東京都調布市は古代には武蔵国と呼ばれていた地域に位置する。第52世住職、長辨の文集『私案抄』によれば、750年に満功上人がこの武蔵国に祇園寺を創建し、12年後の762年に深大寺を創建した。その深大寺にいつ頃か「釈迦如来椅像」(以下、深大寺像という)が伝えられた。江戸時代に深大寺は2度大火災に見舞われたという。慶応元年(1865)の大火災において、深大寺像は無事に救出されたのだが、元三大師堂が再建された時、この堂内の須弥壇内に仮置され、その後そのまま忘れさられていたという。明治42年(1909)10月に考古学者の柴田常恵ら3人が寺の梵鐘調査で訪れた。調査の後、元三大師堂に回って、寺務員に質問したことがきっかけでこの深大寺像が引き出されることになる。白鳳仏の深大寺像が「発見」された瞬間である。寺の再建のために深大寺仏の売却が話題になった時期もあったようだ。だがその危機は回避され、大正2年(1913)4月に当時の古社寺保存法により「国宝」に指定された。戦後の文化財保護法の下で、長らく重要文化財に位置づけされていたが、平成29年(2017)9月に国宝に指定された。
著者は「第1章 白鳳三仏」で、飛鳥仏から白鳳仏への仏像の変化をまず読者にわかりやすく説明する。そして、白鳳三仏と称される3体の仏像を挙げる。奈良・新薬師寺「香薬師如来立像」、東京・深大寺「釈迦如来椅像」、奈良・法隆寺「夢違観音像」である。この三仏について基礎的知識の説明がつづく。「そしていずれも、古代日本に生きた誰かの念持仏だったのだろうと想像させるほどのサイズ感で、ポータブルが可能な寸法だ」(p18)と受けとめている。
著者は新聞記者になった当初に茨城県笠間市の「民俗資料室」で香薬師像複製と出会う。この香薬師像が3回盗難にあったという事実を知る。「第2章 香薬師像の右手」では、盗難に遭った香薬師像の右手が発見されるまでの経緯の概略をまとめている。それが著者を深大寺像に導くことになったからだろう。なお、著者は本書より先に、『香薬師像の右手 失われたみほとけの行方』(講談社)を上梓している。ここの第2章をさらに具体的詳細にルポルタージュしている内容なのだろうと推測する。
光明皇后の念持仏であった香薬師像の右手だけは、それが寄贈されていた東慶寺から奈良・新薬師寺に戻ることとなる。
「第3章 ミステリーな深大寺像」からいわば本書のテーマに入っていく。
東京文化財研究所が文化庁の要望を受け、平成28年(2016)7月に香薬師像の右手の非破壊分析調査を実施した。それにより白鳳仏の特徴をあらわす高純度の銅の使用が確認された。その頃深大寺像はイタリアで開催された「日本仏像展」に出展されていた。この像の帰国時点で、この像も9月に東文研で科学調査されることが決まり、その結果白鳳仏であることが再確認された。それが国宝指定に結びつく。
深大寺が企画した「深大寺白鳳仏国宝指定記念講演会」(平成29年6月~30年2月)が開催される。初回の講演者が水野敬三郎で、昭和後期に寺が深大寺像を深く調査した時の調査団長である。かつ、香薬師像の右手発見のキーパーソンでもある。
「仏像彫刻の専門家の視点から、優れた造形の深大寺像は上級貴族が施主に違いないという。では、上級貴族が造らせた深大寺像が、なぜ都から遠く離れた辺境の地、武蔵野の深大寺にあるのか。」(p97)そこから水野先生は「武蔵国の国司をやった高倉福信」(p97)に言及された。武蔵国に住んだ渡来人の子孫で、中央で大出世した人物が関わっている可能性を推定したという。この説明が、著者の探究心に火を付ける契機となる。
「第4章 高倉福信」では、勿論この人物の徹底的な究明プロセスを明らかにしていく。『続日本紀』が中心的な資料となる。福信の出自からその死までの情報収集とその整理、他史資料との対比分析、深大寺像との関わりを論証できる筋道・・・・・著者の情報収集、論理的分析と推論が始まって行く。勿論、行き詰まりも発生する。ここではいわば文献研究の有り様を読者に開示してくれている。史料の読み解き方を学べることになる。
「第5章 迷走」から、行き詰まりの打開策の一つは、人との出会いにあると言える。これはその事例になる。著者は新薬師寺の中田定観住職から、深大寺像のことを調べているという人物を紹介される。元航空宇宙工学の教授だったという津田慎一氏。深大寺像を対象に研究する目的は異なるようだ。だが、著者は『真名縁起』と『私案抄』の2つの文研の比較分析ならびに、武蔵国に重なる調布市・府中市・狛江市あたりの地誌を参照すればというヒントを得る。人との出会いが著者の行き詰まりを転換する契機になる。
さらに、己の仮説を水野先生に中間報告し、問題点の指摘を得たことが、次のステップへの梃子になったようだ。
第4章、第5章は、いわば研究活動の舞台裏を見せてもらっている感じでもある。そこに思考法、分析法など学ぶ材料が内在しているといえる。
著者は迷走の先で、仮説を再構築していく。
最終章の「第6章 平城山を越えて」では、著者自身が再構築した仮説の確認のために関連する地域、つまり平城山を越えた山城を巡った状況を綴っている。冒頭の「恵みの巡行」という小見出しが目にとまる。新薬師寺の中田住職が愛車で同行協力をされたという。
著者が巡ったのは、JR木津駅~井手寺跡~橘諸兄公墓~蟹満寺。2日目は一人で京都府立山城郷土資料館で情報収集し、帰路、連鎖思考をとぎらせないように上狛駅分岐点で木津駅まで歩くことにしたという。
著者は最後に、己の到達した仮説を水野先生に最終報告する場面で締めくくっている。
著者はこの深大寺像(釈迦如来椅像)伝来の謎解きを追究し、「深大寺像ミステリーロマンの旅」(p204)ルポルタージュにおいて、「橘諸兄念持仏説」という仮説を提起した。その念持仏を光明皇后を介して、福信が受け武蔵国の満功上人のもとに運んだのだと。
表紙には副題が記されている。「武蔵野にもたらされた奇跡の国宝」
読み応えのある論考であり、ルポルタージュだ。著者の思考プロセスを追随しながら、その思考の紆余曲折も味わいつつ、楽しめる書である。本書は2021年6月に刊行された。
最終章の著者巡行場所は、はからずもかつて史跡探訪のウォーキングで複数回巡っている。その時は深大寺像のことなど全く知らなかった。だが、現地を歩いた記憶を重ねながら楽しく読むことができた。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連する関心事項を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
深大寺 ホームページ
深大寺開創と水神「深沙大王」
東日本最古の国宝仏『釈迦如来像』
深大寺白鳳仏が国宝(美術工芸品・彫刻)指定 :「調布市」
歴史民俗資料館 :「笠間市」
白鳳 -花ひらく仏教美術- :「奈良国立博物館」
その姿瑞々しくときめきの白鳳仏 :「祈りの回廊」
仏像-白鳳時代
盗難から70年の時を経て発見!国宝「香薬師像の右手」のミステリー:「現代ビジネス」
盗難で唯一戻った仏像の右手、特別公開 :「Lmaga.jp」
水野敬三郎 :ウィキペディア
銅造薬師如来立像(香薬師像) :「文化庁」
【国宝仏像】夢違観音【法隆寺】の解説と写真 :「ギャラリー」
夢違観音~Premium~ YouTube
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
もうひとつの拙ブログで、史跡のご紹介をしています。
こちらもご覧いただけるとうれしいです。(楽天ブログに掲載。『遊心六中記』)
探訪 京都・南山城を歩く 玉水から上狛へ -4 井堤寺跡・六角井戸・以仁王墓と高倉神社ほか
探訪 京都・南山城を歩く 玉水から上狛へ -6 [井手追補] 宮本水車跡・弥勒石仏・橘諸兄公旧趾
探訪 京都・南山城を歩く 玉水から上狛へ -7 綺原神社・蟹満寺・涌出宮
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光明皇后の念持仏であった香薬師像の右手だけは、それが寄贈されていた東慶寺から奈良・新薬師寺に戻ることとなる。
「第3章 ミステリーな深大寺像」からいわば本書のテーマに入っていく。
東京文化財研究所が文化庁の要望を受け、平成28年(2016)7月に香薬師像の右手の非破壊分析調査を実施した。それにより白鳳仏の特徴をあらわす高純度の銅の使用が確認された。その頃深大寺像はイタリアで開催された「日本仏像展」に出展されていた。この像の帰国時点で、この像も9月に東文研で科学調査されることが決まり、その結果白鳳仏であることが再確認された。それが国宝指定に結びつく。
深大寺が企画した「深大寺白鳳仏国宝指定記念講演会」(平成29年6月~30年2月)が開催される。初回の講演者が水野敬三郎で、昭和後期に寺が深大寺像を深く調査した時の調査団長である。かつ、香薬師像の右手発見のキーパーソンでもある。
「仏像彫刻の専門家の視点から、優れた造形の深大寺像は上級貴族が施主に違いないという。では、上級貴族が造らせた深大寺像が、なぜ都から遠く離れた辺境の地、武蔵野の深大寺にあるのか。」(p97)そこから水野先生は「武蔵国の国司をやった高倉福信」(p97)に言及された。武蔵国に住んだ渡来人の子孫で、中央で大出世した人物が関わっている可能性を推定したという。この説明が、著者の探究心に火を付ける契機となる。
「第4章 高倉福信」では、勿論この人物の徹底的な究明プロセスを明らかにしていく。『続日本紀』が中心的な資料となる。福信の出自からその死までの情報収集とその整理、他史資料との対比分析、深大寺像との関わりを論証できる筋道・・・・・著者の情報収集、論理的分析と推論が始まって行く。勿論、行き詰まりも発生する。ここではいわば文献研究の有り様を読者に開示してくれている。史料の読み解き方を学べることになる。
「第5章 迷走」から、行き詰まりの打開策の一つは、人との出会いにあると言える。これはその事例になる。著者は新薬師寺の中田定観住職から、深大寺像のことを調べているという人物を紹介される。元航空宇宙工学の教授だったという津田慎一氏。深大寺像を対象に研究する目的は異なるようだ。だが、著者は『真名縁起』と『私案抄』の2つの文研の比較分析ならびに、武蔵国に重なる調布市・府中市・狛江市あたりの地誌を参照すればというヒントを得る。人との出会いが著者の行き詰まりを転換する契機になる。
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