この本、タイトルに興味を持って衝動買いした。書棚にたぶん十余年眠っていた。いつか読もうと思いつつ、歳月が経ってしまっていた。奥書を見ると、1990年1月に出版され、手許の本は2004年1月第25刷となっている。ロングセラーになっている新書だろう。
著者については全く無知のままで購入し、本書を読む中で著者の人生遍歴が少しわかった。最新の刷りではどうなのか知らない。手許の本では、奥書に、「1937年横浜生まれ、武蔵野美術学校中退、画家、作家」という情報と著書が列挙されているだけである。
本書を読み始めて、著者自身についての情報が少し入手できた。本書の流れに沿って記されている著者情報をまず列挙してみよう。
*1990年に近い時期に、野上彌生子の小説『秀吉と利休』をベースにした映画「利休」の脚本を書いた。それは草月流家元の子息で映画監督の勅使河原宏からの依頼だった。
*著者は前衛芸術の分野で青年時代を生きた。当時、作品としての千円札の印刷で裁判にかけられた。
*路上観察学が産まれトマソン物件を探し回った。その第一物件は「四谷階段」
*本書には著者が描いた写生画が幾つか掲載されている。
本書の読了後に、ネット検索して知ったことを幾つか加えよう。
*1960年 「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」結成に参加
*1970年代 漫画家として活動
*1981年 小説『父が消えた』で第84回芥川賞受賞
*1989年 勅使河原宏と共同脚本を担当した映画『利休』で日本アカデミー賞脚本賞受賞
*1998年 エッセイ『老人力』がベストセラーとなり、同年の流行語大賞トップテンに
*2014年 死去
著者のこのプロフィールには全く無知で私は本書を読み始めた訳である。それ故、新鮮な感覚で読めたのかもしれない。ちょっと奇抜な試みを加えたおもしろいエッセイ集である。
時系列で考えると、前衛芸術家だった著者が芥川賞を受賞した後に、「利休」の脚本を依頼されたという流れになる。この依頼から、日本歴史音痴だった著者が漫画歴史本で歴史を知ることから始め、「利休」の脚本を担当するプロセスで、著者なりの千利休像を形成するために様々な試みをした。その遍歴をエッセイに結実させたものといえる。それ故、奇抜さもありおもしろい。脚本完成後にも利休の足跡を訪ねて著者の利休観をまとめることになったのが良く分かる。
著者は「あとがき」に2つのことを書いている。このエッセイのまとめ、つまり著者の千利休観は、「私の場合は特殊ケースで、千利休研究の世界では保育園から幼稚園に進んだくらいのことだろう。なるほど、幼稚園児の『千利休』もおもしろいなと思った」と位置づけている。逆に、著者自身の芸術家という視点が茶道という世界というよりも、千利休が求めた茶という領域に焦点を当てられている。千利休がどう見えるかである。もう一つは、利休が発したという「私が死ぬと茶は廃(すた)れる」という言葉が利休を考える命題となったという。かなり、型破りな千利休を考える材料になる本と言える。
30年前に書かれた本だが、利休が生きた時代との距離をモノサシとすると、まあつい先日書かれた本とも言える。千利休にアプローチするのに有益な視座を含み、読んで損をしない、楽しめる本と言える。
本書は「序 お茶の入口」「Ⅰ 楕円の茶室」「Ⅱ 利休の足跡」「Ⅲ 利休の沈黙」「結び 他力の思想」という構成になっている。
序において、著者は利休の手紙、茶会記、弟子たちが書いた茶会記ならびに、利休が作りだした楽茶碗、躙り口、二畳代目、竹花入れなどの証拠品を結ぶことで、利休の思想のアウトラインがわかるが、その内側にある微細な感覚反応のことを知りたいと思うと目指す方向性を述べている。利休と言葉を介さずにダイレクトな交流をしたいのだという。そして、大徳寺山門の楼閣内に置かれる二代目の利休木像の写真から話を始める。「どんと腰のすわった漁業組合の組合長というか、そんな感じだ」という感想から始めていておもしろい。
第Ⅰのセクションは、上記の脚本をどのように仕上げるかということに絡まったエピソードや当時の時代と文化を背景にした利休の前衛的な試みについて著者の視点から語る。絵画芸術を対比に出し、また前衛芸術の先に著者が見出した路上観察学でのトマソン物件-無機能性を持って超然と存在する路上の物件(四谷階段、路上の坪庭など)-を事例に出しつつ利休に迫る。歪んだり欠けたりした茶碗を”いい”と言い出した利休の気持をリンクさせるのだ。時代を飛び抜けた前衛芸術性をさしているのだろうと解釈した。
著者は利休の中に、極小を愛でる美意識に着目する。縮小の芸術を追求した側面をクローズアップしていく。茶会におけるほんの一口の分量を大きな器に入れた懐石料理、大きな花器の花一輪、面積を一坪にまで究めた待庵の茶室・・・利休の思想的物件と例示する。著者は縮小の美意識を利休に見る。そして、それが各種文化にまで達していると。
秀吉が発案し利休が創造した黄金の茶室についても、北野の大茶会とも絡めながら、利休と秀吉の視点を対比的に捉えていておもしろい。
天正19年2月13日、利休は秀吉に蟄居を命じられ、堺の自邸に15日間こもる。この後京都に呼び戻されて、利休は切腹させられる。著者は脚本を書くにあたり、この15日間利休は何をしていたのか、に思いを巡らせる。利休は芸術の永遠不滅性の立場で新たな茶室を発想していたのではないかと想像し、楕円の茶室構想をシナリオ化する。その案は没になったと記している。こんな発想はたぶん学舎研究者の利休論には出て来ないだろう。
余談だが、2019年に大阪市立東洋陶磁美術館で特別展「マリメッコ・スピリッツ」を鑑賞した。その折り、「マリメッコ茶室をめぐる対話-伝統と創造」と題するプレゼンテーション・パネルと茶室が展示されていた。本書の「楕円の茶室」を読んでいて、このマリメッコ茶室を思い出した。(マリメッコ茶室は別の拙ブログで一部ご紹介しています。 < 観照 大阪 東洋陶磁美術館 -2 特別展 マリメッコ・スピリッツ フィンランド・ミーツ・ジャパン (2) > こちらからご覧くださるとうれしいです。)
30年前の著者の発想が興味深い。
第Ⅱのセクションでは、脚本を書くための情報仕入れとして、事前にあるいは結果的に事後に、「利休の足跡」を各地に訪ねたときの著者の思考がエッセイとしてまとめられている。そこで著者が目を付けて紹介している対象物を例示する。それをどういう視点で考察しているかが興味深いところである。本文をお読み願いたい。
*堺港のコンクリート堤防の海側の放置された巨石群 p123-127
*山崎の妙喜庵の茶室待庵の秘密 p127-132
*ソウルの両班(ヤンバン)村のコの字形の棟の一番端の部屋に見た躙り口 p133-143
*日本の松が日本人に与えた美意識 p146-147
*秀吉の愛用したと伝わる金の茶碗の秘密 p161-163
これらは、利休の背景と美意識を考える材料になっている。
第Ⅲのセクションは「利休の沈黙」と題されている。著者の視点と発想を味わうことができる。尚、断って置くがここには利休に限定されていない著者の思いがエッセイに含まれている。印象深い文を抜き書きの引用でご紹介する。その意味する具体的説明は本文に戻っていただきたい。私自身への覚書でもある。
*お茶を入れる、その入れ方が次第に儀式化していくというのは、生きていることの不安によるものではないか。 p172
*駅の改札口では切符切りの切符を切らぬハサミの音が・・・・・ p178
⇒このたとえで語る著者の説明が体験として理解できない世代が今は居る!!
*細部にまでわたって、世界を整える。それが細部にわたりすぎて、大目的から遠く離れる。気がつけばそのおこないが儀式として一本立ちしている。そしてそのような目的を失ったおこないが、ほとんど芸術かと見まがう位置に接近している。 p182
*一つのおこないが、その本来目的としたものを超えながら、一つの独立した美意識にまで達したものとして茶の湯がある。 p186
*物の新しさは簡単に言葉で説明できるが、それを見る目の新しさ、見方の新しさは説明しにくい。 p203
そもそも言葉少ない批評家というのは作家に移行せざるを得ないわけで、利休はそのような茶人であったのである。 p204
*スピードとエネルギーがしのぎを削る世界で、それを見切った上での沈黙の存在が、逆にもっともスピーディーな表現として機能したのに違いない。 p206
*沈黙がスタイルとなったときに、沈黙は堕落する。 p208
*「私が死ぬと。茶は廃れる」の言葉になると、嘆きだけではないような気がする。嘆いているというよりは、もっと攻撃的なイメージが伝わってくる。 p216
言葉で言えぬことこそが茶の湯の大本であると、それを言葉で言ったのだろう。p217
*つまり新しいことをやれ、自分だからこそをやれ、ということである。つまり芸術の本来の姿、前衛芸術への煽動である。そのような、人のあとをなぞらず、繰り返さず、常に新しく、一回性の輝きを求めていく作業を、別の言葉では「一期一会」ともいうわけである。 p221
*利休のものはつねに無作為を意識している。歪んだ茶碗も、歪んでしまったものを美として取り入れている。作為的にすることをつねに戒めている。
織部は利休的精神の芯のところを受けついでいる。・・・・織部は織部でなくてはならない。そして織部は茶碗をぐいぐいと歪ませていったのである。 p222
*前衛としてある表現の輝きは、常に一回限りのものである。 p227
「結び」からは、一箇所だけご紹介する。著者自身の体験をエッセイに書いた上で、利休の言葉「侘びたるは良し、侘ばしたるは悪し」というのを引用し、その後に記された文である。
*利休の美意識の中には偶然という要素が大きくはいり込んでいる。これは重要なことだ。偶然を待ち、偶然を楽しむことは、他力思想の基本だろう。私はそこに、無意識を楽しむという項目を付け加えたい。 p239
ご一読ありがとうございます。
本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
あの人に会いたい 赤瀬川原平 :「NHK 人x物x録」
赤瀬川原平 トマソン黙示録 :「ときの忘れもの」
作家紹介 赤瀬川原平 :「Hiroshima MOCA 広島市現代美術館」
赤瀬川原平 :ウィキペディア
路上観察学会 :ウィキペディア
トマソン :ウィキペディア
トマソン・リンク
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
これまでに、茶の世界に関連した本を断続的に読み継いできています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
=== 小説 ===
『利休の闇』 加藤 廣 文藝春秋
『天下人の茶』 伊東 潤 文藝春秋
『宗旦狐 茶湯にかかわる十二の短編』 澤田ふじ子 徳間書店
『古田織部』 土岐信吉 河出書房新社
『幻にて候 古田織部』 黒部 享 講談社
『小堀遠州』 中尾實信 鳥影社
『孤蓬のひと』 葉室 麟 角川書店
『山月庵茶会記』 葉室 麟 講談社
『橘花抄』 葉室 麟 新潮社
=== エッセイなど ===
『藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎』 藤森照信 六耀社
『利休の風景』 山本兼一 淡交社
『いちばんおいしい日本茶のいれかた』 柳本あかね 朝日新聞出版
『名碗を観る』 林屋晴三 小堀宗実 千宗屋 世界文化社
『売茶翁の生涯 The Life of Baisao』 ノーマン・ワデル 思文閣出版
著者については全く無知のままで購入し、本書を読む中で著者の人生遍歴が少しわかった。最新の刷りではどうなのか知らない。手許の本では、奥書に、「1937年横浜生まれ、武蔵野美術学校中退、画家、作家」という情報と著書が列挙されているだけである。
本書を読み始めて、著者自身についての情報が少し入手できた。本書の流れに沿って記されている著者情報をまず列挙してみよう。
*1990年に近い時期に、野上彌生子の小説『秀吉と利休』をベースにした映画「利休」の脚本を書いた。それは草月流家元の子息で映画監督の勅使河原宏からの依頼だった。
*著者は前衛芸術の分野で青年時代を生きた。当時、作品としての千円札の印刷で裁判にかけられた。
*路上観察学が産まれトマソン物件を探し回った。その第一物件は「四谷階段」
*本書には著者が描いた写生画が幾つか掲載されている。
本書の読了後に、ネット検索して知ったことを幾つか加えよう。
*1960年 「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」結成に参加
*1970年代 漫画家として活動
*1981年 小説『父が消えた』で第84回芥川賞受賞
*1989年 勅使河原宏と共同脚本を担当した映画『利休』で日本アカデミー賞脚本賞受賞
*1998年 エッセイ『老人力』がベストセラーとなり、同年の流行語大賞トップテンに
*2014年 死去
著者のこのプロフィールには全く無知で私は本書を読み始めた訳である。それ故、新鮮な感覚で読めたのかもしれない。ちょっと奇抜な試みを加えたおもしろいエッセイ集である。
時系列で考えると、前衛芸術家だった著者が芥川賞を受賞した後に、「利休」の脚本を依頼されたという流れになる。この依頼から、日本歴史音痴だった著者が漫画歴史本で歴史を知ることから始め、「利休」の脚本を担当するプロセスで、著者なりの千利休像を形成するために様々な試みをした。その遍歴をエッセイに結実させたものといえる。それ故、奇抜さもありおもしろい。脚本完成後にも利休の足跡を訪ねて著者の利休観をまとめることになったのが良く分かる。
著者は「あとがき」に2つのことを書いている。このエッセイのまとめ、つまり著者の千利休観は、「私の場合は特殊ケースで、千利休研究の世界では保育園から幼稚園に進んだくらいのことだろう。なるほど、幼稚園児の『千利休』もおもしろいなと思った」と位置づけている。逆に、著者自身の芸術家という視点が茶道という世界というよりも、千利休が求めた茶という領域に焦点を当てられている。千利休がどう見えるかである。もう一つは、利休が発したという「私が死ぬと茶は廃(すた)れる」という言葉が利休を考える命題となったという。かなり、型破りな千利休を考える材料になる本と言える。
30年前に書かれた本だが、利休が生きた時代との距離をモノサシとすると、まあつい先日書かれた本とも言える。千利休にアプローチするのに有益な視座を含み、読んで損をしない、楽しめる本と言える。
本書は「序 お茶の入口」「Ⅰ 楕円の茶室」「Ⅱ 利休の足跡」「Ⅲ 利休の沈黙」「結び 他力の思想」という構成になっている。
序において、著者は利休の手紙、茶会記、弟子たちが書いた茶会記ならびに、利休が作りだした楽茶碗、躙り口、二畳代目、竹花入れなどの証拠品を結ぶことで、利休の思想のアウトラインがわかるが、その内側にある微細な感覚反応のことを知りたいと思うと目指す方向性を述べている。利休と言葉を介さずにダイレクトな交流をしたいのだという。そして、大徳寺山門の楼閣内に置かれる二代目の利休木像の写真から話を始める。「どんと腰のすわった漁業組合の組合長というか、そんな感じだ」という感想から始めていておもしろい。
第Ⅰのセクションは、上記の脚本をどのように仕上げるかということに絡まったエピソードや当時の時代と文化を背景にした利休の前衛的な試みについて著者の視点から語る。絵画芸術を対比に出し、また前衛芸術の先に著者が見出した路上観察学でのトマソン物件-無機能性を持って超然と存在する路上の物件(四谷階段、路上の坪庭など)-を事例に出しつつ利休に迫る。歪んだり欠けたりした茶碗を”いい”と言い出した利休の気持をリンクさせるのだ。時代を飛び抜けた前衛芸術性をさしているのだろうと解釈した。
著者は利休の中に、極小を愛でる美意識に着目する。縮小の芸術を追求した側面をクローズアップしていく。茶会におけるほんの一口の分量を大きな器に入れた懐石料理、大きな花器の花一輪、面積を一坪にまで究めた待庵の茶室・・・利休の思想的物件と例示する。著者は縮小の美意識を利休に見る。そして、それが各種文化にまで達していると。
秀吉が発案し利休が創造した黄金の茶室についても、北野の大茶会とも絡めながら、利休と秀吉の視点を対比的に捉えていておもしろい。
天正19年2月13日、利休は秀吉に蟄居を命じられ、堺の自邸に15日間こもる。この後京都に呼び戻されて、利休は切腹させられる。著者は脚本を書くにあたり、この15日間利休は何をしていたのか、に思いを巡らせる。利休は芸術の永遠不滅性の立場で新たな茶室を発想していたのではないかと想像し、楕円の茶室構想をシナリオ化する。その案は没になったと記している。こんな発想はたぶん学舎研究者の利休論には出て来ないだろう。
余談だが、2019年に大阪市立東洋陶磁美術館で特別展「マリメッコ・スピリッツ」を鑑賞した。その折り、「マリメッコ茶室をめぐる対話-伝統と創造」と題するプレゼンテーション・パネルと茶室が展示されていた。本書の「楕円の茶室」を読んでいて、このマリメッコ茶室を思い出した。(マリメッコ茶室は別の拙ブログで一部ご紹介しています。 < 観照 大阪 東洋陶磁美術館 -2 特別展 マリメッコ・スピリッツ フィンランド・ミーツ・ジャパン (2) > こちらからご覧くださるとうれしいです。)
30年前の著者の発想が興味深い。
第Ⅱのセクションでは、脚本を書くための情報仕入れとして、事前にあるいは結果的に事後に、「利休の足跡」を各地に訪ねたときの著者の思考がエッセイとしてまとめられている。そこで著者が目を付けて紹介している対象物を例示する。それをどういう視点で考察しているかが興味深いところである。本文をお読み願いたい。
*堺港のコンクリート堤防の海側の放置された巨石群 p123-127
*山崎の妙喜庵の茶室待庵の秘密 p127-132
*ソウルの両班(ヤンバン)村のコの字形の棟の一番端の部屋に見た躙り口 p133-143
*日本の松が日本人に与えた美意識 p146-147
*秀吉の愛用したと伝わる金の茶碗の秘密 p161-163
これらは、利休の背景と美意識を考える材料になっている。
第Ⅲのセクションは「利休の沈黙」と題されている。著者の視点と発想を味わうことができる。尚、断って置くがここには利休に限定されていない著者の思いがエッセイに含まれている。印象深い文を抜き書きの引用でご紹介する。その意味する具体的説明は本文に戻っていただきたい。私自身への覚書でもある。
*お茶を入れる、その入れ方が次第に儀式化していくというのは、生きていることの不安によるものではないか。 p172
*駅の改札口では切符切りの切符を切らぬハサミの音が・・・・・ p178
⇒このたとえで語る著者の説明が体験として理解できない世代が今は居る!!
*細部にまでわたって、世界を整える。それが細部にわたりすぎて、大目的から遠く離れる。気がつけばそのおこないが儀式として一本立ちしている。そしてそのような目的を失ったおこないが、ほとんど芸術かと見まがう位置に接近している。 p182
*一つのおこないが、その本来目的としたものを超えながら、一つの独立した美意識にまで達したものとして茶の湯がある。 p186
*物の新しさは簡単に言葉で説明できるが、それを見る目の新しさ、見方の新しさは説明しにくい。 p203
そもそも言葉少ない批評家というのは作家に移行せざるを得ないわけで、利休はそのような茶人であったのである。 p204
*スピードとエネルギーがしのぎを削る世界で、それを見切った上での沈黙の存在が、逆にもっともスピーディーな表現として機能したのに違いない。 p206
*沈黙がスタイルとなったときに、沈黙は堕落する。 p208
*「私が死ぬと。茶は廃れる」の言葉になると、嘆きだけではないような気がする。嘆いているというよりは、もっと攻撃的なイメージが伝わってくる。 p216
言葉で言えぬことこそが茶の湯の大本であると、それを言葉で言ったのだろう。p217
*つまり新しいことをやれ、自分だからこそをやれ、ということである。つまり芸術の本来の姿、前衛芸術への煽動である。そのような、人のあとをなぞらず、繰り返さず、常に新しく、一回性の輝きを求めていく作業を、別の言葉では「一期一会」ともいうわけである。 p221
*利休のものはつねに無作為を意識している。歪んだ茶碗も、歪んでしまったものを美として取り入れている。作為的にすることをつねに戒めている。
織部は利休的精神の芯のところを受けついでいる。・・・・織部は織部でなくてはならない。そして織部は茶碗をぐいぐいと歪ませていったのである。 p222
*前衛としてある表現の輝きは、常に一回限りのものである。 p227
「結び」からは、一箇所だけご紹介する。著者自身の体験をエッセイに書いた上で、利休の言葉「侘びたるは良し、侘ばしたるは悪し」というのを引用し、その後に記された文である。
*利休の美意識の中には偶然という要素が大きくはいり込んでいる。これは重要なことだ。偶然を待ち、偶然を楽しむことは、他力思想の基本だろう。私はそこに、無意識を楽しむという項目を付け加えたい。 p239
ご一読ありがとうございます。
本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
あの人に会いたい 赤瀬川原平 :「NHK 人x物x録」
赤瀬川原平 トマソン黙示録 :「ときの忘れもの」
作家紹介 赤瀬川原平 :「Hiroshima MOCA 広島市現代美術館」
赤瀬川原平 :ウィキペディア
路上観察学会 :ウィキペディア
トマソン :ウィキペディア
トマソン・リンク
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
これまでに、茶の世界に関連した本を断続的に読み継いできています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
=== 小説 ===
『利休の闇』 加藤 廣 文藝春秋
『天下人の茶』 伊東 潤 文藝春秋
『宗旦狐 茶湯にかかわる十二の短編』 澤田ふじ子 徳間書店
『古田織部』 土岐信吉 河出書房新社
『幻にて候 古田織部』 黒部 享 講談社
『小堀遠州』 中尾實信 鳥影社
『孤蓬のひと』 葉室 麟 角川書店
『山月庵茶会記』 葉室 麟 講談社
『橘花抄』 葉室 麟 新潮社
=== エッセイなど ===
『藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎』 藤森照信 六耀社
『利休の風景』 山本兼一 淡交社
『いちばんおいしい日本茶のいれかた』 柳本あかね 朝日新聞出版
『名碗を観る』 林屋晴三 小堀宗実 千宗屋 世界文化社
『売茶翁の生涯 The Life of Baisao』 ノーマン・ワデル 思文閣出版