遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『聖地巡礼 リターンズ』 内田樹×釈撤宗  東京書籍

2018-08-10 10:17:50 | レビュー
 『聖地巡礼』がシリーズ化されていて、2016年12月に第1刷が発行された本書が第3作になる。私にはこれが初めて読む本である。いずれ遡って他の2書も読んでみたいところ。さて、なぜまずこの本が目に止まったのか? それは表紙に記された副題「長崎、隠れキリシタンの里へ!」にある。
 ごく最近、6月30日に国連教育科学文化機関(UNESCO)第42回世界遺産委員会が、長崎県・熊本県の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を世界文化遺産に登録すると決定したというニュースを目にしていたことと、遠藤周作著『沈黙』を想起したことで、副題に惹かれたことによる。合わせて、先日読んだ葉室麟のエッセイ集に収録されていた「殉教」も影響している。

 本書は3日間でキリシタン関連の聖地を取材ナビゲーターと著者及び巡礼部というグループに参加した人々が巡った記録である。ここで言う記録は取材ナビゲーター(下妻みどりさん)の現地案内を皮切りに、内田樹と釈撤宗が現地巡礼中に対話した内容を全面再構成、加筆・修正したものが一つの柱となっている。これは現地やバスでの移動中に、巡礼部のメンバーの間で二人の著者が語り合った印象や思い、考え、歴史的背景説明などの内容が整理再構成されたのだろう。それと、宿泊先で、巡礼部の人々を対象にして釈徹宗が講話を行い、釈と内田が対談した内容が収録されている。
 つまり、語りかけスタイルの文字起こしが基になっているので、読者にとっては読みやすいといえる。それ故、弱みは歴史的事実説明や印象論の背景説明が深く掘り下げられていない感が残る。ポンと結論的な所見が述べられたにとどまるところが散見される。それは逆に、現地巡礼での霊性感能や印象を重視しているということかもしれない。

 本書は最初の2日間が長崎巡礼、3日目が京都と大阪での巡礼を合わせたものとなっている。
 1日目は「長崎とキリシタン」と題して、次のルートが巡られることになる。
   春徳寺(トドース・オス・サントス教会跡)⇒サント・ドミンゴ教会跡資料館⇒長崎県庁
     ⇒二十六聖人殉教地⇒浦上天主堂⇒原爆落下中心地⇒大浦天主堂
   宿泊先での夜の「講話と対談」の対談の中で、キリシタンの島、五島について、
   そのいくつかの地にある教会の全景写真の紹介と対談が含まれる。
 2日目は「隠れキリシタンの里へ」と題し、西彼杵半島西部の外梅(そとめ)地域である。
   サン・ジワン枯松神社⇒カトリック黒崎教会⇒バスチャン屋敷跡
     ⇒カトリック出津(しつ)教会⇒旧出津救助院⇒大野教会堂
 3日目は「京都と大阪のキリシタン」と題して、次のルートが巡られる。
   [京都] 妙満寺跡(二十六聖人発祥の地)⇒一条戻橋⇒椿寺(西ノ京ダイウス町周辺)
     ⇒[茨木] 茨木市キリシタン遺物資料館⇒カトリック高槻教会

 長崎の聖地巡礼において、著者の一人・釈は「信じる」と「共苦」をテーマとして設定したという。「信じる」が人間にとってどのような事態なのかをテーマとする。「共苦」は共に同じ痛みや苦しみを感じることとだと言い、仏教における慈悲の中の「悲」(カルナー)の部分であり、英語では「コンパッション」と訳されていると言う。そして「共苦」を考えるとき、「聖地というのは悲劇を求心力へと変換させる装置」(p19)ととらえている。 さらに、キリスト教は「信仰のあり様を問う」という「内面重視型」ととらえ、ユダヤ教が「どう行為したか」という「行為重視型」の宗教であると両者を識別している。つまり、「内面重視型」である故に、「隠れキリシタン」が成り立ったという。また「内面重視型」は浄土真宗にも似た側面があるとしている。
 この巡礼は、キリシタンの聖地が「信じる」と「共苦」にどのように変換装置の役割を果たしているかを現地で感じ取ることにあるようだ。通読して、著者は現地に立ち、「信じる」と「共苦」という観点で、大いに感応した事実が記されているといえる。

 本書の特長は、長崎とキリシタンの関係する史跡(聖地)について、どこをどのように訪ねるとと有意義かというガイドブックになる点がまず挙げられる。それが行程表と史跡立地図として掲載されている。
 第2に、本書で取り上げられた聖地において、何をどのように見ることができるか、そこがなぜ聖地とされるのか、著者はどう感じたのか、ということが、対話の形で記録されていることである。感じる背景として、歴史的経緯や関連知識が提供されている。この点が、定型的な一般観光本との相違点である。
 第3に、聖地巡礼の行程で問題提起している事項がいくつかある。著者の意見にすぎないと斬り捨てることもできるだろうが、一方で、辛口意見として、読者には考える材料提供となっている。本書にひと味付け加えている点でもある。

 第2の特長について、いくつか要約あるいは引用してみる。
*現在、臨済宗春徳寺となっている場所は、もともと寺があり廃寺となった場所が1569年に長崎氏より修道士ガスパル・ヴィレラに与えられトードス・オス・サントス教会となった。寺も裏手が墓地であり、その墓地の有り様が「長崎宗」とよべるほどの特異性を表している。道教的要素も入っている形式である。更に、裏山は「唐渡山(とどさん)」と呼ばれ、そこに「龍頭厳」がある。この山は最初に領主が城を作ろうと考えた所とも。
 長崎における宗教体系がクロスしている立地を、教会にしたという炯眼。p32-46
*浦上天主堂は長崎に投下された原爆の爆心地から500mほどの位置にある。広島の原爆ドームは残されたが、長崎の浦上天主堂は残されず、現在のように再建された。なぜ、残されなかったのか。当時は長崎の旧市街と浦上との関係において、差別・偏見があった。また、キリスト教会の上に原爆が落ちたことで、キリスト教徒が爆弾を落としたことになる。この時、仲間の外国人捕虜がいる収容所まで破壊している。アメリカのキリスト教関係者がその痕跡を残さないで、再建することに尽力した。当時の長崎市長は当初天主堂を残そうとしたが、訪米し帰国後方針を転換した。   p88-90,p200-204
*「二十六聖人殉教」「聖トマス西と15殉教者」などの「殉教」、隠れキリシタンの信者達に「七代後まで信仰を守り続ければ救われる」と語った「バスチャンの予言、「信徒発見」は、どれひとつとってもみても、強烈な物語である。
 「信徒発見」とは、1864年にプチジャン神父が長崎に来たとき、一人の浦上のキリシタンの女性が、「あなたの胸の内と私たちの胸の内は同じです」と告白し、「マリア様の御像はどこ」とプチジャン神父に尋ねた。プチジャン神父が鎖国の250年を経た日本に信徒がいたことを発見した瞬間であり、世界のキリスト教徒を震撼させたという。そのときのマリア像が今も大浦天主堂にある。
*出津救助院のマリア像の下には、「信」「望」「愛」の三文字が彫られている。そこには日本で布教活動を行ったイエズス会やフランシスコ会というカトリックの戦略性の高さが表れている。
 「日本人には三位一体を前面的に出した教義は受け入れられないだろうと考え、信仰のヒーデス、希望のエスペランダ、そして愛の実践であるアリダーデ、この三本柱で教えを展開した。つまり、自分たちのロゴスを押し付けるより、相手に合わせた教えを前面に出した。」(p211)キリスト教の身体化・土着化が優先されたという。
*「宗教的迫害の対象になることは、強烈な選民意識を刺激するはずです。ネガティブではあるけれど、劇的な高揚感があるはずで。宗教的迫害にしても殉教にしても、やはりそれはひとつの『生き方』として選択されている。激しい痛みや苦しみの代償として、必ずそれに拮抗する強烈な『プラスのもの』が与えられていて、それが拮抗している。」p286*「長年にわたってキリシタンの水脈が途切れなかった最大のファクターは、やはり『殉教』ですよね。殉教者が出ると、その土地の大部分の人が負い目を課せられる。そんなことができる人は数少ないわけですから。『自分だったらとてもできない』という負い目を背負いながらも、殉教者に対する強烈な憧れがある、そんな屈折したものがあるからこそ250年もの間、地下に潜伏しても続いていた」p286

 第3の特長について、いくつか取り上げておこう。

*長崎の平和公園に設置された「被曝五十周年記念事業碑」は、彫刻としてマッチングしていない。「ちょっとねえ。美術品としていかがなものかという感じ。なぜバラの付いたスカートなんでしょうね」(p92)「善意と思いを込めてつくっても、造形がよくなるわけではありませんからね。」(p92)「こういう作り物じゃなくて、さっき見た浦上天主堂のレンガや鐘楼のほうが歴史の重さがずっと重たく伝わると思うけど」(p92)
*キリシタン聖地を訪れた結果、「やはり遠藤周作の影響が大きいですね。遠藤周作自身のキリスト教に対するアプローチがしみこんでいますね」(p199)そして、遠藤周作を相対化する必要性を提言している。風景の解釈を固定化しない工夫がいると提言する。
 「ある土地についての物語はやはり複数のレベルで、複数の語り口によって語られる方がいいんじゃなかな。もとからある物語も、他の物語が並立することでまた活力を得るわけですから。」(p200)
*「やはり浦上天主堂は破壊された姿のまま残したかったですね。」「原爆ドームと浦上天主堂では発信されるメッセージの水準が違いますから、広島の原爆ドームは産業会館という実用的な建物ですけど、天主堂はカトリックの聖堂です。『君たちは原爆でこれを破壊したのだ』と突きつけられたときの衝撃がまったく違うでしょう」 o203-204

 第3日目の「京都・大坂とキリシタン」について、私の知らなかった事実をいくつか覚書を兼ねて要約しておきたい。詳しくは本書をご覧いただきたい。
*二十六聖人発祥の場所が、旧妙満寺跡であること。
*円町駅の近くの元阿弥陀寺跡あたりはかつて西の京ダイウス町と呼ばれた。
*西大路通一条東入ルに椿寺がある。椿寺には、キリシタンの墓が残っている。
*大阪府茨木市の千提寺の山中から十字が刻まれた墓碑が発見された。「上野マリア墓碑」これにより、茨木市の隠れキリシタンの存在が証明された。
*大正9年(1920)9月に、千提寺の旧家から「あけずの櫃」として継承されてきた中から「聖フランシスコ・ザビエル像」が発見された。現在は神戸市立博物館所蔵となっている。
*カトリック高槻教会は「高山右近記念聖堂」として知られている。
*聖者はキリストの模範に忠実に従い、実行した人物に行なわれる称号で、殉教か奇跡が要件となる。列聖には、その人が仲介役を果たした奇跡がふたつ必要という。


 些末な事だが、第1刷には目立つところに校正ミスがある。目次では正しいのだが、本文の見出しが「講和と対談-宿にて」(p112、講話である)、3日目の本文は正しいのだが、ルート表示のページ(p116)が「四条戻橋」(正しくは一条戻橋)、という凡ミスである。こういう箇所の誤植は珍しい。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
国宝 大浦天主堂 ホームページ
大浦天主堂(日本二十六聖殉教者天主堂) :「ここは長崎ん町」
浦上天主堂 :「長崎市 平和・原爆 周辺マップ」
長崎 浦上天主堂(浦上教会) :「ここは長崎ん町」
撤去された「もう1つの原爆ドーム」 長崎・旧浦上天主堂を写した幻のカラー映像
      :「BuzzFeed News」
長崎原爆投下70周年 : 教会と国家にとって歓迎されざる真実 :「マスコミに載らない海外記事」
平和公園  :「長崎市」
外海から世界遺産を 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産 :「そとめぐり」
枯松神社 長崎県外海 :「Travel.jp」
枯松神社と祭礼 『人類額研究所 研究論集』第1号(2013) pdfファイル
長崎・天草「潜伏キリシタン」が世界文化遺産に 隠れキリシタンとは違う?:「HUFFPOST」
ド・ロ神父の奇跡  :「旧出津救助院」
『沈黙-サイレンス-』本編映像”踏み絵”  :YouTube
『沈黙-サイレンス-』日本版特別映像  :YouTube
長崎県生月島 現在に生きる隠れキリシタンたち  :YouTube
信徒発見とキリシタンの歴史   :YouTube

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