京都には壬生屯所・壬生寺をはじめ新選組にゆかりのある史跡が数多く点在する。京都の史跡探訪を続けていて、あるとき新選組にも関心を抱き始めた。関連史跡を探訪する方が優先となり、新選組関連の本は手軽な文庫本を中心に目につけばコレクション(笑)している。残念ながらもっぱら眠っているものの方が多い。
新選組そのもの、そして人物として近藤勇他何人かに特に関心をもっている。そのうちの一人が土方歳三。京極夏彦著『ヒトごろし』(新潮社)を2018年に読んだ。その頃に本書をみつけていたのだが、読むのが今になった。2003年12月の出版である。
「歩く旅シリーズ[歴史・文学]」の一冊として出版されている。
本書は、土方歳三の生誕地から始まり、歳三が明治2年(1869)5月に壮絶な死を選ぶまでの彼の足跡、歩いた道筋を著者が辿って歩く。歳三がどこでどういう人々と関わり、どう考えどう行動したかその経緯を語る。そして彼が居た/関わった場所、彼に関連する資料、彼も見た景色、あるいはその足跡地の現状風景などの写真がほぼ各ページに併載されていく。土方歳三という人物の人生を大筋でつかみ、関心を深めるには、読みやすい手頃なガイドブックと言える。
本書は「新選組前夜」「新選組の京都」「転戦の日々」という三部構成になっている。主題が「土方歳三を歩く」なので、京都以外は地域名にブレークダウンされていく。目次の次に「土方歳三の足跡」として、歳三の行動した行路地図がまず掲載されている。
本書の内容のイメージがわかるように、各部の章立てをご紹介しよう。これが歳三の行路記録にもなる。
「新選組前夜」 日野、調布、江戸、中山道
「新選組の京都」 ここは京都での主要なイベントごとに語られていく。
新選組結成、池田屋騒動、新選組全盛、新選組秘話、油小路の変、鳥羽伏見の戦い
「転戦の日々」 江戸、勝沼、流山、宇都宮、会津、函館
この一連の項目名を読み、歳三のイメージが浮かぶ読者には本書はレビュー程度になるかもしれない。
本書のおもしろい特徴の一つは、本文解説でのアプローチにある。土方歳三に関わる事実・史実について、著者が「歳三を歩く」行程で解説するのは勿論だが、史実データに留まらず、その地、その場面での歳三の考え・思い・行動が、新選組関連で定番となっている小説や映画でどのように描かれているかの場面を織り交ぜて語り継ぐところにある。史実とフィクションの次元が、語りの中で融合していく。それが本文を読みやすくしているのかもしれない。
一方で、現時点ではかつての時代劇映画に無関心の人には逆反応になる可能性もある。天知茂、市川雷蔵、片岡知恵蔵、市川右太衞門、黒川弥太郎、若山富三郎、三船敏郎、鶴田浩二などの俳優名、かつての名優たちの役どころが書き込まれている。土方歳三を当たり役にした栗塚旭が特に頻出する。私にはそんな映画もあったのか・・・・というレベルであり、直接映画は見てはいないが諸俳優にはスクリーンでのなじみがあり、著者の熱っぽさを楽しんだ方である。一方では、ソンナノシラナイ!・・・・おしまいかも。
小説の方では司馬遼太郎の『燃えよ剣』『新選組血風録』の場面や実録の『島田魁日記』、永倉新八郎の手記『浪士文久報国記事』、勝海舟の日記などの資料が織り交ぜて引用され、歳三を描き出している。
もう一つの特徴は、「歩く旅」がテーマであるので、歳三の足跡を基本としながら、「日野を歩く」から始まり、各地域での史跡等観光コースを地図付きで解説する。これらのページがもう一つの柱になっている。最初に「コースタイム」が明示されている。本書は本文を従にして、この「○○を歩く」というセクションを主に、身近に行けるところから読み進め現地を歩く参考にするのも一つの方法といえる。
私の地元で言えば「新選組の京都」の部である。ここには、10のコースに区域分けして歩くコースの紹介が行われる。次のとおりである。
「新選組入京」を歩く。壬生界隈を歩く。「池田屋騒動」を歩く。木屋町を歩く。
「油小路の変」を歩く。「維新の密議所」を歩く。「蛤御門の変」を歩く。
二条城周辺を歩く。伏見を歩く。鳥羽街道を歩く。
京都に関しての各コースの内容を読み、大凡は探訪しているが、所々に見落とし、未訪地があることを発見した。今後の探訪課題ができた。
本書の末尾には、「テレビ・映画の中の土方歳三」(蔵田敏明)、インタビュー記事「『土方歳三』を演じて」(栗塚旭)、「土方歳三をめぐる人々」(一坂太郎)、「土方歳三年譜」が併載されている。「土方歳三をめぐる人々」は人物プロフィールをまず簡略に知るのに便利と言える。
土方歳三自身のプロフィールの大凡を著者の説明から要約してみよう。
*天保6年(1835)5月5日 武州多摩郡石田村(現・東京都日野市石田)にて生誕
農家の6人の子(男4、女2)の末っ子四男として生まれた。
*11歳、17歳の折りに江戸にて奉公するがいずれも失敗。薬の行商に従事。
*武士になる志を抱き、剣術修行をする。姉の嫁ぎ先である佐藤宅の佐藤道場(天然理心流)に出入りする。出稽古に来る近藤勇と知り合う。17歳のとき正式に入門。
*試衛館時代に剣術修行のかたわら、書を医者の本田覚庵に習っていた。
*歳三の座右の銘は「誠一筋」で「近藤さんを旗本にする」という信念が歳三の原動力
*新選組が結成されたとき、隊の掟『局中法度』は近藤と土方が発案したと著者は言う。*新選組当初の副長は山南敬助と土方歳三。新選組の結成時は14人。最大規模時は200人
*歳三は沖田、藤堂、原田らと芹沢鴨を暗殺。古高俊太郎の拷問を実行。池田屋に突入。
壬生から西本願寺、さらには不動堂村への屯所の移転は歳三が采配していたという。
油小路の変で、歳三は藤堂平助を斬る。
*鳥羽伏見の戦いで破れた歳三は、その後の転戦の日々の中で真骨頂を発揮し出す。
⇒ 京都から函館への転戦プロセスでの歳三が読ませどころの一つとなる。
*函館の五稜郭で旧幕軍が榎本武揚を総裁に独自の国家(共和政府)を造ろうとした。
その時、歳三は陸軍奉行並となる。
*明治2年(1869)5月11日函館において、一本木関門に出撃し馬上で被弾し戦死した。
本書の本文を読み土方歳三という人物理解に迫っていただきたいと思う。
土方歳三を考えるための情報として、
この『新選組事典』(鈴木享編、中公文庫)も紹介しておこう。
p374-381に「土方歳三」(橋本三喜男記)という項で歳三のプロフィールが説明されている。
たとえば、本書では「17歳の時に江戸大伝馬町の呉服商に奉公するが、今度は女中と男女問題になり辞めている。」(p9)と記すが、こちらは「17歳のとき、今度は江戸伝馬町の呉服屋に奉公に出された。田舎者とはいえ、色白の美少年だったから、結構、女にはもてた。同じ店の奉公人の女性と恋仲になり、妊娠させてしまい、始末に困った土方はまたまた日野に逃げ帰ってしまったという」(p375)とストレートに記述している。上記の榎本を総裁とした独自の国家(共和政府)をこちらでは「蝦夷共和国が誕生した」(p380)と表記している。歳三の最後を本書では末尾の「土方歳三年譜」で「馬上で指揮中被弾して戦死」(p158)、本文では「死でもって責任を果たしたのは、陸軍奉行並の土方歳三ただひとりであった」(p127)と記すにとどめている。こちらは、『島田魁日記』で歳三の最後の場面が記述された箇所を4行にわたって引用している。
こちらはプロフィールに絞り込んだ簡略な記述であるが、本書と併読すれば理解を深める補完関係が生まれると思う。
ご一読ありがとうございます。
本書から関心事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
歳三の生家 土方歳三資料館 ホームページ
土方歳三 近代日本人の肖像 :「国立国会図書館」
土方歳三 :ウィキペディア
高幡不動尊金剛寺 ホームページ
壬生屯所旧跡 八木家 ホームページ
新選組壬生屯所旧跡
壬生寺 ホームページ
壬生寺と新選組について
鳥羽・伏見の戦い :ウィキペディア
戊辰戦争、白虎隊、新選組・・・会津の歴史を知る :「会津若松観光ナビ」
戊辰戦争(会津戦争)古戦場(福島県福島市:会津若松城[鶴ヶ城]):「刀剣ワールド」
五稜郭 :ウィキペディア
五稜郭の歴史 :「五稜郭タワー」
HBCテレビ『土方歳三、箱館に死す!』2020年9月27日(日)放送 YouTube
【新撰組・土方歳三の刀】鬼の副長が愛用した「和泉守兼定」の秘密に迫る!:「歴史プラス」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ヒトごろし』 京極夏彦 新潮社
また、もうひとつの拙ブログ『遊心六中記』で探訪記録をまとめています。
こちらもご覧いただけるとうれしいかぎりです。
探訪 [再録] 京の幕末動乱ゆかりの地 -1 西本願寺太鼓楼・新選組不動堂村屯所跡 (中屋敷跡)・不動堂・[道祖神社]
8回のシリーズでご紹介しています。
スポット探訪 京都・左京 金戒光明寺細見 -6 西雲院(会津墓地・紫雲石・王鞬南の墓・会津小鉄墓・池玉瀾墓)ほか
スポット探訪 [再録] 東福寺とその周辺 -3 正覚庵(筆の寺)・月輪南陵・九条陵と防長藩士之墓所
新選組そのもの、そして人物として近藤勇他何人かに特に関心をもっている。そのうちの一人が土方歳三。京極夏彦著『ヒトごろし』(新潮社)を2018年に読んだ。その頃に本書をみつけていたのだが、読むのが今になった。2003年12月の出版である。
「歩く旅シリーズ[歴史・文学]」の一冊として出版されている。
本書は、土方歳三の生誕地から始まり、歳三が明治2年(1869)5月に壮絶な死を選ぶまでの彼の足跡、歩いた道筋を著者が辿って歩く。歳三がどこでどういう人々と関わり、どう考えどう行動したかその経緯を語る。そして彼が居た/関わった場所、彼に関連する資料、彼も見た景色、あるいはその足跡地の現状風景などの写真がほぼ各ページに併載されていく。土方歳三という人物の人生を大筋でつかみ、関心を深めるには、読みやすい手頃なガイドブックと言える。
本書は「新選組前夜」「新選組の京都」「転戦の日々」という三部構成になっている。主題が「土方歳三を歩く」なので、京都以外は地域名にブレークダウンされていく。目次の次に「土方歳三の足跡」として、歳三の行動した行路地図がまず掲載されている。
本書の内容のイメージがわかるように、各部の章立てをご紹介しよう。これが歳三の行路記録にもなる。
「新選組前夜」 日野、調布、江戸、中山道
「新選組の京都」 ここは京都での主要なイベントごとに語られていく。
新選組結成、池田屋騒動、新選組全盛、新選組秘話、油小路の変、鳥羽伏見の戦い
「転戦の日々」 江戸、勝沼、流山、宇都宮、会津、函館
この一連の項目名を読み、歳三のイメージが浮かぶ読者には本書はレビュー程度になるかもしれない。
本書のおもしろい特徴の一つは、本文解説でのアプローチにある。土方歳三に関わる事実・史実について、著者が「歳三を歩く」行程で解説するのは勿論だが、史実データに留まらず、その地、その場面での歳三の考え・思い・行動が、新選組関連で定番となっている小説や映画でどのように描かれているかの場面を織り交ぜて語り継ぐところにある。史実とフィクションの次元が、語りの中で融合していく。それが本文を読みやすくしているのかもしれない。
一方で、現時点ではかつての時代劇映画に無関心の人には逆反応になる可能性もある。天知茂、市川雷蔵、片岡知恵蔵、市川右太衞門、黒川弥太郎、若山富三郎、三船敏郎、鶴田浩二などの俳優名、かつての名優たちの役どころが書き込まれている。土方歳三を当たり役にした栗塚旭が特に頻出する。私にはそんな映画もあったのか・・・・というレベルであり、直接映画は見てはいないが諸俳優にはスクリーンでのなじみがあり、著者の熱っぽさを楽しんだ方である。一方では、ソンナノシラナイ!・・・・おしまいかも。
小説の方では司馬遼太郎の『燃えよ剣』『新選組血風録』の場面や実録の『島田魁日記』、永倉新八郎の手記『浪士文久報国記事』、勝海舟の日記などの資料が織り交ぜて引用され、歳三を描き出している。
もう一つの特徴は、「歩く旅」がテーマであるので、歳三の足跡を基本としながら、「日野を歩く」から始まり、各地域での史跡等観光コースを地図付きで解説する。これらのページがもう一つの柱になっている。最初に「コースタイム」が明示されている。本書は本文を従にして、この「○○を歩く」というセクションを主に、身近に行けるところから読み進め現地を歩く参考にするのも一つの方法といえる。
私の地元で言えば「新選組の京都」の部である。ここには、10のコースに区域分けして歩くコースの紹介が行われる。次のとおりである。
「新選組入京」を歩く。壬生界隈を歩く。「池田屋騒動」を歩く。木屋町を歩く。
「油小路の変」を歩く。「維新の密議所」を歩く。「蛤御門の変」を歩く。
二条城周辺を歩く。伏見を歩く。鳥羽街道を歩く。
京都に関しての各コースの内容を読み、大凡は探訪しているが、所々に見落とし、未訪地があることを発見した。今後の探訪課題ができた。
本書の末尾には、「テレビ・映画の中の土方歳三」(蔵田敏明)、インタビュー記事「『土方歳三』を演じて」(栗塚旭)、「土方歳三をめぐる人々」(一坂太郎)、「土方歳三年譜」が併載されている。「土方歳三をめぐる人々」は人物プロフィールをまず簡略に知るのに便利と言える。
土方歳三自身のプロフィールの大凡を著者の説明から要約してみよう。
*天保6年(1835)5月5日 武州多摩郡石田村(現・東京都日野市石田)にて生誕
農家の6人の子(男4、女2)の末っ子四男として生まれた。
*11歳、17歳の折りに江戸にて奉公するがいずれも失敗。薬の行商に従事。
*武士になる志を抱き、剣術修行をする。姉の嫁ぎ先である佐藤宅の佐藤道場(天然理心流)に出入りする。出稽古に来る近藤勇と知り合う。17歳のとき正式に入門。
*試衛館時代に剣術修行のかたわら、書を医者の本田覚庵に習っていた。
*歳三の座右の銘は「誠一筋」で「近藤さんを旗本にする」という信念が歳三の原動力
*新選組が結成されたとき、隊の掟『局中法度』は近藤と土方が発案したと著者は言う。*新選組当初の副長は山南敬助と土方歳三。新選組の結成時は14人。最大規模時は200人
*歳三は沖田、藤堂、原田らと芹沢鴨を暗殺。古高俊太郎の拷問を実行。池田屋に突入。
壬生から西本願寺、さらには不動堂村への屯所の移転は歳三が采配していたという。
油小路の変で、歳三は藤堂平助を斬る。
*鳥羽伏見の戦いで破れた歳三は、その後の転戦の日々の中で真骨頂を発揮し出す。
⇒ 京都から函館への転戦プロセスでの歳三が読ませどころの一つとなる。
*函館の五稜郭で旧幕軍が榎本武揚を総裁に独自の国家(共和政府)を造ろうとした。
その時、歳三は陸軍奉行並となる。
*明治2年(1869)5月11日函館において、一本木関門に出撃し馬上で被弾し戦死した。
本書の本文を読み土方歳三という人物理解に迫っていただきたいと思う。
土方歳三を考えるための情報として、
この『新選組事典』(鈴木享編、中公文庫)も紹介しておこう。
p374-381に「土方歳三」(橋本三喜男記)という項で歳三のプロフィールが説明されている。
たとえば、本書では「17歳の時に江戸大伝馬町の呉服商に奉公するが、今度は女中と男女問題になり辞めている。」(p9)と記すが、こちらは「17歳のとき、今度は江戸伝馬町の呉服屋に奉公に出された。田舎者とはいえ、色白の美少年だったから、結構、女にはもてた。同じ店の奉公人の女性と恋仲になり、妊娠させてしまい、始末に困った土方はまたまた日野に逃げ帰ってしまったという」(p375)とストレートに記述している。上記の榎本を総裁とした独自の国家(共和政府)をこちらでは「蝦夷共和国が誕生した」(p380)と表記している。歳三の最後を本書では末尾の「土方歳三年譜」で「馬上で指揮中被弾して戦死」(p158)、本文では「死でもって責任を果たしたのは、陸軍奉行並の土方歳三ただひとりであった」(p127)と記すにとどめている。こちらは、『島田魁日記』で歳三の最後の場面が記述された箇所を4行にわたって引用している。
こちらはプロフィールに絞り込んだ簡略な記述であるが、本書と併読すれば理解を深める補完関係が生まれると思う。
ご一読ありがとうございます。
本書から関心事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
歳三の生家 土方歳三資料館 ホームページ
土方歳三 近代日本人の肖像 :「国立国会図書館」
土方歳三 :ウィキペディア
高幡不動尊金剛寺 ホームページ
壬生屯所旧跡 八木家 ホームページ
新選組壬生屯所旧跡
壬生寺 ホームページ
壬生寺と新選組について
鳥羽・伏見の戦い :ウィキペディア
戊辰戦争、白虎隊、新選組・・・会津の歴史を知る :「会津若松観光ナビ」
戊辰戦争(会津戦争)古戦場(福島県福島市:会津若松城[鶴ヶ城]):「刀剣ワールド」
五稜郭 :ウィキペディア
五稜郭の歴史 :「五稜郭タワー」
HBCテレビ『土方歳三、箱館に死す!』2020年9月27日(日)放送 YouTube
【新撰組・土方歳三の刀】鬼の副長が愛用した「和泉守兼定」の秘密に迫る!:「歴史プラス」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ヒトごろし』 京極夏彦 新潮社
また、もうひとつの拙ブログ『遊心六中記』で探訪記録をまとめています。
こちらもご覧いただけるとうれしいかぎりです。
探訪 [再録] 京の幕末動乱ゆかりの地 -1 西本願寺太鼓楼・新選組不動堂村屯所跡 (中屋敷跡)・不動堂・[道祖神社]
8回のシリーズでご紹介しています。
スポット探訪 京都・左京 金戒光明寺細見 -6 西雲院(会津墓地・紫雲石・王鞬南の墓・会津小鉄墓・池玉瀾墓)ほか
スポット探訪 [再録] 東福寺とその周辺 -3 正覚庵(筆の寺)・月輪南陵・九条陵と防長藩士之墓所