知らなくても支障のないことがある。
知っておかねばならないことがある。
知らないことで、機会を得て知ることがある。知ることから第一歩が始まる。
知らされないことがある。だから知らないままになることがある。
知らされていないことに、気づく機会がある。無知から歩み出すことができる。
知らせないという立場をとるのは概ね時の権力者。その立場に加担する人もいる。
知らせないのは、知られたくないことがあるから。知られると困るから。
そのことについて、無知でいてほしいから。だから知らせない。
知らせようとする人がある。知らせる必要性、重要性を感じるから。
何を知らせるか。それが問題である。
無知からの脱却が知への始まりである。
知る機会を得て、認識し、考えを深めることになる。
「ホロコースト」というコトバをご存知だろうか?
「アウシュヴィッツ」というコトバをご存知だろうか?
ホロコーストとアウシュヴィツというコトバを私が自覚的に認識したのは多分大学生のころだったと思う。その前に、『アンネの日記』を知ってはいたけれど。
原題は「強制収容所における一心理学者の体験」と訳されるフランクルの著作が翻訳で出版されたのが『夜と霧』である。この本で、私はアウシュヴィツ収容所の事実を知った。そして、今春ふと手にとったのが、『アウシュヴィッツの図書係』(アントニオ・G・イトゥルベ著・集英社)だった。この本も、ベースは他の収容所からアウシュヴィッツに送り込まれ、図書係をした少女と周辺の人々に関わる実話である。
『ホロコーストの現場を行く』というタイトルに触発されて読んだ。
あらためて、「ホロコースト」を辞典で引くと、「大破壊。大虐殺。とくに、ナチス-ドイツによるユダヤ人大虐殺」(『日本語大辞典』講談社)と説明されている。ホロコーストが行われた場所の代表例がアウシュヴィッツである。
だが、その前に密かにホロコーストが実行された「現場」が存在したのだ。本書を読みそれを知らされた。ジャーナリストの著者は、その現場を期間をおいて複数回訪れ現地で見聞し体験したことと史料・資料・出版物などを織り込みながら、本書をまとめている。 フランクルの著書には、ドイツ国内にナチスが設けたユダヤ人強制収容所の名前は記載されている。そこに本書の「現場」はない。ドイツ国内の強制収容所から、人々はポーランド国内に設けられた「アウシュヴィツ」に移送されたのである。
本書の「現場」は、「アウシュヴィツ強制収容所」建設以前のホロコースト前史にあたる。ポーランドの辺境地にあったというだけでなく、ナチスはその存在を秘匿し、目的を達成した後は、その存在の痕跡を無くそうとした「現場」なのだ。その場所が、副題として記された地名「ベウジェツ」と「ヘウムノ」である。そこはその「現場」に送り込まれたユダヤ人を「収容」するのが目的ではなくて、即座に「絶滅」することを目的とした「現場」だったという。
ヒトラーの意を受けたユダヤ人虐殺計画は、SS(ナチス親衛隊)大将・ラインハルト・ハイドリッヒの名前をとり、「ラインハルト作戦」と名付けられた。そして、ポーランドのルブリンに本部を置く司令部(総督府)が、ラインハルト作戦の指揮をとったという。ルブリンには、アウシュヴィッツと同様のマイダネク強制収容所が設けられた。そして、ルブリン総督府とウクライナとの国境沿いを流れるブク川沿いに、3つの死の拠点がつくられたのだ。「ベウジェツ絶滅収容所」・「ソビブル絶滅収容所」・「トレブリンカ絶滅収容所」である。ナチスは、それに先駆けユダヤ人をガス殺する実験場を「ベウムノ」に置いたという。本書の著者は、これらの内、「ベウジェツとヘウムノの現場」を取材したのである。
2005年の夏、著者は上記「マイダネク強制収容所跡・現場博物館」を訪ねたことが始まりと記す。当時の学芸員が案内を買って出てくれたことが契機となったそうだ。
「ポーランドにはナチスがただユダヤ人を殺す、それだけのために建て、計画が終わったら事実を消すために、全てを取り壊した絶滅収容所があります。
彼らは、そこで200万人のユダヤ人を殺しました。このひどい歴史がいまだに広く知られていないのです。ぜひ、案内したい。一緒に来てください。」(p7)
本書は、ここから始まった見聞記録である。
知られなかった事実。知らされなかった事実。ナチスが事実を消そうとしたが、残された痕跡がどのような事実を語っているか。わずかに生き残った人がどのような証言を残しているか。著者が現地インタビューで何を聴いたか。それらの事実を本書は「知らそう」としている。その絶滅計画が遂行された事実を、われわれはまず「知る」ことから一歩を踏み出すこと。ナチスの狂気の事実を厳粛に受けとめて、そこから学ぶことが重要ではないか。
本書の目次をご紹介しておこう。
プロローグ ポーランドの村で
第1章 ここで何があったのか
第2章 最終解決とラインハルト作戦
第3章 博物館・展示室案内
第4章 絶滅拠点ヘウムノ
エピローグ (ここでは現地でこの歴史的事実と向き合う若者たちに触れている)
エピローグの最後に記されている箇所を部分引用して、ご紹介する。
著者が「知らそう」としていることを「知る」必要性を感じていただけると思うから。
「多くの日本人にとって、ヨーロッパにおけるユダヤ人の虐殺は、自分とあまり関係ないこと、と感じることなのかもしれない。・・・・だが、いまだに世界ではさまざまな紛争がある。戦火の中、故郷や家を追われた大量の人びとが難民となり、国を逃れ、行き場を失い、命まで脅かされている。
私たちの住む日本には、こうした死の恐怖と隣り合わせの生活はない。しかし、いじめによる子どもの自殺や障害を持つ人びとへの差別、心ないヘイトスピーチの増加など、心痛む出来事は相次いでいる。」
「ユダヤ人大虐殺は、ナチスのユダヤ人へのレッテル貼りから始まった。自分たちと異質な者を差別し、じゃまなものは取り除いていくというホロコーストの芽は、今も存在するのだということを私たちは忘れてはならない。
偏見と憎しみの行き着く先から目を背けるな、過去に目をつぶってはいけないと、ベウジェツは私たちに呼びかけている。」
「ユダヤ人大虐殺は、ナチスのユダヤ人へのレッテル貼りから始まった。」
この「レッテル貼り」という思考パターンは、日本の社会にも事象・形を変えて内在しているのではないか。ホロコーストという狂気の事実から、同種の過ち-思考と行動-を繰り返さないために学ぶことは数多いと思う。
ご一読ありがとうございます。
本書から関連事項をいくつかネット検索して調べてみた。一覧にしておきたい。
ホロコースト :ウィキペディア
ホロコースト :「コトバンク」
ホロコーストエンサイクロペディア :「UNITED STATES HOLOCAUST MEMORIAL MUSEUM」
ホロコーストについて
ゲットー
占領下のポーランドのゲットー、1939~1941年
ベウジェーツ(簡約記事)
絶滅収容所で
アウシュビッツ アニメーションマップ これは英語による説明
アウシュビッツ
【悲惨な戦争の現実】アウシュヴィッツ強制収容所の写真【グロなし】:「NAVERまとめ」
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 :ウィキペディア
強制収容所(ナチス) :ウィキペディア
負の遺産・ポーランドの強制収容所「アウシュビッツ・ビルケナウ博物館」を訪ねて
:「LINEトラベル.jp」
アウシュビッツ 画像 :「gettyimages」
アンネの日記 :「コトバンク」
「アンネの日記」、封印された「下ネタ」ジョーク明らかに 2018.5.16:「BBC NEWS JAPAN」
アンネ・フランクの名言(1) :「癒しツァー」
夜と霧(文学) :ウィキペディア
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その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『アウシュヴィッツの図書係』 アントニオ・G・イトゥルベ 集英社
知っておかねばならないことがある。
知らないことで、機会を得て知ることがある。知ることから第一歩が始まる。
知らされないことがある。だから知らないままになることがある。
知らされていないことに、気づく機会がある。無知から歩み出すことができる。
知らせないという立場をとるのは概ね時の権力者。その立場に加担する人もいる。
知らせないのは、知られたくないことがあるから。知られると困るから。
そのことについて、無知でいてほしいから。だから知らせない。
知らせようとする人がある。知らせる必要性、重要性を感じるから。
何を知らせるか。それが問題である。
無知からの脱却が知への始まりである。
知る機会を得て、認識し、考えを深めることになる。
「ホロコースト」というコトバをご存知だろうか?
「アウシュヴィッツ」というコトバをご存知だろうか?
ホロコーストとアウシュヴィツというコトバを私が自覚的に認識したのは多分大学生のころだったと思う。その前に、『アンネの日記』を知ってはいたけれど。
原題は「強制収容所における一心理学者の体験」と訳されるフランクルの著作が翻訳で出版されたのが『夜と霧』である。この本で、私はアウシュヴィツ収容所の事実を知った。そして、今春ふと手にとったのが、『アウシュヴィッツの図書係』(アントニオ・G・イトゥルベ著・集英社)だった。この本も、ベースは他の収容所からアウシュヴィッツに送り込まれ、図書係をした少女と周辺の人々に関わる実話である。
『ホロコーストの現場を行く』というタイトルに触発されて読んだ。
あらためて、「ホロコースト」を辞典で引くと、「大破壊。大虐殺。とくに、ナチス-ドイツによるユダヤ人大虐殺」(『日本語大辞典』講談社)と説明されている。ホロコーストが行われた場所の代表例がアウシュヴィッツである。
だが、その前に密かにホロコーストが実行された「現場」が存在したのだ。本書を読みそれを知らされた。ジャーナリストの著者は、その現場を期間をおいて複数回訪れ現地で見聞し体験したことと史料・資料・出版物などを織り込みながら、本書をまとめている。 フランクルの著書には、ドイツ国内にナチスが設けたユダヤ人強制収容所の名前は記載されている。そこに本書の「現場」はない。ドイツ国内の強制収容所から、人々はポーランド国内に設けられた「アウシュヴィツ」に移送されたのである。
本書の「現場」は、「アウシュヴィツ強制収容所」建設以前のホロコースト前史にあたる。ポーランドの辺境地にあったというだけでなく、ナチスはその存在を秘匿し、目的を達成した後は、その存在の痕跡を無くそうとした「現場」なのだ。その場所が、副題として記された地名「ベウジェツ」と「ヘウムノ」である。そこはその「現場」に送り込まれたユダヤ人を「収容」するのが目的ではなくて、即座に「絶滅」することを目的とした「現場」だったという。
ヒトラーの意を受けたユダヤ人虐殺計画は、SS(ナチス親衛隊)大将・ラインハルト・ハイドリッヒの名前をとり、「ラインハルト作戦」と名付けられた。そして、ポーランドのルブリンに本部を置く司令部(総督府)が、ラインハルト作戦の指揮をとったという。ルブリンには、アウシュヴィッツと同様のマイダネク強制収容所が設けられた。そして、ルブリン総督府とウクライナとの国境沿いを流れるブク川沿いに、3つの死の拠点がつくられたのだ。「ベウジェツ絶滅収容所」・「ソビブル絶滅収容所」・「トレブリンカ絶滅収容所」である。ナチスは、それに先駆けユダヤ人をガス殺する実験場を「ベウムノ」に置いたという。本書の著者は、これらの内、「ベウジェツとヘウムノの現場」を取材したのである。
2005年の夏、著者は上記「マイダネク強制収容所跡・現場博物館」を訪ねたことが始まりと記す。当時の学芸員が案内を買って出てくれたことが契機となったそうだ。
「ポーランドにはナチスがただユダヤ人を殺す、それだけのために建て、計画が終わったら事実を消すために、全てを取り壊した絶滅収容所があります。
彼らは、そこで200万人のユダヤ人を殺しました。このひどい歴史がいまだに広く知られていないのです。ぜひ、案内したい。一緒に来てください。」(p7)
本書は、ここから始まった見聞記録である。
知られなかった事実。知らされなかった事実。ナチスが事実を消そうとしたが、残された痕跡がどのような事実を語っているか。わずかに生き残った人がどのような証言を残しているか。著者が現地インタビューで何を聴いたか。それらの事実を本書は「知らそう」としている。その絶滅計画が遂行された事実を、われわれはまず「知る」ことから一歩を踏み出すこと。ナチスの狂気の事実を厳粛に受けとめて、そこから学ぶことが重要ではないか。
本書の目次をご紹介しておこう。
プロローグ ポーランドの村で
第1章 ここで何があったのか
第2章 最終解決とラインハルト作戦
第3章 博物館・展示室案内
第4章 絶滅拠点ヘウムノ
エピローグ (ここでは現地でこの歴史的事実と向き合う若者たちに触れている)
エピローグの最後に記されている箇所を部分引用して、ご紹介する。
著者が「知らそう」としていることを「知る」必要性を感じていただけると思うから。
「多くの日本人にとって、ヨーロッパにおけるユダヤ人の虐殺は、自分とあまり関係ないこと、と感じることなのかもしれない。・・・・だが、いまだに世界ではさまざまな紛争がある。戦火の中、故郷や家を追われた大量の人びとが難民となり、国を逃れ、行き場を失い、命まで脅かされている。
私たちの住む日本には、こうした死の恐怖と隣り合わせの生活はない。しかし、いじめによる子どもの自殺や障害を持つ人びとへの差別、心ないヘイトスピーチの増加など、心痛む出来事は相次いでいる。」
「ユダヤ人大虐殺は、ナチスのユダヤ人へのレッテル貼りから始まった。自分たちと異質な者を差別し、じゃまなものは取り除いていくというホロコーストの芽は、今も存在するのだということを私たちは忘れてはならない。
偏見と憎しみの行き着く先から目を背けるな、過去に目をつぶってはいけないと、ベウジェツは私たちに呼びかけている。」
「ユダヤ人大虐殺は、ナチスのユダヤ人へのレッテル貼りから始まった。」
この「レッテル貼り」という思考パターンは、日本の社会にも事象・形を変えて内在しているのではないか。ホロコーストという狂気の事実から、同種の過ち-思考と行動-を繰り返さないために学ぶことは数多いと思う。
ご一読ありがとうございます。
本書から関連事項をいくつかネット検索して調べてみた。一覧にしておきたい。
ホロコースト :ウィキペディア
ホロコースト :「コトバンク」
ホロコーストエンサイクロペディア :「UNITED STATES HOLOCAUST MEMORIAL MUSEUM」
ホロコーストについて
ゲットー
占領下のポーランドのゲットー、1939~1941年
ベウジェーツ(簡約記事)
絶滅収容所で
アウシュビッツ アニメーションマップ これは英語による説明
アウシュビッツ
【悲惨な戦争の現実】アウシュヴィッツ強制収容所の写真【グロなし】:「NAVERまとめ」
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 :ウィキペディア
強制収容所(ナチス) :ウィキペディア
負の遺産・ポーランドの強制収容所「アウシュビッツ・ビルケナウ博物館」を訪ねて
:「LINEトラベル.jp」
アウシュビッツ 画像 :「gettyimages」
アンネの日記 :「コトバンク」
「アンネの日記」、封印された「下ネタ」ジョーク明らかに 2018.5.16:「BBC NEWS JAPAN」
アンネ・フランクの名言(1) :「癒しツァー」
夜と霧(文学) :ウィキペディア
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『アウシュヴィッツの図書係』 アントニオ・G・イトゥルベ 集英社