遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『最終標的 所轄魂』  笹本稜平   徳間書店

2022-05-25 09:33:21 | レビュー
 所轄魂シリーズの第5弾! 「読楽」(2017年3月~2018年3月)に連載された後、加筆修正されて、2018年10月に単行本が刊行された。
 2022年5月13日に文庫化されたところである。

 冒頭、警察庁刑事局長である勝沼厳が警察大学校の校長に異動するという噂が大原課長から葛木邦彦に伝えられる。敵対勢力からの報復が動き始める予兆が現れた。
 そんな矢先、1時間ほど前に砂川二丁目の路上で轢き逃げ事故が発生したという。被害者は意識不明の重体で救急車により病院に搬送された。命を取り留めたが意識が戻らないという。名前は田口由美子、26歳。自宅は現場近くで、両親との3人暮らし。江戸川区立瑞江小学校に勤務する教諭で、通勤の途中だった。
 初動捜査で、目撃者の証言から車種はメルセデスAMG C43。シルバーグレイのメルセデスでスポーツタイプ。足立ナンバーとわかる。目撃者が車好きだったので一目で特定できたという。所有者調べで、江東区在住、車は足立ナンバーという一人に絞り込めた。被疑者は橋村彰夫。問題は彼の父親が与党所属で党三役もやったことがある橋村幸司衆議院議員であること。代議士は警察組織にとっての天敵である。彰夫は三男だった。
 城東警察署交通課交通捜査係長の水谷が電話を掛けて、彰夫の所在を確認したら、代議士の父親が出て来て所用で東京を離れていると言う。質問には答えようとしない。初動捜査はこれ以上ないほど迅速だったが、大きな障壁が現れることになった。
 自宅の張り込みと事件現場から自宅周辺までのルート範囲での徹底的な聞き込みが始まった。
 現場からの微量の塗料の破片とタイヤ跡の採取から証言と同じ車種と特定された。不審な点は急ブレーキを踏んだ形跡がなかったことだ。

 生活安全課からの連絡で、1ヵ月ほど前に、被疑者は橋村彰夫からストーカー行為を受けているとの相談があったという。生活安全課は事情を聞き、警告書を出した。1ヵ月ほど経ち再びストーカー行為が始まっていた。そこで公安委員会に禁止命令を出してもらう手続きを進めていた矢先だったと言う。また、被害者の同僚、相川浩一から橋村彰夫のことが聞けそうだという。
 大原は、この事案を轢き逃げから殺人未遂容疑に切り替え捜査に着手することを署長に承諾させた。刑事・組織犯罪対策課が捜査することになる。
 相川に聞き取り捜査をすることから、橋村彰夫のプロフィールがかなりあきらかになる。中学時代から不良グループに入り、事件を起こすと父親が示談処理。大学中退後パラサイト生活を続けている。父親は異常と思えるほど彰夫を溺愛している。親父の力で政治家になると彰夫は放言している。かつての暴走族仲間とのつながりがある。一人は表向きは「板金エース」という板金塗装業者の藤村浩三である。藤村は高畑一家のフロントらしい。さらに、父親が半グレ時代を経験していると彰夫から聞いたことがあると相川は言う。
 相川からの聞き取り情報は、大原らの聞き込み捜査の範囲を広げる契機になり、暴力団との関係がうかがえることから、捜査は別の捜査事案との連携という形にも広がって行く。

 行方が掴めなかった橋村彰夫の車がNシステムで検知された。彰夫は城東署の任意同行に応じた。本人はここ1週間、館山の友人の家に滞在していた帰路だと言う。彰夫は平然としていた。交通課で彰夫の車を目視チェックをしたが、人を撥ねた痕跡に結びつく形跡は発見できなかった。本庁の交通鑑識課に鑑定を依頼するも、任意提出の車の精査には限界があった。轢き逃げ事件に繋がる修復の痕跡は発見できない。物証がでないのだ。そこにはどういうトリックがあるのか・・・・。
 葛木が息子の俊史に状況を伝えると、俊史は突飛な発想を語った。「彰夫の友達の藤村が違法ヤードに関係しているとしたら、たまたまそこに同じモデルの車があって、車台番号が刻印された部分を除いて、すべての外装パーツを交換しちゃったかもしれない」(p133)と。

 交通課の水谷が葛木に妙な盗難車情報について連絡してきた。彰夫の兄の橋村憲和が経営するローレル・フーズ・ホールディングスの取締役で、憲和の義弟にあたる川上隆から盗難車届が今日出されたという。購入したのが昨年の9月で、車種は彰夫の車と同タイプのメルセデスAMG。彰夫はその1ヵ月後に購入していた。本当に盗難にあったのか。胡散臭い臭いがする。俊史の突飛な発想と同様の手口を水谷も考えていたようだ。調べる価値はある。盗難であるなしにかかわらず、その車の所在を究明する価値が出て来た。そういう届出を今時点で行った川上自身の背景も調べる必要がでてきた。

 このストーリーの展開のおもしろさは、ストーカーによる轢き逃げ事件の捜査から端を発し、諸事象が連鎖していくところにある。父親(代議士)による犯罪隠蔽の行為と捜査妨害、虚偽の車両盗難届の可能性、自動車の窃盗・違法ヤード・密輸出というルートにつながる大規模車両窃盗グループの存在の可能性、橋本幸司が事業に成功し己の資金力を梃子に政界に出馬しのし上がってきた背後にある実態の解明など。次々に諸事象が浮上してくる。そしてそれらが巧妙に絡み合っていく。
 さらに興味深くかつおもしろいのは、所轄の警察署が連携プレイを広げて行き、所轄レベルで事件・事案の全容を描き出せる所まで解明していく、そして、所轄が葛木俊史を介し、勝沼刑事局長を動かし、本庁を捲き込んでいく。まさに所轄魂が盛り上がって行くプロセスである。
 このストーリーのタイトルは「最終標的」である。橋村彰夫の轢き逃げ事件が発端となり、事件は連鎖し、因となり果となって、遂に政界の中枢に踏み込める結果が生まれる。所轄魂は警察組織の天敵である政界の頂点に登り詰めた。うまく仕留められるか?

 最後に、葛木と俊史の会話描写から印象深い箇所を引用しよう。
*ロッキード事件だって、実際のところ、当時の官邸の意思を受けて検察は動いた。背後にあったのは政局で、たしかに巨悪は摘発できたものの、別の見方をすれば当時の与党内の派閥争いに利用されたという面もある。けっきょくそれで政界が浄化されたわけでもない。おれたちが手がけた事件を含めて、似たようなことはいくらでも繰り返される。 p107
*政治と金の話になると、おれたちのような下々はつい他人事のように考えがちだが、そういう連中を、おれたちの懐から搾りとられる税金で養っていることを思えば、国民はもっと怒らなくちゃいけないな。 p107

 ご一読ありがとうございます。

この印象記を書き始めた以降に、この作家の以下の作品を順次読み継いできました。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『危険領域 所轄魂』   徳間文庫
『山狩』   光文社
『孤軍 越境捜査』   双葉文庫
『偽装 越境捜査』   双葉文庫

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