遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『時空の巫女』  今野 敏    角川春樹事務所

2022-05-08 21:54:04 | レビュー
 冒頭の表紙は、1998年12月に、ハルキノベルスとして刊行されたものである。本書をこれで読んだ。読み残していた本の一冊。翌年11月にハルキ文庫に入り、2009年5月には新装版が発行された。

こちらがハルキ文庫新装版の表紙である。本のカバーも時代を反映していくのだろうか。
 今野作品のジャンルで言えば、SF長編といえる。書き下ろし作品として出版された。
 飯島英明はミューズ・レーベルという原盤制作会社の代表取締役社長。ナカネ企画という中堅芸能プロダクションの100%出資子会社である。飯島は親会社ナカネ企画の代表取締役社長中根純也に呼びつけられた。飯島と中根は言わば盟友と言える。この業界で共に働き、会社を立ち上げて事業を確立してきた。だが、ナカネ企画も苦しい状況に直面しているようで、中根は飯島にその手腕と人脈を駆使し、かつてアイドル・メーカーと称された実力を再度発揮して、アイドルを発掘してほしいと告げる。「今だからこそアイドルなんだよ」と指示する。飯島は最初躊躇した。だが、ナカネ企画の実情もわかる飯島は、最後は不安を胸に秘めながらも、アイドル発掘を引き受ける。引き受けるにあたり、己のやりたいようにやることを保証させる念書を中根に書かせるという手段を取った。
 飯島は入社5年目の若手ディレクター曽我雄介を社長室に呼び、このアイドル発掘を手掛ける仕事を飯島自身とのプロジェクトとして行うように命じる。

 このストーリーは、簡潔に言えばアイドル発掘の紆余曲折プロセスとアイドルが生み出される瞬間の輝かしさ・達成感を語る。これを仮にストーリーA(S/A)と呼ぶ。
 この小説のおもしろいところは、飯島・曽我のアイドル発掘のための試みという悪戦苦闘のプロセス・ストーリーとパラレルに、自衛隊の統合幕僚会議情報局が独自の調査活動を行うという全く領域を異にするストーリーが進展していくことである。当初、読者は全く次元が異なるサブストーリーの始まりに唖然となるだろう。だがそのSFタッチに引きこまれていく羽目になる。こちらをストーリーB(S/B)と呼ぶ。

 S/Bには、米国国防情報部との情報交換を担当する連絡部一課の綾部裕司三等陸佐が登場する。綾部は連絡部一課の課長岩浅恒彦一等陸佐にアメリカから届いた奇妙なレポートのことを報告した。岩浅はその内容を予知夢に関するものと判断し、それが送られてきた真意を探れと指示する。奇妙なレポートはAAOと名乗るグループから送られてきていた。そのAAOから、グレッグ・マクルーハンという人物が来日する。マクルーハンは、ペンタゴンの情報局から来たのだが、心理学の研究者だった。彼は、AAOとは「アンチ・アーマゲドン・オペレーション」の略だという。英語のアーマゲドンはハルマゲドンにあたる。それは新約聖書の黙示録に由来するが、終末的な戦いの意味に使われる。
 マクルーハンは、少年少女からの聞き取り調査の過程で、ある特定の少年少女たちが特定の時期に同じ夢を見ることを知ったという。その予知夢に救い主が登場する。救い主の描写に共通点がみられ、それが日本のシャーマニズム的な女性神官(巫女)の姿に似ているという。同じ夢を見る12人の少年少女たちの内、3人が日本の巫女の姿を語り、そのうち2人はチアキと言ったというのだ。予知夢など信じない綾瀬は、上司の岩浅からマクルーハンに同行し彼の調査に全面的に協力するよう命じられる。マクルーハンの調査に協力するプロセスで、綾瀬は徐々に予知夢など信じないという姿勢を変容させていくことになる。少年少女たちの予知夢が、思わぬ近未来の予言に繋がっていくのだ。

 S/Aの方は、飯島と曽我の心理的スタンスの描写から始まっていく。長らく現場を離れ、中年管理職である飯島自身は、今さらアイドルを発掘できるかどうかに不安感を抱いている。一方で、アイドル・メーカーと他人から言われてきたが、飯島は未だに己が真にアイドルと考える理想的なアイドルを発掘していないという忸怩たる思いも内奥に抱いている。一方、曽我は、「エデューソン」というバンドのデビューという仕事を担当していた。このバンドに力を入れようと意気込んでいた矢先だった。この担当を外され、思いも寄らぬアイドル発掘という仕事を与えられ、それも社長とのプロジェクトとして取り組まされる羽目になる。つまり、曽我には未経験のアイドル発掘への熱いモチベーションなど全くなかった。その分野の情報もなければ人脈もない。彼は業務命令を受けたという消極的な姿勢からスタートしていく。勿論、様々なところとコンタクトを取り、情報集めから始める。いわば、前途多難。読者にとっては、これでアイドル発掘などできるか・・・・そんなスタートラインを感じさせる。
 アイドル発掘への情報収集、あの手この手のプロセスという舞台裏を垣間見るというおもしろさが副産物となる。

 さて、そこで、飯島が抱くアイドルの理念的なイメージをご紹介しておこう。曽我とのプロジェクトを組んだ初期段階で、飯島が曽我に語る。
 「俺は久しぶりにアイドルを手掛けることになって、当時のことを思い出していた。俺を支えていたのは、ある強烈なひとつのイメージだ。そのイメージを追い求めていたと言ってもいい。そして、今だにそれをこの手で実現できたとは思っていない」(p36)と。飯島は曽我に問われて、そのひとつのイメージとは「クマリ」、「ネパールの生神様」だと語る。学生時代にネパールに貧乏旅行し、ネパールのクマリ祭でそのイメージを得たと言う。そして、曽我に対し「清楚で可憐、しかも妖艶。そして最大のポイントは神秘だ」とそのイメージを要約した。
 曽我がこのイメージをどう受けとめて、アイドル発掘の実務に生かそうとするか。
 アイドル発掘の作業プロセスでの読ませどころは、飯島の不安感がどのように変化していくか。曽我の消極的なスタンスやアイドル発掘への取り組み方を飯島がどのように受けとめるかの対比的視点にある。さらに、曽我の行動がどのように変化していくか。

 曽我がある情報を得る。日本に赴任してきた外交官の父親の娘で、3年前からこちらに住む元クマリがいるという。飯島にそれを報告すると、名前はチアキ・シェス。勿論飯島は大いに関心を抱く。飯島の指示で、曽我はアポイントメントを取る。
 チアキ・シェスと彼女の父親に二人は面談する。曽我はチアキ・シェスを見た途端に、俄然とアイドル発掘への姿勢を豹変させていく。チアキ・シェスをアイドルにしたいという積極性が生まれてくる。
 一方、二人の話を聴いていたチアキは、面談の最後に、飯島に告げる。「あなたが捜しているのは、私ではありません」と。この謎めいたメッセーは何を意味するのか。
 事務所に戻った飯島は、曽我が今までに収集した情報資料の一環であるアダルトビデオの一本に記された、池沢ちあきという名前に目をとめた。その名前からビデオを見て、池沢ちあきの容貌、スタイル、演技力に惹かれていく。飯島はアイドル候補としてこの池沢ちあきに関心をいだく。
 ここからアイドル発掘のプロセスが俄然に変化進展していくことになる。

 飯島・曽我のプロジェクトと、綾瀬・マクルーハンの調査行動との交差が「チアキ」をキーワードにして生まれてくる。

 ネガティブからポジティブへの転換という側面が、S/AとS/Bの両方の底流に共通している。全く異なる領域でのそれぞれ独自の行動が交差し始める。その交差が反撥方向へではなく、相乗効果を創出する方向へ展開するというところが読者にとっては興味深い。また、ハッピーエンドとなっていくおさまりがよい。
 最終ステージで1998年の中東情勢という時代限定的な記述に触れられている箇所もあるが、このストーリー全体の流れを捉えると、それほど時代性とその制約を意識させない作品となっている。十数年前の小説だが、わりと新鮮な感覚で読み通せた。
 心理学分野の記述も所々に出て来て、けっこう興味深くかつ楽しみながら読めるSF作品である。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心の波紋から検索した事項を一覧にしておきたい。
原盤権の解説  :「弁護士法人 クラフトマン」
著作権とは?原盤権とは?JASRACとは?限界まで分かりやすく解説してみた:「思考集積場」
クマリ   :ウィキペディア
ネパールのお祭りについて  :「風の旅行社」
活仏      :「コトバンク」
ハルマゲドン  :「コトバンク」
予知夢の意味とは? 種類と見分け方  :「マイナビウーマン」
集合的無意識  :「コトバンク」
集合的無意識  :「臨床心理学用語事典」
集合的無意識の不思議  :「ユング心理学の世界へようこそ」
予定調和説   :ウィキペディア
予定調和    :「コトバンク」
一次元・二次元・三次元・四次元・五次元の違い  :「社会人の教科書」
フレッド・ホイル  :ウィキペディア
パラレル・ユニバースとは   :「Netinbag.com」
パラレルユニバースは存在するのか? いまだ解決できない物理学上の9つのミステリー【前編】  :「知的好奇心の扉 トカナ」
並行宇宙、パラレルワールドって、ほんとに存在してるの? :「YAHOO! ニュース」
シュレーディンガーの猫  :ウィキペディア
シュレーディンガーの猫  :「コトバンク」
ハイゼンベルグの猫像   :「EMANの物理学」
ブラック・ホール     :ウィキペディア
フリッチョフ・カプラ プロフィール  :「HMV & BOOKS -online-」
核の冬 :ウィキペディア

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このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『ボーダーライト』  小学館
『大義 横浜みなとみらい署暴対係』   徳間書店
『帝都争乱 サーベル警視庁2』  角川春樹事務所
『清明 隠蔽捜査8』  新潮社
『オフマイク』  集英社
『黙示 Apocalypse』 双葉社
『焦眉 警視庁強行犯係・樋口顕』  幻冬舎
『スクエア 横浜みなとみらい署暴対係』  徳間書店
『機捜235』  光文社
『エムエス 継続捜査ゼミ2』  講談社
『プロフェッション』  講談社
『道標 東京湾臨海署安積班』  角川春樹事務所
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新6版 (83冊) 2019.10.18