遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『背中の蜘蛛』 誉田哲也  双葉社

2020-07-27 12:59:48 | レビュー
 新聞広告が目に止まり読んだ。著者の小説を読むのはこれが初めて。警察小説である。2019年10月に単行本として出版された。
 この小説は「第一部 裏切りの目」「第二部 顔のない目」「第三部 蜘蛛の背中」という三部構成になっている。第三部のタイトルを逆転した文字列が本書のタイトルになっている。蜘蛛は英語ではスパイダーである。背中という言葉を背後という意味に受けとめると、「蜘蛛の背中」は一つの暗喩として使われていると読了後に思った。また「背中の蜘蛛」という逆転した文字列のタイトルは、視点と次元を変えた暗喩だと思う。
 
 「第一部 裏切りの目」は池袋署の管内で起こった刺殺事件の捜査から始まる。池袋署刑事課の本宮夏生課長が、渋谷署で一緒だった上山から突然の連絡を受け、新宿駅近くの居酒屋で再会する。上山はノンキャリアの警察官だが、10ヶ月間のFBIでの研修を命じられて渡米し、2週間前に帰国。公安部の付属機関であるサイバー攻撃対策センターに着任して3日目だと言う。二人が語らっている時に、草間警部から西池袋五丁目で殺人容疑事案発生の連絡が入る。
 三部構成の全体を通して、本宮と上山の二人がストーリーの中心人物になっていく。
 池袋署の7階に「西池袋五丁目路上男性殺人事件特別捜査本部」が設置される。50人の捜査員体制で捜査が始まる。被害者は刺されたが盗られたものは無く、所持品の運転免許書から氏名・住所が速やかに確定する。周辺の防犯カメラ映像の収集による割り出し作業、地取り、鑑取りなど通例の捜査活動が進展する。
 捜査の第一期20日が過ぎた頃、捜査一課長の小菅警視正が本宮のところに訪れて、「頼まれ事」を引き受けてくれという。内密で被害者の妻・浜木名都の過去、できれば大学・高校時代までさかのぼり男関係を含めて調べることを指示した。指示を受けた本宮は不審に思いつつも従わざるを得ない。本宮は特捜本部に組み込まれて捜査に従事し、今は鑑識と一緒にナシ割りを担当している口の堅い部下2人を引き抜く。本宮は極秘で独自に特命事項として捜査を指示する。
 この極秘捜査が事件の解決に繋がって行く。本宮は特捜本部の管理官に対して、タレコミがあり独断で部下に捜査をさせたという形で結果報告をする損な役割を担う立場になる。
 小菅は本宮に対し、特命指示に関して「理由は訊かないでもらいたい」としか言わなかった。事件は解決した。だがその後小菅からの説明は一切無い。本宮はなぜか罪の意識に似たものを感じる。「自分は、何をしてしまったのだ。自分は一体、何を裏切ってしまったのだ」(p62)と。
 第一部はいわば、このストーリーの序章である。起承転結で言えば「起」にあたる。

 「第二部 顔のない目」は警視庁本部の組織犯罪対策部所属の植木警部補と高井戸署刑事組織犯罪対策課所属の佐古巡査部長の二人が、渋谷区のあるマンション傍で張り込みをしている場面から始まる。マンションの住人・キャバ嬢千倉葵の部屋に入った森田一樹の行動確認で監視しているのだ。森田は複数種類の薬物を扱う売人。だが、ヤクザ、「半グレ」、外国人のどの筋にも結びつかない。そのルート解明が捜査の狙いになる。
 森田一樹は新木場にあるスタジオ・イーストゴーストというコンサート会場に向かう。植木等は森田の行確を続け、薬物の受け渡しが行われるのかと推測した。森田は会場内のコインロッカーのエリアで、目的とする番号のロッカーを開ける。それが最後だった。
 ごく近くまで接近していた植木は巻き込まれてしまう。ボゴンッ、という轟音共に、赤白い閃光が両目に突き刺さる。そこで意識がなくなる。
 森田は爆殺により即死、付近にいた3名が巻き添えにあい重軽傷、植木も左腕と左脚を同時に負傷して入院。統括主任の松田が植木に説明する。「たまたまなんだろうが・・・お前のジャケットの襟の内側に、森田の眼球が一つ、入り込んでいたそうだ。・・・左目だろうな。見つけたのは桃井だ。・・・・」(p98)第二部のタイトルはここに由来する。
 この第二部は、いわば第一部とは全く別の事件の発生へとシフトしていく。植木が退院し、左腕・左脚が不自由な状態で特捜本部に復帰したときには、中島晃という被疑者が確保されていた。
 第二部はいわば「承」の段階である。

 「第三部 蜘蛛の背中」は、なぜ急にこんな場面描写から始まるのかとまず思う。幻覚症状が出ているような男の行動描写。それはオサム(理)とリョウタ(凉太)の出会いとなる。そして、理と凉太の奇妙な人間関係が生まれ、その関係が深まっていく。凉太を介して凉太の姉・幹子と知り合う。理と凉太・幹子の三人の人間関係が、捜査活動ストーリーとパラレルに一種異質なサブストーリーとして徐々に進展してく。これがどう繋がっていくのか、読者の立場では興味津々と成らざるをえない。
 さらに、もう一つのサブストーリーが始まって行く。上山の家庭の状況描写をエピソード風に織り込みながら、上山が現在所属する警視庁総務部情報管理課運用第三係という部署の職務とその状況が詳細に描写されていく。上山はこの第三係の係長になっている。
 メインのストーリーである捜査活動は、第二部を受けて「新木場二丁目男女爆殺傷事件」特別捜査本部が東京湾岸署に設置された時点から具体的な状況描写を重ねながら進展している様が描かれる。
 この1ヵ月前に、本宮は池袋署刑事課長から警視庁本部の捜査一課の管理官として異動していた。そして、管理官になり半月が経った頃、新たに発生した「新木場二丁目男女爆殺傷事件」を初めて検視担当管理官として担当することになる。
 初動捜査が行われた後、事件発生三日目に、薬物事犯の捜査本部を経由し特捜に参加してきた佐古巡査部長に直接電話がかかってきた。有力情報がタレコミ電話としてもたらせられたのだ。中島晃という男が俎上に載ってくる。爆殺傷事件に関係していて、違法薬物の売買も手がけているという。中島晃が容疑者かどうかの裏付け捜査が具体的に始まって行く。

同時並行に3つのストーリーが進み始める。このあたりが、「転」の段階といえるのではないか。そして、メインのストーリーと思っていた事件の捜査活動が少し背後に後退し、サブストーリーと思っていた2つのストーリーが表に出て来て徐々に重要性を増していく。
 「タレコミ」という事象に大きく不審感を抱いていた本宮が特捜本部の捜査とは別に独自捜査を始めていく。その疑惑が警察組織を揺るがしかねない大きな問題に繋がっていく。そこには上山の所属する運用三係の存在が関わっていることに本宮は気づく。その頃、上山自身も所属部署で発見された大問題に直面していた。それが「蜘蛛の背中」という第三部のタイトルとして暗喩的に出ている。
 そんな渦中で、新たな刺殺事件が発生してしまう。一方、それはすべての捜査が解決する契機にもなっていく。
 
 この小説の設定の巧妙さは、「西池袋五丁目路上男性殺人事件」と「新木場二丁目男女爆殺傷事件」の双方に関わった本宮が、「タレコミ」というキーワードで表現される不審な行為を共通項として結びつける点にある。両事件への関与がなければ、このストーリーは成立しない。本宮が事件の奥に潜んでいる「運用三係」の存在を引き出して行くところのストーリー展開が一つの読ませどころとなる。
 この警察小説のおもしろさは、二つの殺人事件を踏み台にして、別の次元・警察組織の問題へとテーマをシフトさせていくところにある。警察組織における捜査活動行為の限界領域はどこなのかという点に及んでいく。
 「蜘蛛の背中」で暗喩される情報化社会において回避困難な問題事象を描写しながら、次元をシフトさせて「背中の蜘蛛」という暗喩で表現される必要悪を是認できるかどうかという論点への転移とも言える。著者の問題提起、モチーフがここにあるようだ。
 殺人事件の捜査活動と事件解決という次元から、警察組織の存立にも及び兼ねない問題次元にストーリーをシフトさせて行き、その両次元から警察組織を描くというところがおもしろい。
 運用三係の存在について、本宮の考え方が少しずつ変容していくプロセスを著者は描き込む。その本宮は彼なりの結論を上山と再会した居酒屋で、上山に伝えるところでエンディングとなる。

 このストーリーの大枠と読後印象をご紹介した。この流れがどのように具体的に詳細に書き込まれていくか、そこが読ませどころといえる。後で振り返ると、ストーリーの展開のキーになる伏線が巧みに各所に散りばめられていることがわかる。ああ、これがあそこに繋がっていたのか・・・・と。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心を抱いた事項をいくつか検索した。一覧にしておきたい。
サイバー犯罪  :ウィキペディア
刑事弁護コラム サイバー犯罪とは  :「弁護士法人中村国際刑事法律事務所」
サイバー犯罪相談の事例と対策 :「京都府警察」
PRISM(監視プログラム) :ウィキペディア
国際的監視網  :ウィキペディア
The NSA files :「The Gardian」 
エドワード・スノーデン  :ウィキペディア
スノーデンが東京で下した大量監視告発の決断  :「東洋経済ONLINE」
Xkeyスコア :「コトバンク」
スティングレイ (IMSIキャッチャー)  :ウィキペディア
バウンドレス・インフォーマント  :ウィキペディア
表層Web    :ウィキペディア
ダークウェブ  :ウィキペディア
深層Web    :ウィキペディア

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