本書を読んでみようと思った動機は3つある。一つは「古代イスラエルの恋愛詩」という副題に惹かれた。古代イスラエルの時代にどんな恋愛詩が詠まれたのだろうという興味である。その次に表紙に載っている人物画の描き方。そして、池澤夏樹という作家-今年初めて1冊み私の読書対象を拡げてくれた-の編となっていたからだ。秋吉輝雄という著者には正直ほとんど予備知識がなかった。
この雅歌は、美しい乙女の独白及びソロモン王が乙女の語りかけに答えて行くという相聞歌の形式を取っている。詠まれた詩篇は、のびやかでおおらかで、奔放ですらある。
たとえば、最初の詩の冒頭は、
あの人の唇が何度もわたしの唇に重ねられますように という一行。そして、
わたしの手を引いてください
一緒に走っていきましょう
王様 わたしを
お部屋へ連れていってください と乙女が詠う。
「相聞歌」と題する詩が3つ先に出てくる。その語りかけは率直そのものだ。
[男] ねえ きみ
きみは美しい
きみの奇麗な瞳はまるで鳩のよう
[女] いとしい人
あなたは美しい
あなたは凛々しい
わたしたちの寝床は緑の中
家の梁はレバノン杉で
垂木は糸杉
19の詩からなる恋愛詩。詩の標題を並べてみよう。
ソロモンに捧げる歌/わたしは色が黒い/きみは美しい/相聞歌/谷間の百合/恋に病む/夜 恋しい人を探して/王の婚礼/讃歌/風よ吹いて/眠っているのに/あなたの恋する人/恋人のゆくえ/きみは美しい/葡萄畑へ行きましょう/幼い妹/わたしは城壁/ソロモンの葡萄畑/誘い
わたし(女)が独白する詩、対話する形式の詩が連続していく。奔放な美しい女の想いがおおらかに語られ、一つのストーリーを構成している。最後の詩「誘い」は、女の次の語りかけで終わる。
[女] 急いでください
恋しい人
どうか羚羊の姿になって
若い牡鹿の姿になって
バルサムの山の上へ
人の体の美しさを讃える言葉はその土地・文化に根ざすものだと思う。讃えられた人に、またそれを読む人にイメージを喚起させ、理解できるための喩えを使うならば自然とそうなるだろう。イスラエルでは、こういう表現が人々に美への讃歎のイメージを喚起させるのかと、この詩を読んで感じた次第である。
喩えがどのようになされているか。たとえば、乳房への讃歎の喩えを抽出してみると、
二つの乳房は二匹の子鹿
百合の間をたよりなく歩く
双子の羚羊 p23
乳房は二匹の小さな鹿 双子の羚羊 p42
きみの乳房は棗椰子の実 p42
きみの乳房は葡萄の房のようだから p43
こんな具合だ。この表現はやはり人々の生活環境に根ざすのだろう。たぶん、日本でこういう喩えは出てこないだろうなと思う。
この恋愛詩を読んで、私には次の章句が印象深い。
野の羚羊と牝鹿に掛けて誓ってください
愛が本当に熟すまで
愛を揺り動かして目覚めさせはしないと p17
愛は死と同じくらい強い
情熱は冥府と同じくらい激しい
愛の炎は燃える炎です
ヤハの炎なのです
どんなに水を注いでも
愛の火は消えない
どんな洪水も愛を流すことはできない
家財を抛って愛を買おうとしたって
ただ軽蔑されるだけ p47
そして、この恋愛詩には、カバーを含め14箇所にシュラガ・ヴァイルによる挿画が
加えられている。
この恋愛詩を読み、その後に続く池澤の「雅歌-女性の視点で書かれた古代の恋歌」という小論を読んだ。
そこで気づいたことがある。なんとこの「雅歌」は旧約聖書の一部だったということ。だからソロモンが出てきた! これほどおおらかに愛と性・快楽を詠んだ詩が、『旧約聖書』の一部になっていることに驚いた。『旧約聖書』の中ではどう訳されているのかも調べてもみた(以下のリストご参照)。数行読んでみただけだが、かなり訳出が違う点だけまず確認できた。いずれ、ゆっくり対比しながら再読してみたい。
また、この雅歌が聖書の一部であれば、詩の中で使われている喩えの語句を聖書で読む人々にとって、その喩えの意味の理解は違うのかも知れないなと感じている。
池澤はこの詩の作者は女性だろうと推測している。そしてこんなことも記している。
*反復も多いし、文体は何よりも比喩に満ちている。それぞれが何の比喩かがわからないと作者の真意が読み取れない。 p54
*「雅歌」は生を肯定する詩篇である。 p61
*このような詩が旧約聖書から弾き出されなかったのはそれ自体が奇跡に思える。古来言われてきたのは、ここにある性愛を人と神の間の愛の比喩と見て受け入れるというものだが、虚心坦懐にテクストに向かった時に果たしてそう読めるだろうか。 p61
*長老たちはそれぞれに自分の若い時のことを思い出して、くすっと笑って、まあ残しておこうとつぶやいたのではなかったか。 p62
この9ページの小論は、秋吉訳のこの恋愛詩の全体像を理解するうえで、わかりやすい導入解説になっている。その大胆な解釈も参考になる。奥深くこの恋愛詩を読み込もうとしてきた池澤の理知と感性が伝わってくる小論だ。解釈論として興味深い。
本書の最後に、翻訳者・秋吉の「雅歌と私訳について」が掲載されている。
秋吉はこの一文を、『旧約聖書』の中の一書として流布する諸訳と解釈を異にする根拠に触れたいがために書いたという。そして、「1 聖書と雅歌の関係」「2 雅歌の原文について」「3 雅歌の文学類型と解釈」「4 註及び私訳の根拠について」という観点で説明する。「雅歌」の背景を簡潔に説明しており、わかりやすい。
この小論は『旧約聖書』の構成とユダヤの祭りについての入門としても役にたつ。
翻訳者・秋吉の立場が明確に記されている箇所を引用しておこう。
*結局雅歌に歌われる男女の愛は神ヤハウェとイスラエルとの関係を比喩的に歌ったものと解釈する、当時ユダヤ教の秀れた指導的人物であったラビ・アキバの説が採られて、雅歌もまた信仰の書とされた。 p66
*訳者の関心はこの古代の詩を純粋に一つの文学作品として読者に示すことにあるが、中世から現代に及ぶあまりに敬虔な、禁欲的な宗教生活の中で、本来自由奔放な愛の感情をおおらかに謳い上げたこれらの詩が、格調の高い上品な愛の詩に姿を変えて伝えられ、のみならず聖書に収められた多くの文書の中でも、出来得れば読まずに済ませたい書の一つとされて来たことを遺憾としたい。 p66
*私見では原文は本来断片的な歌が少なくとも男・女・はやし手とも言うべき第三者の三通りの歌い手によって展開される劇詩の形に集められた印象を持つ。 p69
*筆者は「では現在ヘブライ語で雅歌を読む人々は雅歌をどう読んでいるのか、書かれているままを忠実に訳出すればどのように訳し得るか」を問いとして拙訳を試みた。・・・拙訳は・・・明らかと思える写筆者の写筆上の間違いも出来るだけ無修正に残す点で訳の相違を生んでいる。 p68
どういう思いから秋吉が訳出を試みたかがよく理解できる。『旧訳聖書』の枠組みから一歩も出ない人には成しがたいし、理解できないことだろう。異端という一語で無視してしまうのではないかと思う。だからこそ、一旦聖書とは切り離し、独立詩として読んでみる価値があると感じる。
背景を知らず、先入観なく、「古代イスラエルの恋愛詩」として素直にまず読んだということは、結果的に秋吉の意図に沿っていたことになる。
両著者の「あとがき」を読んで、自らの無知を知った。
知らなかったことは:
秋吉輝雄が旧約聖書、ヘブライ語研究、古代イスラエル宗教思想史研究者だったこと。イスラエル政府の奨学金を得て、ヘブライ大学に留学して経歴を持つ学者だった。また、秋吉は『聖書 新共同訳』を世に出す研究者グループの一員でもあったということ。
池澤夏樹の父が、福永武彦であること。そして、秋吉輝雄は福永武彦の母の兄の子であるという。池澤は「ぼくの従兄という思い」で秋吉に接してきた関係にあったということ。
本書の出版は2012年3月20日である。「病室に日参するようにしてテクストの推敲を重ねたけれど、結局は間に合わないままに2011年3月14日、あの震災の3日後に輝雄さんは帰天した。」と池澤は「あとがき」に記す。
私は恋愛詩として古代イスラエルの人々はこんな喩え方をして愛を、快楽を語ったのか、という次元で読み、詩を楽しみ味わったにとどまる。だが、独立した詩篇として味わえるだけの素晴らしさがある。挿画ともうまくマッチしている。旧約聖書を知らなくても、独立した文学作品として味わえた。
まずは、独立した恋愛詩として楽しんでいただくとよい。それが訳者・秋吉の本望だろう。
さらに、詩の比喩の奥行きと広がり、その意味を深く感じとるために、この詩が私にとって、新たに『旧約聖書』への扉となった気がする。信仰者ではないが、かなり昔に購入して積ん読本になっている『旧約聖書』の諸書(文庫本)がある。旧約聖書の世界にこの雅歌を位置づけて考えてみることにいずれチャレンジしてみたい。
本書を通読し、その構成からそう動機付けられる結果になった側面もある。お陰で本書に繰り返し立ち戻ってくるきっかけができた。
秋吉は「あとがき」に、こう記している。「拙い訳であるが、こうした試みから『聖書』に対する不用の遠慮が解かれ、聖書の世界に目を向ける方を一人でも増す事が出来れば拙訳の意図ははたされるものと思う」と。その一人になったようだ。
ご一読ありがとうございます。
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本書を読み、自分にとって未知の領域に少しでも架橋する狙いでネット検索した。一覧にまとめておきたい。
-エンカルタから見る- 雅歌 :「聖書研究デスク」
ソロモン :ウィキペディア
ケダル ← 詩編120編 わたしは平和をこそ語るのに、彼らはただ、戦いを語る
エン・ゲディ :「ふくちゃんのホームページ」
シオン :ウィキペディア
ダビデの塔 ← ダビデの塔と白いエルサレム :「さわこの Wondering the World」
ダビデの塔 その1 :「ヤスコヴィッチのぼれぼれBLOG」
ヘルモン山 :ウィキペディア
タルシシ ← タルシシはどこか? :「政府紙幣を考えるブログ」
ティルツァ :BIBLIOTECA EN LINEA Watchtower
マハナイム :ウィキペディア
バト・ラビーム → バト・ラビム :「ものみの塔 オンライン・ライブラリー」
ダマスカス :ウィキペディア
レバノン :ウィキペディア
古代レバノンの歴史
カルメル山 :ウィキペディア
バアル :ウィキペディア
ナルド ← ナルドの香油 :「フィトアロマ研究所」
ミルラ ← 没薬 :ウィキペディア
乳香と没薬 :銀座内科診療所「生薬歳時記」
ヘンナ :ウィキペディア
ギレアデの乳香 :「聖句ガイド」末日聖徒教会
バルサム :AROMATERAPIA JP「アロマテラピー」
サフラン :ウィキペディア
アンズ :ウィキペディア
恋茄子 → マンドラゴラ・オータムナリス :「日本新薬」
植物こぼれ話「マンドレイク」 :「日本新薬」
マンドレイク :ウィキペディア
レバノン杉 :ウィキペディア
糸杉 :ウィキペディア
羚羊 :ウィキペディア
棗椰子 → ナツメヤシ:ウィキペディア
雅歌(口語訳)『聖書 [口語]』日本聖書協会、1955 :Wikisource
ソロモンの歌 :「新世界訳聖書」
ソロモンの歌 :BIBLIA
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この雅歌は、美しい乙女の独白及びソロモン王が乙女の語りかけに答えて行くという相聞歌の形式を取っている。詠まれた詩篇は、のびやかでおおらかで、奔放ですらある。
たとえば、最初の詩の冒頭は、
あの人の唇が何度もわたしの唇に重ねられますように という一行。そして、
わたしの手を引いてください
一緒に走っていきましょう
王様 わたしを
お部屋へ連れていってください と乙女が詠う。
「相聞歌」と題する詩が3つ先に出てくる。その語りかけは率直そのものだ。
[男] ねえ きみ
きみは美しい
きみの奇麗な瞳はまるで鳩のよう
[女] いとしい人
あなたは美しい
あなたは凛々しい
わたしたちの寝床は緑の中
家の梁はレバノン杉で
垂木は糸杉
19の詩からなる恋愛詩。詩の標題を並べてみよう。
ソロモンに捧げる歌/わたしは色が黒い/きみは美しい/相聞歌/谷間の百合/恋に病む/夜 恋しい人を探して/王の婚礼/讃歌/風よ吹いて/眠っているのに/あなたの恋する人/恋人のゆくえ/きみは美しい/葡萄畑へ行きましょう/幼い妹/わたしは城壁/ソロモンの葡萄畑/誘い
わたし(女)が独白する詩、対話する形式の詩が連続していく。奔放な美しい女の想いがおおらかに語られ、一つのストーリーを構成している。最後の詩「誘い」は、女の次の語りかけで終わる。
[女] 急いでください
恋しい人
どうか羚羊の姿になって
若い牡鹿の姿になって
バルサムの山の上へ
人の体の美しさを讃える言葉はその土地・文化に根ざすものだと思う。讃えられた人に、またそれを読む人にイメージを喚起させ、理解できるための喩えを使うならば自然とそうなるだろう。イスラエルでは、こういう表現が人々に美への讃歎のイメージを喚起させるのかと、この詩を読んで感じた次第である。
喩えがどのようになされているか。たとえば、乳房への讃歎の喩えを抽出してみると、
二つの乳房は二匹の子鹿
百合の間をたよりなく歩く
双子の羚羊 p23
乳房は二匹の小さな鹿 双子の羚羊 p42
きみの乳房は棗椰子の実 p42
きみの乳房は葡萄の房のようだから p43
こんな具合だ。この表現はやはり人々の生活環境に根ざすのだろう。たぶん、日本でこういう喩えは出てこないだろうなと思う。
この恋愛詩を読んで、私には次の章句が印象深い。
野の羚羊と牝鹿に掛けて誓ってください
愛が本当に熟すまで
愛を揺り動かして目覚めさせはしないと p17
愛は死と同じくらい強い
情熱は冥府と同じくらい激しい
愛の炎は燃える炎です
ヤハの炎なのです
どんなに水を注いでも
愛の火は消えない
どんな洪水も愛を流すことはできない
家財を抛って愛を買おうとしたって
ただ軽蔑されるだけ p47
そして、この恋愛詩には、カバーを含め14箇所にシュラガ・ヴァイルによる挿画が
加えられている。
この恋愛詩を読み、その後に続く池澤の「雅歌-女性の視点で書かれた古代の恋歌」という小論を読んだ。
そこで気づいたことがある。なんとこの「雅歌」は旧約聖書の一部だったということ。だからソロモンが出てきた! これほどおおらかに愛と性・快楽を詠んだ詩が、『旧約聖書』の一部になっていることに驚いた。『旧約聖書』の中ではどう訳されているのかも調べてもみた(以下のリストご参照)。数行読んでみただけだが、かなり訳出が違う点だけまず確認できた。いずれ、ゆっくり対比しながら再読してみたい。
また、この雅歌が聖書の一部であれば、詩の中で使われている喩えの語句を聖書で読む人々にとって、その喩えの意味の理解は違うのかも知れないなと感じている。
池澤はこの詩の作者は女性だろうと推測している。そしてこんなことも記している。
*反復も多いし、文体は何よりも比喩に満ちている。それぞれが何の比喩かがわからないと作者の真意が読み取れない。 p54
*「雅歌」は生を肯定する詩篇である。 p61
*このような詩が旧約聖書から弾き出されなかったのはそれ自体が奇跡に思える。古来言われてきたのは、ここにある性愛を人と神の間の愛の比喩と見て受け入れるというものだが、虚心坦懐にテクストに向かった時に果たしてそう読めるだろうか。 p61
*長老たちはそれぞれに自分の若い時のことを思い出して、くすっと笑って、まあ残しておこうとつぶやいたのではなかったか。 p62
この9ページの小論は、秋吉訳のこの恋愛詩の全体像を理解するうえで、わかりやすい導入解説になっている。その大胆な解釈も参考になる。奥深くこの恋愛詩を読み込もうとしてきた池澤の理知と感性が伝わってくる小論だ。解釈論として興味深い。
本書の最後に、翻訳者・秋吉の「雅歌と私訳について」が掲載されている。
秋吉はこの一文を、『旧約聖書』の中の一書として流布する諸訳と解釈を異にする根拠に触れたいがために書いたという。そして、「1 聖書と雅歌の関係」「2 雅歌の原文について」「3 雅歌の文学類型と解釈」「4 註及び私訳の根拠について」という観点で説明する。「雅歌」の背景を簡潔に説明しており、わかりやすい。
この小論は『旧約聖書』の構成とユダヤの祭りについての入門としても役にたつ。
翻訳者・秋吉の立場が明確に記されている箇所を引用しておこう。
*結局雅歌に歌われる男女の愛は神ヤハウェとイスラエルとの関係を比喩的に歌ったものと解釈する、当時ユダヤ教の秀れた指導的人物であったラビ・アキバの説が採られて、雅歌もまた信仰の書とされた。 p66
*訳者の関心はこの古代の詩を純粋に一つの文学作品として読者に示すことにあるが、中世から現代に及ぶあまりに敬虔な、禁欲的な宗教生活の中で、本来自由奔放な愛の感情をおおらかに謳い上げたこれらの詩が、格調の高い上品な愛の詩に姿を変えて伝えられ、のみならず聖書に収められた多くの文書の中でも、出来得れば読まずに済ませたい書の一つとされて来たことを遺憾としたい。 p66
*私見では原文は本来断片的な歌が少なくとも男・女・はやし手とも言うべき第三者の三通りの歌い手によって展開される劇詩の形に集められた印象を持つ。 p69
*筆者は「では現在ヘブライ語で雅歌を読む人々は雅歌をどう読んでいるのか、書かれているままを忠実に訳出すればどのように訳し得るか」を問いとして拙訳を試みた。・・・拙訳は・・・明らかと思える写筆者の写筆上の間違いも出来るだけ無修正に残す点で訳の相違を生んでいる。 p68
どういう思いから秋吉が訳出を試みたかがよく理解できる。『旧訳聖書』の枠組みから一歩も出ない人には成しがたいし、理解できないことだろう。異端という一語で無視してしまうのではないかと思う。だからこそ、一旦聖書とは切り離し、独立詩として読んでみる価値があると感じる。
背景を知らず、先入観なく、「古代イスラエルの恋愛詩」として素直にまず読んだということは、結果的に秋吉の意図に沿っていたことになる。
両著者の「あとがき」を読んで、自らの無知を知った。
知らなかったことは:
秋吉輝雄が旧約聖書、ヘブライ語研究、古代イスラエル宗教思想史研究者だったこと。イスラエル政府の奨学金を得て、ヘブライ大学に留学して経歴を持つ学者だった。また、秋吉は『聖書 新共同訳』を世に出す研究者グループの一員でもあったということ。
池澤夏樹の父が、福永武彦であること。そして、秋吉輝雄は福永武彦の母の兄の子であるという。池澤は「ぼくの従兄という思い」で秋吉に接してきた関係にあったということ。
本書の出版は2012年3月20日である。「病室に日参するようにしてテクストの推敲を重ねたけれど、結局は間に合わないままに2011年3月14日、あの震災の3日後に輝雄さんは帰天した。」と池澤は「あとがき」に記す。
私は恋愛詩として古代イスラエルの人々はこんな喩え方をして愛を、快楽を語ったのか、という次元で読み、詩を楽しみ味わったにとどまる。だが、独立した詩篇として味わえるだけの素晴らしさがある。挿画ともうまくマッチしている。旧約聖書を知らなくても、独立した文学作品として味わえた。
まずは、独立した恋愛詩として楽しんでいただくとよい。それが訳者・秋吉の本望だろう。
さらに、詩の比喩の奥行きと広がり、その意味を深く感じとるために、この詩が私にとって、新たに『旧約聖書』への扉となった気がする。信仰者ではないが、かなり昔に購入して積ん読本になっている『旧約聖書』の諸書(文庫本)がある。旧約聖書の世界にこの雅歌を位置づけて考えてみることにいずれチャレンジしてみたい。
本書を通読し、その構成からそう動機付けられる結果になった側面もある。お陰で本書に繰り返し立ち戻ってくるきっかけができた。
秋吉は「あとがき」に、こう記している。「拙い訳であるが、こうした試みから『聖書』に対する不用の遠慮が解かれ、聖書の世界に目を向ける方を一人でも増す事が出来れば拙訳の意図ははたされるものと思う」と。その一人になったようだ。
ご一読ありがとうございます。
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-エンカルタから見る- 雅歌 :「聖書研究デスク」
ソロモン :ウィキペディア
ケダル ← 詩編120編 わたしは平和をこそ語るのに、彼らはただ、戦いを語る
エン・ゲディ :「ふくちゃんのホームページ」
シオン :ウィキペディア
ダビデの塔 ← ダビデの塔と白いエルサレム :「さわこの Wondering the World」
ダビデの塔 その1 :「ヤスコヴィッチのぼれぼれBLOG」
ヘルモン山 :ウィキペディア
タルシシ ← タルシシはどこか? :「政府紙幣を考えるブログ」
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マハナイム :ウィキペディア
バト・ラビーム → バト・ラビム :「ものみの塔 オンライン・ライブラリー」
ダマスカス :ウィキペディア
レバノン :ウィキペディア
古代レバノンの歴史
カルメル山 :ウィキペディア
バアル :ウィキペディア
ナルド ← ナルドの香油 :「フィトアロマ研究所」
ミルラ ← 没薬 :ウィキペディア
乳香と没薬 :銀座内科診療所「生薬歳時記」
ヘンナ :ウィキペディア
ギレアデの乳香 :「聖句ガイド」末日聖徒教会
バルサム :AROMATERAPIA JP「アロマテラピー」
サフラン :ウィキペディア
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植物こぼれ話「マンドレイク」 :「日本新薬」
マンドレイク :ウィキペディア
レバノン杉 :ウィキペディア
糸杉 :ウィキペディア
羚羊 :ウィキペディア
棗椰子 → ナツメヤシ:ウィキペディア
雅歌(口語訳)『聖書 [口語]』日本聖書協会、1955 :Wikisource
ソロモンの歌 :「新世界訳聖書」
ソロモンの歌 :BIBLIA
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「聖マーガレット礼拝堂に祈りが途絶えた日」の著者でございます。タイトルからお気付きと思いますが、秋吉教授が講義をされていた、立教女学院の戦時下の礼拝や学業を停止され勤労動員にあたった女学生たちに触れたものです。
校内に分室を設けた海軍水路部の第二部部長は秋吉教授の父にあたる秋吉利雄海軍少将で聖公会の信徒でした。丹念に関係者の証言を拾ってゆくと秋吉少将は聖公会の学校を戦禍から守ろうとして努力したことが浮かび上がってきます。
水路部部員であった女性の方は、戦時下に秋吉少将から息子さん(のちの秋吉教授)の写真を、見せてもらったことを思い出にしてきました。この女性には秋吉照雄教授に立教女学院内で会っていただいたことを付記させていただきます。
この本で初めて秋吉先生の存在とご研究分野を知った次第です。
貴重なエピソードについて、お書き込みいただきありがとうございます。
タイトルから推測しましたが、ネット検索で確認してみました。
1932年(昭和7年)の施工で、J.V.W.バーガミニー氏の設計なのですね。「杉並区の重要文化財に指定された木造建築」ということも知りました。
ネット掲載の写真で見ると美しい建物ですね。
関西在住ですので、手軽に拝見に行けないのが残念です。
最後に、御著の副題「戦時下、星の軌跡を計算した女学生たち」に関心を抱きました。
ありがとうございます。