遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『遺産 The Legacy 』 笹本稜平  小学館

2013-12-31 11:52:39 | レビュー
 いままで読んだことのない作家の作品だが、沈没船の表紙絵とタイトルに引かれて読んだもの。水中考古学者とトレジャーハンター会社との間でのスペイン沈没帆船の引き上げ回収をめぐる海洋ストーリーものである。海洋冒険ものの作品は、クライブ・カッスラーの諸作品をこの読後印象記を書き始めるかなり前から読み継いできているので、ついつい引きつけられるジャンルなのかもしれない。
 本書は実に私の好みに合致するものだった。読み応えが十二分にあると思う。一読をお勧めしたい。

 本書のテーマは冒頭に記したように、水中文化遺産の取り扱いをめぐるもの。学者の研究という立場と金儲けを狙うトレジャーハンターの立場の対立・確執である。だが、その根底には、何に人生をかけるかという生き様がテーマになっている。「富も名声も結果に過ぎない。大事なのは一回きりの人生をどう生きたかだ。なんの見返りも求めることなく、全霊を投じて生きた人生こそ美しい。」(p257)とアントニオの言葉として著者は記す。

 主人公は興田真佐人。水中考古学研究者であるが、大学、研究所に所属せず個別契約で水中遺跡発掘のプロジェクトに参加するフリーの立場を取っている。一匹狼の道を選んだのだ。スキューバダイビング教室のインストラクター兼フロア担当アシスタント・マネジャーとしてカリブ海での高級クルーズ客船で仕事をして世過ぎをしている。
 それは彼に一つの大きな目的があるからだ。真佐人から数えて二十代近く前の先祖にあたる興田正五郎が航海士として乗船し難破沈没したと言われているガレオン船を発見して引き上げるという目的である。正五郎が乗船した船も特定できないし、沈没した場所もわからない。そんな状況からの探索は学界になじまない。それ故に、大学や研究所という組織に縛られずに探索・研究し自由に行動できる生き方を選択したのだ。

 真佐人の父は内航貨物船の船長で、真佐人が15歳のとき、台風の接近による海難事故で死んだ。ブリッジで体と操舵装置をロープで結び、舵輪を握ったまま、紀伊半島沖の海底で死んだ。彼は大伯父の援助で東京の大学に進学し、考古学を専攻した。一族の長老であるその大伯父から正五郎についての伝説的な話を聞かされ、家伝の古いスペイン銀貨と景徳鎮の産とされる磁器類を見てきている。それを考古学の専門家となった時点で、真佐人は本物だと鑑定することになる。その大伯父が真佐人に言った言葉が、「埋もれてしまった魂の遺産を堀り起こして欲しいんだ」というものだった。
 正五郎のあと、一族で船乗りになったのは真佐人の父が初めてだったという。大伯父は真佐人に言う。「おまえもどこかに正五郎の魂を受け継いでいるわけだろう」と。

 アントニオはクルーズ客船の乗客で、真佐人の教室の生徒となり、真佐人の沈没船発掘目的を聴き、その生涯の夢に突き動かされた人物である。真佐人はアントニオにちょっと気になる文献をメキシコの国立公文書館で発見したことを語って聞かせていたのだ。アントニオはスペイン人でリゾート開発事業を手広く行う大富豪。そのアントニオが真佐人の夢の実現に資金的援助を申し出る。短期的な金儲け、トレジャーハンターではなく、水中文化遺産を引き上げて文化遺産として全体を維持保管、展示する形の長期的視点のビジネスモデルに結びつけて、アントニオは彼自身の事業家の視点での夢を見いだすことになる。このアントニオの資金援助というオファーで真佐人は夢の実現へさらに大きな一歩を踏み出せるのだ。正五郎の難破船がどこにあるかが問題となる。

 真佐人が発見したのは、アンヘル・デ・アレグリア(喜びの天使)という難破船のことを記述した文献だった。真佐人は母校東都大学の田野倉教授にその情報をインターネットで送付し、解析を依頼しておいた。

 アントニオの申し出とタイミング良く、田野倉から幸先の良さそうなEメールが真佐人に届く。アンヘル・デ・アレグリアの船名がセビリアの古文書館に記録が残されていて、実在の確認ができたこと。海上保安庁の測量船が日本のEEZ(排他的経済水域)には入っていない公海上で、未発見だった海山を発見し、海山の頂上に近い水深50mくらいの斜面に人工物とみられるものが機器調査でわかったということ。海洋情報部から田野倉に難破船の記録がないかと問い合わせてきたという。その地点がアンヘル・デ・アレグリアの記録と一致しそうだと田野倉は判断したのだ。
 まさに真佐人にとっては朗報。4日後に下船するので、東京へ直行する旨、真佐人は田野倉に直接連絡を入れる。様々な裏づけ情報分析がまず必要だが、真佐人の夢、沈没船の発掘・引き上げの夢が、まさに始動することになる。

 水中文化遺産の発見、発掘、引き上げ、遺産保護という真佐人の夢。学者・研究者の立場で臨むのは、真佐人、田野倉教授、そして田野倉のゼミに真佐人とともに卒業まで在籍していた片岡亜希。それにセビリア大学の水中考古学の泰斗、アルトゥーロ・アルベルダ教授が支援してくれるのだ。アントニオがそれに対する資金援助を保証する。

 一方、海山と人工物の発見情報はいち早く世界的なトレジャーハンター会社の一つに入手されていた。アメリカのマイアミから40kmほど北にあるフォートローダーデールに本拠を置くネプチューン・サルベージである。CEO(最高経営責任者)はジェイク・ハドソン。サーベイ担当副社長はドクター・デニス・ロジャース。ジェイク・ハドソン自身かつては水中考古学の学徒であり、学界の俊英としてもてはやされた時期もあった人物である。資金集めに手間取り、盗掘屋に先を越されて遺物の大半を逸失した経験を持つのだ。彼は「貴重な人類の遺産がそんなふうに破壊されるなら、むしろビジネスベースで発掘を行い、引き揚げた遺物は博物館や美術館、見識の高い収集家の手に渡ったほうがいい」(p37)と決断し、トレジャーハンターとして沈船発掘ビジネスに乗り出したのだ。そのビジネス・モデルを構築し、有力なファンドから資金供給を得て、事業を経営している。
 この会社は最新鋭の機器類を装備したオーシャン・イリュージョンという調査船を建造し保有する。サーベイ部門には世界の考古学界の俊英を多数ヘッドハンティングし、総勢百名余の陣容を整え、公的な研究機関の規模をはるかに凌ぐ企業なのだ。

 真佐人・田野倉・アントニオにとってはまさに好敵手として立ち現れてくる。日本の海上保安庁が発見したとはいえ、海山は公海域に存在する。
一方、ユネスコが採択した水中文化遺産保護条約が存在する。これが沈没船引き揚げの足枷として盗掘への抑止力に働いている面がある。しかし、日本、アメリカはこれを批准していないのだ。かつての所有国や沿岸国への根回しが、避けて通れないビジネス上の重要課題となってきた。つまり、ネプチューン・サルベージ社も、すぐに行動できる体勢が整っているとはいえ、迂闊に直ちに行動を開始できない状況にある。
 少し前に、ネプチューン・サルベージの競争相手であるオデッセイが裁判で敗訴し、スペイン政府に、せっかく引き揚げた財貨の返還を余儀なくされた事例があるからだ。
 そのため、アンヘル・デ・アレグリアの所有国であるスペインの政府や機関を巻き込む形での駆け引きが始まっていくことになる。

 ストーリーは、真佐人・田野倉側の沈没船の詳細情報分析、引き揚げ計画への準備へと進んで行く。一方、ハドソン側はスペイン政府への働きかけを開始する。勿論、アントニオは自分の人脈を利用して本国でのハドソン側の攻略に対する対抗手段を打っていく。
 ハドソンは、真佐人・田野倉側への働きかけも進めていく。オーシャン・イリュージョンの見学に招待するという。両者の妥協点を見いだせないかというアプローチである。この敵地拝見で損はしないと、招待に応じて、敵陣の乗り込んでいくのだが、それが真佐人・田野倉の想定外の方向へ事態が展開していくきっかけにもなる。ここからがおもしろい展開である。
 ハドソン側のバックに控えるファンドの方も、別のアプローチとして、アントニオへの対応に踏み出していく。ビジネス次元での熾烈な駆け引きが一方で始まって行く。アントニオがもし敗北すると、真佐人・田野倉は資金的なバックアップを失い、計画を断念せざるを得なくなるのだ。アントニオの力量に頼るしか手がないのだから。このあたり、学者サイドの発掘調査の難しさにリアル感を加え、またストーリー展開に危機感を加える効果がでている。発掘調査には莫大な資金がいる!夢だけでは動けない・・・・。
 さらに、そこへ新たな難題が発生してくる。アンヘル・デ・アレグリアがかろうじてとどまっている海山のある海域に近いところで、海底火山が活動を始めたというのだ。その火山活動は、アンヘル・デ・アレグリアのある海山にも火山帯が繋がっていると想定されるのだ。事態は一刻を争う方向に突き進んでいく。
 ストーリーはどんどんと展開していく。実におもしろい展開となる。

 後は、本作品を手に取り、お楽しみいただきたい。後半は特に一気に読み進めたくなる展開である。一旦失望させ、復活するという形でダイナミックな展開になっている。

 水中文化遺産保護条約というのが実在することを本書を読んでネット検索で確認し、初めて知った次第。また、スキューバ・ダイビングの種類についても知識レベルだけだが楽しみながら学ぶことができた。これらはちょっとした読書の副産物である。

 タイトルの「遺産」には、やはり2つの意味が込められていると思う。実在するものとしての水中文化遺産。沈没船とそこに積み込まれた遺物類の総体である。発掘・発見されることにより、人間の歴史が一層明らかにされていく存在物。そして、もう一つは、真佐人の大伯父が発した「魂の遺産」。人々が連綿と語り伝えてきた伝承・伝説であり、先人の意志/意思/遺志である。魂を揺さぶりつづける因となるもの、無形の存在といえようか。

 最後に、印象深い文章をピックアップしておきたい。

*前進のない人生は生きることを放棄した人生だ。どんな立派な理屈をこねようと、そんな人生には人を動かす力もない。そもそも未来というのはリスクそのものだ。いちばん大事なのは、そのリスクを背負って一歩前へ踏み出すことなんだ。おれはそれを戦略的楽観主義と呼んでいる。  P220
*不安は絶望の養分にしかならない。信頼こそ希望の糧だ。  P220
*人が美しいと感じるものがあるとしたら、それは自らの人生への無償の愛を貫いた彼らのような生き方に対してなのだ。  P238
*言葉じゃうまく言えないが、要するに人間にとって大事なのは、なにを手に入れたかじゃない。たった一回の人生をどう生きたかってことだ。それを教えてくれたのがショウゴロウ・オキタなんだよ。  p374
*自分をしがない存在じゃないと思い始めたとき、人間は堕落を始めるのよ。  p409


 真佐人、アントニオ、田野倉教授、そして片岡亜希。フィクションであるが、彼らの行動、発言が、生きる意味、生き様への刺激を与えてくれる。2013年からプラス1、2014年へ。己の人生に、さらに1年の始まりを加えるにあたり、大いなる刺激剤になる言葉ではないだろうか。読みがい、読み応えのある一冊である。

 ご一読ありがとうございます。
 お立ち寄りいただきありがとうございます。2014年もまたちょっと覗いてくださり、雑文をお読みいただければうれしい限りです。


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 本書を読みつつ、関連用語をネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。

インディアス艦隊 :ウィキペディア
インディアス古文書館 :ウィキペディア
メル・フィッシャー :ウィキペディア

中ノ鳥島 :ウィキペディア
欧米系島民 :ウィキペディア
水中考古学の薦め :「水中考古学/船舶・海事史研究」
水路通報 :「海上保安庁 海洋情報部 - 国土交通省」

マニラ・ガレオン  :ウィキペディア
The Manila Galleon Trade (1565-1815) :「 The Metropolitan Museum of Art 」
ガレオン船→ 5. 大航海時代に使われた帆船:「SAUDI TRAVELLER」(中東協力センター)
ガレオン船 :「 Captain Gleet 」
 

水中文化遺産保護条約 :ウィキペディア
Convention on the Protection of the Underwater Cultural Heritage 2001
 :「UNESCO LEGAL INSTRUMENTS」
 
アンドレス・デ・ウルダネータ  :ウィキペディア
イントラムロス :ウィキペディア
城壁の街イントラムロス :「新アジアリゾート・フィリピン」
朱印船  :ウィキペディア
アストロラーベ :ウィキペディア
末次船絵馬 :「長崎市」
末次平蔵  :ウィキペディア
ニーニャ号・ピンタ号 → Discover Clumbus' Ships The NINA

サイドスキャンソナー → 海底の地質・地形を探る技術:「海洋先端技術研究所」
テクニカルダイビング :ウィキペディア
 
メルフィシャー宝物館 → MEL FISHERS'S TREASURES ホームページ
メルフィシャー海洋博物館 → MEL FUSHER MARINETME MUSEUM ホームページ
Mel Fisher Maritime Heritage Society and Museum :「ATLAS OBSCURA」
 
 
 インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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