この小説は、弘化3年(1846)陰暦5月から始まり、慶応4年(1868)陰暦8月までの期間を扱っている。舞台は狗賓(ぐひん)童子の島と称され、島後(どうご)と呼ばれた島である。出雲から北東へ海上20里も離れた島々であり。内地の人々はこれらの島々を「おきんおしま」と呼んだ。古くは後醍醐天皇が配流された島であり、江戸時代においても、政治犯を含め犯罪者を流人として送る島としての役割を押しつけられてきたところである。
なぜ狗賓童子の島と呼ばれたのか。島後の最高峰大満寺山の奥には、樹齢千年を超える巨樹「千年杉」があり、その杉には狗賓が巣くっていると信じられてきのだ。狗賓は、島の民に危害をおよぼす者をけして許すことはなかったという。島の中で選ばれた子どもだけが、「狗賓童子」と呼ばれ、教えられた山道を歩み「千年杉」のところに行きつき、その杉を見上げることができたのだ。そして、村に無事帰還した狗賓童子が島の治安を守る若衆組の指導者になっていく。ひいては、島の庄屋などの重要な役割を担い、島の治安の中核になるのだった。島に害をおよぼす者を排除するという治安の中核をかつて狗賓童子に選ばれた一群の人々が担ってきたのだ。
この小説の主人公は、縁あってその狗賓童子に選ばれることになった人物である。
この作品は非常に特異な人物を主人公に設定している。
主人公は西村常太郎。数え15歳で流人として島後に島流しにされてきた。河内国志紀郡弓削村の庄屋だった西村七右衞門(履三郎)の惣領(長男)である。
常太郎の父・履三郎がこの作品の背景として重要な位置に居る。この小説の底流にあるのが、西村履三郎が河内きっての大庄屋という立場において、おのれの信条・意思を全うするために加担し、身を投じざるを得なかった大塩平八郎の乱である。そこには、天明の大飢饉(1782-1787)の50有余年後に再発した天保の大飢饉(1833-1839)と江戸幕藩体制が根本にある。
大塩平八郎の乱並びに、それに加担した河内の庄屋・西村履三郎のことを、島後の人々がよく伝え聞いていたのである。西村履三郎は大塩四高弟の一人として知れ渡っていたのだ。
履三郎は死後にその浅草にあった墓が暴かれ、遺体が樽に塩詰めにされ大坂に送還された後、大坂三郷引き廻しという処罰を受け、幼少だった常太郎と弟は一旦親類預けとなって、数え15歳で隠岐へ遠島されてきたのである。
著者はこの常太郎の生き様を冒頭に述べた期間を軸に描きだしていく。そして、島後の人々の置かれた政治経済状況と日常生活、さらには島後が内地とどのように関わっていたか。幕藩体制の中で腐りきっていた武士階級の局面と尊皇攘夷という激変の時代世相、その姿を浮かび上がらせる。常に流人という基盤に立ち、観察者の立場に己を置かざるをえなかった常太郎の目を通して、島後と内地の関わり、島後の変化、江戸幕藩体制の変転をとらえ、描いて行く。常太郎は、島後では漢方医学を学ぶ機会を得、かけがえのない医者として島民からの信頼を得て、生きていく。
本書は、被支配者の立場に置かれた人々の視点から捉え直した江戸時代の幕末史であり、歴史を捕らえ直す材料になる作品である。勝者の立場では書かれることのない歴史の局面が描き尽くされていく。実に興味深い作品である。限られた学校教育の時間枠と進学受験という背景で学ぶ日本史では絶対に見えることのない視点と歴史的事実の一端が、フィクションという設定の中ではあるが、鮮やかに描かれて行く。被支配者、庶民の目線から幕末という時代を考えるトリガーになると思う。
著者はいくつものテーマを相互に絡ませながら描いていると思う。私なりに整理してみると次のようになる。
1.西村常太郎の島後における生き様を描く。
己の預かり知らぬ罪で、罪人として位置づけられ、数え15で隠岐の島に渡る。暗澹とした思いの常太郎が、島の人々から予期せぬ温かい眼差しで迎え入れられる。そして、島の人々からは流人としてではなく、民のために戦って死んだ西村履三郎の子として遇される。常太郎が、島に居る漢方医・村上良準の薫陶を受け、漢方医として成長し、島の人々に貢献していく姿が描かれる。そこにも、少なくとも3つのサブテーマがある。
1) 外来人(流人)が島後の島人へと定着していくプロセス。狗賓童子に選ばれ、その自覚を持ち始める姿を描く。お初を介して、お幾という伴侶を見出していくところがストーリーに華を添える。常太郎の人生を描き出す。
2) 父履三郎の成した行為を捕らえ直すプロセス。父の罪の相対化であり、被支配者側からの捕らえ直しである。それは幕末の社会経済構造の再分析にも連なって行く。
3) 漢方医としての修練・一人立ちから、医者そのものの立場・行動へと進展する姿を描く。種痘の導入譚は興味深い。そして、島後における医療問題との格闘が絡んでいく。開国に伴う疫病の伝播への対応へと広がりをみせる。
このサブテーマは流人・常太郎の視点から、幕末の社会経済機構のとらえ方に重層していく。村上良準、流人・惣太郎との関わりが重要な影響を常太郎に及ぼす。
2. 島後の政治・社会経済機構と人々の生き方の姿を、幕末という時代との関わりで描く。
1) 島後の人々の生き方の姿を描く。
2) 島後が幕藩体制にどのように組み込まれていたか。そこに潜む矛盾点を描く。
それは結局、内地の各藩内の構造と通じる側面があるように思う。島の規模が小さくて、海上に孤立した存在故に、全体の社会経済構造が捕らえやすくて考えやすい。
3) 島後を幕末の社会経済体制の中で、海上交通という視点で改めて組み込まれ、変貌していく状況を描く。上記2)と関わるが、「隠岐騒動」もその一局面。
ある意味で、島後を日本の縮図として著者は描こうとしているのではないか。
3. 幕末史の側面を描く。
1) 天保の大飢饉を根源とし、それに対し無策に留まった江戸幕府並びに諸藩の実態と被支配者側の反応と行動を描く。
ここでフォーカスをあてられたサブテーマがある。
*大坂での大塩平八郎の乱の顛末と民衆の関わり方
*「江州湖辺大一揆」「福知山大一揆」の事実・実態とその顛末
*乱や一揆の発生地と地方との間の共通性と差異性、受け止め方と反応
事実とフィクションの境界がどこかは分からないが、被支配者の視点から、この時代を捕らえ直すのに役に立つ。一揆のリアル感に引き込まれていく。
2) 尊皇攘夷論 時代の動き及び、論と実態のギャップを浮き彫りにする。
ここにも、さらにサブテーマがある。
*京の都、江戸という中心地と地方の二極における意識と対応のギャップ
*攘夷の実態と開国 江戸幕府の無能性、馬関戦争や鹿児島戦争の実態
*尊皇攘夷論が島後の人々に及ぼした影響と人々の行動
3) 政権交代の実態とその意味
*権力構造の実態と為政者の意識
*島後の人々にとっての維新到来の意味
*流人西村常太郎の視点
こんなテーマ、サブテーマが重層的に相互関連を持ちながら、内地から海上二十里も離れた狗賓童子の島の人々をつき動かしていく。絶海の孤島に見えて、海の道により各地と様々につながる島後。民衆という被支配者の視点に立つと、その有様は日本の縮図として描き出されているように感じた。
この小説は、己に罪なき罪を背負った流人・西村常太郎の半生史であるとともに、民衆の幕末史である。読み応えがある。考える材料が数多く盛り込まれた作品だ。
最後にこんな章句を引用しておきたい。
*常太郎は、絶海の孤島ゆえの底力をそこに見た。個々の民が強くなければとてもこうはいかなかった。それぞれが強いがゆえに自らを律して生きることがこの島では可能だった。だが、新政府はその底力ゆえにこの島の民を脅威と感じ、危険を察知した。学問も武道も民には不要であり、ただ頭を垂れて年貢を納めるだけの衆愚を、新政府も必要としているだけのことだった。自ら手にした権益は堅く保持し、民からはとことん搾取し続ける。それこそが新たな中央政府の本質だった。それも旧幕府と全く同じ構図だった。 p500
*ただ否定や破壊することが、混迷を打ち破る良策に映ることが間々起こる。だが、思考することを止めて短絡に走れば、それは必ず自滅を招く。 p522
*すべてのツケは、結局細民に押しつけられる。目的のためには民を踏みにじるという根本の体質は、維新政府も旧幕府と何の変わりもなかった。 p548
ご一読ありがとうございます。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
本作品に関連する用語などをネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。
隠岐諸島 :ウィキペディア
隠岐観光web 隠岐の島町観光協会公式サイト
隠岐国 :ウィキペディア
隠岐の歴史 :ウィキペディア
隠岐氏 :「戦国大名探究」
65. 隠岐国 :「国府物語」
隠岐騒動 :ウィキペディア
隠岐騒動 島内旧家に残る億岐騒動の刀弾痕 :「幕末 刀痕 弾痕 探訪記」
隠岐島における維新 :「明治・その時代を考えてみよう」
大塩平八郎の乱 :ウィキペディア
あの人の人生を知ろう~大塩平八郎 :「文芸ジャンキー・パラダイス」
大塩の乱資料館 ホームページ
大塩平八郎のこと-三木家文書より- 西田素康・瀬山励共著 論文
歴史のお話 ~第31回 大塩平八郎の乱~ 主演 文化歴史学者Kick MizukoshiとLife-Like、宇塚彩子 U-STREAM番組 :YouTube
大塩平八郎の乱と八尾市田井中の関係 :「Web石井行政書士事務所」
近江天保一揆 :ウィキペディア
【天保義民・平兵衛大明神】土川平兵衛(つちかわ・へいべえ)・滋賀の偉人
:【偉人録】郷土の偉人を学ぶ
一近江商人の凶作記録「天保七丙申年大凶作書」 古川与志継氏 論文
近江天保一揆の記録を読む 歴史の小窓 古川与志継氏 2ページ目 「広報やす」
探訪 近江・天井川の里:三雲~甲西 -1 横田渡常夜灯・天保義民碑
もう一つの拙ブログ「遊心六中記」での「天保義民碑」ご紹介記事です。
十津川と隠岐の共通点 :「奈良県立十津川高等学校」
歌帝後鳥羽院と隠岐の風景 吉田 薫 氏 :「A.S.P.E 島根県技師会」
【著者に訊け】飯嶋和一氏 6年ぶりの新作『狗賓童子の島』 2015年3月13日 16時0分
:「Infoseek 楽天 NEWS」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『始祖鳥記』 小学館
『出星前夜』 小学館
なぜ狗賓童子の島と呼ばれたのか。島後の最高峰大満寺山の奥には、樹齢千年を超える巨樹「千年杉」があり、その杉には狗賓が巣くっていると信じられてきのだ。狗賓は、島の民に危害をおよぼす者をけして許すことはなかったという。島の中で選ばれた子どもだけが、「狗賓童子」と呼ばれ、教えられた山道を歩み「千年杉」のところに行きつき、その杉を見上げることができたのだ。そして、村に無事帰還した狗賓童子が島の治安を守る若衆組の指導者になっていく。ひいては、島の庄屋などの重要な役割を担い、島の治安の中核になるのだった。島に害をおよぼす者を排除するという治安の中核をかつて狗賓童子に選ばれた一群の人々が担ってきたのだ。
この小説の主人公は、縁あってその狗賓童子に選ばれることになった人物である。
この作品は非常に特異な人物を主人公に設定している。
主人公は西村常太郎。数え15歳で流人として島後に島流しにされてきた。河内国志紀郡弓削村の庄屋だった西村七右衞門(履三郎)の惣領(長男)である。
常太郎の父・履三郎がこの作品の背景として重要な位置に居る。この小説の底流にあるのが、西村履三郎が河内きっての大庄屋という立場において、おのれの信条・意思を全うするために加担し、身を投じざるを得なかった大塩平八郎の乱である。そこには、天明の大飢饉(1782-1787)の50有余年後に再発した天保の大飢饉(1833-1839)と江戸幕藩体制が根本にある。
大塩平八郎の乱並びに、それに加担した河内の庄屋・西村履三郎のことを、島後の人々がよく伝え聞いていたのである。西村履三郎は大塩四高弟の一人として知れ渡っていたのだ。
履三郎は死後にその浅草にあった墓が暴かれ、遺体が樽に塩詰めにされ大坂に送還された後、大坂三郷引き廻しという処罰を受け、幼少だった常太郎と弟は一旦親類預けとなって、数え15歳で隠岐へ遠島されてきたのである。
著者はこの常太郎の生き様を冒頭に述べた期間を軸に描きだしていく。そして、島後の人々の置かれた政治経済状況と日常生活、さらには島後が内地とどのように関わっていたか。幕藩体制の中で腐りきっていた武士階級の局面と尊皇攘夷という激変の時代世相、その姿を浮かび上がらせる。常に流人という基盤に立ち、観察者の立場に己を置かざるをえなかった常太郎の目を通して、島後と内地の関わり、島後の変化、江戸幕藩体制の変転をとらえ、描いて行く。常太郎は、島後では漢方医学を学ぶ機会を得、かけがえのない医者として島民からの信頼を得て、生きていく。
本書は、被支配者の立場に置かれた人々の視点から捉え直した江戸時代の幕末史であり、歴史を捕らえ直す材料になる作品である。勝者の立場では書かれることのない歴史の局面が描き尽くされていく。実に興味深い作品である。限られた学校教育の時間枠と進学受験という背景で学ぶ日本史では絶対に見えることのない視点と歴史的事実の一端が、フィクションという設定の中ではあるが、鮮やかに描かれて行く。被支配者、庶民の目線から幕末という時代を考えるトリガーになると思う。
著者はいくつものテーマを相互に絡ませながら描いていると思う。私なりに整理してみると次のようになる。
1.西村常太郎の島後における生き様を描く。
己の預かり知らぬ罪で、罪人として位置づけられ、数え15で隠岐の島に渡る。暗澹とした思いの常太郎が、島の人々から予期せぬ温かい眼差しで迎え入れられる。そして、島の人々からは流人としてではなく、民のために戦って死んだ西村履三郎の子として遇される。常太郎が、島に居る漢方医・村上良準の薫陶を受け、漢方医として成長し、島の人々に貢献していく姿が描かれる。そこにも、少なくとも3つのサブテーマがある。
1) 外来人(流人)が島後の島人へと定着していくプロセス。狗賓童子に選ばれ、その自覚を持ち始める姿を描く。お初を介して、お幾という伴侶を見出していくところがストーリーに華を添える。常太郎の人生を描き出す。
2) 父履三郎の成した行為を捕らえ直すプロセス。父の罪の相対化であり、被支配者側からの捕らえ直しである。それは幕末の社会経済構造の再分析にも連なって行く。
3) 漢方医としての修練・一人立ちから、医者そのものの立場・行動へと進展する姿を描く。種痘の導入譚は興味深い。そして、島後における医療問題との格闘が絡んでいく。開国に伴う疫病の伝播への対応へと広がりをみせる。
このサブテーマは流人・常太郎の視点から、幕末の社会経済機構のとらえ方に重層していく。村上良準、流人・惣太郎との関わりが重要な影響を常太郎に及ぼす。
2. 島後の政治・社会経済機構と人々の生き方の姿を、幕末という時代との関わりで描く。
1) 島後の人々の生き方の姿を描く。
2) 島後が幕藩体制にどのように組み込まれていたか。そこに潜む矛盾点を描く。
それは結局、内地の各藩内の構造と通じる側面があるように思う。島の規模が小さくて、海上に孤立した存在故に、全体の社会経済構造が捕らえやすくて考えやすい。
3) 島後を幕末の社会経済体制の中で、海上交通という視点で改めて組み込まれ、変貌していく状況を描く。上記2)と関わるが、「隠岐騒動」もその一局面。
ある意味で、島後を日本の縮図として著者は描こうとしているのではないか。
3. 幕末史の側面を描く。
1) 天保の大飢饉を根源とし、それに対し無策に留まった江戸幕府並びに諸藩の実態と被支配者側の反応と行動を描く。
ここでフォーカスをあてられたサブテーマがある。
*大坂での大塩平八郎の乱の顛末と民衆の関わり方
*「江州湖辺大一揆」「福知山大一揆」の事実・実態とその顛末
*乱や一揆の発生地と地方との間の共通性と差異性、受け止め方と反応
事実とフィクションの境界がどこかは分からないが、被支配者の視点から、この時代を捕らえ直すのに役に立つ。一揆のリアル感に引き込まれていく。
2) 尊皇攘夷論 時代の動き及び、論と実態のギャップを浮き彫りにする。
ここにも、さらにサブテーマがある。
*京の都、江戸という中心地と地方の二極における意識と対応のギャップ
*攘夷の実態と開国 江戸幕府の無能性、馬関戦争や鹿児島戦争の実態
*尊皇攘夷論が島後の人々に及ぼした影響と人々の行動
3) 政権交代の実態とその意味
*権力構造の実態と為政者の意識
*島後の人々にとっての維新到来の意味
*流人西村常太郎の視点
こんなテーマ、サブテーマが重層的に相互関連を持ちながら、内地から海上二十里も離れた狗賓童子の島の人々をつき動かしていく。絶海の孤島に見えて、海の道により各地と様々につながる島後。民衆という被支配者の視点に立つと、その有様は日本の縮図として描き出されているように感じた。
この小説は、己に罪なき罪を背負った流人・西村常太郎の半生史であるとともに、民衆の幕末史である。読み応えがある。考える材料が数多く盛り込まれた作品だ。
最後にこんな章句を引用しておきたい。
*常太郎は、絶海の孤島ゆえの底力をそこに見た。個々の民が強くなければとてもこうはいかなかった。それぞれが強いがゆえに自らを律して生きることがこの島では可能だった。だが、新政府はその底力ゆえにこの島の民を脅威と感じ、危険を察知した。学問も武道も民には不要であり、ただ頭を垂れて年貢を納めるだけの衆愚を、新政府も必要としているだけのことだった。自ら手にした権益は堅く保持し、民からはとことん搾取し続ける。それこそが新たな中央政府の本質だった。それも旧幕府と全く同じ構図だった。 p500
*ただ否定や破壊することが、混迷を打ち破る良策に映ることが間々起こる。だが、思考することを止めて短絡に走れば、それは必ず自滅を招く。 p522
*すべてのツケは、結局細民に押しつけられる。目的のためには民を踏みにじるという根本の体質は、維新政府も旧幕府と何の変わりもなかった。 p548
ご一読ありがとうございます。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
本作品に関連する用語などをネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。
隠岐諸島 :ウィキペディア
隠岐観光web 隠岐の島町観光協会公式サイト
隠岐国 :ウィキペディア
隠岐の歴史 :ウィキペディア
隠岐氏 :「戦国大名探究」
65. 隠岐国 :「国府物語」
隠岐騒動 :ウィキペディア
隠岐騒動 島内旧家に残る億岐騒動の刀弾痕 :「幕末 刀痕 弾痕 探訪記」
隠岐島における維新 :「明治・その時代を考えてみよう」
大塩平八郎の乱 :ウィキペディア
あの人の人生を知ろう~大塩平八郎 :「文芸ジャンキー・パラダイス」
大塩の乱資料館 ホームページ
大塩平八郎のこと-三木家文書より- 西田素康・瀬山励共著 論文
歴史のお話 ~第31回 大塩平八郎の乱~ 主演 文化歴史学者Kick MizukoshiとLife-Like、宇塚彩子 U-STREAM番組 :YouTube
大塩平八郎の乱と八尾市田井中の関係 :「Web石井行政書士事務所」
近江天保一揆 :ウィキペディア
【天保義民・平兵衛大明神】土川平兵衛(つちかわ・へいべえ)・滋賀の偉人
:【偉人録】郷土の偉人を学ぶ
一近江商人の凶作記録「天保七丙申年大凶作書」 古川与志継氏 論文
近江天保一揆の記録を読む 歴史の小窓 古川与志継氏 2ページ目 「広報やす」
探訪 近江・天井川の里:三雲~甲西 -1 横田渡常夜灯・天保義民碑
もう一つの拙ブログ「遊心六中記」での「天保義民碑」ご紹介記事です。
十津川と隠岐の共通点 :「奈良県立十津川高等学校」
歌帝後鳥羽院と隠岐の風景 吉田 薫 氏 :「A.S.P.E 島根県技師会」
【著者に訊け】飯嶋和一氏 6年ぶりの新作『狗賓童子の島』 2015年3月13日 16時0分
:「Infoseek 楽天 NEWS」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『始祖鳥記』 小学館
『出星前夜』 小学館
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます