本書は二部構成になっている、第1部「仏教体系の連峰」、第2部「日本で構築されたノーマライゼーション・ブディズム」である。読後印象としては、第2部にウェイトがかかっていると思う。大雑把な言い方をすれば、第1部は仏教思想の理論の精緻化の一つの側面、系譜を語り、第2部では仏教の実践面を論じている。そのため、第1部と第2部では、本文の論調、スタイルがガラリと変わるという面白さがある。
第1部は正直、通読して即解できる内容ではない。経典の引用箇所は読みづらい。だが、いわば必須的な内容とも言える。ゴータマ・ブッダが待機説法を使いながら、弟子達に語った内容が、後の時代の出家僧により仏教思想として理論化精緻化され、壮大な叡智の体系が形成されて行く。その体系の一つの系譜が要約説明されている。この書では、ゴータマ・ブッダその人と、ナーガルジュナ、ヴァスバンドゥの成し遂げたことが取り上げられている。
これに対し第2部は、読みやすい。「仏教の教えを軸として、ごく普通に世俗社会を生き抜く」という道筋に焦点を当てていくからである。このような道筋の発展を著者は「ノーマライゼーション・ブディズム」と称している。出家者にとっての仏教理論・実践から、俗世間で職業を持ち、浮き世で苦しみながら日常生活を送る在家者が生き抜く支えとしての仏教の教えに転換して行く。それが日本で発展した精華として、浄土真宗の蓮如と独自の道を歩んだ鈴木三を取り上げている。蓮如は著者にとり本領発揮の対象でもある。
さて、第1部は、ブツダとなった人、ゴータマ・ブッダから始まる。仏教を語るのだから当然のことだろう。そして、第2のブツダとも称されるナーガールジュナを取り上げ、仏教体系の連峰として、仏教の統合を行った人、ヴァスバンドゥに至る。
仏教は、歴史上実在したゴータマ・シッダールタが「悟り」を開いて、その教えを説き始めたことから始まった。そこでまずゴータマ・シッダールタがどのような経緯をへて「悟り」を開いたか、から始められる。そして、悟りを得たゴータマ・ブッダは自分の説く道を「古道」と言ったという。自分の説くことは過去にいたブッダ、先人の知恵を踏まえたものだとする。初めて教えを説いた「初転法輪」からブッダの活動がはじまった。
ブッダは「中道」を歩むこと、「縁起」の法という関係性の因果律を説く。執着と苦しみを縁起の法で説明する。「自分の都合」こそが「苦悩」を生み出す根源であると喝破したという。そして、「四諦」や「八正道」の思想を説く。ブツダ自身は、自分の都合が最小限となるライフスタイルとして「出家」を選択したが、一方で、社会の在り方や社会生活について、在家者には、基本は「フェア」と「シェア」を説いたと著者は言う。「共に歩み、分かちあえ」と説いたのである。ブツダは、「無明-愛-苦」の関係を「十二縁起」で説明する。さらに「常」と「一」と「主宰」というものを否定する(「常一主宰の否定」)。つまり「無常」の立場に立つ。一方、「戒-定-慧」による智慧の獲得を仏道の目標とする。ここにゴータマ・ブッダの説いたフレームワークが説明されている。
ナーガルジュナは龍樹と漢訳されている人である。著者は日本仏教の源流に位置づけられる「龍樹菩薩」と呼ばれるこの人物をとりあげ、彼の著作『中論』からその思想の核心を説明する。『中論』冒頭に記された「八不の偈」に続いて、「世俗諦」と「勝義諦」という用語で真実の2つの形態を言語化したこと。縁起が空性であることを示すために「仮名」という表現でとらえていることを説明している。そして、ナーガルジュナが宗教体験による直観を言語化して説いた結果が「どこにも着地しない道」であるとする。ナーガルジュナは、徹底して縁起の法に基づき、「執着しない」という方向性での日常の実践を語ったという。著者は「空」の思想を完成させたのがナーガルジュナだと言う。中観学派と称される系譜が確立される。
そして、この思想は、『維摩経』の偈頌にある「空の実践」に引き継がれていると著者は言う。
この第2章で印象に残るのは著者の次の説明箇所である。要点を記す。
1) 創唱宗教にはいくつかの特性がある。 p60
*「オリジナルに近いほど、真実に近い」という価値観がある。
*「オリジナルが頂点であり、その後それ以上のものは生まれない」
*「繰り返し原点回帰ムーブメント」が起こる性格をもつ。 典型はイスラム教
2) 仏教の体系は「異端の上書きによる歴史」といった側面があり、これを「進化形態」として高く評価するユニークさを持つ。叡智の上書きの繰り返しが壮大な体系へと変貌してきた。それが、一方で、仏教が単純な原点回帰運動に至りにくい要因でもある。p60-61
3) 大乗仏教は高度な理念と土俗の宗教性を併せ持つ。 p61
巨大な連峰となる3人目がヴァスバンドゥである。
ヴァスバンドゥは、奈良・興福寺の北円堂に安置されている「天親(世親)」像で良く知られている僧である。当初部派仏教に属したヴァスバンドゥは、『倶舎論』という論書を書き上げる。そして、兄(アサンガ・ヴァスバンドゥ、無著)の誓願により大乗教理と向き合った上で、大乗仏教者へ転向する。そして、大乗仏教者として、「唯識」思想を大成したという。つまり、仏教思想の統合を手掛けた人だそうである。
「大乗仏教は、『空』を土台として、『心の働きを中心にすえた理論と実践』へと展開していった。唯識はその精華である」(p95)と言う。唯識学派という系譜が確立される。
心の働きを軸に世界を読み解くのである。空の思想を実践的に展開するのが唯識であり、唯心論と共通するところが多いとする。著者は「識の三層」として、阿頼耶識・末那識・六識を概説する。唯識の思想は、現代科学と合致する部分が多いという。
唯識の理論体系は、部派仏教の「有る」と大乗仏教の「空」とを綜合する立場をクリエイトしたと著者は言う。この辺りになると、そういうものなのか・・・というレベルに留まり、理解が及ばない。唯識の解説書に踏み込まないと・・・・。香りを嗅いだにとどまる思いである。
ヴァスバンドゥの唯識思想により「識の転変」が行われ、心の方向を転換させる実践法がヨーガなのだという。
この第3章を読み、北円堂で拝見した「天親(世親)」像の背景が少し理解できてきた。興福寺は薬師寺とともに、法相宗のお寺であり、唯識を教学の中心にする宗派であるという。その繋がりがナルホドである。
第2部の「蓮如 -日常を営む仏道」(第4章)に入ると、俄然読みやすくなる。なぜなら、蓮如を介して、第1部の仏教体系の延長線上に、その連峰の一つとして、浄土真宗の仏教思想、理論的枠組みを論じようとするのではないからだ。それをするなら、「自らの影から目をそらさない実存主義的宗教者であった親鸞」(p120)が取り上げられただろう。著者は、ナーガルジュナが『無量寿経』の立場に着目し、その教えを精緻化していて、「信による解脱」である易行道を展開していると論じる。その先に、蓮如を世俗社会を苦しみながら生き抜く人々に「信による解脱」を実践することを説いた人として、上乗せしていく。蓮如が教団人として教線の拡大に活躍することが実践を広めることでもあった。勿論、蓮如の実践のバックボーンには、親鸞の著述という仏教思想の理論が既にある。だから、蓮如の役回りは、世俗の人々を救いに導く実践を広げること。言い換えれば、信者を拡大して行くことだったと言えようか。そこで、この第4章は、蓮如がその人生を通じて、どのように実践活動をしたかを明らかにしていくことになる。その立ち位置を、「蓮如思想は、禺者が歩む仏道にほかならない」(p165)と著者は読み解く。
教団の拡大に人生を捧げた蓮如の活動を、伝記語り風に著者は論じていく。それ故、読みやすさがあり、蓮如という人に興味が湧く。
伝記風の概説から、いくつかキーポイントを要約してご紹介する。
*蓮如が42歳で本願寺宗主となるまでの本願寺は、天台宗青蓮院の一末寺だった。
*蓮如には、本願寺内にあった他宗派の仏像や絵などを風呂の焚き付けにする。大師像も排斥しようとするくらい、一心一向的姿勢があった。
*蓮如が本願寺教団オリジナルの宗教儀礼をクリエイトした。
「正信偈」と「和讃」による勤行形態。「無碍光本尊」の考案など。
行為様式の明確化が同信者の絆を強くする道筋であることを熟知していた。
語り合いの法座を重視し、その形式を確立した。
*本願寺が破却された後、摂津や近江を転々とし、1471年に越前吉崎に拠点を移す。
*蓮如は文書による伝道教化活動に注力した。今日「御文章(御文)」と称される。
*心情の吐露、細やかな宗教的情感の発揮が、蓮如の魅力となり、求心力となる。
*蓮如による堂宇建立、拠点作りした地は、寺内町として都市化する。
*蓮如は63歳で山科に本願寺の再興を図り、74歳で本願寺宗主を譲り、81歳の時に摂津国東成郡生玉庄大坂に坊舎建立を始める。ここが後に、石山本願寺という日本屈指の軍事的経済的宗教的要地となる。
*蓮如は平座にてみなと同座して。「同じ信心をいただくものはすべて平等」というスタンスで布教を実施。教線の拡大では人々が村に念仏道場を建てることが核となる。
*蓮如は「仏法を主とし、世間を客人とせよ」と説く。
*蓮如は、人々を導こうとする柔らかさと強い意志を持ち、人間の情緒のひだに分け入る形で仏法を語り合い、目指す地平は「凡夫が仏になる」ことだとした。
本書の最期に、第2部でもう一人「鈴木正三」を取り上げている。かれは「日本仏教の改革者」だと記す。これは中村元が富永仲基と並ぶ「批判的精神の持ち主」と評価し、こう位置づけたそうである。昭和40年頃までは日本の仏教学者すら鈴木正三をほとんど知らなかったそうである。私は本書で鈴木正三という存在を知った。
この章もまた、鈴木正三の生き方を語るという伝記風の記述の中で、なぜ改革者とみなされたかという背景を説明している。
雑賀系の「鈴木」と思われる鈴木家に生まれ、関ヶ原の戦いにも参戦した武士で、武士道と仏道の双方に足をかけながら歩み続けた人だという。曹洞の禅を学ぶことから始め、42歳で出家し、修行の旅に出る。島原の乱後には、天草にも足を運んでいるという。
正三は仏教、神道、儒教、さらには日本文化圏にあった古来からの宗教的感性などをすべて融合した思想だという。著者は「アマルガムのような東洋宗教を仏教から解読したもの」と説明する。正三は「どんな職業も仏行である」とし、職場こそ仏道の道場と考え、自らの職を修行と思い、その中で悟りを開くことを説いたという。出家や在家の優劣、職業による上下の位置づけなどはないという仏道観である。ノーマライゼーソン・ブディズムを発展させた人物である。
日常の営みのなかに仏道をとらえるという立場では、蓮如と同じなのだが、阿弥陀仏だけに帰依するという浄土真宗の在り方を嫌ったというから、おもしろい。
雪山童子物語という「ジャータカ」の一種の捨身譚に幼き頃に魅了され、後に「勇猛精進」を宗とし、「仁王阿吽の気力を以て、日々気力を抜くことなく生きる」ことを指針とした生き様だったという。まさに、独自の実践道を流布し、自ら歩み抜いた人物のようである。世俗社会の中で人々が生き抜くための仏道を実践するという点では、蓮如と共通項があると言える。
蓮如が「世法を客として、仏法を主とせよ」と語るのに対して、鈴木初三は「世法はそのまま仏法である」という地点まで展開したという。著者は、正三の方向を、仏教の「市民宗教化」と論じている。
一方、宗教学者すら殆ど知らない人物だったと言うことは、鈴木正三の思想の立ち位置から考え、宗派化、教団化することはなかったといういうことだろう。知る人ぞ知る。信奉者の個人的実践があるだけということなのだろうか。
ノーマライゼーション・ブディズムという実践の展開における蓮如と鈴木正三の活動は、対照的で興味深い。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
釈迦 :「コトバンク」
龍樹 :「コトバンク」
龍樹と空(中観) :「広済寺」
龍樹の思想 :「仏教へのいざない」
世親 :ウィキペディア
世親 :「コトバンク」
木像無著・世親像 :「興福寺」
運慶作『世親像』のモデルは文覚上人である :「田中英道ホームページ」
蓮如さん -ご生涯と伝説- :「本願寺文化振興財団」
蓮如 :「コトバンク」
蓮如 :ウィキペディア
浄土真宗をひろめた蓮如上人 :「ふくい歴史王 発掘!ふるさと人物伝」
鈴木正三 :ウィキペディア
鈴木正三 :「コトバンク」
鈴木正三記念館
働くとは? 鈴木正三の思想「労働即仏道」 :「WEB歴史街道」
誤解された思想家たち・日本編その9――鈴木正三(1579~1655)
:「小浜逸郎・ことばの闘い」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
次の著書も読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『不干斎ハビアン 神と仏を棄てた宗教者』 釈 徹宗 新潮選書
『聖地巡礼 リターンズ』 内田樹×釈撤宗 東京書籍
『現代霊性論』 内田 樹・釈 徹宗 講談社
第1部は正直、通読して即解できる内容ではない。経典の引用箇所は読みづらい。だが、いわば必須的な内容とも言える。ゴータマ・ブッダが待機説法を使いながら、弟子達に語った内容が、後の時代の出家僧により仏教思想として理論化精緻化され、壮大な叡智の体系が形成されて行く。その体系の一つの系譜が要約説明されている。この書では、ゴータマ・ブッダその人と、ナーガルジュナ、ヴァスバンドゥの成し遂げたことが取り上げられている。
これに対し第2部は、読みやすい。「仏教の教えを軸として、ごく普通に世俗社会を生き抜く」という道筋に焦点を当てていくからである。このような道筋の発展を著者は「ノーマライゼーション・ブディズム」と称している。出家者にとっての仏教理論・実践から、俗世間で職業を持ち、浮き世で苦しみながら日常生活を送る在家者が生き抜く支えとしての仏教の教えに転換して行く。それが日本で発展した精華として、浄土真宗の蓮如と独自の道を歩んだ鈴木三を取り上げている。蓮如は著者にとり本領発揮の対象でもある。
さて、第1部は、ブツダとなった人、ゴータマ・ブッダから始まる。仏教を語るのだから当然のことだろう。そして、第2のブツダとも称されるナーガールジュナを取り上げ、仏教体系の連峰として、仏教の統合を行った人、ヴァスバンドゥに至る。
仏教は、歴史上実在したゴータマ・シッダールタが「悟り」を開いて、その教えを説き始めたことから始まった。そこでまずゴータマ・シッダールタがどのような経緯をへて「悟り」を開いたか、から始められる。そして、悟りを得たゴータマ・ブッダは自分の説く道を「古道」と言ったという。自分の説くことは過去にいたブッダ、先人の知恵を踏まえたものだとする。初めて教えを説いた「初転法輪」からブッダの活動がはじまった。
ブッダは「中道」を歩むこと、「縁起」の法という関係性の因果律を説く。執着と苦しみを縁起の法で説明する。「自分の都合」こそが「苦悩」を生み出す根源であると喝破したという。そして、「四諦」や「八正道」の思想を説く。ブツダ自身は、自分の都合が最小限となるライフスタイルとして「出家」を選択したが、一方で、社会の在り方や社会生活について、在家者には、基本は「フェア」と「シェア」を説いたと著者は言う。「共に歩み、分かちあえ」と説いたのである。ブツダは、「無明-愛-苦」の関係を「十二縁起」で説明する。さらに「常」と「一」と「主宰」というものを否定する(「常一主宰の否定」)。つまり「無常」の立場に立つ。一方、「戒-定-慧」による智慧の獲得を仏道の目標とする。ここにゴータマ・ブッダの説いたフレームワークが説明されている。
ナーガルジュナは龍樹と漢訳されている人である。著者は日本仏教の源流に位置づけられる「龍樹菩薩」と呼ばれるこの人物をとりあげ、彼の著作『中論』からその思想の核心を説明する。『中論』冒頭に記された「八不の偈」に続いて、「世俗諦」と「勝義諦」という用語で真実の2つの形態を言語化したこと。縁起が空性であることを示すために「仮名」という表現でとらえていることを説明している。そして、ナーガルジュナが宗教体験による直観を言語化して説いた結果が「どこにも着地しない道」であるとする。ナーガルジュナは、徹底して縁起の法に基づき、「執着しない」という方向性での日常の実践を語ったという。著者は「空」の思想を完成させたのがナーガルジュナだと言う。中観学派と称される系譜が確立される。
そして、この思想は、『維摩経』の偈頌にある「空の実践」に引き継がれていると著者は言う。
この第2章で印象に残るのは著者の次の説明箇所である。要点を記す。
1) 創唱宗教にはいくつかの特性がある。 p60
*「オリジナルに近いほど、真実に近い」という価値観がある。
*「オリジナルが頂点であり、その後それ以上のものは生まれない」
*「繰り返し原点回帰ムーブメント」が起こる性格をもつ。 典型はイスラム教
2) 仏教の体系は「異端の上書きによる歴史」といった側面があり、これを「進化形態」として高く評価するユニークさを持つ。叡智の上書きの繰り返しが壮大な体系へと変貌してきた。それが、一方で、仏教が単純な原点回帰運動に至りにくい要因でもある。p60-61
3) 大乗仏教は高度な理念と土俗の宗教性を併せ持つ。 p61
巨大な連峰となる3人目がヴァスバンドゥである。
ヴァスバンドゥは、奈良・興福寺の北円堂に安置されている「天親(世親)」像で良く知られている僧である。当初部派仏教に属したヴァスバンドゥは、『倶舎論』という論書を書き上げる。そして、兄(アサンガ・ヴァスバンドゥ、無著)の誓願により大乗教理と向き合った上で、大乗仏教者へ転向する。そして、大乗仏教者として、「唯識」思想を大成したという。つまり、仏教思想の統合を手掛けた人だそうである。
「大乗仏教は、『空』を土台として、『心の働きを中心にすえた理論と実践』へと展開していった。唯識はその精華である」(p95)と言う。唯識学派という系譜が確立される。
心の働きを軸に世界を読み解くのである。空の思想を実践的に展開するのが唯識であり、唯心論と共通するところが多いとする。著者は「識の三層」として、阿頼耶識・末那識・六識を概説する。唯識の思想は、現代科学と合致する部分が多いという。
唯識の理論体系は、部派仏教の「有る」と大乗仏教の「空」とを綜合する立場をクリエイトしたと著者は言う。この辺りになると、そういうものなのか・・・というレベルに留まり、理解が及ばない。唯識の解説書に踏み込まないと・・・・。香りを嗅いだにとどまる思いである。
ヴァスバンドゥの唯識思想により「識の転変」が行われ、心の方向を転換させる実践法がヨーガなのだという。
この第3章を読み、北円堂で拝見した「天親(世親)」像の背景が少し理解できてきた。興福寺は薬師寺とともに、法相宗のお寺であり、唯識を教学の中心にする宗派であるという。その繋がりがナルホドである。
第2部の「蓮如 -日常を営む仏道」(第4章)に入ると、俄然読みやすくなる。なぜなら、蓮如を介して、第1部の仏教体系の延長線上に、その連峰の一つとして、浄土真宗の仏教思想、理論的枠組みを論じようとするのではないからだ。それをするなら、「自らの影から目をそらさない実存主義的宗教者であった親鸞」(p120)が取り上げられただろう。著者は、ナーガルジュナが『無量寿経』の立場に着目し、その教えを精緻化していて、「信による解脱」である易行道を展開していると論じる。その先に、蓮如を世俗社会を苦しみながら生き抜く人々に「信による解脱」を実践することを説いた人として、上乗せしていく。蓮如が教団人として教線の拡大に活躍することが実践を広めることでもあった。勿論、蓮如の実践のバックボーンには、親鸞の著述という仏教思想の理論が既にある。だから、蓮如の役回りは、世俗の人々を救いに導く実践を広げること。言い換えれば、信者を拡大して行くことだったと言えようか。そこで、この第4章は、蓮如がその人生を通じて、どのように実践活動をしたかを明らかにしていくことになる。その立ち位置を、「蓮如思想は、禺者が歩む仏道にほかならない」(p165)と著者は読み解く。
教団の拡大に人生を捧げた蓮如の活動を、伝記語り風に著者は論じていく。それ故、読みやすさがあり、蓮如という人に興味が湧く。
伝記風の概説から、いくつかキーポイントを要約してご紹介する。
*蓮如が42歳で本願寺宗主となるまでの本願寺は、天台宗青蓮院の一末寺だった。
*蓮如には、本願寺内にあった他宗派の仏像や絵などを風呂の焚き付けにする。大師像も排斥しようとするくらい、一心一向的姿勢があった。
*蓮如が本願寺教団オリジナルの宗教儀礼をクリエイトした。
「正信偈」と「和讃」による勤行形態。「無碍光本尊」の考案など。
行為様式の明確化が同信者の絆を強くする道筋であることを熟知していた。
語り合いの法座を重視し、その形式を確立した。
*本願寺が破却された後、摂津や近江を転々とし、1471年に越前吉崎に拠点を移す。
*蓮如は文書による伝道教化活動に注力した。今日「御文章(御文)」と称される。
*心情の吐露、細やかな宗教的情感の発揮が、蓮如の魅力となり、求心力となる。
*蓮如による堂宇建立、拠点作りした地は、寺内町として都市化する。
*蓮如は63歳で山科に本願寺の再興を図り、74歳で本願寺宗主を譲り、81歳の時に摂津国東成郡生玉庄大坂に坊舎建立を始める。ここが後に、石山本願寺という日本屈指の軍事的経済的宗教的要地となる。
*蓮如は平座にてみなと同座して。「同じ信心をいただくものはすべて平等」というスタンスで布教を実施。教線の拡大では人々が村に念仏道場を建てることが核となる。
*蓮如は「仏法を主とし、世間を客人とせよ」と説く。
*蓮如は、人々を導こうとする柔らかさと強い意志を持ち、人間の情緒のひだに分け入る形で仏法を語り合い、目指す地平は「凡夫が仏になる」ことだとした。
本書の最期に、第2部でもう一人「鈴木正三」を取り上げている。かれは「日本仏教の改革者」だと記す。これは中村元が富永仲基と並ぶ「批判的精神の持ち主」と評価し、こう位置づけたそうである。昭和40年頃までは日本の仏教学者すら鈴木正三をほとんど知らなかったそうである。私は本書で鈴木正三という存在を知った。
この章もまた、鈴木正三の生き方を語るという伝記風の記述の中で、なぜ改革者とみなされたかという背景を説明している。
雑賀系の「鈴木」と思われる鈴木家に生まれ、関ヶ原の戦いにも参戦した武士で、武士道と仏道の双方に足をかけながら歩み続けた人だという。曹洞の禅を学ぶことから始め、42歳で出家し、修行の旅に出る。島原の乱後には、天草にも足を運んでいるという。
正三は仏教、神道、儒教、さらには日本文化圏にあった古来からの宗教的感性などをすべて融合した思想だという。著者は「アマルガムのような東洋宗教を仏教から解読したもの」と説明する。正三は「どんな職業も仏行である」とし、職場こそ仏道の道場と考え、自らの職を修行と思い、その中で悟りを開くことを説いたという。出家や在家の優劣、職業による上下の位置づけなどはないという仏道観である。ノーマライゼーソン・ブディズムを発展させた人物である。
日常の営みのなかに仏道をとらえるという立場では、蓮如と同じなのだが、阿弥陀仏だけに帰依するという浄土真宗の在り方を嫌ったというから、おもしろい。
雪山童子物語という「ジャータカ」の一種の捨身譚に幼き頃に魅了され、後に「勇猛精進」を宗とし、「仁王阿吽の気力を以て、日々気力を抜くことなく生きる」ことを指針とした生き様だったという。まさに、独自の実践道を流布し、自ら歩み抜いた人物のようである。世俗社会の中で人々が生き抜くための仏道を実践するという点では、蓮如と共通項があると言える。
蓮如が「世法を客として、仏法を主とせよ」と語るのに対して、鈴木初三は「世法はそのまま仏法である」という地点まで展開したという。著者は、正三の方向を、仏教の「市民宗教化」と論じている。
一方、宗教学者すら殆ど知らない人物だったと言うことは、鈴木正三の思想の立ち位置から考え、宗派化、教団化することはなかったといういうことだろう。知る人ぞ知る。信奉者の個人的実践があるだけということなのだろうか。
ノーマライゼーション・ブディズムという実践の展開における蓮如と鈴木正三の活動は、対照的で興味深い。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
釈迦 :「コトバンク」
龍樹 :「コトバンク」
龍樹と空(中観) :「広済寺」
龍樹の思想 :「仏教へのいざない」
世親 :ウィキペディア
世親 :「コトバンク」
木像無著・世親像 :「興福寺」
運慶作『世親像』のモデルは文覚上人である :「田中英道ホームページ」
蓮如さん -ご生涯と伝説- :「本願寺文化振興財団」
蓮如 :「コトバンク」
蓮如 :ウィキペディア
浄土真宗をひろめた蓮如上人 :「ふくい歴史王 発掘!ふるさと人物伝」
鈴木正三 :ウィキペディア
鈴木正三 :「コトバンク」
鈴木正三記念館
働くとは? 鈴木正三の思想「労働即仏道」 :「WEB歴史街道」
誤解された思想家たち・日本編その9――鈴木正三(1579~1655)
:「小浜逸郎・ことばの闘い」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
次の著書も読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『不干斎ハビアン 神と仏を棄てた宗教者』 釈 徹宗 新潮選書
『聖地巡礼 リターンズ』 内田樹×釈撤宗 東京書籍
『現代霊性論』 内田 樹・釈 徹宗 講談社
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