本書は「小説宝石」の2013年12月号~2015年2月号の偶数月号(4月を除く)に、短編連作として発表されたものをまとめて、2015年8月に単行本化された。
副題から、東大寺の毘盧舎那大仏造立の作業所に関連する内容であること。その作業所に設けられた炊屋つまり食堂が関係してくるということ。そして、私記とあることから個人的な記録であるということ、という位置づけと推定できる。
本書は、「山を削りて」から始まり「鬼哭の花」で終わる7編の短編から構成されている。読み始めるとこれら短編が連作として時の経過にそって相互に繋がっていくことがわかる。この小説のテーマは東大寺の毘盧舎那大仏(以降、大仏と略す)がどのようにして造立されたのか、さらに大仏とは何か、をその造像作業に徴発された人々の側から描くことであると受けとめた。
このテーマは、さらに幾つかのサブ・テーマにブレークダウンされていく。そして個々の短編として描き出されている。この小説もオムニバス形式と呼ばれるものに相当するのだろう。
この小説の主な登場人物の中で全編を通じてその中核となるのは、造仏所の仕丁(中央の官司で労役に当たる役夫)の真楯(またて)と造仏所で炊屋を運営する宮麻呂である。このストーリーの各編は真楯の目線・立場から描かれている。
この小説で興味深い点がいくつかある。まずそれを列挙してみる。
1. 造仏所で仕丁として働く真楯の大仏に対する心境が、一緒に働く仲間たちやその他の人々との関わりの中で変化していくプロセスが描かれて行くこと。
2. 宮麻呂とは何者か? この点が短編連作のプロセスで明らかになっていく。
それは、宮麻呂が仏教を、大仏を、大仏と人との関わりをどのようにとらえているか。それはなぜなのか、ということを知るプロセスでもある。
真楯から宮麻呂を観察した解釈・推論としてのミステリー仕立て風になっているところがおもしろい。最後は宮麻呂が己の過去を語ることになる。
3.東大寺造仏所がどのような組織で、どれくらいの規模で、どのように運営されていたか。大仏がどのようなステップを踏んで鋳造されていくか、が具体的にわかる。毘盧舎那大仏造営の背景事情が教科書的解説ではなく、ストーリーの流れの中に少しずつ説明が組み込まれ、自然にわかって行くというところが興味深い。
小説の内容をご紹介する前に、手許の『続日本紀(中) 全現代語訳』(宇治谷孟訳・講談社学術文庫)に記録されている史実(巻15~巻18)を年表風に略記し、ご紹介しておこう。
天平15年(743)冬10月15日条 盧舎那仏の金銅像一体の造営の詔を発す
紫香楽宮で大仏造営を開始。
同年10月19日条 甲賀寺の寺地を開く(行基法師の活動)
天平16年(744)夏4月13日条 紫香楽宮の西北の山で山火事
天平17年(745)正月21条 行基法師が大僧正に任じられる
同年夏4月1日、4月3日、4月11日 各条に紫香楽宮周辺の山での火災を記録
同年地震の発生の記録が頻出する 5/1~5/10の各条、5/16・18、7/17・18、
8/24・29、9/2
⇒紫香楽宮での大仏造像は断念され、平城京での造像に方針変更となる
同年9月25日条 天皇が平城京に還幸 9月26日条 天皇が平城京に到着
天平18年(746)10月6日条 天皇ほかが金鐘寺(東大寺の前身)に行幸
盧舎那仏(鋳造前の模型)に燃灯供養を行う
天平勝宝元年(749)2月2日条 大僧正の行基和尚が遷化(死去)
同年2月22日条 陸奥(みちのく)国からはじめて黄金を貢進した。
同年夏4月1日条 天皇が東大寺に行幸し、盧舎那仏の前殿に出御
この後、天平勝宝3年(751)春正月14日条には孝謙天皇の東大寺行幸が記され、翌年の天平勝宝4年(752)夏4月9日条に、東大寺盧舎那仏の像が完成して、開眼供養をしたと記されている。天皇は東大寺に行幸し、盛大な法会が行われた。
聖武天皇はこの開眼供養においては、太上天皇として臨席したのだろう。そして天平勝宝8年(756)5月2日条に、「この日、太上天皇が内裏にいて崩御された」と記されている。
この小説を読み、上掲の略年表と対比すると、天平18年(746)から749年の行基和尚の死までの期間が時代背景になっている。
それでは、各短編を簡単にご紹介する。
<山を削りて>
近江国高島郡に住む真楯が仕丁として徴発され、造仏所に配置されることとなった初日から、東大寺大仏鋳造開始を半月後に控えた晩秋の日までを描く。
初日に、仕丁頭の猪飼と造仏所炊屋を運営する宮麻呂との出会いがある。山を削り、大仏鋳造のしかたを含めた準備段階の状況や造仏所の組織の有り様、炊屋の運営の実状などが書き込まれる。
病人の仕丁浄須のことが大仏とはなにかというテーマに絡むひとつのエピソードになっている。真楯の心境が次の一文として書き込まれている。「自分たちを激しい労役に駆り立てる大仏造営を、疎ましく思わぬ日はない。さりながらこの作事場で働き続けていれば、いずれ浄須が何を思って仏への結縁を求めたのか、少しは理解できる日が来るように感ぜられた。」(p45-46)
教科書や学習参考書に詳しくは出てくることのない、大仏造営の現場がイメージしやすくなる。
<与楽の飯>
真楯は同輩の小刀良に呼ばれて、宮麻呂の炊屋に手伝いに行く。炊屋には先月水仕女として牟須女が雇われていた。しかしこの日は行基の弟子衆の誘引で在家の人々が造瓦所の手伝いに来て、この炊屋で食事をすることが加わり、大混雑していたのだ。
宮麻呂は法弟衆のために、不殺生の戒を犯さぬように冬薯蕷を具とした一汁を特別に作っていた。だが、その汁を盗もうとしている男に牟須女が気づき、結果的に汁鍋をひっくり返されるという事件が起こる。そこから宮麻呂にあらぬ嫌疑がかかることになる。
また、盗もうとしていた男を見つけ、宮麻呂に会わせることから、新たな展開が始まる。
さらに、行基の弟子衆の一人、栄慶が宮麻呂の顔を見たときに驚愕の声を迸らせた状況と二人の短い会話を目撃した真楯は、宮麻呂という存在に関心を抱き始める。
大仏造像のために徴発されてきてここで働く仕丁たちの「食」にハイライトが当たっている。仏法のための仏像造像に携わる人々が体力維持のために肉食で栄養を補うという現実の側面が描かれていて興味深い。
<みちの奥>
大仏の3段階目の鋳込みが終わった頃の一事件を描く。(鋳造計画は8回に区分)
仕丁頭の猪飼が労役3年の定めを引き延ばされたことで、くさっているところから始まる。その猪飼を造寺司主典(さかん)・葛井根道が何とか説得しようと試みる。
真楯と一緒に造仏所に配置された鮠人(はやと)の組に最近加えられた乙虫-陸奥国から来た仕丁-に焦点があたる。骨惜しみせず働くのだが、彼の話す言葉が通じない。蝦夷かと奇異な目で見られている。また役人からは蔑まれている。
そんな折、棹銅10本の盗難騒ぎが起こる。乙虫の床の下から2本が発見されたことで、乙虫に嫌疑がかかった。陸奥より来たばかりの男と聞いた宮麻呂は飛び出していく。その後を猪飼が追うことに。宮麻呂が棹銅の数が合わないという背景の謎解きをする。そして猪飼は仕丁頭として造仏所舎人の安都雄足と乙足の無実について交渉することに。
この事件には別の意図が隠されていた。一方、雄足には蝦夷を憎悪する私怨もあった。
乙虫の言葉を宮麻呂がわかっている感じであることと雄足の発言を聞いた折の宮麻呂の態度を眺めて、真楯は宮麻呂は何者かと一層関心を抱く。
組織内における主導権争いの確執や内奥の怨念の一端が歪んだ形で行動化される様が描かれている。
<媼(おうな)の柿>
大仏の第5段目の鋳込みを迎えた段階で、造寺司長官の市原王が、造東大寺司の高官・佐伯今毛人の案内で視察に来る。合図を受けて一斉に炉口が開けられ熔銅が樋に奔出した時、一個所で熔銅が樋から跳ねて溢れ出る事故が発生する。幸い死人は出なかったが8人が大火傷などを被った。その一人が鮠人だった。市原王は手厚い看護を指示した。隼人はなぜか、看護には雇女を要望し、絵所に勤める若狭売という60を過ぎた媼を指名した。作地場の奪衣婆とも呼ばれ、強欲で金貸しをする媼である。
なせ、鮠人が若狭女を要望したのかという謎と若狭女が引き起こす騒動の物語。
造寺司の一画に療養場所が設けられた。その造寺司に行基が訪れて休息する場面が加わってくる。たまたま鮠人の見舞いに行った真楯は、栄慶に出逢うとともに、行基の一面を垣間見ることに。
人は普段なら他の人には見せない側面がある。その見せない側面が見られることになり描き込まれていく。
<巨仏の涙>
真楯の同輩小刀良は、石見・出雲両国を襲った悪疫により妻と娘が死んだという報せを受ける。それが原因で、馬馗という30過ぎの奴の誘いに乗り逃亡をはかり、大騒ぎになる場面から始まる。馬馗は3年前に東大寺に売られてきたで、頭の南備も手をやくワルだった。小刀良を何とか見つけることができた。一方、馬馗は安都雄足に見つけられ、小屋に戻ったという。
千手という老奴の言で、その馬馗は造寺所長官の国公麻呂に気に入られ、時折手足として用事を言いつけられているという情報を猪飼と真楯が知る。
小刀良の件が一段落し、周囲が明るみ始めて、猪飼は東大寺の作事場に首天皇が行幸される予定を思い出す。それで、長官の国公麻呂が大鋳師の高市大国を陥れるために謀略をしているのではないかと気づく。そして、真楯とともに己の裁量でその阻止をはかる。その顛末譚がおもしろい。その結果、猪飼と真楯にとっても、重要な生き方の選択発言をすることになっていく。
大仏は誰のものなのか? それがこの短編の根底に横たわっている。
もう一点、宮麻呂が真楯に質問し、真楯の返事を聞いた上で、重要な課題を語りかけている。この短編を楽しんでいただきたい。
<一字一仏>
写経所の廚が食中りを出したことが原因で、約50人の写経生の食事を、一時期宮麻呂の炊屋で面倒をみることになる。役人の葛井根道はその代わり、仕丁の食事時間帯の前後に振り分けて負荷を分散することを約束した。だが、その決めを平然と無視する5人の写経生がいた。炊屋で彼らを観察する真楯の目と思いから語られて行く。
写経所の仕組みと経師が校生を侮蔑する姿が描かれる。そして、経師5人組の中につき従う黒主と校生となっている阿須太という、元興寺から東大寺の写経を手伝うように派遣された二人の写経生が事件を引き起こす展開となる。
造仏所の仕丁とは違った写経所の写経生たちの世界が対比的に描き出される。
人と人のつながりが生み出す人としての温かみがテーマになっている。経典を写すという仏に近いはずの写経生がいつしか仏から遠ざかっているというパラドクスが描かれる。 牟須女の小声でぼやく「ここに銭なんぞないからこそ」というのが、キーフレーズにもなっている。
<鬼哭の花>
造仏所の作事場では七段目の鋳込みが終了し、次の八段目との結合部分について半月あまり試行錯誤しているという状況から始まる。
深更に宮麻呂は行基が拠点とする菅原寺を真楯と訪れることになる。だが、宮麻呂は大仏の上で揺れる小さな火影に不審を抱き、まず確かめに現場へ走る。そこには忍海の金工の石隅が居た。大仏の首継ぎの件で、鋳師衆の試行錯誤の苦労を、鍍金の技で助けられないか思案するために大仏を見に来たという。そして、砂金だろうが鉱金だろうがなんでも扱えると宮麻呂に豪語する。ここに一つの伏線が敷かれていることを後で理解した。
行基が目を覚まさないので、粥づくりを諦めて炊屋に戻ることになる。帰路、大仏の肩先に灯が大きく膨れ上がる。大仏の火事! 付け火と推測した宮麻呂は真楯と犯人を捕まえるための行動に出る。付け火の犯人を捕らえると意外な男だった。
ここに仏とは何かというテーマが大きくのしかかっていく。
火は大事に到らずに消し止められた。一方、造仏所舎人の安都雄足が犯人の捜索をする。
栄慶が宮麻呂を呼びに来る。行基が目を覚まし、宮麻呂を呼ぶようにと指示したという。宮麻呂は真楯に碾磑(石臼)を運ばせて菅原寺に駆けつける。宮麻呂は行基のために割り粥を作るという。
行基の宮麻呂に対する語りかけは、宮麻呂の過去に繋がって行く。
そして、後に宮麻呂は真楯に己の過去を語る。また犯人の逮捕を目指す雄足に宮麻呂が告げたことは一つの衝撃となる。
この最後の短編で、宮麻呂とは何者かという真楯の疑問が氷解する。
「鬼哭」とは「死者の魂がなくこと・声」(『日本語大辞典』講談社)を意味するという。この短編のタイトルにふさわしい気がする。この「なく」という言葉にさまざまなスタンスでの意味が重層化されているように感じる。
ご一読ありがとうございます。
本書から関心事項を調べてみました。一覧にしておきます。
華厳宗大本山 東大寺 公式ホームページ
よくあるご質問 -FQA-
東大寺 :ウィキペディア
東大寺盧舎那仏像 :ウィキペディア
3次元形状計測された世界最大規模の「東大寺盧舎那大仏」 影山幸一氏:「artscape」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『駆け入りの寺』 文藝春秋
『日輪の賦』 幻冬舎
『月人壮士 つきひとおとこ』 中央公論新社
『秋萩の散る』 徳間書店
『関越えの夜 東海道浮世がたり』 徳間文庫
『師走の扶持 京都鷹ヶ峰御薬園日録』 徳間書店
『ふたり女房 京都鷹ヶ峰御薬園日録』 徳間書店
『夢も定かに』 中公文庫
『能楽ものがたり 稚児桜』 淡交社
『名残の花』 新潮社
『落花』 中央公論新社
『龍華記』 KADOKAWA
『火定』 PHP
『泣くな道真 -太宰府の詩-』 集英社文庫
『腐れ梅』 集英社
『若冲』 文藝春秋
『弧鷹の天』 徳間書店
『満つる月の如し 仏師・定朝』 徳間書店
副題から、東大寺の毘盧舎那大仏造立の作業所に関連する内容であること。その作業所に設けられた炊屋つまり食堂が関係してくるということ。そして、私記とあることから個人的な記録であるということ、という位置づけと推定できる。
本書は、「山を削りて」から始まり「鬼哭の花」で終わる7編の短編から構成されている。読み始めるとこれら短編が連作として時の経過にそって相互に繋がっていくことがわかる。この小説のテーマは東大寺の毘盧舎那大仏(以降、大仏と略す)がどのようにして造立されたのか、さらに大仏とは何か、をその造像作業に徴発された人々の側から描くことであると受けとめた。
このテーマは、さらに幾つかのサブ・テーマにブレークダウンされていく。そして個々の短編として描き出されている。この小説もオムニバス形式と呼ばれるものに相当するのだろう。
この小説の主な登場人物の中で全編を通じてその中核となるのは、造仏所の仕丁(中央の官司で労役に当たる役夫)の真楯(またて)と造仏所で炊屋を運営する宮麻呂である。このストーリーの各編は真楯の目線・立場から描かれている。
この小説で興味深い点がいくつかある。まずそれを列挙してみる。
1. 造仏所で仕丁として働く真楯の大仏に対する心境が、一緒に働く仲間たちやその他の人々との関わりの中で変化していくプロセスが描かれて行くこと。
2. 宮麻呂とは何者か? この点が短編連作のプロセスで明らかになっていく。
それは、宮麻呂が仏教を、大仏を、大仏と人との関わりをどのようにとらえているか。それはなぜなのか、ということを知るプロセスでもある。
真楯から宮麻呂を観察した解釈・推論としてのミステリー仕立て風になっているところがおもしろい。最後は宮麻呂が己の過去を語ることになる。
3.東大寺造仏所がどのような組織で、どれくらいの規模で、どのように運営されていたか。大仏がどのようなステップを踏んで鋳造されていくか、が具体的にわかる。毘盧舎那大仏造営の背景事情が教科書的解説ではなく、ストーリーの流れの中に少しずつ説明が組み込まれ、自然にわかって行くというところが興味深い。
小説の内容をご紹介する前に、手許の『続日本紀(中) 全現代語訳』(宇治谷孟訳・講談社学術文庫)に記録されている史実(巻15~巻18)を年表風に略記し、ご紹介しておこう。
天平15年(743)冬10月15日条 盧舎那仏の金銅像一体の造営の詔を発す
紫香楽宮で大仏造営を開始。
同年10月19日条 甲賀寺の寺地を開く(行基法師の活動)
天平16年(744)夏4月13日条 紫香楽宮の西北の山で山火事
天平17年(745)正月21条 行基法師が大僧正に任じられる
同年夏4月1日、4月3日、4月11日 各条に紫香楽宮周辺の山での火災を記録
同年地震の発生の記録が頻出する 5/1~5/10の各条、5/16・18、7/17・18、
8/24・29、9/2
⇒紫香楽宮での大仏造像は断念され、平城京での造像に方針変更となる
同年9月25日条 天皇が平城京に還幸 9月26日条 天皇が平城京に到着
天平18年(746)10月6日条 天皇ほかが金鐘寺(東大寺の前身)に行幸
盧舎那仏(鋳造前の模型)に燃灯供養を行う
天平勝宝元年(749)2月2日条 大僧正の行基和尚が遷化(死去)
同年2月22日条 陸奥(みちのく)国からはじめて黄金を貢進した。
同年夏4月1日条 天皇が東大寺に行幸し、盧舎那仏の前殿に出御
この後、天平勝宝3年(751)春正月14日条には孝謙天皇の東大寺行幸が記され、翌年の天平勝宝4年(752)夏4月9日条に、東大寺盧舎那仏の像が完成して、開眼供養をしたと記されている。天皇は東大寺に行幸し、盛大な法会が行われた。
聖武天皇はこの開眼供養においては、太上天皇として臨席したのだろう。そして天平勝宝8年(756)5月2日条に、「この日、太上天皇が内裏にいて崩御された」と記されている。
この小説を読み、上掲の略年表と対比すると、天平18年(746)から749年の行基和尚の死までの期間が時代背景になっている。
それでは、各短編を簡単にご紹介する。
<山を削りて>
近江国高島郡に住む真楯が仕丁として徴発され、造仏所に配置されることとなった初日から、東大寺大仏鋳造開始を半月後に控えた晩秋の日までを描く。
初日に、仕丁頭の猪飼と造仏所炊屋を運営する宮麻呂との出会いがある。山を削り、大仏鋳造のしかたを含めた準備段階の状況や造仏所の組織の有り様、炊屋の運営の実状などが書き込まれる。
病人の仕丁浄須のことが大仏とはなにかというテーマに絡むひとつのエピソードになっている。真楯の心境が次の一文として書き込まれている。「自分たちを激しい労役に駆り立てる大仏造営を、疎ましく思わぬ日はない。さりながらこの作事場で働き続けていれば、いずれ浄須が何を思って仏への結縁を求めたのか、少しは理解できる日が来るように感ぜられた。」(p45-46)
教科書や学習参考書に詳しくは出てくることのない、大仏造営の現場がイメージしやすくなる。
<与楽の飯>
真楯は同輩の小刀良に呼ばれて、宮麻呂の炊屋に手伝いに行く。炊屋には先月水仕女として牟須女が雇われていた。しかしこの日は行基の弟子衆の誘引で在家の人々が造瓦所の手伝いに来て、この炊屋で食事をすることが加わり、大混雑していたのだ。
宮麻呂は法弟衆のために、不殺生の戒を犯さぬように冬薯蕷を具とした一汁を特別に作っていた。だが、その汁を盗もうとしている男に牟須女が気づき、結果的に汁鍋をひっくり返されるという事件が起こる。そこから宮麻呂にあらぬ嫌疑がかかることになる。
また、盗もうとしていた男を見つけ、宮麻呂に会わせることから、新たな展開が始まる。
さらに、行基の弟子衆の一人、栄慶が宮麻呂の顔を見たときに驚愕の声を迸らせた状況と二人の短い会話を目撃した真楯は、宮麻呂という存在に関心を抱き始める。
大仏造像のために徴発されてきてここで働く仕丁たちの「食」にハイライトが当たっている。仏法のための仏像造像に携わる人々が体力維持のために肉食で栄養を補うという現実の側面が描かれていて興味深い。
<みちの奥>
大仏の3段階目の鋳込みが終わった頃の一事件を描く。(鋳造計画は8回に区分)
仕丁頭の猪飼が労役3年の定めを引き延ばされたことで、くさっているところから始まる。その猪飼を造寺司主典(さかん)・葛井根道が何とか説得しようと試みる。
真楯と一緒に造仏所に配置された鮠人(はやと)の組に最近加えられた乙虫-陸奥国から来た仕丁-に焦点があたる。骨惜しみせず働くのだが、彼の話す言葉が通じない。蝦夷かと奇異な目で見られている。また役人からは蔑まれている。
そんな折、棹銅10本の盗難騒ぎが起こる。乙虫の床の下から2本が発見されたことで、乙虫に嫌疑がかかった。陸奥より来たばかりの男と聞いた宮麻呂は飛び出していく。その後を猪飼が追うことに。宮麻呂が棹銅の数が合わないという背景の謎解きをする。そして猪飼は仕丁頭として造仏所舎人の安都雄足と乙足の無実について交渉することに。
この事件には別の意図が隠されていた。一方、雄足には蝦夷を憎悪する私怨もあった。
乙虫の言葉を宮麻呂がわかっている感じであることと雄足の発言を聞いた折の宮麻呂の態度を眺めて、真楯は宮麻呂は何者かと一層関心を抱く。
組織内における主導権争いの確執や内奥の怨念の一端が歪んだ形で行動化される様が描かれている。
<媼(おうな)の柿>
大仏の第5段目の鋳込みを迎えた段階で、造寺司長官の市原王が、造東大寺司の高官・佐伯今毛人の案内で視察に来る。合図を受けて一斉に炉口が開けられ熔銅が樋に奔出した時、一個所で熔銅が樋から跳ねて溢れ出る事故が発生する。幸い死人は出なかったが8人が大火傷などを被った。その一人が鮠人だった。市原王は手厚い看護を指示した。隼人はなぜか、看護には雇女を要望し、絵所に勤める若狭売という60を過ぎた媼を指名した。作地場の奪衣婆とも呼ばれ、強欲で金貸しをする媼である。
なせ、鮠人が若狭女を要望したのかという謎と若狭女が引き起こす騒動の物語。
造寺司の一画に療養場所が設けられた。その造寺司に行基が訪れて休息する場面が加わってくる。たまたま鮠人の見舞いに行った真楯は、栄慶に出逢うとともに、行基の一面を垣間見ることに。
人は普段なら他の人には見せない側面がある。その見せない側面が見られることになり描き込まれていく。
<巨仏の涙>
真楯の同輩小刀良は、石見・出雲両国を襲った悪疫により妻と娘が死んだという報せを受ける。それが原因で、馬馗という30過ぎの奴の誘いに乗り逃亡をはかり、大騒ぎになる場面から始まる。馬馗は3年前に東大寺に売られてきたで、頭の南備も手をやくワルだった。小刀良を何とか見つけることができた。一方、馬馗は安都雄足に見つけられ、小屋に戻ったという。
千手という老奴の言で、その馬馗は造寺所長官の国公麻呂に気に入られ、時折手足として用事を言いつけられているという情報を猪飼と真楯が知る。
小刀良の件が一段落し、周囲が明るみ始めて、猪飼は東大寺の作事場に首天皇が行幸される予定を思い出す。それで、長官の国公麻呂が大鋳師の高市大国を陥れるために謀略をしているのではないかと気づく。そして、真楯とともに己の裁量でその阻止をはかる。その顛末譚がおもしろい。その結果、猪飼と真楯にとっても、重要な生き方の選択発言をすることになっていく。
大仏は誰のものなのか? それがこの短編の根底に横たわっている。
もう一点、宮麻呂が真楯に質問し、真楯の返事を聞いた上で、重要な課題を語りかけている。この短編を楽しんでいただきたい。
<一字一仏>
写経所の廚が食中りを出したことが原因で、約50人の写経生の食事を、一時期宮麻呂の炊屋で面倒をみることになる。役人の葛井根道はその代わり、仕丁の食事時間帯の前後に振り分けて負荷を分散することを約束した。だが、その決めを平然と無視する5人の写経生がいた。炊屋で彼らを観察する真楯の目と思いから語られて行く。
写経所の仕組みと経師が校生を侮蔑する姿が描かれる。そして、経師5人組の中につき従う黒主と校生となっている阿須太という、元興寺から東大寺の写経を手伝うように派遣された二人の写経生が事件を引き起こす展開となる。
造仏所の仕丁とは違った写経所の写経生たちの世界が対比的に描き出される。
人と人のつながりが生み出す人としての温かみがテーマになっている。経典を写すという仏に近いはずの写経生がいつしか仏から遠ざかっているというパラドクスが描かれる。 牟須女の小声でぼやく「ここに銭なんぞないからこそ」というのが、キーフレーズにもなっている。
<鬼哭の花>
造仏所の作事場では七段目の鋳込みが終了し、次の八段目との結合部分について半月あまり試行錯誤しているという状況から始まる。
深更に宮麻呂は行基が拠点とする菅原寺を真楯と訪れることになる。だが、宮麻呂は大仏の上で揺れる小さな火影に不審を抱き、まず確かめに現場へ走る。そこには忍海の金工の石隅が居た。大仏の首継ぎの件で、鋳師衆の試行錯誤の苦労を、鍍金の技で助けられないか思案するために大仏を見に来たという。そして、砂金だろうが鉱金だろうがなんでも扱えると宮麻呂に豪語する。ここに一つの伏線が敷かれていることを後で理解した。
行基が目を覚まさないので、粥づくりを諦めて炊屋に戻ることになる。帰路、大仏の肩先に灯が大きく膨れ上がる。大仏の火事! 付け火と推測した宮麻呂は真楯と犯人を捕まえるための行動に出る。付け火の犯人を捕らえると意外な男だった。
ここに仏とは何かというテーマが大きくのしかかっていく。
火は大事に到らずに消し止められた。一方、造仏所舎人の安都雄足が犯人の捜索をする。
栄慶が宮麻呂を呼びに来る。行基が目を覚まし、宮麻呂を呼ぶようにと指示したという。宮麻呂は真楯に碾磑(石臼)を運ばせて菅原寺に駆けつける。宮麻呂は行基のために割り粥を作るという。
行基の宮麻呂に対する語りかけは、宮麻呂の過去に繋がって行く。
そして、後に宮麻呂は真楯に己の過去を語る。また犯人の逮捕を目指す雄足に宮麻呂が告げたことは一つの衝撃となる。
この最後の短編で、宮麻呂とは何者かという真楯の疑問が氷解する。
「鬼哭」とは「死者の魂がなくこと・声」(『日本語大辞典』講談社)を意味するという。この短編のタイトルにふさわしい気がする。この「なく」という言葉にさまざまなスタンスでの意味が重層化されているように感じる。
ご一読ありがとうございます。
本書から関心事項を調べてみました。一覧にしておきます。
華厳宗大本山 東大寺 公式ホームページ
よくあるご質問 -FQA-
東大寺 :ウィキペディア
東大寺盧舎那仏像 :ウィキペディア
3次元形状計測された世界最大規模の「東大寺盧舎那大仏」 影山幸一氏:「artscape」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『駆け入りの寺』 文藝春秋
『日輪の賦』 幻冬舎
『月人壮士 つきひとおとこ』 中央公論新社
『秋萩の散る』 徳間書店
『関越えの夜 東海道浮世がたり』 徳間文庫
『師走の扶持 京都鷹ヶ峰御薬園日録』 徳間書店
『ふたり女房 京都鷹ヶ峰御薬園日録』 徳間書店
『夢も定かに』 中公文庫
『能楽ものがたり 稚児桜』 淡交社
『名残の花』 新潮社
『落花』 中央公論新社
『龍華記』 KADOKAWA
『火定』 PHP
『泣くな道真 -太宰府の詩-』 集英社文庫
『腐れ梅』 集英社
『若冲』 文藝春秋
『弧鷹の天』 徳間書店
『満つる月の如し 仏師・定朝』 徳間書店