遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『茶の世界史』 ビアトリス・ホーネガー 平田紀之訳 白水社

2021-01-28 21:56:19 | レビュー
 翻訳書には副題が付いている。表紙・背表紙に「中国の霊薬から世界の飲み物へ」と記されている。奥書を見ると、「新装版」として2020年4月に出版された。本書の訳者「あとがき」に記された日付を読み、インターネットで検索してみて、2010年に出版されていた翻訳本だということがわかった。
 本書の原題もまた表紙に小さな文字で併記されている。「LIQUID JADE」と。「訳者あとがき」の冒頭で、訳者自身が「液体の翡翠」あるいは「流れる翡翠」とその訳を記し、「古代中国で健康と長命に益する霊魂物質を含む鉱物と考えられていた緑色に輝く翡翠に、霊薬といっていいほどの効能を持つ茶を重ねあわせた表現である」(p281)と解説している。原題は「The Story of Tea from East to West」と副題が続く。
 この原題と読後印象で言えば、お茶にまつわり洋の東西に広がった茶の歴史物語という内容である。そういう意味で、私はこの本を「茶」の「世界史」というよりも、「茶の世界」史というニュアンスでタイトルを受けとめた。いずれにしても、翻訳書のタイトルは茶に関心をいだく人の目を止めさせるものになっていると思う。

 本書は4部構成である。「第一部 東から」「第二部 西へ」「第三部 珍しい物、不明な事、まちがった呼称と事実」「第四部 茶の現在-人々と地球-」。
 「第一部 東から」は実質37ページ。「日本の読者には情報があふれている茶道についての解説など数章を割愛した」と「訳者あとがき」で触れられているのでなるほどと理解した。まあ、賢明なところかも知れない。日本人にとっては、茶とそれに付随する文化が西洋世界にどのように受け入れられていったかの方に関心があるだろうから。
 第一部は、中国文明の祖の一人で、神話上の皇帝である神農が茶を発見した物語と神農の著とされる『神農本草経』から語り始められる。「茶の始まりは医療用だったが、古代中国の薬草家や治療師による霊魂物資の探究には道教の萌芽があって、それが茶を単純な薬から、まさに聖なる飲み物にして不死の霊薬に祭り上げた」(p18)という。翻訳の副題にある「中国の霊薬」である。
 著者は、茶の聖人と言われる陸羽の生涯と彼の著『茶経』の内容に触れ、一方で岡倉覚三(=岡倉天心)著『茶の本』にも言及し、また、廬仝の『七椀茶歌』と称される詩も紹介している。この詩は私には初めて知ったことの一つだ。
 東洋における茶の文化として、唐初期以来の煉瓦状固形茶(磚茶)の生産が陸羽の時代には一般的だった。そして、現在でも中央アジアでは葉茶ではなく固形茶が一般的に飲用されているという。茶の広がりが文人たちの間で飲茶競技を生み出したこと、それが日本では鎌倉時代に「闘茶」として発展したことにも触れている。
 「日本の禅と茶の宗匠」の章では、臨済宗の開祖となった栄西が茶の種と粉末茶の製法を中国から持ち帰り『喫茶養生記』を著していること、村田珠光・武野紹鴎から千利休へと茶道が発展して行く経緯を簡潔に物語って行く。その茶道について具体的に触れた説明が割愛されているということで、それはたぶん日本人には良く知られている内容だからということだろう。
 この章の冒頭に、千利休が切腹して果てる前に書いたという辞世の偈が漢文の形でルビつきにして引用されている。本書原文はどういう形で記述されているのだろうかと逆に興味が湧いた。横文字の文中に漢文の偈がそのまま記述されているということはたぶんないだろうな・・・・。翻訳した説明文が記されているだけなのではないか、と。
 一方、この章の末尾には「秀吉の最も深い侘の精神は、彼自身が歌で示した茶の湯の定義に表れている」(p49)と記した後、次の歌を載せている。
  底ひなき心の内を汲みてこそ お茶の湯なりとはしられたりけり
私は豊臣秀吉が詠んだというこの歌を初めて本書で知った。そのソースは何だろうか。
また、なぜこれを原著者は章末にしたのか。

 秀吉の詠んだ歌を引用するブログ記事はいくつかあった。だが、どういう場面で詠まれたのか、この歌の出典は記されていない。鈴木大拙がどこかでこの歌を引用しているらしい。また、孫引きになるが、斉藤孝著『声に出した読みたい日本語』には、千利休の「四規七則」が取り上げられていて、「秀吉の『底ひなき心の内を汲みてこそお茶の湯成りとはしられたりけり』という歌に、利休は『茶の湯とは只湯をわかして茶をたてて呑むばかりなるものと知るべし』と教える」と書いているという。未確認なので読後から課題が残った。


 「第二部 西へ」
 ここは、欧米に伝搬された茶がどういう世界をそこに形成して行ったかを様々な局面から物語っていく。当然ながら茶を介して東西両世界の関係性の変転が説明されていくことになる。歴史知識として一歩踏み込んで初めて知ることも多く、興味深い。
 私流に要約すると以下のような話が具体的かつちょっと踏み込んだ形で説明されていく。
*1494年、教皇アレクサンデル6世が大西洋にトルデシャス線を制定した。それで、ポルトガル人が東へ旅し、略奪等の行為と併せ中国との交易から巨万の富を得る。海路を使い茶が西欧に搬入される契機となる。それを見たイギリスとオランダが、東インド会社を設立して後に続く。勿論、茶はそれ以前にシルクロードを経由して西欧に伝来しいる。
*1660年代、イギリスの名物茶商人トマス・ガーウェイが茶の効能を広告したという。これを読むと、まさに万能薬といわんばかりの宣伝文。おもしろい。
*イギリスではお茶が国民的飲み物になっていく。だが、最初にお茶を提供したのは喫茶店ではなく。コーヒーハウスだった。「最初のコーヒーハウスがオックスフォードに開店したのは1650年」(p73)その2年後、ロンドン初のコーヒーハウス”パスクア・ロゼス・ヘッド”が開店し、コーヒー・茶・ココアという当時目新しい飲み物を提供したという。*18世紀イギリスの中産階級の興隆とともに、ロンドンでプレジャーガーデン(社交庭園)が流行し、女性を常連客に取り込んで行く。たのしみには茶がつきもののため、ティー・ガーデンとも呼ばれるようになる。
*イギリスで茶は統制品で課税対象だった。その税率が上がると密輸と偽装茶が増大。
*イギリスに茶を伝えたのは貴族。砂糖入りの茶の消費という習慣に変えたのは労働者階級。砂糖はカロリーの供給源で、パンに添えた甘い茶が一日の主な食事となることも多かったという。砂糖の消費は、イギリス植民地での砂糖生産を促し、それが奴隷売買の増大に繋がって行く。
*もとはアラブ商人が陸路で中国磁器を西欧に伝えた。茶の人気が海路でヨーロッパに中国磁器を輸入することを促進した。磁器の重みは船底のバラストとして完璧。茶という積荷の防水用の台としても機能した。中国は磁器の材料・製法を極秘にしたが、1708年に、ドイツのエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスが磁器の秘密を解明した。
*アメリカのニューヨークはそれ以前ニューアムステルダムと称し、オランダからの入植者が茶の楽しみを知っていた。1664年にイギリス人がニューヨークに改称した。アメリカでの茶への熱狂に対し、1773年イギリスは「茶税法」を制定した。それが結果的に「ボストン茶会事件」を引き起こしていく。
*イギリスにおける茶の消費量の増大が、中国との間での慢性的な貿易の不均衡をもたらす。その解消に阿片の中国への輸出増大を図る。中国の拒否が、阿片戦争へと発展して行った。こじ開けられた中国に、他の欧米諸国が追随する。
*植物学者ロバート・フォーチュンは、イギリスの東インド会社に頼まれて、イギリス帝国のために茶発見の任務を帯び、茶のスパイとして行動し成功した。この経緯がおもしろい。
*北部アッサムがアッサム茶の一大産地になる背景に、スコットランド人のチャールズ・アレキサンダー・ブルースが居た。彼はこの地で東インド会社の茶栽培の監督官になった。茶栽培事業を商業化したのはアッサム・カンパニーである。
*コーヒー農園として栄えたセイロン島がコーヒー銹(さび)とも呼ばれるヘミレイア・ヴァスタリクスという破壊的なカビ病菌で壊滅する。その後、スコットランド人のジェームズ・テイラーが茶の栽培を試みる。その最初の商業向け農園が、1867年にテイラーが開拓した”No.7の畑”だという。セイロン茶の商業的達成に貢献したのはトマス・リプトンである。「農園からティーポットへ直送」をうたい文句とする販売戦略で成功物語を作り上げた。のちにリプトンとセイロンが同義化されるまでになる。
*東インド会社はほぼ200年にわたり、イースト・インディアマンと呼ばれた巨大商船を使い往復航海に1年あるいはそれ以上をかける茶貿易をしてきた。19世紀前半はクリッパー(快速帆船)の時代で片道3ヵ月ほどの航海期間に短縮。それがティー・クリッパーの時代と呼ばれるようになる。だが、スエズ運河開通と蒸気船によりクリッパーの半分の時間で往復する時代に移る。東インド会社の終焉となる。

 茶が西へ伝わり流行する経緯を、様々な視点から歴史を踏まえて物語って行く読み物になっている。

 「第三部」は茶に関わる雑学がおもしろく楽しめる。話材を取り上げておこう。
*茶を示す言葉のルーツを辿る話。ティー、テイ、チャ、チャイなど。
*茶を作る植物は椿の一種で、カメリア・シネンシスというものだけ。変種が存在。
*ハイ・ティーとロー・ティーという言葉の使い方を詳しく説明。
*MIF(ミルクが先)とTIF(茶が先)の論争紛糾を面白おかしく語る。
*ティーバッグは、トマス・サリヴァンが茶の試供品送付のコスト削減発想から発明。
*西欧で black tea と呼ぶ茶を中国では紅茶と。アールグレイ、オレンジ・ペコーの色の由来は?
*茶の名前の隣に記された頭字語(FOP,FTGFOP,SFTGFOP,CTCなど)は何のこと?
*茶鑑定人(ティー・テイスター)とはどんな人かを解説。
*茶葉と正しい淹れ時間、そして正しい水が軌跡を起こす。正しい水についての蘊蓄話。
*各種の茶に含まれるカフェインについて語る。原則的な情報を提示する。
*『茶経』『喫茶養生記』は茶の効能を説く。明恵上人は茶の十徳を言う。効能談義。

知らなかったことが多い! 茶の世界にまつわる話材ネタを仕入れるのには便利。第三部だけ読むのも・・・・おもしろいかも。

 「第四部 茶の現在ー人々と地球」で「現在」というのは、本書の出版・2006年当時の状況になる。現時点では少しデータとして古くなっているかもしれない。世界の茶の半分は中国とインドで生産され、一方大輸出国はケニアとスリランカだと著者は言う。ケニアが大輸出国ということは知らなかった。2004年の茶の総生産量は320万トンだったそうだ。インターネットで検索してみると、2018年は589万トンとなり、生産量過去最高を更新したという。著者は2004~2005年頃の茶農園労働者の実情をデータベースで論じている。そこには多くの問題が内在していると。当時から現在までにどれだけの状況変化があるのだろうか。気になるところだが不詳。翻訳書(新装版)にも触れてはいない。
 そして、「フエア・トレードの茶」と「有機農業茶」について論じている。最後に、アッサム茶に関わるジュンポー族の茶にあらためて目を向けていく。
 第四部は読者に考える材料を提示する形で本書を終えている。
 
 様々な視点に立ち、「茶の世界」について歴史を踏まえて現在を考えさせる一書である。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書を読み関心事項を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
茶経  :ウィキペディア
茶経 お茶の雑学  :「アサヒ飲料」
陸羽  :ウィキペディア
廬仝  :ウィキペディア
  本書で引用されている「筆を走らせて孟諌講が新茶を寄せたるを謝す」という詩が
ここに収録されている。(『七椀茶歌』「走筆、謝孟諌講寄新茶」)
茶の本 岡倉覚三 村岡博訳 :「青空文庫」
阿片戦争  :ウィキペディア
ボストン茶会事件  :ウィキペディア
ボストン・ティーパーティー事件  :「O-CHANET」(世界緑茶協会)
アッサム  :「お茶百科」(伊藤園)
アッサム州 :ウィキペディア
ダージリン :「お茶百科」(伊藤園)
ダージリン :ウィキペディア
西ベンガル州  :ウィキペディア
セイロン島  :ウィキペディア
紅茶見聞録 トップ・ページ :「日本紅茶協会」
  懐かしのセイロン紅茶
Type of Tea :「Mighty Leaf 」
BLACK TEA - 紅茶 :「Mighty Leaf 」
Tea/Black tea/Red tea どれが紅茶を指すでしょうか?:「Linguage 英会話はリンゲージ」
ロバート・フォーチュン  :ウィキペディア
フェア・トレードとは? :「FAIRTRADE JAPAN」(フェアトレードジャパン)
フェアトレードとは   :「シャプラニール=市民による海外協力の会」
有機栽培茶(オーガニック) :「ちきりや」
有機農業とは  :「北村茶園・茶の間」
激しい対照をなす侘びの数寄者   :「Wein, Weib, und Gesang」
#2734 イメージの力(4):言葉のイメージ化トレーニング July 16, 2014 [54. イメージ化能力と学力について] :「ニムオロ塾」
世界の茶生産量が過去最高を更新 中国人の飲用増加とインド・中東の人口増が拡大に直結、2018年は589万t  :「食品産業新聞社ニュースWEB」

    インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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