遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『秘録 島原の乱』  加藤 廣    新潮社

2018-09-27 13:35:20 | レビュー
 著者加藤廣は今年(2018)4月に逝去した。金融証券業界から経営コンサルタントに転じ、70歳代半ばになって、『信長の棺』で文壇にデビューするという異色的存在の作家だった。特異な視点から切り込んだ時代小説で楽しませてくれている。まだ読み残している本がある。この作家にももう少し書き継いで欲しかった。また一人、愛読作家が身罷ってしまった。合掌。
 タイトルに惹かれて読んだのだが、後で奥書を見て、この小説が『神君家康の密書』の続編であり、著者の遺作になることを遅まきながら知った。編集後記によれば、小説新潮2017年8月号~9月号、2018年1月号~4月号に断続的に連載されたと記されている。まさに没する直前に脱稿していた作品である。4月7日に急逝された。通常なら連載に対して加筆修正を加えて、単行本化されることになったのだろうが、「単行本化に当たっては連載当初の記述を尊重して原文のままとした」と記されている。
 さて、本書は伝奇時代小説というジャンルの作品と言えようか。タイトルに「秘録」とある。なぜ、秘録か? それは慶長20年(1615)4月の大阪夏の陣において、大阪城内山里曲輪にある蔵の中で母淀君とともに自害したとされている豊臣秀頼が死なずに、キリシタンの明石掃部の導きにより、九州に落ちのびるというところからストーリーが始まるからである。著者は巷にある伝承・秀頼九州逃避説を取り入れ、三代徳川将軍家光の治世下で、寛永14年(1637)10月に蜂起した「島原の乱」の天草四郎が秀頼が九州で設けた子というストーリーに発展するという構想である。世に天草四郎が秀頼の落胤であるという伝説もある。つまり、既に世に存在する2つの伝説をそのまま取り入れるという手法で、史実の間隙にフィクションを巧みに織り込み、島原の乱の蜂起に至るまでのプロセスを主体に描き上げていく。だから秘録となる。
 島原の乱そのものの描写はかなり主要点の概括的描写にとどまる。島原の乱そのものは、相対的に言えば徳川幕府の将軍家光を九州に引き出し、倒幕を目指す手段的位置づけとして描かれている。島原の乱は戦略的に利用されたという視点といえよう。フィクションの世界で、島原の乱を位置づけ直したという興味深さがある。逆に言えば、抑圧されつづけたキリシタン的殉教の視点は影が薄くなり、キリシタンもまた、ある意味で外観的には兵力として利用されたというシニカルな側面で描かれている。天草四郎の下に、キリシタンとして島原での戦いの中で殉教するというのは、戦に加わったキリシタン農民ほかの内面的真実ととらえることはできよう。だが、この小説では重点の置き方が異なる点も、秘録的解釈といえようか。
 このストーリーは意外な結末を伝えて終わる。究極の当事者に限定すれば、ハッピーエンドな締め括りになっている。これ自体が究極の秘録ということになる。と、言えるだろう・・・・・。この点は、本書を開いていただき、原城壊滅の結末のつけかたとこの意外なストーリーのエンディングをお楽しみいただきたい。

 本書は4部構成に、終章が加わるという形になっている。ストーリー展開のポイントに少し触れておきたい。

 第一部 秀頼九州落ち
 真田信繁軍が赤一色に統一された姿で、徳川本陣に突撃していく様子を天守閣から見定めた秀頼は、山里曲輪に戻り自害する母の介錯をし、自らは切腹して果てる心づもりでいた。それをかつてはキリシタン大名だった明石掃部が、秀頼の決意を翻させて、九州に落ちのび、再起をはかるように説得する。そこに登場するのが、明石掃部の養女として育てられた桐姫である。秀頼は双生児として生まれ、姉が居たという。この姉が秀頼の身代わりになるという次第。この後は、明石の説得に応じた秀頼が、九州に落ちのびるプロセスが具体的に描かれて行く。このプロセスは結構、説得力がある記述である。
 最終的には、薩摩加治木にある島津維新斎の館に至る。家督を家久に譲っていた維新斎は、一存で秀頼を薩摩藩内で保護する訳にもいかず、秀頼を木下藤吉郎として、家久に面談させる。秀頼を助ける忍びの六郎太が薩摩藩の弱みを俎上に駆け引きをし、家久を一応説得する。その結果、秀頼は、千々城の城代として住むことになる。
 ここまでのプロセスが比較的無理なく自然な経緯として読ませるところが巧みである。
 第二部 女見しの行方
 この第二部で、若き女剣士・小笛と真田忍者小猿が登場する。秀頼の九州落ちが「起」とするなら、この第二部は、その後を「承」として続ける。ストーリーの基礎づくりに進展する。この第二部が、上掲の『神君家康の密書』と直接リンクしていき、続編という位置づけになるようだ。但し、正編を読んでいなくても、この小説を読む上での支障はないように思う。前編を私自身読まずにこちらを先に読んだ印象で語っている。尚、正編を読んでから、こちらを続編として読めばどの点が変わるか・・・・それは、後日正編を読む折りの楽しみとしたい。
 この第二部は、寛永元年(1624)7月中旬、配流地で自刃した福島正則の荼毘(火葬)を、小笛と小猿が見送る時点から始まる。小笛は、死の寸前に福島正則から託された徳川家康の「秀頼の身命安堵」を誓った約定書を肌身に巻き付けていた。小笛はその密書を薩摩の千々輪城に住む秀頼に届けるという密命を帯びていた。著者は本書で、この密書の位置づけを記述している。
 この第二部でおもしろいのは、この城を警備する示現流宗家の東郷藤兵衛の疑いを晴らすために、小笛が立ち合う場面を描き込んでいることである。小笛は、富田流の富田越後守の晩年の一番弟子という設定である。今までは剣の道一筋で生きてきた剣士である。
 小笛は密書を秀頼に手渡す機会を得ることになる。秀頼はその密書が偽物であることを直ちに見破った。だが、その密書を受け取ったことで、己の覚悟を決めたと小笛に言う。
 その後、小笛は天下の趨勢を把握するために本土を旅する。それは己の身の処し方を決める為の旅でもあった。この旅で小笛は重要な人々を訪ね歩く。京・誓願寺に居を構える寿芳院(秀吉の側室の一人:松の丸竜子)、江戸・水戸中屋敷に居る新孫市・孫三郎重次、伊達中屋敷に居る阿梅(真田信繁の三女、白石城主・片倉小十郎の後室)である。
 これらの人々との面談が、小笛の生き方を決めていく。小笛は、秀頼のお方様になることを辞退し、名も無いたった一人の<女>の位置づけを選択する。そして、秀頼と結ばれる。

 第三部 寛永御前試合の小波
 寛永14年(1637)5月初旬に、江戸城内で徳川家光臨席の下で行われた「寛永御前試合」に場面が転じる。いわゆる「転」となる。この試合の観戦のために、九州の大名のほぼ全員が江戸に参集していたという。九州の守りはいわば、手薄な状態ができていた。
 上記しているとおり、日本史年表を見れば、同年10月に「島原の乱」が発生している。思わぬ風穴が開けられる展開が始まろうとしていたのだ。これは結果論。
 この第三部では、この御前試合の様子が描き込まれていく。この試合に、なんと薩摩示現流東郷藤兵衛の代理として、門弟増田四郎が試合に出て、柳生又十郎と対戦するのである。柳生但馬守宗矩の三男である。このストーリーではまず、美剣士柳生刑部友矩の試合の状況が描かれる。刑部はその美形から家光に寵愛される。家光は衆道好みだったらしい。その家光が、試合に臨み又十郎を破る美少年増田四郎に惹きつけられるという次第。これが一つの伏線となっていく。
 又十郎の敗北は、将軍家指南役、柳生新陰流の名折れという苦渋を生むとともに、柳生刑部の生き様の転機となる。刑部は江戸から出奔してしまう。それはなぜか? 本書を読む楽しみに残しておこう。柳生家に小波が立ち始める。この頃、長男の柳生十兵衛三厳は博多に居て、密命を帯びた探索に従事していた。刑部は九州に向かっていた。
 また、千々城の秀頼と小笛のその後の有り様および乱を起こす画策への準備が描き込まれる。
 この第三部では、小笛を軸とした人間関係が明らかになり、島原の乱に至る様々な伏線が巧みに張られていくことになる。
 
 第四部 救世主とともに
 島原の乱勃発の最後の仕掛け段階と、島原の乱の蜂起から終焉までの経緯が描かれて行く。史実とフィクションが巧みに織り交ぜられて、融合していく秘録展開と言える。
 その中に、柳生刑部、柳生十兵衛、宮本武蔵などが登場して来る。一方、徳川方では智慧者伊豆守信綱が周到な対応をしていく姿が併行して描き込まれていく。
 そして、天草四郎時貞の真の姿が明かされていく。まさに秘録ということになる。
 だが、島原の乱の蜂起は、小笛が「嘘も方便じゃ」という立場から描かれて行く。著者のスタンスは少しシニカルと言えるかもしれない。そして、それはこの乱の終焉のさせかたに繋がって行く。
 この第四部は、多くを語らない方がよいだろう。読む楽しみをそがないために・・・・。

 終章 原城、陥落す
 原城を包囲する幕府軍が総攻撃する日の裏話がここに書き込まれていく。意外性をたあっぷりと盛り込んだ終章である。「秘録」の連発である。お楽しみいただけるだろう。

ご一読ありがとうございます。

本書からの波紋で、関心事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
天草四郎  :ウィキペディア
島原の乱  :ウィキペディア
島原の乱  :「コトバンク」
島原の乱と天草四郎~ポルトガルの支援を待った70日に及ぶ原城籠城戦 :「戦国武将列伝Ω」
島原の乱の原因と天草四郎時貞の最期の様子を分かりやすく解説! :「セレクト日本史」
歴史ミステリー 島原の乱 天草四郎vs松平信綱  :YouTube
原城 :ウィキペディア
モデルコース 島原の乱最後の舞台「原城跡」を巡る :「ながさき旅ネット」
徹底して破壊された原城  :「おらしょ こころ旅」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。


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『利休の闇』  文藝春秋
『安土城の幽霊 「信長の棺」異聞録』 文藝春秋