遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『風神雷神』 風の章・雷の章   柳 広司   講談社

2018-05-23 16:46:53 | レビュー
 本書のタイトルを見た時に、俵屋宗達に関連している小説か・・・・と想像した。その通りだった。俵屋宗達の伝記風ストーリーと著者自身の宗達作品と時代観に対する解説・評論という現代視点とをクロスオーバーさせた小説という読後印象を抱いた。そのスタイルは司馬遼太郎の系譜に繋がると感じた。もう一つ連想したのは、ストーリーの展開にスライドショー的な構成の印象を抱いた点にある。
 奥書を読むと、この作品は「小説現代」の2016年11月号~2017年6月号の連載に加筆修正し、2017年8月に2分冊(風の章・雷の章)の単行本として出版されている。本のカバーには、勿論宗達の風神と雷神がそれぞれカバーを飾っている。

 読むときはブックカバーをして読んでいたので、全く意識していなかったのだが、読み終えて2冊並べてみて右から「風の章」「雷の章」と最初置いてみてはたときづいた。あれ、おかしいな・・・・・。そう、「風の章」には雷神像(屏風左隻)、「雷の章」には風神像(屏風右隻)と逆にカバーの装画として利用されている。一方で、カバーの本書タイトル「風神雷神」は横書きになっているので、2分冊の横書きに章名を付けるなら、左に「風の章」、右に「雷の章」となり、順当といえるのかもしれない。これ自体が結果的におもしろい気づきだった。

 さて、「風の章」は「1 醍醐の花見」というセクション見出しから始まり、「13 鷹峯」までの13コマ、「雷の章」は「14 扇は都たわら屋」から「25 風神雷神」までの12コマで構成されている。初出が連載小説という媒体手段の性格もあるのかもしれないが、各セクションがそれだけで読み切り短編小説としてもまとまりのある形式になっている。1セクションが1つの画像のコマのようなイメージで1コマの映像がスライドを見るように切り替わっていくという印象が強い。次はどんな映像場面になるか・・・・そんな感じである。

 この小説の冒頭が「醍醐の花見」の場面である。俵屋の商品・扇を提供する機会を養父の仁三郎が確保したのに対して、番頭喜助とともに扇提供の仕事に伊年(後の宗達)が携わるという場面。この場面で伊年が俵屋の養子となった経緯、伊年の風貌・人柄を、一陣の突風に散る桜と扇の映像とともに、まず読者に印象づけていく。修行時代に居る二十代半ばの伊年の描写から始まる。
 秀吉による「醍醐の花見」は知っていたが、その裏話・背景知識はほとんどなかった。この1コマから、結構おもしろい裏話解説を読み、そういう副産物にのっけから私は惹きつけられた。ああ、そんな背景があったのか・・・・と。知るという事は事実理解の奥行きを広げてくれて楽しい。有力武将による即席の茶屋が8カ所設けられたということは、醍醐山を登ったことがあり説明書で知っていた。著者はこの茶屋に言及するときに、「即席の茶屋(こんにち言うところのパリオン)」などと、括弧書きで現代的解説をポンと付け加えている。こういう読者向け解説が各所に出て来くる。一般読者には連想のしやすさ、読みやすさに繋がって行く。付加された解説の面白さを楽しむということにもなる。もちろん、それを煩わしいと感じる読者もいることだろう。

 著者はこの伝記風小説の構成においていくつかの軸を設定し絡ませていく。
 その1つは俵屋の養子となった天才絵師伊年が一世を風靡した俵屋宗達という存在になるプロセスを描き出す。宗達に大きな影響を与え、宗達の力量を引き上げる役割を果たした人物たちとの関わりの進展というストーリーの軸である。
 それが、「風の章」では本阿弥光悦であり、そのトリガーとなったのは、「嵯峨本」創造の経緯である。「風の章」は本阿弥光悦が一族とともに鷹峯に移転することになり、紙屋宗二(後の宗仁)は光悦に従い鷹峯移転組に加わり、伊年はこの時点で光悦とは一線を画し、洛中に留まる選択をする。
 「雷の章」では、光悦からのバトンタッチを受けたかのように、思いも寄らぬことから、公家・烏丸光広が現れ、伊年に仕事を依頼するところから、伊年にとって新たな画業へのチャレンジが始まるというストーリーが描かれて行く。そして「風神雷神図屏風」はこのストーリーの最後の一コマに忽然と登場することになる。その登場のしかたが興味深いし、最後の読ませどころとなる。

 2つめは、伊年(宗達)と関わった女性たち。伊年(宗達)と女性たちとの三者三様の関わり方が、ストーリー展開の中で織り込まれていく。
 最初の一人は、出雲の阿国である。修行時代の伊年の画力を見抜いた阿国が伊年に会ってみて、扇絵を依頼するという所から、断続的に伊年との関わりがつづく。画業を工夫し広げ、画境を切り開きつづける伊年にとって、阿国は心中に居座りつづける存在となる。伊年と阿国の関わりは史実を含むのか、著者の加えたフィクションなのか・・・・不詳。著者は出雲の阿国が日本人町が形成されていた東南アジアまで、興行に遠征していたという描き込みをしている。
 二人目は、本阿弥光悦と角倉与一(後の素庵)・紙屋宗二・俵屋伊年たちが、「嵯峨本」制作という企画で結びつきができる時に登場する。本阿弥光悦の娘・さえである。彼女はなぜか宗達に恐れを感じる。光悦を介して娘さえが登場し、宗達の人生で生涯人間関係の糸が繋がっていく存在、伊年からすれば不可思議な女性としてストーリーに織り込まれていく。
 三人目が、伊年の妻となったみつである。一種独特な伊年という存在を、その画才の天分が発揮された作品を介して理解し、受け止める妻という視点から、みつの思いと行動が織り織り込まれていく。工房と扇商の運営という俵屋の家業を支えていくみつと、みつから見た伊年(宗達)観が描かれる。
 この3人が一緒に、醍醐寺の一座敷で「風神雷神図屏風」を眺めるという最終の場面がおもしろい。三者三様の宗達像が描き出される。

 3つめは、宗達の人間関係を宗達の側から点描的に描き込んで行く軸である。
 これはそれぞれの人物に対する伝記風叙述と言う側面を持つ。角倉与一(後の素庵)とその父・了以。紙屋宗二(のちの宗仁)。本阿弥光悦。烏丸光広。出雲阿国。三宝院門跡の義演と覚定。印象深い人たちである。

 そして、これら3つの軸に交わり響き合う形で、著者が現代的視点からの作品解説・時代観や評論を各所に織り込んで行く。文字で語られるストーリーに、解説による宗達作品の映像化、読者に対する宗達作品鑑賞への手引きが加えられる。また宗達並びに宗達と関わりを深めた人々が生きて活躍した時代の背景や位置づけを分析的に解説したり補足説明したりしていく。この補足により、読者には宗達の画業領域の変遷が理解しやすくなる。人々の欲求の変化や意図も同様に納得度を高めて理解できる。このあたりの織り込み方から、この小説が司馬遼太郎の小説スタイルの系譜に連なるもと私には思える。俵屋という工房を備えた扇商のビジネス展開に対する評論的視点も興味深い。
つまり伝記風時代小説が現代的視点の書き加えとクロスオーバーし、相乗効果を生み出している。このストーリーを読み、その延長線上で宗達作品や関係場所を実見したくなる。
 一つは作品鑑賞の手引き的な解説がかなり詳細に組み込まれている。「9 豊国大明神臨時大祭」中の六曲一双の屏風絵の説明、「11 鶴下絵三十六歌仙和歌絵巻」での伊年の思いを介しての下絵と光悦文字とのコラボの秘密についての説明、「18 蔦の細道図屏風」中での屏風絵の解説、「21 関屋澪標図屏風」中でこの構図の発想について具体的に述べられていく。裏屏風という騙し絵の手法が取り入れられているという説明まで加えられている。勿論、宗達と烏丸光広が説明するという筋立てになっている部分もあるが。

 もう一つは宗達等が生きた時代の社会構造や価値観、時代潮流などに解説を加えていることが挙げられる。それは時代を知る手引きともなる。たとえば「風の章」を改めて通覧してみると、「2 御用絵師と絵職人」での両者の違いを解説、「4 若者たち」には秀吉の晩年の行動が書き加えられている。「7 本阿弥光悦」の中では本阿弥家の家業説明、「8 紙師宗二」では、紙と料紙の違い、料紙の加工についての説明、「10 嵯峨本」での嵯峨本自体の解説、という風にこれらのセクションにこの視点が色濃く織り込まれている。「雷の章」から例を挙げると、「16 養源院」では養源院の創建とその存続に絡まる複雑な因縁話の解説が興味深い。この話が宗達筆による養源院の板戸絵の背景となり、宗達画を一層引き立てることになっていく。宗達筆「白象図」等と「血天井」を養源院に行き現地で拝見したくなるだろう。「19 紫衣事件」「20 法橋宗達」においては紫衣事件の顛末とその後の徳川政権の政策に対する補足説明があり、この時代を知る上で役立つ。

 俵屋の扇商ビジネスが宗達の下でどのようなビジネスに拡大し多角化していったか。そして時代の変化にどう対応し、どういう新基軸を組み込んで行った。この側面での補足説明が分かりやすい。そして、俵屋のビジネスが後に衰退する予測も織り込んでいる。

 俵屋宗達が、本阿弥光悦、烏丸光広の要求課題にチャレンジして、絵の新しい世界を次々に切り開いていく形でストーリーが展開する。
 「宗達が描いたから『風神雷神図』は屏風絵になった。」
 この二曲一双の絵が描かれたことで、一つの新しい世界が開かれた。著者はこの画境で宗達の人生を締めくくる。それを醍醐寺の座敷で目にした阿国・さえ・みつの3人の女性が、それぞれ三者三様に宗達を受け止めなおすところで終わる。

 次々とスライドの映像を眺めて行くように、場面がスピード感のある転換をつづけ、読者を惹きつけていく。一気に読み進めた。
 本阿弥光悦、烏丸光広との出会い、コラボレーションの仕事がなければ、宗達の「風神雷神図」が創造されることはなかったのではないか・・・・・。そういう気にさせられた。

 この作品で。また一人、私は新たな作家と出会う機会を得た。

 ご一読ありがとうございます。


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この作品からの波紋で検索してみた結果を一覧にしておきたい。
風神雷神図屏風  俵屋宗達  :「京都国立博物館」
風神雷神図屏風  尾形光琳  :ウィキペディア
風神雷神図屏風 酒井抱一 :「Salvastyle.com」
風神雷神図  :ウィキペディア
鶴図下絵和歌巻  :「京都国立博物館」
重要文化財《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》 本阿弥光悦筆・俵屋宗達画 京都国立博物館 琳派 京(みやこ)を彩る  YouTube
白象図 (養源院)
連続講座「宗達を検証する」第九回資料 2014.2.22 林進氏 pdfファイル
宗達筆扇面流図屏風写真集. 第1集  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
「Gold - 金色の織りなす異空間 - 」 大倉集古館 9/16
  宗達派の「扇面流図」(17世紀)の画像が載っています。:「はろるど」
国宝 俵屋宗達筆 源氏物語関屋澪標図屏風  :「静嘉堂文庫美術館」
俵屋宗達「蔦の細道図屏風」  :「足立区綾瀬美術館ANNEX」
俵屋絵師からみた宗達-「蔦の細道図屏風」と「伊勢物語図色紙」 林進氏 pdfファイル
伊勢物語(嵯峨本) 将軍のアーカイヴズ :「国立公文書館」
伊勢物語 :「関西大学図書館 電子展示室」
花下遊楽図屏風  :「東京国立博物館」
幻の屏風を復元!きらびやかな「醍醐の花見」を体感してほしい :「Readyfor」
紙本金地著色南蛮人渡来図〈狩野内膳筆/六曲屏風〉 :「文化遺産オンライン」
洛中洛外図屏風(上杉本)  :「Canon 綴TSUZURI」
四季花木図屏風
豊国祭礼図屏風  :「京都で遊ぼうART」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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