク」
狩野山楽 :「コトバンク」
長谷川等伯 :「コトバンク」
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こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『三人孫市』 中央公論新社
『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』 Gakken
この第2作は、そのタイトルに「安土」と冠することから、今は焼尽して跡形もない安土城に、永徳が絵筆を振るったプロセスが描かれるということが構想の中心になっているのだろうな、と想像させる。当然、それは織田信長という天下布武のビジョンを抱く男と絵の世界では己が覇者と自負する永徳という男とが、このストーリーでどのような心理合戦を展開するだろうか、という興味をまず抱いた。
この小説を読み、著者のパースペクティヴはもっと広がりを持っていたので、期待を裏切られなかった。全体の構想と展開の時間軸が思っていたよりも長く、全体のストーリー構造を入り組ませていて、おもしろ味を倍加している。つまり、このストーリーの全展開の中で、信長の要求に応えて信長を唸らせる障壁画を描き安土城内部を飾る、そのための構想と作品化に永徳が苦しみもがき、仕上げていくというプロセスは、勿論最初の大きなピークに位置づけられている。つまりそれだけを描くストーリーではなかった。
その後にくる安土城炎上により、永徳の画業の結晶が焼尽してしまう。そう、本能寺の変、秀吉の中国大返しによる明智光秀の敗退とその敗退プロセスの波紋の一つとして発生する安土城炎上。狩野家の惣領永徳といえども、如何ともしがたい状況の展開となる。一絵師永徳がその状況の中でどう対応したか。著者は永徳の心理面と行動面をフィクションを交えながら描き挙げていく。これがそれに続く山場となる。それは絵師永徳の心理的存亡、実存に関わって行く時代の変転である。
著者は本書の最終コーナーで、安土城炎上後の永徳がまず何をしたかの場面を描き加えて行く。父松栄の許にもたらされた絵の依頼。大徳寺塔頭・聚光院の方丈建立に伴う襖絵を描くという仕事である。それは永徳の心境転換のトリガーとなり、新たな挑戦への始まりなのだ。狩野永徳が狩野派惣領としての世俗での道と、他絵師の追随を許さぬユニークな絵師として画技・画境の高みへと邁進する孤高の道を如何に両立させるかへの挑戦でもある。自らを画狂と思い定めた永徳の再スタートとも言える。
わずか23ページで描き出される場面であるが、このストーリーの構想の中では、実に重みを持つ場面とも言える。そこに、その後の永徳と対決する人物達がちゃんと組み込まれている。
そして、「終」の章では、秀吉の依頼を受けた信長の追善絵を、新たな天下人となった秀吉自身に届けて見せる場面を加える。その対面の場で、安土城本丸に描いた障壁画を描き直したものという、唐獅子の障壁画を永徳は秀吉に贈る。
「これを、お納めくだされ」
「よいのか? 斯様なものを」
「天下人の下でこそ輝く絵でございましょう」
その後に、次のやり取りがこの対話のエンディングになる。
「天下一の絵師、狩野永徳よ、今後も傍近くにあり、絵を描け」
「はっ」
この永徳と秀吉の対話場面の後に、この小説の最後のしめくくり9行の記述がある。
いくつかの山場とそのストーリー展開を構成したいくつかの人間関係軸の渦中に居た永徳の思いが凝集されている。『安土唐獅子画狂伝』は、この9行を氷山の見える先端として示すために、描き込まれた背景と言えるかもしれない。
さらに、聚光院の障壁画制作場面とこの「終」の場面は、画狂伝狩野永徳の第三作への伏線になっている。そんな気がする。
さて、このストーリーの構想・展開での奥行きを深め、読者を惹きつけるとともに、この時代を考える側面としての素材にもなる永徳に絡めた人間関係構図をご紹介しておきたい。これらの視点・次元を異にする人間関係の組み込み方、絡ませ方がこのストーリーを楽しませ、味わわせる仕掛けでもあると思う。箇条書き的に列挙してみる。
*永徳とその妻廉の関わり方。二人の間に、四郎二郎・宰相と名づけられた息子たち居る。この家族と永徳の人間関係が底流に流れている。絵のことしか心にない永徳を廉がどのように眺めているか、対応しているかが描き込まれる。絵を介した息子たちと永徳の関係も興味深い。画狂と称される由縁の一端がここにある。
*織田信長と狩野永徳の絵画次元での心理合戦の繰り広げという人間関係。お互いに相手を折るというスタンスの生き様が彩なす展開がワクワク感を抱かせる。
*狩野派という絵画集団における人間関係。絵師としての世俗での柵が背景となり、戦国時代の絵師の有り様や伝統と才能、生活の基盤などがリアル感を加える。父・松栄と永徳の弟・宗秀描かれる。
*狩野永徳と長谷川信春とのライバル予感としての人間関係。永徳の前に「信」と記された絵馬の小さな龍の絵図から始まり、長谷川が狩野派に入門し、ある理由で永徳が破門するという関係。永徳が長谷川の絵に、絵師としての闘争心をかきたてられる。要所要所で長谷川が登場して来るから興味深い。
*狩野永徳と海北友松の人間関係。年長の友松が狩野派の画業では永徳の弟子となる。このねじれた人間関係がストーリーの背景に隠れながら、重要な場面で友松が黒子的に登場する。永徳が心にかける弟子、絵を続け大成を期待する弟子でもあり、ある意味で相談相手として登場するところがおもしろい。友松の人生の一端を垣間見せる取り上げ方になっている。
*秀吉が永徳に木村彦一を絵師の卵として紹介し、弟子という形で託すところから始まる人間関係。木村彦一、後の狩野山楽の登場である。当初その姿にこの世のすべてを恨むというスタンスに危うさを永徳は感じる。だがその彦一が、この安土城での障壁画制作の始まりから、無くてはならない貴重な弟子となっていく姿が描き込まれる。二人の人間関係がこの第2作のテーマでは重要なものとなっていく。
*永徳と千利休の人間関係。絵師永徳の生き様にとり重要なポイントとなるところで、千利休が登場する。絵師永徳は、利休が関わる「茶」それを茶道にせんとする姿を認めない。異なる次元で天下一を目指すというズレの妙味の中での人間関係が点描される。利休は長谷川信春を世に押しだそうという立場で、永徳との確執関係を演じる。利休の展望は茶道の下に、あらゆる芸術を従える、人間をも茶道の下に置くというスタンス。永徳との対決を背景描写の一つに組み込む点がおもしろい。千利休の信念、意志力としたたかさが垣間見える。
*永徳と武将との人間関係。信長は別格として、最初に本書のテーマ絡みで取り上げた。それ以外では、まず永徳と秀吉との関わりである。ささやかな事から始まり、天下人秀吉との面談場面にまで、点描風な関わりの場面描写でステップアップしていくおもしろさがある。
永徳と松永弾正との人間関係。信長以前の京都での関わりから、安土城での障壁画制作への弾正による橋渡しなど、要所要所での弾正描写は、永徳に信長を感じさせる間接話法的な描写になっていて興味深い。弾正についての永徳視点での評価描写も同様に考える材料になる。
永徳と明智左馬助の人間関係。左馬助の登場も要所要所のスポットだけだが、永徳との関わりがおもしろく描かれている。その登場場面はこの時代の風潮と気風をうまく漂わせることに役立ってもいる。
他にも色々な人物が登場するがこれだけの人間関係でも、永徳を取り巻く人間関係構図が絵師永徳を支え、阻み、引き上げ、引き落とし・・・・と作用していく。ひたすら絵だけを描きたいという画狂永徳を放っておかないのである。逆に、この人間関係構図があったからこそ、永徳の独自性のある絵が創造される土台になり、肥やしになったとも言える。そんな感想を抱いた。
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唐獅子図屏風 右隻:狩野永徳 :「宮内庁」
唐獅子図屏風 :「Salvastyle.com」
源氏物語屏風 伝狩野永徳 :「宮内庁」
狩野永徳の代表作品・経歴・解説 :「Epitome of Artists 有名画家・代表作紹介、解説」
永徳の信長像や探幽の障壁画 京都・大徳寺、16日から特別展 2017.9.15 :「京都新聞」
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狩野山楽 :「コトバンク」
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