奥書には標記のタイトルが書名となっている。1985年11月に第一刷が出版された。表紙に副題として「路傍の道祖神」と上部に記されている。道祖神が様々な形でつくられてきた歴史と比較すれば、1985年と現時点の時間の経過など、微々たるものと言えるだろう。そういう視点で古い本ではない。道祖神のある領域に焦点をあて、時空間を飛び越えて集められた石像。それらを身近に感じられるモノクロの写真集である。
この写真集の末尾に、「感動を伝える力---写真におけるアマチュアリズム」と題して、写真ディレクターの山岸享子さんが一文を寄せている。つまり、本書の著者はプロの写真家ではない。石像に思いが深まり、春夏秋冬にわたり写真を撮り続けた。モノクロ写真で切り出された石像の様々な表情とその姿の集積。選び抜かれたこの「愛の神々」は心に飛び込んで来る。
本書の出版時点で、著者は日本石仏協会常任理事であり日本民俗学会会員と記されている。
著者は結婚後、1971年の秋に義姉に誘われて、長野県小県郡青木村の安村神社のある修那羅の頂上近くに登ったという。そこは石仏が800体近くある山。後でネットで調べると、その石仏群で有名な場所だと知った。そこでの石仏との出会いが翌年1月に友人を誘って再びここに登るきっかけになったと著者はいう。頂上で眺めた「姉妹像」の表情は、秋に見た「微笑する」表情から、1月には「強い拒絶の表情」に劇的に変貌している印象を抱いたという。「あの時に受けた、怖さと愛らしさの表裏に潜むものは、何だろうという謎解きが、私を歩かせ、対という『人間の原型』を持つ双体道祖神にこだわって行くきっかけになったのである。」と記す。そして、この写真集に結実するに至った。
つまり、この「路傍の道祖神」は男女の「双体道祖神」に絞り込んで各地を巡って撮られた写真の集積である。男女一対の双体道祖神、まさに「愛の神々」の写真集だ。
私は地元関西地域の寺社探訪を趣味の一つにしている。特に京都のお寺の探訪では石仏群をよく見かける。お地蔵さまが集まっている場所として信仰されているのだが、その石仏群をよく見ると、様々な石像が含まれていて、双体像の石仏もよくみかける。この双体像はお地蔵さま?そんな疑問が常にある。石仏像のルーツに一歩踏み込んで行くと、路傍のお地蔵さまが道祖神と繋がって行く側面があるという。また、京都市内の二箇所、一つはお寺、他は神社で、双体道祖神像そのものに出会った。こんな体験から道祖神にも関心を広げることになった。ネット検索で様々な道祖神像を見ていたが、道祖神の写真集として初めて手にしたのがこの『愛の神々』である。奇しくも双体道祖神に焦点を絞り込んでいる写真集だった。
双体道祖神の造形のスタイルに様々なものがあるというのが大きな学びの一つになった。テーマを絞り込んで集積された写真集なので、対比的に石像をながめることで鮮やかにその多様な造形に気づく。その表現方法の有り様に、人々の思いが投影されているのだろう。
色彩を取り除いたモノクロ画像。石像に当たる光で生まれる白黒の濃淡だけでここに定着された双体道祖神の表情と姿は、ストレートにこちら側に語りかけてくるようだ。いや、モノクロの双体道祖神を見つめるこちらの心的状態が道祖神の語りかけに見えて反映しているのかもしれない。
本書は、著者の「道祖神から雛人形への旅」と題する文から始まる。
その後に、「冬から春へ」「夏」「秋から冬へ」という三部構成で写真が掲載されている。要所要所に道祖神が祀られている場の風景写真が挿入されている。長野県内の双体道祖神を主としながら他県の双体道祖神も織り込まれていく。群馬県、山梨県、新潟県、鳥取県、静岡県、埼玉県、栃木県、岐阜県へと著者の足跡が延びている。
写真を載せた後に、石像のそれぞれについて簡単な写真解説がまとめられている。
双体道祖神に心を惹かれ。道祖神を考察する著者が冒頭の一文の結論部分に述べた著者自身の考え・思いをご紹介しておこう。(p15)
*雛人形の祖型が形代(かたしろ)である・・・・・私は、双体道祖神が男と女の対であるのはいわゆる人間の雛型-雛を模したからだと考えてみたいと思う。
*戦がなくなり、築城することがままならぬご時世になって、石工自身も旅稼ぎに加えて、多く諸国を歩くことになる。こうした世のうつり変わりの中で、もともと形代から生まれた雛人形を手本にして、道祖神が生まれたのではあるまいか。
*村人たちは表面的にみえる愛らしさの陰に、形代として、モロモロの願いを埋め込んだのではないだろうか。
*人々が「塞ぎ」を意識したときに、塞ぎとめるものとして、自らの人形(ひとがた)を石に彫り、暫時、雛人形を範としたのではないか。
この写真集で私がなかでも心惹かれる双体道祖神像を挙げておきたい。
扉に載る鳥取・名和町西坪の合掌像、「冬から春へ」では、長野・大鹿村鹿塩西、穂高町島神田、群馬・中之条町親都、中之条町馬滑、山梨・下部町中河原、長野・松本村。「夏」では、鳥取・大山町末吉、中山町中尾、米子市尾高、岸本町久古、長野・八坂村布川、美麻村新行上村、小谷村南小谷石坂、東部町滋野原、栃木・粟野町上粕尾半縄面井向、鳥取・岸本町上細身。「秋から冬へ」では、群馬・新治村赤谷手道、六合村長平、長野・美麻村左右、福島町栃本、東部町金子。双体道祖神像の写真にはその所在地が付記されている。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して、関心事項を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
道祖神 :「コトバンク」
道祖神 :ウィキペディア
道祖神 :「Flying Deity Tobifudo」
安曇野といえば 道祖神 :「安曇野の旅」(公式観光サイト)
道祖神めぐり :「安曇野市」
「水色の時」道祖神 :「ずくラボ!」
信州山形村 道祖神めぐり :「山形村観光協会」
61 芦ノ尻道祖神の風景 :「長野市」
野倉の夫婦道祖神 :「信州上田観光情報」
松川村道祖神 :「GO NAGANO」(長野県公式観光サイト)
沢底の道祖神 :「辰野町観光サイト」
コース14 道祖神のみち :「群馬県」
道祖神 :「高崎市」
中室田キッス道祖神 :「高崎観光協会」
道祖神 :「湘南二宮町」
「文化混交」小田原の道祖神 :「タウンニューズ」
茅ヶ崎の道祖神って何体あるんだろう? :「Maruhaku TV」(茅ヶ崎市)
道祖神 :「川島町」(埼玉県比企郡)
中里地域の道祖神 :「新潟県十日町市」
鳥取県の道祖神 :「ふるさとの道祖神巡り」
静岡県の道祖神 :「ふるさとの道祖神巡り」
山梨県の道祖神 :「ふるさとの道祖神巡り」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
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この写真集の末尾に、「感動を伝える力---写真におけるアマチュアリズム」と題して、写真ディレクターの山岸享子さんが一文を寄せている。つまり、本書の著者はプロの写真家ではない。石像に思いが深まり、春夏秋冬にわたり写真を撮り続けた。モノクロ写真で切り出された石像の様々な表情とその姿の集積。選び抜かれたこの「愛の神々」は心に飛び込んで来る。
本書の出版時点で、著者は日本石仏協会常任理事であり日本民俗学会会員と記されている。
著者は結婚後、1971年の秋に義姉に誘われて、長野県小県郡青木村の安村神社のある修那羅の頂上近くに登ったという。そこは石仏が800体近くある山。後でネットで調べると、その石仏群で有名な場所だと知った。そこでの石仏との出会いが翌年1月に友人を誘って再びここに登るきっかけになったと著者はいう。頂上で眺めた「姉妹像」の表情は、秋に見た「微笑する」表情から、1月には「強い拒絶の表情」に劇的に変貌している印象を抱いたという。「あの時に受けた、怖さと愛らしさの表裏に潜むものは、何だろうという謎解きが、私を歩かせ、対という『人間の原型』を持つ双体道祖神にこだわって行くきっかけになったのである。」と記す。そして、この写真集に結実するに至った。
つまり、この「路傍の道祖神」は男女の「双体道祖神」に絞り込んで各地を巡って撮られた写真の集積である。男女一対の双体道祖神、まさに「愛の神々」の写真集だ。
私は地元関西地域の寺社探訪を趣味の一つにしている。特に京都のお寺の探訪では石仏群をよく見かける。お地蔵さまが集まっている場所として信仰されているのだが、その石仏群をよく見ると、様々な石像が含まれていて、双体像の石仏もよくみかける。この双体像はお地蔵さま?そんな疑問が常にある。石仏像のルーツに一歩踏み込んで行くと、路傍のお地蔵さまが道祖神と繋がって行く側面があるという。また、京都市内の二箇所、一つはお寺、他は神社で、双体道祖神像そのものに出会った。こんな体験から道祖神にも関心を広げることになった。ネット検索で様々な道祖神像を見ていたが、道祖神の写真集として初めて手にしたのがこの『愛の神々』である。奇しくも双体道祖神に焦点を絞り込んでいる写真集だった。
双体道祖神の造形のスタイルに様々なものがあるというのが大きな学びの一つになった。テーマを絞り込んで集積された写真集なので、対比的に石像をながめることで鮮やかにその多様な造形に気づく。その表現方法の有り様に、人々の思いが投影されているのだろう。
色彩を取り除いたモノクロ画像。石像に当たる光で生まれる白黒の濃淡だけでここに定着された双体道祖神の表情と姿は、ストレートにこちら側に語りかけてくるようだ。いや、モノクロの双体道祖神を見つめるこちらの心的状態が道祖神の語りかけに見えて反映しているのかもしれない。
本書は、著者の「道祖神から雛人形への旅」と題する文から始まる。
その後に、「冬から春へ」「夏」「秋から冬へ」という三部構成で写真が掲載されている。要所要所に道祖神が祀られている場の風景写真が挿入されている。長野県内の双体道祖神を主としながら他県の双体道祖神も織り込まれていく。群馬県、山梨県、新潟県、鳥取県、静岡県、埼玉県、栃木県、岐阜県へと著者の足跡が延びている。
写真を載せた後に、石像のそれぞれについて簡単な写真解説がまとめられている。
双体道祖神に心を惹かれ。道祖神を考察する著者が冒頭の一文の結論部分に述べた著者自身の考え・思いをご紹介しておこう。(p15)
*雛人形の祖型が形代(かたしろ)である・・・・・私は、双体道祖神が男と女の対であるのはいわゆる人間の雛型-雛を模したからだと考えてみたいと思う。
*戦がなくなり、築城することがままならぬご時世になって、石工自身も旅稼ぎに加えて、多く諸国を歩くことになる。こうした世のうつり変わりの中で、もともと形代から生まれた雛人形を手本にして、道祖神が生まれたのではあるまいか。
*村人たちは表面的にみえる愛らしさの陰に、形代として、モロモロの願いを埋め込んだのではないだろうか。
*人々が「塞ぎ」を意識したときに、塞ぎとめるものとして、自らの人形(ひとがた)を石に彫り、暫時、雛人形を範としたのではないか。
この写真集で私がなかでも心惹かれる双体道祖神像を挙げておきたい。
扉に載る鳥取・名和町西坪の合掌像、「冬から春へ」では、長野・大鹿村鹿塩西、穂高町島神田、群馬・中之条町親都、中之条町馬滑、山梨・下部町中河原、長野・松本村。「夏」では、鳥取・大山町末吉、中山町中尾、米子市尾高、岸本町久古、長野・八坂村布川、美麻村新行上村、小谷村南小谷石坂、東部町滋野原、栃木・粟野町上粕尾半縄面井向、鳥取・岸本町上細身。「秋から冬へ」では、群馬・新治村赤谷手道、六合村長平、長野・美麻村左右、福島町栃本、東部町金子。双体道祖神像の写真にはその所在地が付記されている。
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して、関心事項を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
道祖神 :「コトバンク」
道祖神 :ウィキペディア
道祖神 :「Flying Deity Tobifudo」
安曇野といえば 道祖神 :「安曇野の旅」(公式観光サイト)
道祖神めぐり :「安曇野市」
「水色の時」道祖神 :「ずくラボ!」
信州山形村 道祖神めぐり :「山形村観光協会」
61 芦ノ尻道祖神の風景 :「長野市」
野倉の夫婦道祖神 :「信州上田観光情報」
松川村道祖神 :「GO NAGANO」(長野県公式観光サイト)
沢底の道祖神 :「辰野町観光サイト」
コース14 道祖神のみち :「群馬県」
道祖神 :「高崎市」
中室田キッス道祖神 :「高崎観光協会」
道祖神 :「湘南二宮町」
「文化混交」小田原の道祖神 :「タウンニューズ」
茅ヶ崎の道祖神って何体あるんだろう? :「Maruhaku TV」(茅ヶ崎市)
道祖神 :「川島町」(埼玉県比企郡)
中里地域の道祖神 :「新潟県十日町市」
鳥取県の道祖神 :「ふるさとの道祖神巡り」
静岡県の道祖神 :「ふるさとの道祖神巡り」
山梨県の道祖神 :「ふるさとの道祖神巡り」
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