遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『聖地巡礼 ビギニング』 内田 樹×釈 徹宗  東京書籍

2018-09-02 10:45:31 | レビュー
 『聖地巡礼 リターンズ』の副題に関心を抱き読んだ。先般ご紹介している。その時、これがシリーズで発行されていて第3作と知り、私は逆に第1作にリターンすることにした。
 「まえがき」で、既に第3作を読み感じていたことが「理由」として記されていた。本書が第1作なので、この「ちょっと変わった対談本」のその変わったと感じさせる理由にふれておこう。1)著者たちの対談の90%は、聖地巡礼の移動途中の車中や歩行中と神社仏閣を巡りながらの対談がベースとなっている。2)一日の聖地巡礼終了後、釈の法話(/講話)と内田・釈両人の短いやりとりのまとめがある。3)「聖地を歩く」という実践の記録になっている。4)巡礼部(二十名余の参加者)と称されるグループがこの聖地巡礼に同行し、法話(/講話)後に多少の質疑・意見交換のセッションが組み込まれ、記録化されている。巡礼部は「3人目の著者」とも言える。
 そのため、この「聖地巡礼」の目的は、「霊的感受性を敏感にして『霊的なものの切迫を触覚的に感じること』」(p4)に置かれたという。この対談集は、とりあえずの「時間つぶし」対談と「ひとつの主題について徹底的に掘り下げる」対談の中間あたりの位置づけ内容になっている。巡礼地について、基本的でまあ最小限の背景知識について、釈が情報提供し、内田がそれに関連して、多少の感想や確認、疑問、突っ込みを入れる。内田・釈が聖地に立ち、見て・感じたことが主観的な感性発言として発せられ、記録されている。聖地における「霊的なものの切迫」を著者達が感受して、発したことの記録への興味やおもしろさが溢れているともいえる。読者は現地に赴いてみないとその実感を論じられない。勿論、その聖地に足を運んだからと行って、同じレベル・次元の感性でそこに佇めるかどうかは別物である。一方で、著者達が現地で何を見て、そう発したのかの一端のヒントをえることにはなるだろう。
 つまり、著者が選び出した「聖地」への巡礼のガイドになる。そのプロセスを机上で楽しみながら背景知識を得て、比較的気楽に読め、読みやすい対談集になっている。

 本書は「ビギニング」ということからか、まずは近畿のど真ん中の聖地巡礼を取り上げている。つまり、大阪・京都・奈良という3章構成になっている。読後印象も交えて、各章への導入として、ご紹介してみたい。

第1章 大阪・上町台地
 「かすかな霊性に耳をすませる」という章見出しは反語的ですらある。つまり、聖と俗があまりにも混雑していることによる。お寺の隣りにラブホテルという場所もあるとか、都市計画なき雑多なビル林立の景観へと様変わりしているなどの実状による。大阪人の釈が大阪を批判的に語るスタンスがおもしろい。東京人の内田の発言もそれに輪をかけている感じである。
 この大阪編では、釈自身が、「実はここは歩いても聖地という感じはあまりしません。むしろ、雑多といいますか、いろんなものがごちゃごちゃしている。ですから、こちらのアンテナがよくないとなかなか拾えません。」と。聖地巡礼のビギニングとして、聖地に対する「感度を高めるために、あえてこの場所を選ばせていただきました」(p43)と初っ端で述べている。そして、かつて古い時代には上町台地の一部として砂州のように延びていた土地、そこが大阪天満宮あたりであり、ここを起点に上町台地の北から南へと聖地巡礼を行うという趣向である。本書でも、各章の冒頭にイラスト図と行程が明示されている。巡礼の全体が冒頭でわかる利点がある。ここでは、

 大阪天満宮⇒難波宮跡公園⇒生國玉神社⇒合邦辻(がっぽうがつじ)⇒四天王寺

という順路で進行し、移動しながらの対談内容がまとめられている。感性発言、印象発言が合いの手として頻繁に入る。それゆえ、おもしろいし、気楽に読める。また、ああ、ここでこんな風に感じるのは同感という俗っぽい発言もまた楽しい。一方で、釈の解説する背景知識については各章に通じるが、知らなかった基礎知識部分も数多くあり、参考になった。例えば、菅原道真の神号が「天満大自在天神」というのは知っていたものの、「天満」の意味を考えたことはなかった。これについて「これまでは無実の罪で流された道真の『瞋恚の炎が天に満ちた』意味だといわれてきましたが、大阪天満宮文化研究所の髙島幸次先生は、『満天の星』のメタファーだと説かれています。『天に満ちて自由に移動する天の神様』というわけですね」(p45)と最初に出てくる。道真は太宰府に赴く途次、ここに祀られていた大将軍社に参ったのですが、のちにそこに天満宮が創祀されたとか。そして、「大将軍社は、飛鳥時代に長柄豊碕宮ができたときに、その西北を守るための神事が起源」(p53)でああり、大将軍社は星辰信仰に関係していると。この事も初めて知った。
 ここに天満宮が創建されるきかけは、道真が参った大将軍社の前に、道真の死後一夜にして松七本が生えたという伝承によるという。だがそれは平安時代中期に、西日本の植生がそれまでの照葉樹林文化から針葉樹林文化に変化する時期でもあり、松はそれまでの照葉樹林文化での神道と天神信仰との差異を強調するシンボルに使われたと解説する。当初、道真の怨霊という形で反体制的な側面を持った天神信仰もまた神道に吸収されていく。「勧請」という行為を通じて、時代に応じ「上書きされ続ける神社」という見方が興味深い。「のち室町時代には、新しく中国から入ってきた禅が、太宰府で天神信仰と接近したため、中国人の好んだ梅が天神信仰のシンボルになっていきます」(p56)という点も、菅原道真と梅の関係に、一石を投じていて、おもしろい。
 こういう風に、上町台地を四天王寺まで行きつく過程での対談は、基本的な背景から話は壮大な文化論や東西の宗教にも展開していき、発想の広がりを楽しめる。一方で、ちょっとした話題に関連した豆知識がポンポン飛び出してくる。例えば、鬼は疱瘡の象徴で病気にかかったときの赤い顔。野口雨情の「船頭小唄」は海民の歌(鎮魂歌)。日本列島は日没を見る文化圏。夕日は宗教性に直結し日想観に結びつく。信長が大坂本願寺との戦いに手こずったのは相手が特殊技能民の集団(一例が雑賀孫市)だったから。我々の空間認識は南北のラインをまず決めて次に東西のラインを決める等々。この拡がりは、現地を歩きながらの対談故の連想でもあるからだろう。
 第1章で一つの仮説が提示されている。縄文海進期のときに海水が低地を覆い、台地が海に突き出した岬は、海と陸とが交わる場所であり、そこは異界と現世の境である。そして異界と交流できるゲートが開く特権的なトポスである。そしてそこが聖地になると。
 上町台地の場合は、それらの場所が、大阪天満宮、大阪城(大坂本願寺趾地)、難波宮跡、生國魂神社、四天王寺に相当するそうである。生國魂神社は、もとは上町台地の土地神である「生島(いくしま)」「足島(たるしま)」を祀っていたのであり、それは日本列島の土地神ということにもなるという。四天王寺の西門は、夕日を見つめる日想観が行われた場所でもある。
 第1章では、四天王寺の西門の向こうに沈む夕日の写真が末尾1ページに掲載されているのが印象的である。

 第1章で本書のイメージはおわかりいただけるだろう。以下、簡略に記す。

第2章 京都・蓮台野と鳥辺野 異界への入口
 ここで、「異界」というテーマが掲げられている。「異界への入口」とは、生と死の境界線である。つまり、古代からの葬送地の入口となった場所並びにかつての葬送地の現在の実状を歩いて感じ取るということが目指される。その行程は、

 船岡山⇒千本ゑんま堂⇒スペースALS-D⇒六波羅密寺⇒六道珍皇寺⇒大谷本廟

 船岡山は平安京をデザインするときに基点としたという説のある場所。繰り返し戦場となった場所でもある。山頂には磐座があり、聖なる場所として扱われてきた。秀吉がここを信長の廟所に定めた。その理由の推測がおもしろい。本書を読んでいただくとよい。建勲神社の創建は明治天皇の決定による。千本ゑんま堂は葬送地蓮台野の入口である。六波羅密寺では空也像を論じ、六道珍皇寺では小野篁を論じている。小野篁を「壁抜け系」の人ととらえて対談が進展していておもしろい、大谷本廟では、その東の死者の谷・鳥辺野の景観や清水寺のほんとうの姿が論じられる。この章で異色なのは、全身の筋肉が麻痺する神経難病、ALSが発症した甲谷さんが24時間体制の介護を受けながら暮らす「スペースALSーD」という町家を訪ねることにある。甲谷さんが「出家モデル」と自称する生活保護スタイルでの介護体制の実状を見聞する機会が組み込まれている。強烈な生と死の狭間にある難病発症者の生き方の見聞体験である。
 この日の法話にある印象的な文を2つ紹介する。
「あらゆるものがつながっているという立場に立つことで、人は人生の苦しみを引き受けて、生き抜くことができるんです。」(p230)
「外に賢善精進を現して、内に虚仮を懐くことを得ざれ」(善導の言、p231)

第3章 奈良・飛鳥地方  日本の子宮へ
 この奈良では「源流」をテーマとし日本の源流をたどる聖地巡礼の旅が目指される。その行程は、
      橘寺⇒大神神社⇒三輪山登拝  である。
 
 橘寺は聖徳太子誕生の寺という説がある。他にも説があるそうだ。その聖徳太子が3日間この寺で『勝鬘経』を講義したという。そして、釈は、聖徳太子が最初に重視し、自らも講義した『勝鬘経』『法華経』と『維摩経』が日本仏教のその後の方向性を決めたような気がすると論じている。「普通の生活の中に仏道がある」という方向性である。
 三輪山登拝の現地での内容は写真にも文字できない場所。勿論、本書には登拝前までと下山後のことが記されるのみである。「三輪山登拝のルール」が1ページを使い載せられている。まさに、聖地中の聖地なのだろう。その感覚は登拝体験者にしかわからないものだろう。そこには、「世俗的なものの侵入を許さないという、そういう強い意思を感じるんです」(p300)と内田は語っている。
 「日本の子宮へ」という見出しに釈が込めた思いが、この日の講話の最後に語られている。p298をお読みいただくとよい。
 最後に、巡礼部の人々も交えた対話の中で、内田が大阪、京都、奈良という3地域の霊的側面の状況を端的に表現している。これも本書を開くための関心として残しておこう。p309~310に記録されている。

 ここで取り上げられた聖地の背景知識を学びながら、おもしろく机上巡礼のバーチャルモードで楽しめる本である。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関係する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
大阪天満宮 ホームページ
府内の史跡公園等の紹介【難波宮跡(難波宮跡公園)】:「大阪府」
生國魂神社|大阪|実は凄い神社だったんだね!日本国土の守護神を祀る古社は、癒しのパワースポットだ! :「古の都」関西の神社・パワースポット巡礼
生國魂神社  :ウィキペディア
摂州合邦辻  :「コトバンク」
和宗総本山 四天王寺 ホームページ
極楽浄土を観想する四天王寺の日想観  :「OSAKA PHOTOS」
日想観  :「コトバンク」
建勲神社 ホームページ
  船岡山について
昔は怖かった船岡山  :「京都観光旅行のあれこれ」
千本ゑんま堂引接寺  ホームページ
蓮台野  :「コトバンク」
六波羅密寺  ホームページ
六道珍皇寺  ホームページ
大谷本廟(西大谷) ホームページ
鳥辺野  :「コトバンク」
橘寺  ホームページ
新西国第十番 橘寺 :「古墳のある町並みから」
三輪明神 大神神社 ホームページ

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


次の著書も読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『聖地巡礼 リターンズ』 内田樹×釈撤宗  東京書籍
『現代霊性論』 内田 樹・釈 徹宗  講談社

『街場の戦争論』 内田 樹  ミシマ社 

『ブツダの伝道者たち』 釈 徹宗  角川選書
『不干斎ハビアン 神と仏を棄てた宗教者』 釈 徹宗  新潮選書