まず関心を抱いたのは、この小説のタイトルに記された「鷹ヶ峰御薬園」である。
なぜか? この御薬園の跡地を史跡探訪の一環で通ったことがあるから。
著者の作品を読み継いできている。この御薬園がどのように取り上げられるのかという関心が跡地を見ている故に特に強かった。
今は駐車場になった場所の一隅に、跡地を示す石標が建てられている。
この2枚はその傍に設置された案内板の一部を拡大したもの。
その時の探訪記をもう一つの拙ブログでご紹介している。「探訪 京都・洛北 鷹ヶ峰の寺社を巡る」というシリーズの3回目「光悦寺・御土居・薬草園跡」の中で。こちらもご覧いただけるとうれしいです。(クリックしてご覧ください。)
本書は短編6話の連作をまとめ、単行本として2013年5月に出版されている。タイトルは「第四話 ふたり女房」からとられていて、この短編は単行本化にあたり書き下ろされたそうだ。「第一話 人待ちの冬」は「問題小説」2011年12月号に掲載され、残りの四話は「読楽」2012年5月号~2013年2月号の期間に順次掲載されている。
この短編連作に登場する中心人物は、元岡真葛という20歳台の女性。物語は真葛が21歳の時点から始まって行く。真葛は京都の北西、鷹ヶ峰にある徳川幕府直轄の御薬園内に住む。
御薬園はその名の通り、薬草を栽培し、生薬を精製して、幕府に納める薬草園。ほかに江戸の小石川御薬園、長崎の十善師御薬園などがある。1400坪の敷地の鷹ヶ峰御薬園は、代々藤林家が御薬園預として運営を担っている。現在の藤林家当主は29歳の匡である。子のない先代信太夫は、遠縁の本道(内科)医・月岡匡が21歳の折にその妻初音19歳と子の辰之助ぐるみで養子に迎えて藤林家六代を継がせていた。藤林家は禁裏御典医を兼ねている。この時真葛は13歳の夏だった。信太夫は現時点では既に亡くなっている。
ならば、真葛はどういう位置づけか。御門跡医師だった元岡玄巳が、北嵯峨の曇華院門跡に出仕していた棚倉倫子との間に儲けた子である。血統を辿ると藤原北家にまで溯る棚倉家は、玄巳と倫子の結婚に反対した。出奔同然に倫子は棚倉家を飛び出し、町医者となった玄巳と暮らすようになり、真葛が誕生した。だが真葛が三歳の初冬、倫子は流行風邪をこじらせた末に亡くなってしまう。そのとき、玄巳は旧友藤林信太夫に誘われ、美濃へ薬草採取に赴いていたのだった。玄巳は3歳の娘を信太夫に預かってほしいと言う。己の妻一人を救えなかったとの思いから、長崎にて改めて医学を学び、医者について再考したいがためと玄巳は語った。信太夫は真葛を預かる。玄巳の音信はその後途絶えてしまう。
真葛は信太夫の許で育つ。幼少より薬草園を駈け回り、薬草栽培を仕事とする荒子たちの手伝いをしながら、薬草や生薬に関する実学を吸収していく。信太夫は真葛が医者にならなくても、最低限の知識を修得するのがよいと、真葛に本草学、本道(内科)・外科を教授した。さらに、知友の許に通わせて産科、児科、鍼灸なども学ばせたのだ。そんな生育歴を持ち、藤林匡からは妹のように思われ、またその培われた力量を信頼されている。
元岡真葛の活躍がここから始まって行く。御藥園を基盤にしながら、真葛は日常生活でふと触れ合った人々との関わりの中で、どこか不可解に感じた心象をそのままにしておけず、一歩踏み込み問題の謎解きをしていくというストーリーが展開していく。
それでは、第一話から簡単なご紹介をしておきたい。
第一話 人待ちの冬
手代が娘お香津の婿となり、先代の病没後に薬種問屋成田屋の跡を継ぐと、取り扱う薬種の質が落ちてきていた。藤林家はそれに気づき鷹ヶ峰出入りを禁じた。成田屋に奉公するお雪は最近節季にも実家に戻らない。心配した弟の太吉が店を訪ねても姉に会えず追い出される。棚倉家に仕える山根平馬が幼馴染みの弟太吉を連れて、真葛に相談に来た。成田屋を知る真葛は様子を窺いに行く。その折、真葛は成田屋夫婦の揉める声を聴き、店を出たお香津の跡を付ける。お香が植木職人に預けてあった元日草を引き取るという会話を耳にする。その何気ない会話から、真葛は後ほどよもやということに気づく。そこから思わぬ事件の顛末譚となる。元日草とは福寿草の別名。真葛の本領が発揮される。
第二話 春秋悲仏
真葛の診立(みた)てを請う病人の一人、菱屋のお膳がぷっつり来なくなった。心配する真葛は、二条衣棚の亀甲屋に五加皮の注文に行った帰りに、寺町蛸薬師の菱屋に立ち寄ってみようと考えた。だが、三条大橋の傍で、忍栄という説法師がお奈美観音の霊力を吹聴し、喜捨を受けその観音像の身を削り与えるという場に出くわす。仏像の欠片(かけら)を薬にするのだという。その欠片を貰い受ける菱屋の小女を目撃し、真葛は愕然とする。亀甲屋で偶然出会った来京中の本草学者延島沓山はこの忍栄と観音像のことを少し知っていた。これが始まりだった。この観音像と、遠島の刑を受けた加賀・金沢在の仏師並びに彼の妹お奈美にまつわる悲哀との関わりが明らかになっていく。さらに、この仏像の欠片になぜ霊力があったのかも・・・・・。構想が巧みな短編である。
第三話 為朝さま御宿
江戸時代、疱瘡と呼ばれ恐れられた病-現代の天然痘-とそれにまつわる民間信仰、当時の京における公家の生活実態、氏より育ちの視点が渾然と織り込まれていく。御典医藤林匡は公家・三条西家の当主実勲(さねいそ)の弟・実季(さねすえ)14歳が疱瘡に罹ったためにその治療に忙しい。だが、匡の子・辰之助も同じく疱瘡に罹っていた。三条西家では、疱瘡神は赤色を嫌うという民間信仰を併用していて、さらに坂田木綿が効くということにもあやかっていた。匡は三条西家では何も言わないが、自宅では俗説に惑わされてはならぬと、為朝さまに関わる赤色の民間信仰を排除し、医術第一で処方の指示を出し、真葛が辰之助の治療面を見ていた。著者は母である初音の思いを描いていく。初音は夫の匡に内緒で坂田木綿の寝間着を辰之助に着せ疱瘡除けをしていた。
実季は病重く亡くなる。辰之助は回復する。真葛が匡に付き従い、三条西家に治療に訪れたことから、坂田木綿に絡んだ民間信仰の背景・カラクリが明らかになっていく。そこには三条西家の末弟伊予丸が赤子の時に疱瘡に罹ったが快癒したという事情が絡んでいた。疱瘡に罹患した子を持つ母の思いと、冷静に観察する真葛の姿が描かれる。
第四話 ふたり女房
吉田山での観楓の宴が繰り広げられる最中に、侍同志の諍いが起こる。どちらも京詰めの武士夫妻でちょっとした騒ぎ。藤林匡がその仲裁に入る。気性の強い妻女の振る舞いに狼狽していた武士は、先に帰ると言い残して妻がその場を去ると、亀甲屋の設けた宴の席について来た。新発田藩の京詰めの武士で、高浜広之進と名乗った。彼は江戸で汐路と称する妻の親に見込まれて養子となった経緯と京詰めの経緯を語った。
酒宴の後で、匡と真葛は光隠寺の施行所に病人の治療に立ち寄る。そこで真葛は元武家の妻女らしきお香を知る。飲水の病(糖尿病)で目が不自由になってきているのである。お香の夫はひどく気弱な質の人だが、3年前に仕官の道を求めて京を出たようだ。いずれ迎えにきてくれるものと信じお香は夫を待っているという。施行所に住む病人の一人がお香を揶揄すると、怒ったお香は広之進という夫の名を無意識に発していた。真葛は一瞬呆然となった。
また、このところ光隠寺のあたりに不審な男が出没するという話から、事が進展していく。いわば二重婚をした気弱な武士にとって、思わぬ賢婦譚のストーリーとなる。最後の匡のつぶやきがおもしろい。
第五話 初雪の坂
十二、三歳の少年が藤林家の薬倉に盗みに入るが、荒子の又七に捕まる。が隙をみつけて逃走した。鷹ヶ峯周辺に住む孤児の一人。後にその少年の名は小吉とわかる。
藤林匡が青蓮院門跡の往診に出かけている間に、御薬園から五、六町ほどの距離にある安養寺隣の隠居所で氷室屋の隠居が倒れたという報せが入り、真葛が赴く。安養寺の範円からもらった煎じ薬を服用した後に倒れた。その煎じ薬は範円が御藥園から採れた生藥と言っていたと聴く。だが真葛がその薬を確かめると、それは毒芹の根だった。すぐにわかる虚言であるのに、なぜ範円がそんなことを言ったのか。
藤林家の役宅に、同じ町内の町役・乙訓屋正之助が飛び込んで来る。御薬園は町役の差配外である。しかし、真葛は正之助と話をして、小吉の名前が出てきたところから、得体の知れぬ悪意を感じる。数人の孤児が小吉がつかまっていると思ってか、薬倉に訪れた。孤児等の話から地蔵堂に臥せる幼い女児・お三輪の容体を真葛が診察に行く。一方、小吉が範円を殺害したという。事態の思わぬ展開から真相が明らかになっていく。
この真相に至る入り組んだ構図と人の思いが読ませどころになっている。盗みを働いた小吉像がガラリと転換するという仕掛けが巧みである。
第六話 粥杖打ち
粥杖打ちは小正月十五日に行われる宮中の年中行事。この日、宮中では望粥とも呼ばれる小豆粥を食する。この粥を炊いた際の杓子が粥杖である。粥杖で子のない女性の尻を打てば、男児を産むと言い倣わされていた。平安時代以来のこの行事が江戸時代には身分を問わずうっかりしている者を打ち叩く遊戯へと変化していた。当然、怪我人が出る。御典医の藤林匡は真葛を補助に伴って行く。宮中につくなり、二人は打ち叩かれる羽目に。
その後、御典医たちは怪我人の治療に追われる。この日の粥杖打ちは伏見宮が皆を煽っていたという。安芸局が御末のお竹を連れて来る。真葛は手当をするようにと指示されたが、お竹は頑なに拒否して逃げた。真葛にはこの女のことが記憶に残る。
如月の二日、真葛は書肆の佐野屋を訪れる。来客で取り込んでいるようなので、延山沓山が止宿している山本亡羊邸を訪ねる。そこで、佐野屋の娘が、粥杖打ちの後で、自宅に戻っている。身籠もっていて腹の子の父は伏見宮だと言っていると聞かされる。真葛はお竹を思い出した。
真葛は、沓山に言われたとおり、書肆・佐野屋から出版される予定の小野蘭山先生の講義録『本草綱目啓蒙』の草稿を読むために佐野屋に通う。ある日、佐野屋に向かう途中で産医の賀川満定と出会う。佐野屋に行くところだったという。賀川先生に会ったことから、お竹の妊娠の真相が明らかになっていく。
お竹の行為が、真葛に新たな己の生き方を貫く決意を促すことになる。
粥杖打ちという宮中の年中行事を、お竹が己の生き方の梃子に使うところが興味深い。
鷹ヶ峰のかつての雰囲気を想像できる情景描写が興味深い。また、本草学の知識、生薬及び漢方薬の処方についての記述が幅広く出てくることや江戸幕府における御藥園の経営システムがうかがえることもまた関心を惹かれる点である。薬草や生薬の記述はエキゾチックでさえあるところが時代を感じさせる。
再び、上掲した石標の立つ跡地に佇めば、きっとこの小説を想起するに違いない。
お読みいただき、ありがとうございます。
徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『夢も定かに』 中公文庫
『能楽ものがたり 稚児桜』 淡交社
『名残の花』 新潮社
『落花』 中央公論新社
『龍華記』 KADOKAWA
『火定』 PHP
『泣くな道真 -太宰府の詩-』 集英社文庫
『腐れ梅』 集英社
『若冲』 文藝春秋
『弧鷹の天』 徳間書店
『満つる月の如し 仏師・定朝』 徳間書店
余談ですが、もう一つの拙ブログに書いている記事をご紹介いたします。
本書に登場する実在人物に関連する史跡を幾つか今までに探訪しており、ご覧いただけるとうれしいです。
探訪 京の幕末動乱ゆかりの地 -8 壬生塚(近藤勇胸像・隊士の墓ほか)・壬生屯所旧跡(八木家)・六角獄舎跡ほか
「日本近代医学発祥之地」 六角獄舎にて、山脇東洋が所司代の官許を得て、
日本最初の「人体解屍観臓」を行ったのです。
スポット探訪 京都・中京 誓願寺 -2 誓願寺墓地に眠る人々と六地蔵石幢
「山脇東洋解剖碑所在墓地」、「法眼東洋山脇先生墓」とその系譜の人々の墓碑
山脇家が人体解剖を重ねた際の遺体14柱の供養碑 をここで参拝しました。
探訪 [再録] 京都・油小路通を歩く -1 「山本読書室」跡、京町家と鍾馗像、本能寺跡
小野蘭山の高弟・山本亡羊の自邸があった場所(油小路五条)です。
なぜか? この御薬園の跡地を史跡探訪の一環で通ったことがあるから。
著者の作品を読み継いできている。この御薬園がどのように取り上げられるのかという関心が跡地を見ている故に特に強かった。
今は駐車場になった場所の一隅に、跡地を示す石標が建てられている。
この2枚はその傍に設置された案内板の一部を拡大したもの。
その時の探訪記をもう一つの拙ブログでご紹介している。「探訪 京都・洛北 鷹ヶ峰の寺社を巡る」というシリーズの3回目「光悦寺・御土居・薬草園跡」の中で。こちらもご覧いただけるとうれしいです。(クリックしてご覧ください。)
本書は短編6話の連作をまとめ、単行本として2013年5月に出版されている。タイトルは「第四話 ふたり女房」からとられていて、この短編は単行本化にあたり書き下ろされたそうだ。「第一話 人待ちの冬」は「問題小説」2011年12月号に掲載され、残りの四話は「読楽」2012年5月号~2013年2月号の期間に順次掲載されている。
この短編連作に登場する中心人物は、元岡真葛という20歳台の女性。物語は真葛が21歳の時点から始まって行く。真葛は京都の北西、鷹ヶ峰にある徳川幕府直轄の御薬園内に住む。
御薬園はその名の通り、薬草を栽培し、生薬を精製して、幕府に納める薬草園。ほかに江戸の小石川御薬園、長崎の十善師御薬園などがある。1400坪の敷地の鷹ヶ峰御薬園は、代々藤林家が御薬園預として運営を担っている。現在の藤林家当主は29歳の匡である。子のない先代信太夫は、遠縁の本道(内科)医・月岡匡が21歳の折にその妻初音19歳と子の辰之助ぐるみで養子に迎えて藤林家六代を継がせていた。藤林家は禁裏御典医を兼ねている。この時真葛は13歳の夏だった。信太夫は現時点では既に亡くなっている。
ならば、真葛はどういう位置づけか。御門跡医師だった元岡玄巳が、北嵯峨の曇華院門跡に出仕していた棚倉倫子との間に儲けた子である。血統を辿ると藤原北家にまで溯る棚倉家は、玄巳と倫子の結婚に反対した。出奔同然に倫子は棚倉家を飛び出し、町医者となった玄巳と暮らすようになり、真葛が誕生した。だが真葛が三歳の初冬、倫子は流行風邪をこじらせた末に亡くなってしまう。そのとき、玄巳は旧友藤林信太夫に誘われ、美濃へ薬草採取に赴いていたのだった。玄巳は3歳の娘を信太夫に預かってほしいと言う。己の妻一人を救えなかったとの思いから、長崎にて改めて医学を学び、医者について再考したいがためと玄巳は語った。信太夫は真葛を預かる。玄巳の音信はその後途絶えてしまう。
真葛は信太夫の許で育つ。幼少より薬草園を駈け回り、薬草栽培を仕事とする荒子たちの手伝いをしながら、薬草や生薬に関する実学を吸収していく。信太夫は真葛が医者にならなくても、最低限の知識を修得するのがよいと、真葛に本草学、本道(内科)・外科を教授した。さらに、知友の許に通わせて産科、児科、鍼灸なども学ばせたのだ。そんな生育歴を持ち、藤林匡からは妹のように思われ、またその培われた力量を信頼されている。
元岡真葛の活躍がここから始まって行く。御藥園を基盤にしながら、真葛は日常生活でふと触れ合った人々との関わりの中で、どこか不可解に感じた心象をそのままにしておけず、一歩踏み込み問題の謎解きをしていくというストーリーが展開していく。
それでは、第一話から簡単なご紹介をしておきたい。
第一話 人待ちの冬
手代が娘お香津の婿となり、先代の病没後に薬種問屋成田屋の跡を継ぐと、取り扱う薬種の質が落ちてきていた。藤林家はそれに気づき鷹ヶ峰出入りを禁じた。成田屋に奉公するお雪は最近節季にも実家に戻らない。心配した弟の太吉が店を訪ねても姉に会えず追い出される。棚倉家に仕える山根平馬が幼馴染みの弟太吉を連れて、真葛に相談に来た。成田屋を知る真葛は様子を窺いに行く。その折、真葛は成田屋夫婦の揉める声を聴き、店を出たお香津の跡を付ける。お香が植木職人に預けてあった元日草を引き取るという会話を耳にする。その何気ない会話から、真葛は後ほどよもやということに気づく。そこから思わぬ事件の顛末譚となる。元日草とは福寿草の別名。真葛の本領が発揮される。
第二話 春秋悲仏
真葛の診立(みた)てを請う病人の一人、菱屋のお膳がぷっつり来なくなった。心配する真葛は、二条衣棚の亀甲屋に五加皮の注文に行った帰りに、寺町蛸薬師の菱屋に立ち寄ってみようと考えた。だが、三条大橋の傍で、忍栄という説法師がお奈美観音の霊力を吹聴し、喜捨を受けその観音像の身を削り与えるという場に出くわす。仏像の欠片(かけら)を薬にするのだという。その欠片を貰い受ける菱屋の小女を目撃し、真葛は愕然とする。亀甲屋で偶然出会った来京中の本草学者延島沓山はこの忍栄と観音像のことを少し知っていた。これが始まりだった。この観音像と、遠島の刑を受けた加賀・金沢在の仏師並びに彼の妹お奈美にまつわる悲哀との関わりが明らかになっていく。さらに、この仏像の欠片になぜ霊力があったのかも・・・・・。構想が巧みな短編である。
第三話 為朝さま御宿
江戸時代、疱瘡と呼ばれ恐れられた病-現代の天然痘-とそれにまつわる民間信仰、当時の京における公家の生活実態、氏より育ちの視点が渾然と織り込まれていく。御典医藤林匡は公家・三条西家の当主実勲(さねいそ)の弟・実季(さねすえ)14歳が疱瘡に罹ったためにその治療に忙しい。だが、匡の子・辰之助も同じく疱瘡に罹っていた。三条西家では、疱瘡神は赤色を嫌うという民間信仰を併用していて、さらに坂田木綿が効くということにもあやかっていた。匡は三条西家では何も言わないが、自宅では俗説に惑わされてはならぬと、為朝さまに関わる赤色の民間信仰を排除し、医術第一で処方の指示を出し、真葛が辰之助の治療面を見ていた。著者は母である初音の思いを描いていく。初音は夫の匡に内緒で坂田木綿の寝間着を辰之助に着せ疱瘡除けをしていた。
実季は病重く亡くなる。辰之助は回復する。真葛が匡に付き従い、三条西家に治療に訪れたことから、坂田木綿に絡んだ民間信仰の背景・カラクリが明らかになっていく。そこには三条西家の末弟伊予丸が赤子の時に疱瘡に罹ったが快癒したという事情が絡んでいた。疱瘡に罹患した子を持つ母の思いと、冷静に観察する真葛の姿が描かれる。
第四話 ふたり女房
吉田山での観楓の宴が繰り広げられる最中に、侍同志の諍いが起こる。どちらも京詰めの武士夫妻でちょっとした騒ぎ。藤林匡がその仲裁に入る。気性の強い妻女の振る舞いに狼狽していた武士は、先に帰ると言い残して妻がその場を去ると、亀甲屋の設けた宴の席について来た。新発田藩の京詰めの武士で、高浜広之進と名乗った。彼は江戸で汐路と称する妻の親に見込まれて養子となった経緯と京詰めの経緯を語った。
酒宴の後で、匡と真葛は光隠寺の施行所に病人の治療に立ち寄る。そこで真葛は元武家の妻女らしきお香を知る。飲水の病(糖尿病)で目が不自由になってきているのである。お香の夫はひどく気弱な質の人だが、3年前に仕官の道を求めて京を出たようだ。いずれ迎えにきてくれるものと信じお香は夫を待っているという。施行所に住む病人の一人がお香を揶揄すると、怒ったお香は広之進という夫の名を無意識に発していた。真葛は一瞬呆然となった。
また、このところ光隠寺のあたりに不審な男が出没するという話から、事が進展していく。いわば二重婚をした気弱な武士にとって、思わぬ賢婦譚のストーリーとなる。最後の匡のつぶやきがおもしろい。
第五話 初雪の坂
十二、三歳の少年が藤林家の薬倉に盗みに入るが、荒子の又七に捕まる。が隙をみつけて逃走した。鷹ヶ峯周辺に住む孤児の一人。後にその少年の名は小吉とわかる。
藤林匡が青蓮院門跡の往診に出かけている間に、御薬園から五、六町ほどの距離にある安養寺隣の隠居所で氷室屋の隠居が倒れたという報せが入り、真葛が赴く。安養寺の範円からもらった煎じ薬を服用した後に倒れた。その煎じ薬は範円が御藥園から採れた生藥と言っていたと聴く。だが真葛がその薬を確かめると、それは毒芹の根だった。すぐにわかる虚言であるのに、なぜ範円がそんなことを言ったのか。
藤林家の役宅に、同じ町内の町役・乙訓屋正之助が飛び込んで来る。御薬園は町役の差配外である。しかし、真葛は正之助と話をして、小吉の名前が出てきたところから、得体の知れぬ悪意を感じる。数人の孤児が小吉がつかまっていると思ってか、薬倉に訪れた。孤児等の話から地蔵堂に臥せる幼い女児・お三輪の容体を真葛が診察に行く。一方、小吉が範円を殺害したという。事態の思わぬ展開から真相が明らかになっていく。
この真相に至る入り組んだ構図と人の思いが読ませどころになっている。盗みを働いた小吉像がガラリと転換するという仕掛けが巧みである。
第六話 粥杖打ち
粥杖打ちは小正月十五日に行われる宮中の年中行事。この日、宮中では望粥とも呼ばれる小豆粥を食する。この粥を炊いた際の杓子が粥杖である。粥杖で子のない女性の尻を打てば、男児を産むと言い倣わされていた。平安時代以来のこの行事が江戸時代には身分を問わずうっかりしている者を打ち叩く遊戯へと変化していた。当然、怪我人が出る。御典医の藤林匡は真葛を補助に伴って行く。宮中につくなり、二人は打ち叩かれる羽目に。
その後、御典医たちは怪我人の治療に追われる。この日の粥杖打ちは伏見宮が皆を煽っていたという。安芸局が御末のお竹を連れて来る。真葛は手当をするようにと指示されたが、お竹は頑なに拒否して逃げた。真葛にはこの女のことが記憶に残る。
如月の二日、真葛は書肆の佐野屋を訪れる。来客で取り込んでいるようなので、延山沓山が止宿している山本亡羊邸を訪ねる。そこで、佐野屋の娘が、粥杖打ちの後で、自宅に戻っている。身籠もっていて腹の子の父は伏見宮だと言っていると聞かされる。真葛はお竹を思い出した。
真葛は、沓山に言われたとおり、書肆・佐野屋から出版される予定の小野蘭山先生の講義録『本草綱目啓蒙』の草稿を読むために佐野屋に通う。ある日、佐野屋に向かう途中で産医の賀川満定と出会う。佐野屋に行くところだったという。賀川先生に会ったことから、お竹の妊娠の真相が明らかになっていく。
お竹の行為が、真葛に新たな己の生き方を貫く決意を促すことになる。
粥杖打ちという宮中の年中行事を、お竹が己の生き方の梃子に使うところが興味深い。
鷹ヶ峰のかつての雰囲気を想像できる情景描写が興味深い。また、本草学の知識、生薬及び漢方薬の処方についての記述が幅広く出てくることや江戸幕府における御藥園の経営システムがうかがえることもまた関心を惹かれる点である。薬草や生薬の記述はエキゾチックでさえあるところが時代を感じさせる。
再び、上掲した石標の立つ跡地に佇めば、きっとこの小説を想起するに違いない。
お読みいただき、ありがとうございます。
徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『夢も定かに』 中公文庫
『能楽ものがたり 稚児桜』 淡交社
『名残の花』 新潮社
『落花』 中央公論新社
『龍華記』 KADOKAWA
『火定』 PHP
『泣くな道真 -太宰府の詩-』 集英社文庫
『腐れ梅』 集英社
『若冲』 文藝春秋
『弧鷹の天』 徳間書店
『満つる月の如し 仏師・定朝』 徳間書店
余談ですが、もう一つの拙ブログに書いている記事をご紹介いたします。
本書に登場する実在人物に関連する史跡を幾つか今までに探訪しており、ご覧いただけるとうれしいです。
探訪 京の幕末動乱ゆかりの地 -8 壬生塚(近藤勇胸像・隊士の墓ほか)・壬生屯所旧跡(八木家)・六角獄舎跡ほか
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日本最初の「人体解屍観臓」を行ったのです。
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「山脇東洋解剖碑所在墓地」、「法眼東洋山脇先生墓」とその系譜の人々の墓碑
山脇家が人体解剖を重ねた際の遺体14柱の供養碑 をここで参拝しました。
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小野蘭山の高弟・山本亡羊の自邸があった場所(油小路五条)です。