遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『スカーフェイスⅢ ブラッドライン』 富樫倫太郎  講談社文庫

2021-04-17 11:29:08 | レビュー
 タイトルが長くなるので省略したが、「警視庁特別捜査第三係・淵神律子」という所属先・氏名が続く。冒頭のタイトルでわかるように、淵神律子シリーズの第3弾!2019年3月に<文庫書き下ろし>として出版されている。

 この第3弾の実質的タイトルは、<bloodline>。念の為に手元にある英和辞典を引くと、「血筋、血統」と訳されている。このストーリーの根底にあるテーマは「血筋」そのものである。だが、その血筋の意味するところが実におぞましい。慄然とさせるものである。
 フィクションだからこそ成り立つ犯罪の実在感といえるかもしれない。実際にあれば恐怖そのものである。事実は小説より奇なりと言うので、近似的な犯罪は過去にあったかもしれないが・・・・・。警察小説愛読者にとって、奇抜な構想のストーリーとして楽しめることはまちがいない。

 淵神律子は警視庁捜査一課に所属するが過激な捜査行動が禍して、第三係といういわば閑職に追いやられている。別名「情報分析室」。膨大な過去の捜査資料の整理・保管が主な仕事で、保管庫のある地下に第三係の部屋もある。律子が異動になったとき、キャリアの警部・藤平保は志願して律子と共に第三係に異動した。
 律子は私生活では看護師の町田景子とマンションに同居している。ある時期にわが子を虐待したことが原因で離婚した景子は、わが子に会うことがままならず、このところずっと親権問題で悩んでいる。この景子の悩みに対する律子の関わり方がサイドストーリーとして織り交ぜられていく。そのサイドストーリーの中に、メインストーリーに繋がる伏線が何気なく敷かれていることに読者は後で気づかされる。

 プロローグは、9月2日(日)と9月3日(月)の律子の行動などを描く。律子と景子の日常生活の断面描写と、律子の属する捜査一課第三係の日常の一コマ。だが、月曜日に律子は森繁係長から、永原課長が律子を強行犯に戻すことを考えているという話を聞かされる。

 第一部は、10月1日(月曜日)、朝礼が終わり事務処理が始まるところに藤平に電話がかかるという場面から始まる。女性2人の面会だという。面会をしてきた藤平の様子が気になることに。昼休みに円と律子が第17保管庫で藤平に尋ねた。面会は藤平の大学時代の友人の母親と婚約者だったと言う。藤平が警察官だから頼ってきたのだった。
 友人の名は北原勇太。勇太は9月16日(日)の夜、大学時代に所属していたテニスサークルのパーティに出席し、その後、行方不明になった。まったくの音信普通。1週間も連絡が取れないままで、警察に捜索願を出そうかと考えていたところに、警察から連絡が入る。勇太に女性を誘拐した容疑がかかっているというのだ。被害者は堀川佳奈子。9月23日(日)の夜に行方がわからなくなった。大学は異なるが、勇太と佳奈子は同じテニスサークルに所属し、学年がふたつ上の勇太は、コーチ役を務めていて佳奈子の指導もしていたという。佳奈子もテニスサークルのパーティに出席していた。
 円は藤平の話を聞くと、堀川佳奈子の失踪はテレビで報道されていることを知っていたと言う。円が密かに捜査の状況を調べてみると言う。その結果、荒らされていた堀川佳奈子の部屋から勇太の指紋が採取され、血のついた下着まで発見されていることがわかった。勇太を犯人と断定し特殊犯捜査一課が捜査にあたっていることも納得できる。だが、わかりすぎる事件である故に、円は不可解な点を感じていた。
 藤平は友達だから北原勇太の無実を信じるが、それだけでなく、この計画的な犯行は割に合わない。婚約者の居る勇太が犯行に及ぶとは考えがたい。それ故に、勇太の犯行かどうか確かめてみたいと言う。藤平は警察官になったのは正義を実践するためだった。自分の友達とその家族が困っているのに何もできないのなら何の為に警察官になったのかわからないとまで言う。
 律子は証拠が採取され、特殊犯が血眼で捜査をしているのだからヘマはしないだろうと割りきった見方をした。円は、律子が言うほど単純な事件という気がしないと感じているのだ。
 そこで、円は森繁係長に相談し永倉課長からある行動の許可を取り付けた。それは、特殊犯捜査一係の捜査の邪魔を一切しない前提で、捜査を補助する予備調査という範囲でなら行動してもよい。第三係の通常業務をこなした上での調査行動なら許可するというもの。
 予備調査という名目で、勇太が行方を断った16日の夜から、堀川佳奈子の行方がわからなくなった23日までの期間についてなら、勇太の足取りを調査すること、堀川佳奈子の周辺事情を調査してよいという。
 藤平に律子が協力する形でペアを組み、予備調査が開始される。円は二人の調査を後方支援する。ここから3人のチーム活動が始まって行く。律子に諭されていた藤平は既にどこから調査を始めるかのプラニングをしていた。
 藤平は、テニス・サークルのパーティの当夜、勇太と三次会に行ったという三人と面談するアポを取っていた。その事情聴取から調査がスタートした。
 
 このストーリーは3部構成になっている。「第一部・失踪」「第二部・ブラッドライン」「第三部・川名部農場」である。この構成がおもしろい設定になっている。

 第一部は、上記の通り、10月1日(月)から10月6日(土)にかけて、律子と藤平が円の支援を得て、勇太の失踪に対する調査行動を展開していく。そして、10月8日(月)永原課長の前で、篠原理事官がICレコーダーの録音内容を再生し、律子・藤平・円に聞かせる場面で終わる。勇太の声の語る内容に三人は言葉を失う羽目になる。
 現場から証拠が採取されたことで、特殊犯第一係のプロの刑事たちは堀川佳奈子に関わる事件が発生した時点以降を主体にして捜査活動を繰り広げている。そのため、勇太が失踪した16日の夜以降の時空間はあまり重視されていなかった。律子と藤平はその未捜査に近い時空間での関係者を追跡し事件解明への手がかりを見出そうとする。その地道な調査アプローチが読ませどころとなる。

 第二部は、9月2日(日)に日付が溯り、プロローグのシーンと重なる形でストーリーが始まっていく。そこに重要な意味が含まれている。
 この第二部は、川名部省吾の視点で、9月2日(日)から10月8日(月)の時空間と経緯が描かれる。省吾はこの不可解な事件の実行犯である。つまり、犯人の立場から、犯行のおぞましい経緯と省吾の抱く欲望の背景が描き込まれていく。

 こんな場面が9月2日の時空間で描かれる。(p175)
”二人に見送られて、省吾が玄関を出る。
 門扉を閉めて、軽トラックに乗り込もうとしたとき、髪の長い、すらりとした細身の女性が通り過ぎた。ちらりと横顔を見る。目が大きく、唇が厚い。省吾の好みのタイプである。
 エンジンをかけると、ゆっくりトラックを発進させる。50メートルほど進んだところで、その女性がマンションに入って行くのが見えた。
 省吾はトラックを停めると、助手席においてあるリュックから黒いバインダーノートを取り出す。ノートを開き、ボールペンを手にする。”

 これが事件の発生する起点となるのだ。「・・・・ 165センチくらい 細い ロングヘアー 30くらい? ジーンズ 白いサンダル 顔、好みのタイプ 目と唇 薬指に指輪 人妻?」省吾のメモの一部。
 周到で恐ろしい事件が生み出されていく。 
 実は北原勇太も被害者なのだ。ブラッドラインがここに暗い背景を投げかけている。読者は、犯行そのもののプロセスを第二部で読み込んで行く事になる。

 第二部の最後のシーンは、第一部の最後とうまくリンキングさせた形になっている。ストーリーのつながり具合がスムーズになっている。この辺りは読ませ方として巧みである。

 第三部は、10月9日(火)から10月12日(金)まで。事件が解決に至るプロセスが描き込まれていく。律子と藤平が如何にして犯人への手がかりをつかみ、ギリギリのところで省吾を取り押さえ、事件を解決することに至るかが描かれて行く。
 第二部で省吾の周到な犯行計画とその実施経緯が描かれてしまっている。だがそれは過去次元の挿話として一旦ブラックボックスにしておくことになる。
 第三部は第一部からの時間軸の流れとなる。律子と藤平がどんな手がかりを積み上げて、省吾の犯行だという事実に行き着くのか。読者に興味を持たせながら予備調査の進展を先へ先へと読ませていくところがこのミステリーの醍醐味と言える。
 一方で、犯人省吾の周辺で同じ時間軸の中で発生する状況がパラレルに描写されていく。その結果、川名部農場内で突発的に巻き込まれる形で新たな犠牲者が発生するのだが、律子と藤平が追跡してきた事件は解決への最終ステージへ突き進んで行く。この展開のスピード感が読ませどころとなる。
 
 プロローグは10月15日(月)の第三係の職場での対話場面が描かれる。犯人・川名部省吾の逮捕後の状況の経緯が描かれる。「シリアルキラー」という恐ろしい語句が出てくる。犯人は逮捕できたが、北原勇太と堀川佳奈子の失踪を契機にした事件の全貌の解明は緒についたままということになる。だがそれは特殊犯第一係の本業分野のこと。現在の律子の手を離れることになる。予備調査の範囲は終わったのだから。
 
 このシリーズ、例によって一つのオチが加わる。「オペレイター」からの電話が律子にかかってくるシーンが最後に登場する。次作への不気味なメッセージ。次作が待ち遠しくなる終わらせ方である。

 ご一読ありがとうございます。

徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『スカーフェイスⅡ デッドリミット 警視庁特別捜査第三係・淵神律子』 講談社文庫
『スカーフェイス 警視庁特別捜査第三係・淵神律子』 幻冬舎
『早雲の軍配者』 中央公論新社
『信玄の軍配者』 中央公論新社
『謙信の軍配者』 中央公論新社

『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社