『ふたり妻』に続く「京都鷹ヶ峰御薬園日録」シリーズ第2弾である。今回も6つの短編連作が収録されて、2015年11月に単行本として出版された。さらに2018年5月に徳間時代小説文庫となっている。「読楽」の2014年1月号から2015年1月号の期間中、奇数月に連載されたものの短編集である。本書のタイトルには連作の最後の短編のタイトルがそのまま使われている。
第1作に引き続き、連作での主人公は、京都鷹ヶ峰御薬園で生活する元岡真葛である。関わりを持った人々との間でふと気がかりになったことがきっかけで真葛はその謎解きに向かって踏み込んで行く。その人情味溢れる顛末譚を通して真葛の人柄を味わい楽しめる読み物シリーズである。
それでは、収録された短編の順に、ご紹介していこう。
< 糸瓜(へちま)の水 >
このストーリーは前作中の最後の短編「粥杖打ち」に端を発する。来京していた延島沓山が、御師で本草学の大家・小野蘭山が幕命により薬草の探索採集の旅に出るにあたり、真葛も随行しないかと打診した。藤林匡は反対したのだが、真葛はある決意をした。その結果がこの物語につながる。
真葛は蘭山の採薬の旅に随行した。そして江戸の蘭山の邸宅・衆芳軒に逗留し、蒐集された薬草の整理作業に勤しんでいる。蘭山は真葛の日焼けした顔に気づき、糸瓜水を使わせるように沓山に指示する。それがきっかけで、真葛は沓山に案内され、小石川御薬園を訪ねることになる。真葛は藤林匡から御薬園奉行・岡田利左衛門宛ての書状を携えてきていた。小石川御薬園はその敷地が二分され、岡田家と芥川家がそれぞれ生薬の上り高を競い合っていた。それを複雑にしているのが、新参の岡田家が奉行職を担っていることである。
岡田家の門前近くで真葛はうずくまる老婆に気づく。岡田家に勤める荒子の母だが、門が閉まっていた。芥川家に勤める荒子が異変に気づき傍に来た。芥川家の荒子はその老婆が隣の荒子辰次の母と知っていた。そこで老婆を芥川家に運び込み、真葛が手当をすることになる。病状が回復したはずの老婆が岡田家に行った後、苦しみだしたということから、一騒動になる。岡田・芥川両家の確執の渦中に真葛は巻き込まれる羽目に。
勿論、処方に間違いはないと確信する真葛は、老婆の苦しみの真因について謎解きをしなければならなくなる。両家の確執を知る老婆が己の息子を愛おしむ故の行動に焦点があたる。「母の慈愛とは時に周囲の思惑と大きくすれ違う。しかしすれ違ってもなお息子を案じずにおられぬ愚かさこそが、母の慈愛の根源であるだろう」(p44)がテーマになっている。
このストーリーの背景となる小石川御薬園の運営状況描写がリアルでおもしろい。
< 瘡守(かさもり) >
京都で小野蘭山が私塾・衆芳軒を開いた時から従僕を務めて来ていた喜太郎が、70歳を迎えたのを機に暇を取り、伏見の娘夫婦の元に身を寄せることになる。蘭山の採薬の旅に随行した真葛は、当初の目的を終え、この喜太郎を供に京都鷹ヶ峰に帰ることになる。喜太郎の勧めで、真葛は熱田神宮に参拝するため立ち寄ることにして、桑名の宿に直行せず、宮宿泊まりをする。参詣の前に、少し休憩をと思い茶店に立ち寄った。
その茶店で休息中に、別の客の会話からごくわずかの腐臭に気づき、それを一人の女の客からの臭いと突き止める。それが契機となり、熱田神宮境内の人気のない松林の一隅で、その女の病が瘡毒(梅毒)であると真葛は診断した。女は渡船場近くの旅籠の女房佐和とわかる。佐和の悩みを聴くことから、真葛はその宿に泊まり、佐和の夫の様子も観察する決心をする。その結果、夫妻の問題に一歩踏み込んで行くことになる。
江戸時代に瘡毒がどのように見られ、扱われていたか。その状況がわかる物語でもある。真葛が一組の夫婦の生き様に重要な梃子入れをするストーリーになっていく。
このストーリーの展開から、真葛の熱田神宮参詣はできずじまいで京への帰路につくことになったようである。
< 終の小庭 >
江戸から京への帰路の旅は大津宿が最後の泊まりとなる。喜太郎は京が近づくにつれ、複雑な心境に落ち込んで行く。己の帰京が歓迎されるのか、嫌がられるのか・・・・。
宿の入口である八町通に至ると、藤林匡の一人息子、10歳になった辰之助がわざわざ荒子の又七を供に出迎えに来てくれていた。喜太郎もひょっとして誰か来てくれているかと探す。気落ちしかけた時、七つか八つの少女が宿から放り出される騒動に出くわす。何とお栄と名乗るその子が一人で喜太郎を迎えに来ていたのだ。予想しない邂逅である。
お栄は両親と迎えに来る約束をしていたのだが、急にそれどころではなくなった事情ができたと両親が言っていたという。喜太郎はますます疑心暗鬼に陥る。歓迎されざる立場かと。真葛はいずれにしても喜太郎の娘夫婦と一旦は話し合いの場を持つ必要があると、喜太郎を励ましつつ、お栄の案内で伏見の御香宮神社にほど近い小さな商家に辿り着く。
娘夫妻がとんでもない詐欺事件に遭って困窮している事態を聞かされることに・・・・。
火事場の馬鹿力という言葉があるが、喜太郎が要の場面で思わぬ力を発揮する。禍転じて、ハッピーエンドで終わるところにほっとさせられる。
タイトルの「終の小庭」には、喜太郎にとって結果的に商家の小庭がうれしい出迎えとなってくれたという意味が込められている。
はらはら、やきもきさせて、最後はにこりとさせる終わり方がよい。
< 撫子(なでしこ)ひともと >
京都鷹ヶ峰御薬園での日常生活に戻った真葛に、匡の妻の初音が縁談話を持ちかけてくる。相手は上京の鍼灸医・小笹汪斎の子息玄四郎という。今はその気が無い真葛はその話を拒否する。そんな矢先に、岡朔定先生の紹介で青蓮院の寺侍の娘・お蓮が御薬園に訪ねてくる。岡先生に相談しづらいので女医の紹介を頼んだという。お蓮は自ら妊娠していると告げ、子を産みたい。相手は小笹玄四郎だという。その玄四郎から服用するようにと貰った薬を飲むべきかどうかの相談事だった。真葛はその丸薬を見て堕胎剤と判断した。
真葛はもたらされた縁談話にかこつけて、小笹玄四郎に自ら会い、その人体をまず見届けようとする。見合は叡覧能の折と決まる。観能中に能舞台でハプニングが起こったことから、真葛は玄四郎の人柄を知り、事の真相の謎を解くに至る。
真葛とお蓮という二人の女心を扱った興味深い短編となっている。
< ふたおもて >
真葛は藤林信太夫の妻で、真葛にとり養母であるお民の祥月命日に、真如堂の塔頭の一つ松林院にある藤林家の墓所に墓参に行く。供の荒子吉左と茶屋で一休みをしていて、町女房風の身拵えだが言葉遣いが武家に近い女の会話を耳にする。その傍に居たのは亀甲屋の主・宗平ではないかと吉左が気づく。吉左は亀甲屋の女主はかれこれ10年前に亡くなっているはずという。御薬園の役宅を訪れた亀甲屋の定次郎は、真葛の注文品の納入が遅れることを告げ、帰洛した父親の宗平がしばらくは旅に出ないと言い出したと語る。そして、帰洛後は壬生村の別墅に引きこもり店に顔を出さないといい、心配している。
先日の目撃が気になる真葛は、自分には見舞いに行く先があるので、亀甲屋の別墅に立ち寄ってみると定次郎に告げる。
別墅を訪れると宗平はかつての恩人も同然の人が別墅に寄寓していると言う。その後思わぬ事件が発生し、真葛によるその真相の謎解きに発展していく。
この短編のタイトルは、「人の心は、児手柏の二表(ふたおもて)」というこのストーリーの末尾近くに出てくるフレーズに由来する。
< 師走の扶持 >
師走の十六日は鷹ヶ峰御薬園の煤払いである。この日、真葛の母倫子の実父である棚倉静晟から例年通り米一俵と味噌一樽が届けられた。届けに来たのは棚倉家の家令田倉隆秀だった。応対していた藤林匡が激高しているとの報せで、真葛は二人の対座する場に駆けつける。静晟の子で、真葛の叔父にあたる棚倉祐光が先月半ばから咳病(現在のインフルエンザ)で寝込んだままだという。そのため、真葛の往診を頼んでいたのだ。出入りの医師は岡本梅哉先生で、先代が亡くなりまだ20歳の梅哉が跡を継いだのだという。田倉は真葛の素性を隠して往診してほしいと依頼した故に、匡はその身勝手に怒っていたのだ。
岡本梅哉は真葛が一時期同じ門下で学んでいた。姉さまと慕われてもいた関係だった。梅哉の名に傷をつけぬ為にも、真葛はその依頼を引き受ける。そして、梅哉の弟子で薬籠持ちで供についていると偽って棚倉祐光の病間に赴く。梅哉の診断と処方を聞いた上で、祐光の症状を観察した真葛はあることに気づく。それを梅哉に告げたことから、梅哉の知り得る棚倉家の内情をも聞き、真葛の謎解きが始まる。そして、匡の理解を得て、再度祐光に会いに出かける。
棚倉家の内部事情を知った真葛は、己の今までの棚倉静晟に対する見方を転換するとともに、祐光にある提案を行うことになる。
このストーリー、いつしか真葛の心情に深く引き込まれている自分に気づく。そんな短編である。
この6つの短編には、そのモチーフとして共通している観点があると思う。
それは現象面に表出されている相手の行動や言葉から、こちらが受けとめて解釈し理解した事実が必ずしも適切・妥当であるとは限らないということだ。相手の言葉と行動の背後にある思いは、現象に表れているものと真逆であり得る場合もある。その事例を具体的に短編小説に結実させているように感じた。人の心の深奥は簡単にはわからないもの・・・・というところか。
元岡真葛シリーズの第3弾が出ることを期待したい。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連する背景事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
小野蘭山 :ウィキペディア
江戸のくすりハンター 小野蘭山 :「くすりの博物館」
小野蘭山顕頌碑(京都市左京区) :「京都風光」
小石川御薬園 :「東京大学」
宮宿 :ウィキペディア
熱田神宮 :ウィキペディア
大津宿 :ウィキペディア
安産の社 御香宮 ホームページ
御香宮神社 :ウィキペディア
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『ふたり女房 京都鷹ヶ峰御薬園日録』 徳間書店
『夢も定かに』 中公文庫
『能楽ものがたり 稚児桜』 淡交社
『名残の花』 新潮社
『落花』 中央公論新社
『龍華記』 KADOKAWA
『火定』 PHP
『泣くな道真 -太宰府の詩-』 集英社文庫
『腐れ梅』 集英社
『若冲』 文藝春秋
『弧鷹の天』 徳間書店
『満つる月の如し 仏師・定朝』 徳間書店
尚、拙ブログ(遊心六中記)にて、以下の記事を掲載しています。
こちらもご覧いただけるとうれしいです。
観照 & 探訪 [再録] 京都・伏見 御香宮神社 本殿壁面の極彩美 -1
5回のシリーズでご紹介しています。
観照 & 探訪 [再録] 京都・伏見 御香宮神社の石庭~小堀遠州ゆかりの庭石~ほか
観照 & 探訪 [再録] 京都・伏見 御香宮神社 拝殿 蟇股の美
第1作に引き続き、連作での主人公は、京都鷹ヶ峰御薬園で生活する元岡真葛である。関わりを持った人々との間でふと気がかりになったことがきっかけで真葛はその謎解きに向かって踏み込んで行く。その人情味溢れる顛末譚を通して真葛の人柄を味わい楽しめる読み物シリーズである。
それでは、収録された短編の順に、ご紹介していこう。
< 糸瓜(へちま)の水 >
このストーリーは前作中の最後の短編「粥杖打ち」に端を発する。来京していた延島沓山が、御師で本草学の大家・小野蘭山が幕命により薬草の探索採集の旅に出るにあたり、真葛も随行しないかと打診した。藤林匡は反対したのだが、真葛はある決意をした。その結果がこの物語につながる。
真葛は蘭山の採薬の旅に随行した。そして江戸の蘭山の邸宅・衆芳軒に逗留し、蒐集された薬草の整理作業に勤しんでいる。蘭山は真葛の日焼けした顔に気づき、糸瓜水を使わせるように沓山に指示する。それがきっかけで、真葛は沓山に案内され、小石川御薬園を訪ねることになる。真葛は藤林匡から御薬園奉行・岡田利左衛門宛ての書状を携えてきていた。小石川御薬園はその敷地が二分され、岡田家と芥川家がそれぞれ生薬の上り高を競い合っていた。それを複雑にしているのが、新参の岡田家が奉行職を担っていることである。
岡田家の門前近くで真葛はうずくまる老婆に気づく。岡田家に勤める荒子の母だが、門が閉まっていた。芥川家に勤める荒子が異変に気づき傍に来た。芥川家の荒子はその老婆が隣の荒子辰次の母と知っていた。そこで老婆を芥川家に運び込み、真葛が手当をすることになる。病状が回復したはずの老婆が岡田家に行った後、苦しみだしたということから、一騒動になる。岡田・芥川両家の確執の渦中に真葛は巻き込まれる羽目に。
勿論、処方に間違いはないと確信する真葛は、老婆の苦しみの真因について謎解きをしなければならなくなる。両家の確執を知る老婆が己の息子を愛おしむ故の行動に焦点があたる。「母の慈愛とは時に周囲の思惑と大きくすれ違う。しかしすれ違ってもなお息子を案じずにおられぬ愚かさこそが、母の慈愛の根源であるだろう」(p44)がテーマになっている。
このストーリーの背景となる小石川御薬園の運営状況描写がリアルでおもしろい。
< 瘡守(かさもり) >
京都で小野蘭山が私塾・衆芳軒を開いた時から従僕を務めて来ていた喜太郎が、70歳を迎えたのを機に暇を取り、伏見の娘夫婦の元に身を寄せることになる。蘭山の採薬の旅に随行した真葛は、当初の目的を終え、この喜太郎を供に京都鷹ヶ峰に帰ることになる。喜太郎の勧めで、真葛は熱田神宮に参拝するため立ち寄ることにして、桑名の宿に直行せず、宮宿泊まりをする。参詣の前に、少し休憩をと思い茶店に立ち寄った。
その茶店で休息中に、別の客の会話からごくわずかの腐臭に気づき、それを一人の女の客からの臭いと突き止める。それが契機となり、熱田神宮境内の人気のない松林の一隅で、その女の病が瘡毒(梅毒)であると真葛は診断した。女は渡船場近くの旅籠の女房佐和とわかる。佐和の悩みを聴くことから、真葛はその宿に泊まり、佐和の夫の様子も観察する決心をする。その結果、夫妻の問題に一歩踏み込んで行くことになる。
江戸時代に瘡毒がどのように見られ、扱われていたか。その状況がわかる物語でもある。真葛が一組の夫婦の生き様に重要な梃子入れをするストーリーになっていく。
このストーリーの展開から、真葛の熱田神宮参詣はできずじまいで京への帰路につくことになったようである。
< 終の小庭 >
江戸から京への帰路の旅は大津宿が最後の泊まりとなる。喜太郎は京が近づくにつれ、複雑な心境に落ち込んで行く。己の帰京が歓迎されるのか、嫌がられるのか・・・・。
宿の入口である八町通に至ると、藤林匡の一人息子、10歳になった辰之助がわざわざ荒子の又七を供に出迎えに来てくれていた。喜太郎もひょっとして誰か来てくれているかと探す。気落ちしかけた時、七つか八つの少女が宿から放り出される騒動に出くわす。何とお栄と名乗るその子が一人で喜太郎を迎えに来ていたのだ。予想しない邂逅である。
お栄は両親と迎えに来る約束をしていたのだが、急にそれどころではなくなった事情ができたと両親が言っていたという。喜太郎はますます疑心暗鬼に陥る。歓迎されざる立場かと。真葛はいずれにしても喜太郎の娘夫婦と一旦は話し合いの場を持つ必要があると、喜太郎を励ましつつ、お栄の案内で伏見の御香宮神社にほど近い小さな商家に辿り着く。
娘夫妻がとんでもない詐欺事件に遭って困窮している事態を聞かされることに・・・・。
火事場の馬鹿力という言葉があるが、喜太郎が要の場面で思わぬ力を発揮する。禍転じて、ハッピーエンドで終わるところにほっとさせられる。
タイトルの「終の小庭」には、喜太郎にとって結果的に商家の小庭がうれしい出迎えとなってくれたという意味が込められている。
はらはら、やきもきさせて、最後はにこりとさせる終わり方がよい。
< 撫子(なでしこ)ひともと >
京都鷹ヶ峰御薬園での日常生活に戻った真葛に、匡の妻の初音が縁談話を持ちかけてくる。相手は上京の鍼灸医・小笹汪斎の子息玄四郎という。今はその気が無い真葛はその話を拒否する。そんな矢先に、岡朔定先生の紹介で青蓮院の寺侍の娘・お蓮が御薬園に訪ねてくる。岡先生に相談しづらいので女医の紹介を頼んだという。お蓮は自ら妊娠していると告げ、子を産みたい。相手は小笹玄四郎だという。その玄四郎から服用するようにと貰った薬を飲むべきかどうかの相談事だった。真葛はその丸薬を見て堕胎剤と判断した。
真葛はもたらされた縁談話にかこつけて、小笹玄四郎に自ら会い、その人体をまず見届けようとする。見合は叡覧能の折と決まる。観能中に能舞台でハプニングが起こったことから、真葛は玄四郎の人柄を知り、事の真相の謎を解くに至る。
真葛とお蓮という二人の女心を扱った興味深い短編となっている。
< ふたおもて >
真葛は藤林信太夫の妻で、真葛にとり養母であるお民の祥月命日に、真如堂の塔頭の一つ松林院にある藤林家の墓所に墓参に行く。供の荒子吉左と茶屋で一休みをしていて、町女房風の身拵えだが言葉遣いが武家に近い女の会話を耳にする。その傍に居たのは亀甲屋の主・宗平ではないかと吉左が気づく。吉左は亀甲屋の女主はかれこれ10年前に亡くなっているはずという。御薬園の役宅を訪れた亀甲屋の定次郎は、真葛の注文品の納入が遅れることを告げ、帰洛した父親の宗平がしばらくは旅に出ないと言い出したと語る。そして、帰洛後は壬生村の別墅に引きこもり店に顔を出さないといい、心配している。
先日の目撃が気になる真葛は、自分には見舞いに行く先があるので、亀甲屋の別墅に立ち寄ってみると定次郎に告げる。
別墅を訪れると宗平はかつての恩人も同然の人が別墅に寄寓していると言う。その後思わぬ事件が発生し、真葛によるその真相の謎解きに発展していく。
この短編のタイトルは、「人の心は、児手柏の二表(ふたおもて)」というこのストーリーの末尾近くに出てくるフレーズに由来する。
< 師走の扶持 >
師走の十六日は鷹ヶ峰御薬園の煤払いである。この日、真葛の母倫子の実父である棚倉静晟から例年通り米一俵と味噌一樽が届けられた。届けに来たのは棚倉家の家令田倉隆秀だった。応対していた藤林匡が激高しているとの報せで、真葛は二人の対座する場に駆けつける。静晟の子で、真葛の叔父にあたる棚倉祐光が先月半ばから咳病(現在のインフルエンザ)で寝込んだままだという。そのため、真葛の往診を頼んでいたのだ。出入りの医師は岡本梅哉先生で、先代が亡くなりまだ20歳の梅哉が跡を継いだのだという。田倉は真葛の素性を隠して往診してほしいと依頼した故に、匡はその身勝手に怒っていたのだ。
岡本梅哉は真葛が一時期同じ門下で学んでいた。姉さまと慕われてもいた関係だった。梅哉の名に傷をつけぬ為にも、真葛はその依頼を引き受ける。そして、梅哉の弟子で薬籠持ちで供についていると偽って棚倉祐光の病間に赴く。梅哉の診断と処方を聞いた上で、祐光の症状を観察した真葛はあることに気づく。それを梅哉に告げたことから、梅哉の知り得る棚倉家の内情をも聞き、真葛の謎解きが始まる。そして、匡の理解を得て、再度祐光に会いに出かける。
棚倉家の内部事情を知った真葛は、己の今までの棚倉静晟に対する見方を転換するとともに、祐光にある提案を行うことになる。
このストーリー、いつしか真葛の心情に深く引き込まれている自分に気づく。そんな短編である。
この6つの短編には、そのモチーフとして共通している観点があると思う。
それは現象面に表出されている相手の行動や言葉から、こちらが受けとめて解釈し理解した事実が必ずしも適切・妥当であるとは限らないということだ。相手の言葉と行動の背後にある思いは、現象に表れているものと真逆であり得る場合もある。その事例を具体的に短編小説に結実させているように感じた。人の心の深奥は簡単にはわからないもの・・・・というところか。
元岡真葛シリーズの第3弾が出ることを期待したい。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連する背景事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
小野蘭山 :ウィキペディア
江戸のくすりハンター 小野蘭山 :「くすりの博物館」
小野蘭山顕頌碑(京都市左京区) :「京都風光」
小石川御薬園 :「東京大学」
宮宿 :ウィキペディア
熱田神宮 :ウィキペディア
大津宿 :ウィキペディア
安産の社 御香宮 ホームページ
御香宮神社 :ウィキペディア
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『ふたり女房 京都鷹ヶ峰御薬園日録』 徳間書店
『夢も定かに』 中公文庫
『能楽ものがたり 稚児桜』 淡交社
『名残の花』 新潮社
『落花』 中央公論新社
『龍華記』 KADOKAWA
『火定』 PHP
『泣くな道真 -太宰府の詩-』 集英社文庫
『腐れ梅』 集英社
『若冲』 文藝春秋
『弧鷹の天』 徳間書店
『満つる月の如し 仏師・定朝』 徳間書店
尚、拙ブログ(遊心六中記)にて、以下の記事を掲載しています。
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