遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『蝶のゆくへ』  葉室 麟   集英社

2018-10-27 10:00:29 | レビュー
 奥書を読むと、「小説すばる」の2016年8月号~2017年8月号に連載として発表されたのが初出だという。著者はこの作品を発表した2017年12月に逝去された。単行本が上梓されたのは、2018年8月である。著者最晩年の一冊といえる。

 この小説、なかなかおもしろい構成になっている。全体は7章構成であり、全体を通して登場するのは星りょうという女性。星りょうの18歳から78歳でこの世を去るまでを描く、つまり伝記風小説という側面が中軸に据えられている。だが、著者は各章において、星りょうの人生に関わり合いをもった人自身の人生のある時期・ある側面に光を当てて、その人自体を浮かび上がらせている。その人物点描を詳細に行う形で星りょうの人生の時間軸と交差させていく。星りょうの人生がこのストーリーでの緯糸とすると、星りょうとある時期、あることで、濃密な人間関係を持った複数の人の人生点描が経糸となる。この経糸と緯糸により、このストーリーが織上げられていく。

 星りょうとは? 私はこの小説で初めて知った。相馬黒光として知られる女性で、新宿中村屋を創業した人だという。仙台生まれで、明治女学校を卒業後、相馬愛蔵と結婚。相馬愛蔵の実家のある穂高に住むが、明治34年9月に愛蔵を説得して、本郷のパン屋、中村屋を居抜きで購入し、同年12月30日に開業した。それが後に新宿中村屋となる。新宿中村屋は、芸術家たちが集う拠点ともなったという。

 このストーリー、上記の通り星りょうが主人公であり、当然ながら各章に登場するが、星りょうとの関わりを深めた人が登場すると、星りょうの人生のある時期を描きながら、そこに登場した人の人生のその時点での人生点描に重心が移っていく。ある意味で、星りょうはその瞬間から黒子的な位置づけになるという印象をうける。それでは章を追いながら誰が、そこにどのように登場するかをご紹介しよう。

第1章 アンビシャスガール
 「明治28年(1895)春 - 黒アゲハ蝶が飛んでいる」という文から始まる。18歳の星りょうが、黒アゲハ蝶を見上げ、この蝶が幸運の印か、死者の霊魂の化身かと考える場面である。18歳の星りょうは、その結果ただの蝶で自分とは無縁と結論づける。そしてこの小説の巻末で、著者は晩年のりょうが黒アゲハ蝶を縁側の安楽椅子に坐っていて眺めるシーンを点描している。蝶は星りょうならびに彼女が関わりをもった人々を象徴するのだろう。
 「アンビシャスガール」は、りょうが仙台神学校の教会で行われていた日曜学校に通っていたときに、知り合った神学生がりょうのことを評した言葉だという。当時から、りょうは「常に得体のしれない大きな望みを抱いていた」女性で、「時代も女子が何事かをなすことを求めている」と思っていたと著者は記す。どういう人生を送るのか? 惹きつけられる出だしである。
 この章では、東京のフェリス和英女学校に入ったりょうが、明治女学校に転校する経緯に触れる。そこから、二代目校長巌本善治について、さらに明治女学校の教師をしていた北村透谷の自殺とりょうの先輩斎藤冬子の病死に触れられていく。
 章末に、巌本校長がりょうに北村透谷の詩「蝶のゆくへ」を教える場面が出てくる。本書のタイトルは、直接にはここに由来するのだろう。この詩が一つのモチーフとなっていく。

第2章 煉獄の恋
 明治女学校の英語の講義場面から始まる。教師の名は島崎春樹、23歳。島崎藤村である。島崎藤村の作品は読んでいたが、彼がこの学校の教師をしていたという履歴は知らなかった!
 おもしろいのは、英語の講義がまったくおもしろくないとりょうは感じていて、「島崎先生は、燃え尽きてしまったのだから、しかたがないわ」とりょうが評していることである。
 島崎藤村が、明治女学校の生徒佐藤輔子に恋をしていた顛末、並びに藤村が諏訪より子と名乗る学生から紙片を渡される。父所有の貸家に明日の夜来てほしい、そこに佐藤輔子さんが待っているという伝言を告げる。若き日の藤村の一断面が点描され、後日りょうがこのエピソードとの関わりを直接もつことになる。なかなかおもしろい展開となる。

第3章 かの花は今
 第4章の冒頭が明治29年(1896)1月、第5章の冒頭が明治29年2月5日夜、という時点から書き出されるのだが、この第3章は明治29年4月12日から始まる。単純に考えると時間軸の順序が逆の印象を受ける。この年、りょうは17歳。実は前年11月に熱烈な恋愛の末に結婚した従妹の佐々城信子に関わる話が展開していく。信子はりょうの住む寄宿舎に訪ねてきて、「国木田のところから逃げてきたの」と言った。国木田とは、あの国木田独歩である。
 明治女学校に入学し寄宿舎住まいをするりょうが、時折叔母の佐々城豊寿を訪ねたという。その叔母の娘である信子の問題にりょうが叔母から呼び出されて関わって行くことが発端となる。そこで、叔母の人生点描、国木田独歩・信子夫妻の問題を通しての国木田独歩と信子のそれぞれの人生点描、さらにそこに、有島武郎が信子をモデルにして小説『或る女』を書いたというエピソードをからめつつ、有島武郎が軽井沢の別荘で心中自殺した顛末が点描されていく。
 星りょうの人生に、現在に名を残す人々との直接で深い関わりがあったことが興味深い。りょうの視点を踏まえて、彼らの人生が点描するという発想がおもしろい。伝記風エピソード集の趣がある。ある意味で、各章読み切り短編ととらえることもできる。そして、そこに通底していくのものとして、星りょうの人生を断片的に織り込み、織上げていくストーリーだ言える。

第4章 オフェリアの歌
 明治29年1月19日付けの『中央新聞』に載った「女学生の身投げ」という記事が発端でストーリーが展開する。その記事は井戸に飛び込んだ女学生の身元を「元宮城女学校生 保科龍(廿、但し匿名)」としていたのだ。暗に星りょうを暗示させる記事。巌本校長がりょうにその記事を見せる。もちろん、りょうは嘘と即否定する。校長は、訂正記事を出させるための手として、勝(海舟)伯爵の助力を得るアイデアを出す。明治女学校には梶クララというアメリカ人で35歳の英語教師がいた。そのクララ先生は、勝海舟と勝の長崎海軍伝習所赴任時代に梶玖磨との間にできた子・梅太郎と結婚していた。そこでクララ先生を介して、りょうが勝海舟の屋敷に行く羽目になる。
 この章、匿名化された記事の真相解明と絡め、明治以降の勝海舟の生き様の断片とクララ先生の観点からみた義父勝海舟の有り様、さらにはクララの人生が点描されていく。謎解きからみで、海舟の家庭の点描があり興味深い。

第5章 われにたためる翼あり
 明治29年2月に、明治女学校の一部を貸していたパン屋からの出火で、校舎や寄宿舎が火事となる事件から始まる。その火事見舞として、若松賤子先生に会いたいと一人の女性が学校の門前に訪れる。学生が当番として門前で火事見舞客に応対していたのだが、訪れた女性にりょうがたまたま対応することになった。その時、背後からその女性にお嵐様と話しかけた女の声がした。りょうも知っている三宅花圃だった。花圃はお嵐の火事見舞を妨げる。お嵐と呼ばれた女は樋口一葉である。三宅花圃は一葉をライバルとして敵視していた。なぜ一葉がお嵐と呼ばれたかの理由が花圃の語りとして記されていておもしろい。
 この章は、巌本校長の妻となった若松賤子の点描を介して、三宅花圃と樋口一葉の関係を語る。また、花圃に一葉に対する思いを語らせる。賤子が巌本と結婚する際に、巌本に贈った英詩の訳詩をりょうが若松賤子先生の言付として樋口一葉に届ける役目を担う。そこから、一葉の人生について点描が深まっていく。
 余談だが、三宅花圃と樋口一葉がここに登場したことで、私には先に読んでいた朝井まかて著『恋歌 れんか』という小説とのリンクができてきて、興味深かった。『恋歌』は中島歌子の人生と萩の舍を描き、そこに三宅花圃と樋口一葉が登場しているからである。
第6章 恋に朽ちなむ
 明治女学校の火災と再建までの間に、りょうが神田駿河台のニコライ堂に足を運んだことが縁で、ニコライ女子神学校の教師・山田郁子と知り合うことになる。また、その頃にりょうは旧知の島貫牧師から、信州穂高の相馬愛蔵との縁談を紹介される。
 この章では、主に山田郁子つまり、閨秀作家・瀬沼夏葉として後に知られる人の波乱に満ちた人生の点描である。この章の見出しは瀬沼夏葉の生き様を表象している。一方、この見出しは、りょうが鎌倉の星野天知の別荘を訪ねたときに、天知がりょうに教えた女性歌人・相模の詠んだ和歌に由来している。
 一方で、「わたしは、恋愛に振り回されて、自らの生きる道を歩む足を泥濘にとられたりはしない」(p250)という考えを持つりょうが相馬愛蔵との結婚する経緯、りょうが新宿中村屋のサロンの女王・相馬黒光と知られるようになるまでの経緯、が簡潔に描き込まれていく。邦子(夏葉)とりょうの人生のコントラストが一つの読ませどころでもあるだろう。どう生きるかと言う意味で。

第7章 愛のごとく
 りょうが新宿中村屋のサロンの女王として知られるようになった頃、そこに出入りする若き美術家の一人に、荻原碌山がいた。りょうが相馬愛蔵の許に嫁して、穂高に住んでいたころ、相馬家によく遊びに来ていた萩原守衛である。守衛は渡米し美術学校に入り、さらにフランスに渡る。帰国後、画家の道を断念し彫刻家の道を歩み始める。
 「守衛さ」と話しかけるりょうと萩原碌山の人間関係が点描されてていく。碌山の人生の点描とからめて、ロダンとカミーユ・クローデルの人生が点描されていくところが興味深い。
 併せて、りょうのサロンに出入りした幾人かの点描とりょうの娘・俊子の人生が点描される。
 著者はこのストーリーの最後に、相馬愛蔵とりょうの没年に触れている。

 りょうと関わりのあった人々の人生を点描しながら、りょう即ち相馬黒光の人生を描きあげた小説である。

 ご一読ありがとうございます。

本書に出てくる人々に関連するネット情報を検索してみた。一覧にしておきたい。
相馬黒光  :ウィキペディア
相馬黒光  :「コトバンク」
相馬愛蔵  :ウィキペディア
相馬愛蔵  :「コトバンク」
養蚕家からパン屋へ 相馬愛蔵 アンビシャス・ガール 相馬黒光 
新宿中村屋 Webサイト
  創業者ゆかりの人々
巌本善治 :ウィキペディア
巌本善治の女子教育思想  木下秘呂美氏 「教育学研究」第52巻第2号 1985/06 
思想家紹介 北村透谷 :「京都大学大学院文学研究科・文学部」
島崎藤村について  :「藤村記念館」
国木田独歩  :ウィキペディア
有島武郎について 有島記念館 :「北海道ニセコ町」
勝海舟の青い目の孫たち  :「江戸・東京ときどきロンドン」
勝海舟の子孫は現在どこでどうしているの?家系図で簡単解説!:歴史専門サイト「レキシル」
若松賤子の略歴 偉人伝 :「会津への夢街道」
若松賤子  :ウィキペディア
三宅花圃  :ウィキペディア
藪の鶯  三宅花圃  :「青空文庫」
一葉記念館  ホームページ
瀬沼夏葉 その生涯と業績  中村喜和氏 一橋大学機関リポジトリ
瀬沼夏葉  :ウィキペディア
星野天知  :ウィキペディア
荻原碌山  :ウィキペディア
荻原守衛(碌山) :「新宿中村屋」
女 石膏原型 重要文化財 荻原守衛 :「e國寶」
ラース・ビハーリー・ボース :ウィキペディア
ラス・ビハリ・ポーズ  :「新宿中村屋」
中村彝 :「新宿中村屋」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『青嵐の坂』  角川書店
『随筆集 柚子は九年で』  文春文庫
『天翔ける』  角川書店
『雨と詩人と落花と』 徳間書店
『古都再見』   新潮社
『河のほとりで』  文春文庫
『玄鳥さりて』  新潮社
『津軽双花』  講談社
『草雲雀』  実業之日本社
『日本人の肖像』  聞き手・矢部明洋   講談社
『草笛物語』  祥伝社
『墨龍賦』 PHP
『大獄 西郷青嵐賦』   文藝春秋
『嵯峨野花譜』  文藝春秋
『潮騒はるか』  幻冬舎
『風のかたみ』  朝日新聞出版

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