表紙と「絵巻で読む」という冠語句に興味を引かれて手に取った。『方丈記』の絵巻があるということを知らなかったので、それが一番のインセンティブである。
三康文化研究所附属三康図書館蔵の『方丈記絵巻』が出典。表紙の折込部分には、「『方丈記』を絵巻仕立てにしたもの。絵の総数は、17図に及ぶ。近世以前作の『方丈記』の絵巻は他に例を見ず、大変貴重なものである。江戸時代写」と説明されている。冒頭の表紙に利用されているのは、この『方丈記絵巻』の「安元の大火の絵」である。
本書は2022年7月に単行本として刊行された。
読み始めてからふと思ったのは、『方丈記』訳注付の文庫本を購入していて書棚に眠っていたのでは・・・・。探してみるとなんと3種の文庫本を持っていた。それぞれ構成に特徴を備えた訳注付きである。
『方丈記』は和文と漢文の特徴を併せ持つ「和漢混淆文」で書かれている。ほんの一部を原文で部分読みしてはいたが、和漢混淆文ということにちょっと敷居の高さを感じて、文庫本を買いながら原文を通読することなく眠らせていた。
本書を開けて読み始めると、ページの基本構成は、まず『方丈記絵巻』の絵が上半部に、原文が下半分に記されている。そして、原文中の語句について、最小限での[注]が付記される。その後に現代語訳が続く。その現代語訳には、原文の上部に付けられた絵の部分拡大図が訳文の各所に配されいる。部分図にキャプションが記され、絵の細部を鑑賞・観察するガイドとなり、かつ方丈記本文の理解を拡げる一助となっている。
読み始めて、鴨長明の和漢混淆文が意外と読みやすいということに気づいた。
勿論、原文の語句の細部が理解できたという訳ではない。細部は気にせず、原文全体で鴨長明が語ろうとする大意が大凡捕らえられる。そして、それに続く訳注者の現代語訳で本文全体の意味が理解できる。お陰で、絵巻の絵を鑑賞し、イメージを描き出しやすい状態で、『方丈記』原文を一応通読し、現代語訳で鴨長明が伝えようとしたことの大凡が理解できたように思う。本書を読み進めることで、原文を読む抵抗感レベルが下がった。眠らせてきた文庫本を随時読み進める動機づけにもなった。
本書の構成でおもしろいところをもう一点最初にご紹介しておこう。『方丈記絵巻』の原典に相当する部分(上半分が絵、下半分が原文)はページの上部が抹茶色の色帯となっている。その後の現代語訳のページはあずき色の色帯であり、識別できるようになっている。
つまり、抹茶色帯ページを読み継いでいけば、『方丈記絵巻』の世界に入り込み鑑賞していくことができる。あずき色帯ページを読み継いでいくと、『方丈記』を現代語訳で読み内容を理解するとともに鴨長明の伝えたいことを味わうことができることになる。
私は抹茶色帯ページとあずき色帯ページを交互に順次読む形で読了した。
本書に全面掲載された抹茶色帯ページの『方丈記絵巻』の17図部分を眺めて、あずき色帯ページの現代語訳と部分図を読み継いでいくというのが、『方丈記』の絵巻の17図を鑑賞し、本文内容を理解しやすい方法と言える。
本書を通読して、鴨長明は『方丈記』の前半に「五大災厄」の見聞を記録し、後半に方丈の庵の環境と周辺の風物並びに方丈での暮らしを描き、己の感興を記しているということがわかった。
本書では、冒頭の有名な文章「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまることなし」で始まる箇所を「序章」とし、その後に「五大災厄」が、
「安元の大火」「治承の辻風」「治承の都遷り」「養和の飢饉」「元暦の地震」
と区分されていく。そして後半部分となる。
後半は、本文が「人間の生活の苦しみ」「方丈の庵」「庵での生活」「たどり着いた境地」と区分され続く。
そして「そもそも、一期の月影傾きて、余算、山の端に近し」からが「終章」とされている。
上記した手許の文庫本の目次と本書のこの目次を対比的にみると、本文全体でみた場合、本文の区切り方にそれぞれの本で微妙に違う箇所がある。これは各訳注者の『方丈記』に対するスタンスの違いを示しているのかもしれない。今後読み継ぐ上でのおもしろさの一つになる気がする。
色帯付きページ部分を前半とすると、後半に「『方丈記絵巻』解説」が載っている。
最初に、「『方丈記絵巻』の構成」というタイトルで、モノクロ画像ではあるが、この絵巻(47紙)全体が8ページにまたがって掲載されている。絵巻のイメージを把握するのに役立つ。「絵巻の継紙と構成」が見開きページでまとめてある。
その後に次の解説が続く。
『方丈記絵巻』外観/ 絵巻の各場面/ 『方丈記』作者・鴨長明
『方丈記』の諸本と文体/ 『方丈記』の内容/ 鴨長明略年譜
これらは、『方丈記絵巻』と『方丈記』について、さらに一歩掘り下げて、理解を深め鑑賞する導きとなる。専門的視点での解説が加えられている。
本書を読んで初めて知ったのだが、『方丈記』もまた写本により流布し読み継がれてきたので、諸本が並存していて、二種五類に分類されるという。
大きくは「広本(こう)本系統」と「略本系統」に二分類される。
「広本系統」は、さらに「古本系統」と「流布本系統」に類別されるという。本書『方丈記絵巻』は「流布本系統」になるそうである。
もう一つは略本系統で、こちらは「五大災厄」の記述がないものという。[長亨本・延徳本・真名本(真字本)]。
手許の3種の文庫本を確認すると、3冊とも底本は「最古の写本である大福光寺本」となっている。ここでの分類に当てはめると「古本系統」である。同じ大福光寺本を底本にしていても、訳注の解説において、三者三様に本文の区切りが行われていることになる。『方丈記』も詳細に分け入っていけば、興趣が尽きないのかもしれない。
最後に、後半部の訳注者の解説から印象に残る箇所を覚書を兼ねてご紹介しておこう。
*『方丈記』は「無常の文学」といわれ、「無常」を語る作品の代表格とされる。『枕草子』『徒然草』とともに「三大随筆」と称されることから、「随筆」の典型として捉えられることも多い。しかし『方丈記』は、あくまでも作者鴨長明が理想的な終の栖である「方丈の庵」について語った「住居論」である。 p103
*おそらく長明は、「和文」や「漢文」といった既成の文体に物足りなさや限界を覚え、和歌などの韻文の表現を散文の世界に調和させるにはどうしたらよいか、音楽的感覚に基づく語感を文章に乗せるにはどうしたらよいか模索したことだろう。・・・・「和漢混淆文」に、長明は表現の可能性を感じたのではないか。自らが目指す作品世界実現のために、最も適した表現手段を見出したのである。・・・・・・ 長明が「和漢混淆文」を用いて『方丈記』を書いたことは、もしかしたら当時は先鋭的で実験的な試みだったかもしれない。・・・・書かれた当時は「最新」の文体を用いた「最先端」の作品であったかもしれないということを忘れてはならないだろう。 p103-104
111ページという厚さの本。そこに絵巻の17図すべてが多くの部分図とともに収録され、原文と現代語訳を併載し、諸観点からの解説も加えられている。楽しみながら『方丈記』の世界を知ることができる本。教養書の一冊としてお薦めできる。
ご一読ありがとうございます。
三康文化研究所附属三康図書館蔵の『方丈記絵巻』が出典。表紙の折込部分には、「『方丈記』を絵巻仕立てにしたもの。絵の総数は、17図に及ぶ。近世以前作の『方丈記』の絵巻は他に例を見ず、大変貴重なものである。江戸時代写」と説明されている。冒頭の表紙に利用されているのは、この『方丈記絵巻』の「安元の大火の絵」である。
本書は2022年7月に単行本として刊行された。
読み始めてからふと思ったのは、『方丈記』訳注付の文庫本を購入していて書棚に眠っていたのでは・・・・。探してみるとなんと3種の文庫本を持っていた。それぞれ構成に特徴を備えた訳注付きである。
『方丈記』は和文と漢文の特徴を併せ持つ「和漢混淆文」で書かれている。ほんの一部を原文で部分読みしてはいたが、和漢混淆文ということにちょっと敷居の高さを感じて、文庫本を買いながら原文を通読することなく眠らせていた。
本書を開けて読み始めると、ページの基本構成は、まず『方丈記絵巻』の絵が上半部に、原文が下半分に記されている。そして、原文中の語句について、最小限での[注]が付記される。その後に現代語訳が続く。その現代語訳には、原文の上部に付けられた絵の部分拡大図が訳文の各所に配されいる。部分図にキャプションが記され、絵の細部を鑑賞・観察するガイドとなり、かつ方丈記本文の理解を拡げる一助となっている。
読み始めて、鴨長明の和漢混淆文が意外と読みやすいということに気づいた。
勿論、原文の語句の細部が理解できたという訳ではない。細部は気にせず、原文全体で鴨長明が語ろうとする大意が大凡捕らえられる。そして、それに続く訳注者の現代語訳で本文全体の意味が理解できる。お陰で、絵巻の絵を鑑賞し、イメージを描き出しやすい状態で、『方丈記』原文を一応通読し、現代語訳で鴨長明が伝えようとしたことの大凡が理解できたように思う。本書を読み進めることで、原文を読む抵抗感レベルが下がった。眠らせてきた文庫本を随時読み進める動機づけにもなった。
本書の構成でおもしろいところをもう一点最初にご紹介しておこう。『方丈記絵巻』の原典に相当する部分(上半分が絵、下半分が原文)はページの上部が抹茶色の色帯となっている。その後の現代語訳のページはあずき色の色帯であり、識別できるようになっている。
つまり、抹茶色帯ページを読み継いでいけば、『方丈記絵巻』の世界に入り込み鑑賞していくことができる。あずき色帯ページを読み継いでいくと、『方丈記』を現代語訳で読み内容を理解するとともに鴨長明の伝えたいことを味わうことができることになる。
私は抹茶色帯ページとあずき色帯ページを交互に順次読む形で読了した。
本書に全面掲載された抹茶色帯ページの『方丈記絵巻』の17図部分を眺めて、あずき色帯ページの現代語訳と部分図を読み継いでいくというのが、『方丈記』の絵巻の17図を鑑賞し、本文内容を理解しやすい方法と言える。
本書を通読して、鴨長明は『方丈記』の前半に「五大災厄」の見聞を記録し、後半に方丈の庵の環境と周辺の風物並びに方丈での暮らしを描き、己の感興を記しているということがわかった。
本書では、冒頭の有名な文章「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまることなし」で始まる箇所を「序章」とし、その後に「五大災厄」が、
「安元の大火」「治承の辻風」「治承の都遷り」「養和の飢饉」「元暦の地震」
と区分されていく。そして後半部分となる。
後半は、本文が「人間の生活の苦しみ」「方丈の庵」「庵での生活」「たどり着いた境地」と区分され続く。
そして「そもそも、一期の月影傾きて、余算、山の端に近し」からが「終章」とされている。
上記した手許の文庫本の目次と本書のこの目次を対比的にみると、本文全体でみた場合、本文の区切り方にそれぞれの本で微妙に違う箇所がある。これは各訳注者の『方丈記』に対するスタンスの違いを示しているのかもしれない。今後読み継ぐ上でのおもしろさの一つになる気がする。
色帯付きページ部分を前半とすると、後半に「『方丈記絵巻』解説」が載っている。
最初に、「『方丈記絵巻』の構成」というタイトルで、モノクロ画像ではあるが、この絵巻(47紙)全体が8ページにまたがって掲載されている。絵巻のイメージを把握するのに役立つ。「絵巻の継紙と構成」が見開きページでまとめてある。
その後に次の解説が続く。
『方丈記絵巻』外観/ 絵巻の各場面/ 『方丈記』作者・鴨長明
『方丈記』の諸本と文体/ 『方丈記』の内容/ 鴨長明略年譜
これらは、『方丈記絵巻』と『方丈記』について、さらに一歩掘り下げて、理解を深め鑑賞する導きとなる。専門的視点での解説が加えられている。
本書を読んで初めて知ったのだが、『方丈記』もまた写本により流布し読み継がれてきたので、諸本が並存していて、二種五類に分類されるという。
大きくは「広本(こう)本系統」と「略本系統」に二分類される。
「広本系統」は、さらに「古本系統」と「流布本系統」に類別されるという。本書『方丈記絵巻』は「流布本系統」になるそうである。
もう一つは略本系統で、こちらは「五大災厄」の記述がないものという。[長亨本・延徳本・真名本(真字本)]。
手許の3種の文庫本を確認すると、3冊とも底本は「最古の写本である大福光寺本」となっている。ここでの分類に当てはめると「古本系統」である。同じ大福光寺本を底本にしていても、訳注の解説において、三者三様に本文の区切りが行われていることになる。『方丈記』も詳細に分け入っていけば、興趣が尽きないのかもしれない。
最後に、後半部の訳注者の解説から印象に残る箇所を覚書を兼ねてご紹介しておこう。
*『方丈記』は「無常の文学」といわれ、「無常」を語る作品の代表格とされる。『枕草子』『徒然草』とともに「三大随筆」と称されることから、「随筆」の典型として捉えられることも多い。しかし『方丈記』は、あくまでも作者鴨長明が理想的な終の栖である「方丈の庵」について語った「住居論」である。 p103
*おそらく長明は、「和文」や「漢文」といった既成の文体に物足りなさや限界を覚え、和歌などの韻文の表現を散文の世界に調和させるにはどうしたらよいか、音楽的感覚に基づく語感を文章に乗せるにはどうしたらよいか模索したことだろう。・・・・「和漢混淆文」に、長明は表現の可能性を感じたのではないか。自らが目指す作品世界実現のために、最も適した表現手段を見出したのである。・・・・・・ 長明が「和漢混淆文」を用いて『方丈記』を書いたことは、もしかしたら当時は先鋭的で実験的な試みだったかもしれない。・・・・書かれた当時は「最新」の文体を用いた「最先端」の作品であったかもしれないということを忘れてはならないだろう。 p103-104
111ページという厚さの本。そこに絵巻の17図すべてが多くの部分図とともに収録され、原文と現代語訳を併載し、諸観点からの解説も加えられている。楽しみながら『方丈記』の世界を知ることができる本。教養書の一冊としてお薦めできる。
ご一読ありがとうございます。
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