ブラタモリはおもしろいと聞き、興味を抱き途中から放送番組を見始めた。その内容が本として出版されていることを最近知った。そこでまず自分が訪れたことのある地域を取り上げているものからランダムに読み始めた。数冊読んで、それではと今回このシリーズの第1作に至った。このシリーズは興味の赴くままにランダムに・・・・。
「ブラタモリ」は2008年から断続的に放送されていたという。それが現シリーズの形で始まったのが2015年4月だということを本書を開いて知った。
ここには「長崎」(2015年4月10・18日放送)、「金沢」(2015年4月25日/5月2日放送)、「鎌倉」(2015年5月9・23日放送)が収録されている。異なるテーマ設定で、各地域連続2回の放送番組としてまとめられたようである。
本書の基本構成コンセプトについて繰り返しになるがまずご紹介しておこう。
*ブラタモリの番組放映のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
*番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
*番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
*同行アナウンサーの番組裏話 本書は桑子真帆さんのトーク
である。
このシリーズ第1作に明確に記されているのは、タモリさんも同行アナウンサーの桑子さんも共に、一切の事前準備、予備知識なしに現地に臨むという方針で番組が始まるそうだ。まさにぶっつけ本番の進行である。番組のシナリオは秘密主義で始まるようだ。そして、例のテーマをまず与えられるというシーンが出てくることになる。「マニアックな専門家が次々に現れて、漠然とした疑問がどんどん解けていくんですから。これは本当に、ある意味ミステリーを読んでいるような感じですよね」(p5)というタモリさんの感想につながり、驚きと新鮮さに結びついていくのだろう。
本書から私が学んだ要点を私なりに整理し覚書としてまとめてみたい。機会があれば現地を訪ねてみる下準備でもある。専門家と一緒に歩き回れるわけではないので・・・・・。
このシリーズの面白味はこれらの要点がどのようなアプローチで解き明かされていくかにある。毎回書いているが、番組の語り口調を思い出させ、読みやすい本文の流れになっている。説明は写真やイラスト図のビジュアルなサポートによりわかりやすくなっている。
基本知識の大凡の要点だけであるが、ご紹介しよう。
このまとめが、軽妙で軽やかな語り口調の本書を開いてみようという誘いになれば幸いである。
<長崎>
テーマ1 ”坂の町・長崎”の始まりとは?
*長崎は、海に突き出した長い岬だった。長崎の平たい場所はすべて海が埋め立てられたところである。だから、坂の町となった。
*長崎の開港による外国人居留地の広がり、近代化による人口の急増が、猛スピードで斜面や山の上まで家を建てる形に拡大した。それが深い坂の町を形成した。
*グラバースカイロードは日本初の公道に設置されたエレベーター。それは相生地獄坂の約50mの高低差を回避するため、町の住民の生活のために造られた。
*「ドンドン坂」の名称は、雨が降ると両側の側溝を流れる水の「ドンドン」と鳴る音に由来するという。側溝は石を刳り抜いたもので、坂の上はU字溝、坂の下は三角溝という形状である。流水速度を調節するための工夫による。
*長崎の開港は1571(元亀2)年。当時は大海原に長い岬が伸びている状態。その痕跡は町の随所に残る。「長い岬」が変化して地名「長崎」になったという。⇒坂道と石垣
*「出島」は扇形の人工島で、独特の長崎文化を育んだ国内唯一の国際島。
近年、出島の発掘調査とともにその復元事業が進められている。「出島埋蔵整理作業所」が設置されている。2050年を目標に出島復元プロジェクトが推進されている。
十六番蔵・筆者部屋・十四番蔵・乙名詰所・組頭部屋・銅蔵・出島表門橋・水門等は復元
*「出島」は1636(寛永13)年幕府の命で、長崎の有力町人25人の出資により扇型に造成された埋立の人工島。保安のために外周に石垣を巡らせ、架橋し、周囲に塀を築き、日本人の立入を禁止した。オランダ商館は土地建物の使用料を出資者に支払った。年間銀55巻目。凡そ1億円相当という。
オランダ風説書は鎖国時代に世界情勢を知る情報源。翻訳⇒長崎奉行所⇒江戸幕府へ
*長崎電鉄の石橋電停近く、オランダ坂の一端付近の道路下には、江戸時代に架橋の「大浦橋」(石橋)が埋まっている。大浦川が暗渠となって流れている。
テーマ2 長崎の近代化は海から?
*長崎は帆船に最適なすり鉢状の港であり、開港により栄えた。造船が大きな役割を担う。
「明治日本の産業革命遺産」(2015年世界文化遺産に登録)で長崎は8構成資産を登録・
小菅修船場跡、旧グラバー邸、髙島炭鉱、三菱長崎造船所第三船渠
端島炭鉱(軍艦島)、三菱長崎造船所ジャイアント・カンチレバークレーン、同旧木型場、同占勝閣*小菅修船場跡は日本初の西洋式スリップドック。1000t級の船まで船底の修理が可能。
*周囲4kmの池島は、九州で最後まで稼働した「池島炭鉱」。平成13年まで採炭。
海面下650m、坑道総延長96kmの海底炭鉱。 ⇒長崎は炭鉱の町でもあった。
<金沢>
テーマ1 加賀百万石はどう守られた!?
*加賀百万石の繁栄の基盤は河岸段丘の段差を利用した金沢城の「惣構」の防備にある。
⇒内惣構と外惣構の二重の惣構を構築した。それに城の掘が加わる。
享保19(1734)年に、兵学者有沢武貞が外惣構は慶長15年に造られたと論じている。
この説は論拠が脆弱。惣構の全体は慶長6年には完成していたと木越隆三氏は説く。
*近江町市場に惣構の痕跡が残る(ある店の中にある段差)。
主計町(かずえまち)緑水苑は、西内惣構の掘を生かして造られたもの。
枯木橋は東内惣構の一部。
*三代前田利常は1651(慶安4)年から数年間、改作法と呼ばれる農政改革を実施し、農業社会を安定させた。また、豊かな財力で文化や芸術に力を注いだ。優れた政治力を発揮。
*金沢城には高い土木技術を駆使して約11kmに及ぶ辰已用水が引かれた。「逆サイフォン」の原理が使われている。辰已用水が水不足という藩の危機を救った。
⇒兼六園内に辰已用水の痕跡(石管)が残る。兼六園は辰已用水完成後に築庭された。
辰已用水の水流を利用した「土清水塩硝蔵跡」遺構が発掘された。黒色火薬製造設備。
テーマ2 金沢は美のまち!?
*金沢城は「石垣の博物館」
辰已櫓跡:金沢城初期の高石垣を明治期に旧陸軍第九師団が3段構造に改修
初代前田利家の石垣:野面積みの石垣、文禄元(1592)年の築造、15mの高さ、間詰石
三代前田利常の石垣:割石積みの石垣、石垣に200種以上の刻印、
五代前田綱紀の石垣:色紙短冊積石垣(玉泉院丸庭園内)、鑑賞用石垣で切石積み
石川門石垣:宝暦9(1759)年の大火で、左側は粗加工石積のまま、正面は切石積み
*前田綱紀は利常の改作法を継承し内政を安定させ善政を敷く。同時に学者文人の招聘、図書の蒐集、工芸標本集『百工比照』を完成させた。加賀藩きっての文人藩主。
*金沢は金の鉱脈から砂金を含む土砂が流れてできた土地。「金の沢」が「金沢」に。
*16世紀末にはすでに金・銀箔製造が行われていた記録がある。金沢を代表する工芸品
⇒国内の金箔のほぼ100%が金沢産。10円玉ほどの合金が畳1枚分にまで拡薄される。
金箔は、金に少量の銀と銅が加えられ、1万分の1mmの厚みに延ばされたもの。
箔打紙を使って行われる箔打作業は非常に高度な技と根気が必要。
*伝統工芸品:金沢箔、加賀友禅、九谷焼、加賀漆器、加賀繍(かがぬい)
<鎌倉>
テーマ1 鎌倉800年の”まちづくり”とは?
*鎌倉時代の鎌倉は「鎌倉中」と呼ばれた狭いエリア。そこに最大10万人が居住した。
鎌倉中の7口:極楽寺口、大仏坂口、化粧坂口、亀谷口、巨福呂坂口、六浦口、名越坂口
*鎌倉では谷はヤツと読む。谷(ヤツ)・谷戸(ヤト)は山沿いに無数に存在する。
鎌倉には200以上のヤツがあり、そのヤツのほとんどに武家の屋敷や寺が建てられた。
*鎌倉石は凝灰質砂岩で比較的柔らかく細工が容易。耐火性もある。
鎌倉石の岩盤である自然のヤツを掘り「やぐら」を墳墓やお堂の代わりとする。石段を掘り出し、階段状に平らな土地を造成し立体的に土地を利用する工夫がみられる。
*北条氏が開いた浄光明寺には鎌倉石の切岸をバックに設えた「断層の庭」がある。
*鎌倉の海はかなりの遠浅。天然の良港がない。和賀江嶋は凝灰岩の岩盤地層からできた「波食台」に、他地域から石を搬入して人力で造られた日本最古の築港である。一方、和賀江嶋の築港が沿岸の海流を変え、砂の堆積など海岸沿いの地形に影響を及ぼした。
*鶴岡八幡宮の一の鳥居は由比ヶ浜砂丘の頂上にある。鎌倉時代はこの一の鳥居が「都市の境界」だった。海側が「前浜」で無住地域。八幡宮側は湿地が地盤改良され10万人都市となった。砂丘の内側(後背地)の地盤改良に、山を切り崩して出た鎌倉石(凝灰岩)の石クズが活躍した。
テーマ2 鎌倉が観光で発展し続ける理由は?
*江戸時代に爆発的に流行した江ノ島詣では、鎌倉が観光地となるきっかけの一つ。
*七里ヶ浜は江ノ島から海づたいに鎌倉へ入る玄関口となる。富士山を眺める絶景地。
*極楽坂切通しは江戸時代鎌倉中に入る最後の難関。それを越えると、古刹の長谷寺があり、門前は宿場町として栄えた。江ノ島から歩いてくると宿泊地として適度な距離となる。
*江戸時代から高徳院の「露坐の大仏」は鎌倉観光の最大の目玉。大仏の像高は約11.3m。
*徳川光圀が12年の歳月をかけ『新編鎌倉志』を編纂。全8巻12冊の地誌。これが鎌倉観光の情報発信の元ネタとなった。光圀が遠出したのはほぼ鎌倉のみという。
*江ノ電は江戸時代の定番観光ルートにほぼ沿うように走る全長10kmのローカル鉄道。
年間1700万人が、おもに観光目的で利用する。江ノ島駅~腰越駅間のみ「併用軌道」
腰越駅~鎌倉高校前駅間は幅ギリギリで急カーブあり。鎌倉高校前駅のみ海を一望可能
江ノ電600形車両のフロント部分(本物!)を壁にめり込ませた「御菓子司 扇屋」あり*江ノ電の極楽寺検車区には昭和6年誕生で最古の車両100形108号が現存。愛称「タンコロ」
基礎的な知識情報はこんなところでしょうか。これらの説明が写真・地図・イラスト図などでわかりやすく展開されていくアプローチ法と放映タッチの語り部調のスタイルが魅力だ。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
長崎県のすがた :「長崎県」
長崎の特殊地形 TOP10 :「じゃらんnet」
出島 公式ホームページ
出島 :ウィキペディア
軍艦島 :「ながさき旅ネット」
池島炭鉱体験と外海めぐり :「ながさき旅ネット」
池島炭鉱坑内体験ツアー :「長崎さるく」
金沢城公園 ホームページ
石川県立図書館所蔵大型絵図 :「石川県立図書館」
金沢城古地図めぐり :「Story β」
辰已用水 :「金沢市役所」
辰已用水の才 天才的技術者・板屋兵四郎 :「水土の礎」
加賀を創造した人々 有名無名の業績・五十選 :「水土の礎」
前田綱紀 :ウィキペディア
鎌倉大仏殿高徳院 ホームページ
鶴岡八幡宮 公式ホームページ
知る 武士の都・鎌倉の文化の起点
鎌倉五山 :ウィキペディア
鎌倉五山 :「鎌倉手帳」
史跡 和賀江嶋 :「鎌倉タイム」
江ノ島電鉄 :ウィキペディア
駅の情報 :「江ノ電」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ブラタモリ 3 函館 川越 奈良 仙台』 角川書店
『ブラタモリ 7 京都(嵐山・伏見)志摩 伊勢(伊勢神宮・お伊勢参り)』 角川書店
『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』 角川書店
『ブラタモリ 13 京都(清水寺・祇園) 黒部ダム 立山』 角川書店
『ブラタモリ 15 名古屋 岐阜 彦根』 角川書店
『ブラタモリ 16 富士山・三保松原 高野山 宝塚 有馬温泉』 角川書店
「ブラタモリ」は2008年から断続的に放送されていたという。それが現シリーズの形で始まったのが2015年4月だということを本書を開いて知った。
ここには「長崎」(2015年4月10・18日放送)、「金沢」(2015年4月25日/5月2日放送)、「鎌倉」(2015年5月9・23日放送)が収録されている。異なるテーマ設定で、各地域連続2回の放送番組としてまとめられたようである。
本書の基本構成コンセプトについて繰り返しになるがまずご紹介しておこう。
*ブラタモリの番組放映のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
*番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
*番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
*同行アナウンサーの番組裏話 本書は桑子真帆さんのトーク
である。
このシリーズ第1作に明確に記されているのは、タモリさんも同行アナウンサーの桑子さんも共に、一切の事前準備、予備知識なしに現地に臨むという方針で番組が始まるそうだ。まさにぶっつけ本番の進行である。番組のシナリオは秘密主義で始まるようだ。そして、例のテーマをまず与えられるというシーンが出てくることになる。「マニアックな専門家が次々に現れて、漠然とした疑問がどんどん解けていくんですから。これは本当に、ある意味ミステリーを読んでいるような感じですよね」(p5)というタモリさんの感想につながり、驚きと新鮮さに結びついていくのだろう。
本書から私が学んだ要点を私なりに整理し覚書としてまとめてみたい。機会があれば現地を訪ねてみる下準備でもある。専門家と一緒に歩き回れるわけではないので・・・・・。
このシリーズの面白味はこれらの要点がどのようなアプローチで解き明かされていくかにある。毎回書いているが、番組の語り口調を思い出させ、読みやすい本文の流れになっている。説明は写真やイラスト図のビジュアルなサポートによりわかりやすくなっている。
基本知識の大凡の要点だけであるが、ご紹介しよう。
このまとめが、軽妙で軽やかな語り口調の本書を開いてみようという誘いになれば幸いである。
<長崎>
テーマ1 ”坂の町・長崎”の始まりとは?
*長崎は、海に突き出した長い岬だった。長崎の平たい場所はすべて海が埋め立てられたところである。だから、坂の町となった。
*長崎の開港による外国人居留地の広がり、近代化による人口の急増が、猛スピードで斜面や山の上まで家を建てる形に拡大した。それが深い坂の町を形成した。
*グラバースカイロードは日本初の公道に設置されたエレベーター。それは相生地獄坂の約50mの高低差を回避するため、町の住民の生活のために造られた。
*「ドンドン坂」の名称は、雨が降ると両側の側溝を流れる水の「ドンドン」と鳴る音に由来するという。側溝は石を刳り抜いたもので、坂の上はU字溝、坂の下は三角溝という形状である。流水速度を調節するための工夫による。
*長崎の開港は1571(元亀2)年。当時は大海原に長い岬が伸びている状態。その痕跡は町の随所に残る。「長い岬」が変化して地名「長崎」になったという。⇒坂道と石垣
*「出島」は扇形の人工島で、独特の長崎文化を育んだ国内唯一の国際島。
近年、出島の発掘調査とともにその復元事業が進められている。「出島埋蔵整理作業所」が設置されている。2050年を目標に出島復元プロジェクトが推進されている。
十六番蔵・筆者部屋・十四番蔵・乙名詰所・組頭部屋・銅蔵・出島表門橋・水門等は復元
*「出島」は1636(寛永13)年幕府の命で、長崎の有力町人25人の出資により扇型に造成された埋立の人工島。保安のために外周に石垣を巡らせ、架橋し、周囲に塀を築き、日本人の立入を禁止した。オランダ商館は土地建物の使用料を出資者に支払った。年間銀55巻目。凡そ1億円相当という。
オランダ風説書は鎖国時代に世界情勢を知る情報源。翻訳⇒長崎奉行所⇒江戸幕府へ
*長崎電鉄の石橋電停近く、オランダ坂の一端付近の道路下には、江戸時代に架橋の「大浦橋」(石橋)が埋まっている。大浦川が暗渠となって流れている。
テーマ2 長崎の近代化は海から?
*長崎は帆船に最適なすり鉢状の港であり、開港により栄えた。造船が大きな役割を担う。
「明治日本の産業革命遺産」(2015年世界文化遺産に登録)で長崎は8構成資産を登録・
小菅修船場跡、旧グラバー邸、髙島炭鉱、三菱長崎造船所第三船渠
端島炭鉱(軍艦島)、三菱長崎造船所ジャイアント・カンチレバークレーン、同旧木型場、同占勝閣*小菅修船場跡は日本初の西洋式スリップドック。1000t級の船まで船底の修理が可能。
*周囲4kmの池島は、九州で最後まで稼働した「池島炭鉱」。平成13年まで採炭。
海面下650m、坑道総延長96kmの海底炭鉱。 ⇒長崎は炭鉱の町でもあった。
<金沢>
テーマ1 加賀百万石はどう守られた!?
*加賀百万石の繁栄の基盤は河岸段丘の段差を利用した金沢城の「惣構」の防備にある。
⇒内惣構と外惣構の二重の惣構を構築した。それに城の掘が加わる。
享保19(1734)年に、兵学者有沢武貞が外惣構は慶長15年に造られたと論じている。
この説は論拠が脆弱。惣構の全体は慶長6年には完成していたと木越隆三氏は説く。
*近江町市場に惣構の痕跡が残る(ある店の中にある段差)。
主計町(かずえまち)緑水苑は、西内惣構の掘を生かして造られたもの。
枯木橋は東内惣構の一部。
*三代前田利常は1651(慶安4)年から数年間、改作法と呼ばれる農政改革を実施し、農業社会を安定させた。また、豊かな財力で文化や芸術に力を注いだ。優れた政治力を発揮。
*金沢城には高い土木技術を駆使して約11kmに及ぶ辰已用水が引かれた。「逆サイフォン」の原理が使われている。辰已用水が水不足という藩の危機を救った。
⇒兼六園内に辰已用水の痕跡(石管)が残る。兼六園は辰已用水完成後に築庭された。
辰已用水の水流を利用した「土清水塩硝蔵跡」遺構が発掘された。黒色火薬製造設備。
テーマ2 金沢は美のまち!?
*金沢城は「石垣の博物館」
辰已櫓跡:金沢城初期の高石垣を明治期に旧陸軍第九師団が3段構造に改修
初代前田利家の石垣:野面積みの石垣、文禄元(1592)年の築造、15mの高さ、間詰石
三代前田利常の石垣:割石積みの石垣、石垣に200種以上の刻印、
五代前田綱紀の石垣:色紙短冊積石垣(玉泉院丸庭園内)、鑑賞用石垣で切石積み
石川門石垣:宝暦9(1759)年の大火で、左側は粗加工石積のまま、正面は切石積み
*前田綱紀は利常の改作法を継承し内政を安定させ善政を敷く。同時に学者文人の招聘、図書の蒐集、工芸標本集『百工比照』を完成させた。加賀藩きっての文人藩主。
*金沢は金の鉱脈から砂金を含む土砂が流れてできた土地。「金の沢」が「金沢」に。
*16世紀末にはすでに金・銀箔製造が行われていた記録がある。金沢を代表する工芸品
⇒国内の金箔のほぼ100%が金沢産。10円玉ほどの合金が畳1枚分にまで拡薄される。
金箔は、金に少量の銀と銅が加えられ、1万分の1mmの厚みに延ばされたもの。
箔打紙を使って行われる箔打作業は非常に高度な技と根気が必要。
*伝統工芸品:金沢箔、加賀友禅、九谷焼、加賀漆器、加賀繍(かがぬい)
<鎌倉>
テーマ1 鎌倉800年の”まちづくり”とは?
*鎌倉時代の鎌倉は「鎌倉中」と呼ばれた狭いエリア。そこに最大10万人が居住した。
鎌倉中の7口:極楽寺口、大仏坂口、化粧坂口、亀谷口、巨福呂坂口、六浦口、名越坂口
*鎌倉では谷はヤツと読む。谷(ヤツ)・谷戸(ヤト)は山沿いに無数に存在する。
鎌倉には200以上のヤツがあり、そのヤツのほとんどに武家の屋敷や寺が建てられた。
*鎌倉石は凝灰質砂岩で比較的柔らかく細工が容易。耐火性もある。
鎌倉石の岩盤である自然のヤツを掘り「やぐら」を墳墓やお堂の代わりとする。石段を掘り出し、階段状に平らな土地を造成し立体的に土地を利用する工夫がみられる。
*北条氏が開いた浄光明寺には鎌倉石の切岸をバックに設えた「断層の庭」がある。
*鎌倉の海はかなりの遠浅。天然の良港がない。和賀江嶋は凝灰岩の岩盤地層からできた「波食台」に、他地域から石を搬入して人力で造られた日本最古の築港である。一方、和賀江嶋の築港が沿岸の海流を変え、砂の堆積など海岸沿いの地形に影響を及ぼした。
*鶴岡八幡宮の一の鳥居は由比ヶ浜砂丘の頂上にある。鎌倉時代はこの一の鳥居が「都市の境界」だった。海側が「前浜」で無住地域。八幡宮側は湿地が地盤改良され10万人都市となった。砂丘の内側(後背地)の地盤改良に、山を切り崩して出た鎌倉石(凝灰岩)の石クズが活躍した。
テーマ2 鎌倉が観光で発展し続ける理由は?
*江戸時代に爆発的に流行した江ノ島詣では、鎌倉が観光地となるきっかけの一つ。
*七里ヶ浜は江ノ島から海づたいに鎌倉へ入る玄関口となる。富士山を眺める絶景地。
*極楽坂切通しは江戸時代鎌倉中に入る最後の難関。それを越えると、古刹の長谷寺があり、門前は宿場町として栄えた。江ノ島から歩いてくると宿泊地として適度な距離となる。
*江戸時代から高徳院の「露坐の大仏」は鎌倉観光の最大の目玉。大仏の像高は約11.3m。
*徳川光圀が12年の歳月をかけ『新編鎌倉志』を編纂。全8巻12冊の地誌。これが鎌倉観光の情報発信の元ネタとなった。光圀が遠出したのはほぼ鎌倉のみという。
*江ノ電は江戸時代の定番観光ルートにほぼ沿うように走る全長10kmのローカル鉄道。
年間1700万人が、おもに観光目的で利用する。江ノ島駅~腰越駅間のみ「併用軌道」
腰越駅~鎌倉高校前駅間は幅ギリギリで急カーブあり。鎌倉高校前駅のみ海を一望可能
江ノ電600形車両のフロント部分(本物!)を壁にめり込ませた「御菓子司 扇屋」あり*江ノ電の極楽寺検車区には昭和6年誕生で最古の車両100形108号が現存。愛称「タンコロ」
基礎的な知識情報はこんなところでしょうか。これらの説明が写真・地図・イラスト図などでわかりやすく展開されていくアプローチ法と放映タッチの語り部調のスタイルが魅力だ。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
長崎県のすがた :「長崎県」
長崎の特殊地形 TOP10 :「じゃらんnet」
出島 公式ホームページ
出島 :ウィキペディア
軍艦島 :「ながさき旅ネット」
池島炭鉱体験と外海めぐり :「ながさき旅ネット」
池島炭鉱坑内体験ツアー :「長崎さるく」
金沢城公園 ホームページ
石川県立図書館所蔵大型絵図 :「石川県立図書館」
金沢城古地図めぐり :「Story β」
辰已用水 :「金沢市役所」
辰已用水の才 天才的技術者・板屋兵四郎 :「水土の礎」
加賀を創造した人々 有名無名の業績・五十選 :「水土の礎」
前田綱紀 :ウィキペディア
鎌倉大仏殿高徳院 ホームページ
鶴岡八幡宮 公式ホームページ
知る 武士の都・鎌倉の文化の起点
鎌倉五山 :ウィキペディア
鎌倉五山 :「鎌倉手帳」
史跡 和賀江嶋 :「鎌倉タイム」
江ノ島電鉄 :ウィキペディア
駅の情報 :「江ノ電」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ブラタモリ 3 函館 川越 奈良 仙台』 角川書店
『ブラタモリ 7 京都(嵐山・伏見)志摩 伊勢(伊勢神宮・お伊勢参り)』 角川書店
『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』 角川書店
『ブラタモリ 13 京都(清水寺・祇園) 黒部ダム 立山』 角川書店
『ブラタモリ 15 名古屋 岐阜 彦根』 角川書店
『ブラタモリ 16 富士山・三保松原 高野山 宝塚 有馬温泉』 角川書店