「ヒトイチ」シリーズの第2弾、文庫書き下ろし。2015年11月の刊行。
「第一章 拳銃自殺」「第二章 痴漢警部補の沈黙」「第三章 マタハラの黒幕」という三章構成で、各章の末尾には、榎本博史と婚約者・菜々子との間の私生活でのエピソードが小咄風に挿入されていく。これが2人の間での時の流れを綴っている。刑事の妻になる予定の菜々子のちょっとピントのズレた、警察社会をわかっていない天然的会話が息抜きになっておもしろい。
今回も章構成となっているが、内容的には短編連作集ととらえることができる。
各章ごとに、読後印象も交え簡単にご紹介してみたい。
<第一章 拳銃自殺>
蒲田署内に立った特別捜査本部に本部の捜一から応援に来ていた刑事・梨田賢一郎巡査部長32歳が、本人に貸与されていた拳銃で自殺した。右こめかみを打ち抜き即死した模様だという。扱っていたのは強姦殺人事件である。被害者はマッサージ店勤務の20代の女性で、整体師の資格保有者。自宅マンションで殺害された。
犯人は自動録画機能付きのインターフォンを押していたので、前歴者カードから三木谷義紀と判明。強姦未遂、強制猥褻などの前歴があった。梨田は追跡班に属し、錦糸町駅の防犯カメラを手がかりにインターネットカフェまで追い込んでいたという。梨田は明け方午前4時に単独捜査で三木谷の潜むインターネットカフェを探し出した。だがその40分前に、三木谷はインターネットカフェを退店していた。また、梨田はすでに警部補試験に合格し、来春、管区学校への入学を控えていたという。
仕事熱心な捜査官であり、昇進も間近にみえる梨田がなぜ拳銃自殺をしたのか。
榎本は部下とともに、事件被疑者・三木谷の経歴を調べ挙げる一方で、梨田の身辺事情を調べて行く。そこから意外な事実が見え始める。
また、科警研による自殺に使われた拳銃鑑定で、発射残渣が確認され、数日以内に二発発射されている事実が確認された。
防犯カメラに記録された画像の解析とその解釈が大きな決め手となっていく。
情報をどのように収集し、分析し、読み込んで行くかの重要性を感じる小編である。
この短編は送信者・梨田賢一郎から小池警視総監宛の送信期日指定メールの全文内容で締めくくられる。そこには、一つの重要な問題提起が含まれていると感じる。
<第二章 痴漢警部補の沈黙>
電車内で起こった2の痴漢事件が取り上げられる。まずは、JR埼京線快速内での中年男による痴漢事件。「やめて下さい・・・・この人痴漢です。」セーラー服姿の女の子の声で、犯人は捕まった。犯人は警視庁本部の57歳の刑事だった。その顛末がいわばこのストーリー展開の前座になる。
だが、連続してもう一つの痴漢行為の逮捕事案が発生した。鉄警隊東京分駐所当直係長の橋爪から榎本に電話連絡が入る。総武線快速の新日本橋と東京間で現行犯逮捕されたという。被害者は私立高校の2年生、小河原真由子。逮捕者は被害者の友人で大学1年生の柿原新司。容疑者は警視庁組対四課、警部補、高橋義邦、51歳である。連絡によると、容疑者は痴漢行為を否認するのではなく、事件については完全に黙秘しているという。
高橋は、なぜ事件の否認ではなく、完全黙秘をするのか。まず榎本は組対四課の居座り昇任組の1人高橋警部補の過去十年の勤評定を確認した。高橋の完全否認それ自体がまず謎だった。榎本は兼光警務部参事官兼人事第一課長に事件の報告をする。その際、人事記録を見る限り、事件を黙秘するような者ではないと私見を述べた。違和感を感じる点を表明したのだ。
榎本はふと公安部公安総務課山下係長に相談してみることにした。高橋がハメられた可能性を考慮したのだ。動きの早い山下係長からの回答がトリガーとなる。被害者の小河原真由子はその筋の関係者として名前が出てきたという。榎本は高橋の経歴を調べ始める。
こちらの痴漢事件は、対照的に謎の部分が大きく広がっていき、思わぬ展開へと進展していくところがおもしろい。そこには、女子高校生の母に対する思いが、彼女の意に反して、悪用されるという企みが絡んでいた・・・・。
結論を記そう。完全黙秘を貫く高橋警部補は、地方裁判所から出された釈放指揮書に基づき検察官命で釈放されるに至る。それまでの榎本と部下たち並びに山下係長らの行動をお楽しみいただくとよい。さらに、最後のオチが興味深い。
<第三章 マタハラ黒幕>
男女平等が声高に叫ばれても、警察組織は依然として男性優位社会である。その中で女性の産休に関わるマタニティハラスメントの問題がテーマになっている。それも少し極端化した想定になっているところが興味深い。
西多摩警察署地域課課長の栗山は怒っていた。地域三係の時田菜緒子巡査長が3年連続で妊娠および、妊娠症状対応休暇の承認手続きをしてきていることに関連していた。木村課長代理は課長にマタハラに繋がる発言を抑えるように頼んだが、課長はマタハラが何か理解していなかった。
訟務課庶務担当管理官から榎本に電話が入る。時田巡査長が流産したことを契機に、時田は市民運動家とともに地域課長を訴え、裁判を起こしたと言う。告訴人は時田菜緒子29歳とその夫時田忠正42歳。忠正は西立川署地域課巡査長である。この告訴が発端となる。
2人は大卒で、結婚と同時に勤務評定結果は下り始め、ともにD評価にまで落ち込んでいる。分限(身分保障の限界)レベルなのだ。人事記録に記載の友人について全員虚偽申告であることがわかったという。一方、地域課長にも問題があり、課長人工衛星とみられているという。
この告訴事案は、総監報告事項として対応が始まって行く。流産とマタニティハラスメントとの因果関係の解明は勿議論の俎上に上るだろう。一方、マタハラという人権問題を錦の御旗に掲げる背景に潜む意図、思惑、及び人間関係、団体組織の解明が始まって行く。組織防衛的視点も含め赤裸々な側面に踏み込みながら、リスクマネジメントの事例ともいうべきプロセスが進展していく。榎本は公安部長から「現時点での監察の落としどころはどの点を考えているんだ?」と問われる立場にもなっていく。
兼光人事第一課長と榎本の間で次の会話が交わされる場面もある。(p294)
榎本「様々なハラスメントというものは、被害当事者個人の認識によって変わると思います。些細な言動で傷つく人もいるでしょうし、一概に論ずることはむしろ困難な気がするのです。」
兼光「それでは裁判にも対応できないのではないかな。敵の出方を見る前に想定できる内容を精査しておく必要がある。」
榎本「悲観的に準備しておく、ということでしょうか」
兼光「イグザクトリーだ」
ちょっと極端な設定であるが、ストーリーとしては実に興味深い。
ご一読ありがとうございます。
こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『ヒトイチ 警視庁人事一課監察係』 講談社文庫
『警視庁情報官 ノースブリザード』 講談社文庫
『院内刑事 ブラックメディスン』 講談社+α文庫
『院内刑事』 講談社+α文庫
===== 濱 嘉之 作品 読後印象記一覧 ===== 2021.9.14現在 1版 21冊
「第一章 拳銃自殺」「第二章 痴漢警部補の沈黙」「第三章 マタハラの黒幕」という三章構成で、各章の末尾には、榎本博史と婚約者・菜々子との間の私生活でのエピソードが小咄風に挿入されていく。これが2人の間での時の流れを綴っている。刑事の妻になる予定の菜々子のちょっとピントのズレた、警察社会をわかっていない天然的会話が息抜きになっておもしろい。
今回も章構成となっているが、内容的には短編連作集ととらえることができる。
各章ごとに、読後印象も交え簡単にご紹介してみたい。
<第一章 拳銃自殺>
蒲田署内に立った特別捜査本部に本部の捜一から応援に来ていた刑事・梨田賢一郎巡査部長32歳が、本人に貸与されていた拳銃で自殺した。右こめかみを打ち抜き即死した模様だという。扱っていたのは強姦殺人事件である。被害者はマッサージ店勤務の20代の女性で、整体師の資格保有者。自宅マンションで殺害された。
犯人は自動録画機能付きのインターフォンを押していたので、前歴者カードから三木谷義紀と判明。強姦未遂、強制猥褻などの前歴があった。梨田は追跡班に属し、錦糸町駅の防犯カメラを手がかりにインターネットカフェまで追い込んでいたという。梨田は明け方午前4時に単独捜査で三木谷の潜むインターネットカフェを探し出した。だがその40分前に、三木谷はインターネットカフェを退店していた。また、梨田はすでに警部補試験に合格し、来春、管区学校への入学を控えていたという。
仕事熱心な捜査官であり、昇進も間近にみえる梨田がなぜ拳銃自殺をしたのか。
榎本は部下とともに、事件被疑者・三木谷の経歴を調べ挙げる一方で、梨田の身辺事情を調べて行く。そこから意外な事実が見え始める。
また、科警研による自殺に使われた拳銃鑑定で、発射残渣が確認され、数日以内に二発発射されている事実が確認された。
防犯カメラに記録された画像の解析とその解釈が大きな決め手となっていく。
情報をどのように収集し、分析し、読み込んで行くかの重要性を感じる小編である。
この短編は送信者・梨田賢一郎から小池警視総監宛の送信期日指定メールの全文内容で締めくくられる。そこには、一つの重要な問題提起が含まれていると感じる。
<第二章 痴漢警部補の沈黙>
電車内で起こった2の痴漢事件が取り上げられる。まずは、JR埼京線快速内での中年男による痴漢事件。「やめて下さい・・・・この人痴漢です。」セーラー服姿の女の子の声で、犯人は捕まった。犯人は警視庁本部の57歳の刑事だった。その顛末がいわばこのストーリー展開の前座になる。
だが、連続してもう一つの痴漢行為の逮捕事案が発生した。鉄警隊東京分駐所当直係長の橋爪から榎本に電話連絡が入る。総武線快速の新日本橋と東京間で現行犯逮捕されたという。被害者は私立高校の2年生、小河原真由子。逮捕者は被害者の友人で大学1年生の柿原新司。容疑者は警視庁組対四課、警部補、高橋義邦、51歳である。連絡によると、容疑者は痴漢行為を否認するのではなく、事件については完全に黙秘しているという。
高橋は、なぜ事件の否認ではなく、完全黙秘をするのか。まず榎本は組対四課の居座り昇任組の1人高橋警部補の過去十年の勤評定を確認した。高橋の完全否認それ自体がまず謎だった。榎本は兼光警務部参事官兼人事第一課長に事件の報告をする。その際、人事記録を見る限り、事件を黙秘するような者ではないと私見を述べた。違和感を感じる点を表明したのだ。
榎本はふと公安部公安総務課山下係長に相談してみることにした。高橋がハメられた可能性を考慮したのだ。動きの早い山下係長からの回答がトリガーとなる。被害者の小河原真由子はその筋の関係者として名前が出てきたという。榎本は高橋の経歴を調べ始める。
こちらの痴漢事件は、対照的に謎の部分が大きく広がっていき、思わぬ展開へと進展していくところがおもしろい。そこには、女子高校生の母に対する思いが、彼女の意に反して、悪用されるという企みが絡んでいた・・・・。
結論を記そう。完全黙秘を貫く高橋警部補は、地方裁判所から出された釈放指揮書に基づき検察官命で釈放されるに至る。それまでの榎本と部下たち並びに山下係長らの行動をお楽しみいただくとよい。さらに、最後のオチが興味深い。
<第三章 マタハラ黒幕>
男女平等が声高に叫ばれても、警察組織は依然として男性優位社会である。その中で女性の産休に関わるマタニティハラスメントの問題がテーマになっている。それも少し極端化した想定になっているところが興味深い。
西多摩警察署地域課課長の栗山は怒っていた。地域三係の時田菜緒子巡査長が3年連続で妊娠および、妊娠症状対応休暇の承認手続きをしてきていることに関連していた。木村課長代理は課長にマタハラに繋がる発言を抑えるように頼んだが、課長はマタハラが何か理解していなかった。
訟務課庶務担当管理官から榎本に電話が入る。時田巡査長が流産したことを契機に、時田は市民運動家とともに地域課長を訴え、裁判を起こしたと言う。告訴人は時田菜緒子29歳とその夫時田忠正42歳。忠正は西立川署地域課巡査長である。この告訴が発端となる。
2人は大卒で、結婚と同時に勤務評定結果は下り始め、ともにD評価にまで落ち込んでいる。分限(身分保障の限界)レベルなのだ。人事記録に記載の友人について全員虚偽申告であることがわかったという。一方、地域課長にも問題があり、課長人工衛星とみられているという。
この告訴事案は、総監報告事項として対応が始まって行く。流産とマタニティハラスメントとの因果関係の解明は勿議論の俎上に上るだろう。一方、マタハラという人権問題を錦の御旗に掲げる背景に潜む意図、思惑、及び人間関係、団体組織の解明が始まって行く。組織防衛的視点も含め赤裸々な側面に踏み込みながら、リスクマネジメントの事例ともいうべきプロセスが進展していく。榎本は公安部長から「現時点での監察の落としどころはどの点を考えているんだ?」と問われる立場にもなっていく。
兼光人事第一課長と榎本の間で次の会話が交わされる場面もある。(p294)
榎本「様々なハラスメントというものは、被害当事者個人の認識によって変わると思います。些細な言動で傷つく人もいるでしょうし、一概に論ずることはむしろ困難な気がするのです。」
兼光「それでは裁判にも対応できないのではないかな。敵の出方を見る前に想定できる内容を精査しておく必要がある。」
榎本「悲観的に準備しておく、ということでしょうか」
兼光「イグザクトリーだ」
ちょっと極端な設定であるが、ストーリーとしては実に興味深い。
ご一読ありがとうございます。
こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『ヒトイチ 警視庁人事一課監察係』 講談社文庫
『警視庁情報官 ノースブリザード』 講談社文庫
『院内刑事 ブラックメディスン』 講談社+α文庫
『院内刑事』 講談社+α文庫
===== 濱 嘉之 作品 読後印象記一覧 ===== 2021.9.14現在 1版 21冊
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