瀬戸内寂聴訳『源氏物語』を先般通読できたこととその印象・感想を覚書としてまとめて、ご紹介した。『源氏物語』を通読するときに、併読した1冊の印象・感想もまた先般ご紹介した。もう1冊の併読が本書。2014年6月に刊行されている。
著者は平安文学研究者。源氏物語ミュージアムの連続講座を受講したとき、数回著者が講師を担当された講義を聴講したことがある。わかりやすく話をされる先生だった。
2007年に『源氏物語の時代』(朝日選書)で第29回サントリー学芸賞を受賞されている。この本はかなり前に読んでいた。こちらの本の副題は「一条天皇と后たちのものがたり」である。
本書を併読した理由は、「平安人の心で読む」というタイトルのスタンスと本書の構成による。五十四帖の帖ごとに内容が編成されていて併読するのに便利だったから。
併読書のもう1冊『源氏物語の京都案内』(文春文庫)は、ご紹介したときに、
”「平安時代の人々が読んだ『源氏』と、鎌倉時代の人が想像した『源氏』と、江戸時代の人が想像した『源氏』と、現代人の『源氏』は全く違います。」
その上で「現代の読者には、現代の楽しみがあるのです」という立場から、「気軽に源氏と京都を楽しめるようなガイド」を目指す”というスタンスの書とご紹介した。
一方、こちらは著者が「はじめに」にその執筆スタンスを明記されている。
「『源氏物語』をひもといた平安人(へいあんびと)たちは、誰もが平安時代の社会の意識と記憶とでもって、この物語を読んだはずです。千年の時が経った今、平安人ではない現代人の私たちがそれをそのまま彼らと共有することは、残念ながらできません。が、少しでも平安社会の意識と記憶を知り、その空気に身を浸しながら読めば、物語をもっとリアルに感じることができ、物語が示している意味をもっと深く読み取ることもできるのではないでしょうか。本書はその助けとなるために、平安人の世界を様々な角度からとらえ、そこに読者をいざなうことを目指して作りました。」(pⅳ)
つまり、『源氏物語の京都案内』とは対照的であり、併読するとおもしろいのではないかという期待があった。その期待は満たされた。
併読を始めた時は意識しなかったが、途中で気がついたことをまずご紹介しよう。本書の内容は帖単位にまとめられているということは既に触れた。だから、最初は単純にそこから出発した。
ところが、本書の章構成が本書の読み方というか『源氏物語』の全体構成にきっちりと関わっていた。この大枠の区分が著者の捉え方の一つと言えよう。
第1章 光源氏の前半生 1帖「桐壺」~33帖「藤裏葉」
第2章 光源氏の晩年 34帖「若菜上」~41帖「幻」
第3章 光源氏の没後 42帖「匂兵部卿」~47帖「竹河」
第4章 宇治十帖 45帖「橋姫」~54帖「夢浮橋」
第5章 番外編 深く味はふ『源氏物語』
著者は光源氏のもとに女三の宮が降嫁してくる状況を描き始める「若菜上」から光源氏の晩年の始まりとして区切っている。「若菜上」は光源氏の39歳~40歳を描き出す。39歳ではや晩年! 現在の年齢感覚では平安人にはなれない・・・・。人生の基軸をシフトさせるサポートなしには、イメージを働かせるのも難しいといえよう。
序でに先に触れると、このあとに、「参考文献」、「『源氏物語』主要人物関係図」、「平安の暮らし解説絵図」がまとめてある。
主要人物関係図は54帖を8グループに区分して、それぞれの期間の関係図としてまとめられている。1帖~8帖、9帖~13帖、14帖~16帖、17帖~21帖、22帖~30帖、31帖~41帖、42帖~44帖、45帖~54帖。『源氏物語』を通読しただけなので、このグルーピングの意味がピンとくるところまでには至っていない。だが、この8グループへのブレークダウン自体も、4章構成の区分とは異なる所があるので、『源氏物語』をとらえる上での一つの読み方として別の観点あるいは意味を含むのだろう。私には今後の課題である。
併読書として便利という点に移ろう。基本的には1帖が4ページ構成となっている。
まず最初のページはその帖のあらすじがまとめてある。『源氏物語の京都案内』でも思ったことだが、あらすじをまとめるのが上手だなという感想。それぞれ立場は違うが、さすがプロだな・・・・と。もう一つ、帖単位のあらすじのまとめ方はそれぞれに違いが生まれていて、興味深い。対比的読むと、これまたおもしろさが増す。
手許に『源氏物語ハンドブック』(鈴木日出男編、三省堂)がある。ハンドブックなので、当然と言えるが最初に「第一部 物語の鑑賞」として54帖のそれぞれのあらすじがまとめられている。これもまた表現が異なる。
本筋を離れるが、第1帖「桐壺」のあらすじまとめの末尾の文を対比的に列挙してみよう。
本 書
光る君は12歳で元服し、左大臣の娘を妻とする。しかし彼の心の中には、いつしか義母・藤壺への秘めた恋が宿っていた。 p4
瀬戸内寂聽訳『源氏物語』 著者自身の巻末のあらすじ
申し分なく美しいけれど自尊心が高く、権高で冷たい花嫁に、少年の夫は、初夜から馴染まない。かえって、結婚の実態を知った源氏は、妻として一緒に暮らすなら藤壺のような人をこそと、ひそかに切なく恋心をつのらせていく。 p337
『源氏物語の京都案内』
源氏は12歳で元服し、左大臣の娘・葵と結婚するが、年上でとり澄ました妻になじめず、母(桐壺)の実家・二条院で、自分の愛する女性と暮らすことを夢見ていた。 p12
『源氏物語ハンドブック』
12歳になった源氏は、元服ののち、左大臣家の葵の上と結ばれた。しかし、源氏はこの深窓の麗人には親しめない。彼の心には、いつしか藤壺への切ない思慕の情がうずくようになっていたからである。 p2
1帖のあらすじをまとめるに当たって、それぞれの著者には全体の構成上での文字数の制約があるだろうから、単純な対比はできない。しかし、同じ原文の文脈からのあらすじでもこれだけ表現のしかたと醸し出すニュアンスに広がりが生まれる点が面白いし、学べるところがある。 ここから類推しても、『源氏物語』の翻訳書はけっこう数があるが、多分その表現にかなりの違いが生まれていることだろう。
例えば、本書の1帖「桐壺」には、「後宮における天皇、きさきたちの愛し方」という見出しが付いている。「平安時代の天皇は一夫多妻制である」という一文から始まる。源氏物語の根幹にズバリと切り込んでいる。「平安時代の天皇の結婚は、欲望を満たすのが目的ではない。確実に跡継ぎを残すこと、一夫多妻制はそのための制度だった。」(p5)これは、左大臣家であろうが、光源氏家であろうが、価値観としては同じ基盤の上に立つだろう。現代日本や欧米諸国等の原則、一夫一婦制社会とは価値観が根底から異なる。
「貴族の中に強力な後見を持つ子ども」「個人的な愛情よりも、きさきの実家の権力を優先させることが、当時の天皇の常識だった」(p5)
その上で、著者は一条天皇、中宮定子、道長の娘彰子の関係に言及する。さらに「物語を書き始めた時、紫式部はまだ彰子に仕えていない」(p7)その事実にも言及している。
読者として、『源氏物語』を「平安人の心で読む」ためにはまさに必須の背景情報と再認識した。
ここから飛躍すると、紫式部が彰子に仕えるようになって以降、紫式部が書き綴った帖は、紫式部のフリーな創作力だけで制約なく物語を紡ぎだせたのか、という点が気になる。多分誰も正解を語れない側面が背後に横たわる。知るのは紫式部本人のみ。勿論これは実在する『源氏物語』を鑑賞するということとは別の次元での話であるが・・・。
気になる点については、先日ご紹介した夏山かほる著『新・紫式部日記』(日本経済新聞出版社)という例の如く、フィクションの次元にリンクしていくことになる。これはこれで創作に対する切り口としておもしろい。
平安人の心で読むためには、平安時代の社会経済構造や文化的価値観などさまざまな視点での背景情報が不可欠であることが良く分かる。基本3ページで、各帖毎にその諸側面が取り上げられる。その帖の内容とあるフェーズでリンクする観点の内容が解説されて行く。解説するべき観点の故だろうが、34帖「若菜上」、35帖「若菜下」、39帖「夕霧」、47帖「総角」、49帖「宿木」、51帖「浮舟」は前半・後半と2回に分割されている。
解説の観点がどれほど多様かを、サンプリングして見出しで例示しよう。括弧内の数字は帖番号である。
秘密が筒抜けの豪邸・・・寝殿造(4)、 そもそも、源氏とは何者か?(5)
顔を見ない恋(8)、 祖先はセレブだった紫式部(10)、流された人々の憂愁(13)
平安貴族の遠足スポット、嵯峨野・嵐山(18)、 平安時代は、非学歴社会(21)
ご落胤、それぞれの行方(26)、 千年前の、自然災害を見る目(28)
平安の政治と姫君の入内(32)、紫の上は正妻だったのか(34・前半)
糖尿病だった藤原道長~平安の医者と病(35・後半)、結婚できない内親王(39・後半)
血と汗と涙の『源氏物語』(45)、乳を奪われた子、乳母子の人生(45)
平安の不動産、売買と相続(48)、「火のこと制せよ」(49)
平安式、天下取りの方法(49)、
少し列挙しすぎたが、バラエティに富んだ観点から、平安人に目を向けていくアプローチの広がりをイメージしていただければ、関心が湧くのではないか。
第5章の番外編は5つのテーマが論じられている。どれも興味深い内容である。その中で特に私がおもしろいと思ったのは番外編2「平安貴族の勤怠管理システム」と番外編5「中宮定子をヒロインモデルにした意味」である。
一つだけ気になる点がある。本書の11帖「花散里」は、「巻名は誰がつけた?」という見出しである。ここで巻名について清水婦久子氏の説を紹介して解説されている。そこには記されていないことで、併読の対比からふと思った素朴な疑問についてだ。
本書では、42帖の巻名を「匂兵部卿」とされている。瀬戸内寂聴訳では「匂宮」である。兵部卿は匂宮が登場してきた時の官職なので実質は全く同じなのだが、連綿と書写されて継承されてきた現存の帖には、「匂兵部卿」と「匂宮」が帖名として並存するのだろうか。あるいは、書写された帖には、帖の名称は記されていないのだろうか。
手許に源氏物語関連本がけっこう眠っている。それらをチェックしてみると、2冊だけは「匂兵部卿」を使っている。小学館の日本古典文学全集に収録されている『源氏物語』と『源氏物語必携事典』(秋山・室伏=編、角川書店)である。他は「匂宮」の帖名が使われている。帖の内容の理解と鑑賞には何の影響もないのだが・・・・。この差異が少し気になる。
本書は、『源氏物語』を一歩踏み込んで鑑賞していくための教養書と言える。
最後に、本書の「はじめに」に記された末尾の文を引用しご紹介しておこう。
「平安人の目と心を通して、今も昔も同じ、人という存在に思いを致していただきたいと思います。遙かな時空を超えて、光源氏の体温や紫式部の筆の気配を、どうぞすぐそばに感じてください。」(pⅷ)
手許にあって、手軽に立ち戻って行ける参照本の一冊として役立つと思う。
ご一読ありがとうございます。
[源氏物語ワールドへの誘い]
こちらもお読みいただけるとうれしいです。関連書を種々読み継ごうと思っています。
『源氏物語』全十巻 瀬戸内寂聴訳 講談社文庫
= ビギナーの友に =
『源氏物語の京都案内』 文藝春秋編 文春文庫
『源氏物語解剖図鑑』 文 佐藤晃子 イラスト 伊藤ハムスター X-Knowledge
『初めての源氏物語 宇治へようこそ』 家塚智子 宇治市文化財愛護協会
= 小説・エッセイなど =
『源氏五十五帖』 夏山かおる 日本経済新聞出版
『新・紫式部日記』 夏山かほる 日本経済新聞出版社
著者は平安文学研究者。源氏物語ミュージアムの連続講座を受講したとき、数回著者が講師を担当された講義を聴講したことがある。わかりやすく話をされる先生だった。
2007年に『源氏物語の時代』(朝日選書)で第29回サントリー学芸賞を受賞されている。この本はかなり前に読んでいた。こちらの本の副題は「一条天皇と后たちのものがたり」である。
本書を併読した理由は、「平安人の心で読む」というタイトルのスタンスと本書の構成による。五十四帖の帖ごとに内容が編成されていて併読するのに便利だったから。
併読書のもう1冊『源氏物語の京都案内』(文春文庫)は、ご紹介したときに、
”「平安時代の人々が読んだ『源氏』と、鎌倉時代の人が想像した『源氏』と、江戸時代の人が想像した『源氏』と、現代人の『源氏』は全く違います。」
その上で「現代の読者には、現代の楽しみがあるのです」という立場から、「気軽に源氏と京都を楽しめるようなガイド」を目指す”というスタンスの書とご紹介した。
一方、こちらは著者が「はじめに」にその執筆スタンスを明記されている。
「『源氏物語』をひもといた平安人(へいあんびと)たちは、誰もが平安時代の社会の意識と記憶とでもって、この物語を読んだはずです。千年の時が経った今、平安人ではない現代人の私たちがそれをそのまま彼らと共有することは、残念ながらできません。が、少しでも平安社会の意識と記憶を知り、その空気に身を浸しながら読めば、物語をもっとリアルに感じることができ、物語が示している意味をもっと深く読み取ることもできるのではないでしょうか。本書はその助けとなるために、平安人の世界を様々な角度からとらえ、そこに読者をいざなうことを目指して作りました。」(pⅳ)
つまり、『源氏物語の京都案内』とは対照的であり、併読するとおもしろいのではないかという期待があった。その期待は満たされた。
併読を始めた時は意識しなかったが、途中で気がついたことをまずご紹介しよう。本書の内容は帖単位にまとめられているということは既に触れた。だから、最初は単純にそこから出発した。
ところが、本書の章構成が本書の読み方というか『源氏物語』の全体構成にきっちりと関わっていた。この大枠の区分が著者の捉え方の一つと言えよう。
第1章 光源氏の前半生 1帖「桐壺」~33帖「藤裏葉」
第2章 光源氏の晩年 34帖「若菜上」~41帖「幻」
第3章 光源氏の没後 42帖「匂兵部卿」~47帖「竹河」
第4章 宇治十帖 45帖「橋姫」~54帖「夢浮橋」
第5章 番外編 深く味はふ『源氏物語』
著者は光源氏のもとに女三の宮が降嫁してくる状況を描き始める「若菜上」から光源氏の晩年の始まりとして区切っている。「若菜上」は光源氏の39歳~40歳を描き出す。39歳ではや晩年! 現在の年齢感覚では平安人にはなれない・・・・。人生の基軸をシフトさせるサポートなしには、イメージを働かせるのも難しいといえよう。
序でに先に触れると、このあとに、「参考文献」、「『源氏物語』主要人物関係図」、「平安の暮らし解説絵図」がまとめてある。
主要人物関係図は54帖を8グループに区分して、それぞれの期間の関係図としてまとめられている。1帖~8帖、9帖~13帖、14帖~16帖、17帖~21帖、22帖~30帖、31帖~41帖、42帖~44帖、45帖~54帖。『源氏物語』を通読しただけなので、このグルーピングの意味がピンとくるところまでには至っていない。だが、この8グループへのブレークダウン自体も、4章構成の区分とは異なる所があるので、『源氏物語』をとらえる上での一つの読み方として別の観点あるいは意味を含むのだろう。私には今後の課題である。
併読書として便利という点に移ろう。基本的には1帖が4ページ構成となっている。
まず最初のページはその帖のあらすじがまとめてある。『源氏物語の京都案内』でも思ったことだが、あらすじをまとめるのが上手だなという感想。それぞれ立場は違うが、さすがプロだな・・・・と。もう一つ、帖単位のあらすじのまとめ方はそれぞれに違いが生まれていて、興味深い。対比的読むと、これまたおもしろさが増す。
手許に『源氏物語ハンドブック』(鈴木日出男編、三省堂)がある。ハンドブックなので、当然と言えるが最初に「第一部 物語の鑑賞」として54帖のそれぞれのあらすじがまとめられている。これもまた表現が異なる。
本筋を離れるが、第1帖「桐壺」のあらすじまとめの末尾の文を対比的に列挙してみよう。
本 書
光る君は12歳で元服し、左大臣の娘を妻とする。しかし彼の心の中には、いつしか義母・藤壺への秘めた恋が宿っていた。 p4
瀬戸内寂聽訳『源氏物語』 著者自身の巻末のあらすじ
申し分なく美しいけれど自尊心が高く、権高で冷たい花嫁に、少年の夫は、初夜から馴染まない。かえって、結婚の実態を知った源氏は、妻として一緒に暮らすなら藤壺のような人をこそと、ひそかに切なく恋心をつのらせていく。 p337
『源氏物語の京都案内』
源氏は12歳で元服し、左大臣の娘・葵と結婚するが、年上でとり澄ました妻になじめず、母(桐壺)の実家・二条院で、自分の愛する女性と暮らすことを夢見ていた。 p12
『源氏物語ハンドブック』
12歳になった源氏は、元服ののち、左大臣家の葵の上と結ばれた。しかし、源氏はこの深窓の麗人には親しめない。彼の心には、いつしか藤壺への切ない思慕の情がうずくようになっていたからである。 p2
1帖のあらすじをまとめるに当たって、それぞれの著者には全体の構成上での文字数の制約があるだろうから、単純な対比はできない。しかし、同じ原文の文脈からのあらすじでもこれだけ表現のしかたと醸し出すニュアンスに広がりが生まれる点が面白いし、学べるところがある。 ここから類推しても、『源氏物語』の翻訳書はけっこう数があるが、多分その表現にかなりの違いが生まれていることだろう。
例えば、本書の1帖「桐壺」には、「後宮における天皇、きさきたちの愛し方」という見出しが付いている。「平安時代の天皇は一夫多妻制である」という一文から始まる。源氏物語の根幹にズバリと切り込んでいる。「平安時代の天皇の結婚は、欲望を満たすのが目的ではない。確実に跡継ぎを残すこと、一夫多妻制はそのための制度だった。」(p5)これは、左大臣家であろうが、光源氏家であろうが、価値観としては同じ基盤の上に立つだろう。現代日本や欧米諸国等の原則、一夫一婦制社会とは価値観が根底から異なる。
「貴族の中に強力な後見を持つ子ども」「個人的な愛情よりも、きさきの実家の権力を優先させることが、当時の天皇の常識だった」(p5)
その上で、著者は一条天皇、中宮定子、道長の娘彰子の関係に言及する。さらに「物語を書き始めた時、紫式部はまだ彰子に仕えていない」(p7)その事実にも言及している。
読者として、『源氏物語』を「平安人の心で読む」ためにはまさに必須の背景情報と再認識した。
ここから飛躍すると、紫式部が彰子に仕えるようになって以降、紫式部が書き綴った帖は、紫式部のフリーな創作力だけで制約なく物語を紡ぎだせたのか、という点が気になる。多分誰も正解を語れない側面が背後に横たわる。知るのは紫式部本人のみ。勿論これは実在する『源氏物語』を鑑賞するということとは別の次元での話であるが・・・。
気になる点については、先日ご紹介した夏山かほる著『新・紫式部日記』(日本経済新聞出版社)という例の如く、フィクションの次元にリンクしていくことになる。これはこれで創作に対する切り口としておもしろい。
平安人の心で読むためには、平安時代の社会経済構造や文化的価値観などさまざまな視点での背景情報が不可欠であることが良く分かる。基本3ページで、各帖毎にその諸側面が取り上げられる。その帖の内容とあるフェーズでリンクする観点の内容が解説されて行く。解説するべき観点の故だろうが、34帖「若菜上」、35帖「若菜下」、39帖「夕霧」、47帖「総角」、49帖「宿木」、51帖「浮舟」は前半・後半と2回に分割されている。
解説の観点がどれほど多様かを、サンプリングして見出しで例示しよう。括弧内の数字は帖番号である。
秘密が筒抜けの豪邸・・・寝殿造(4)、 そもそも、源氏とは何者か?(5)
顔を見ない恋(8)、 祖先はセレブだった紫式部(10)、流された人々の憂愁(13)
平安貴族の遠足スポット、嵯峨野・嵐山(18)、 平安時代は、非学歴社会(21)
ご落胤、それぞれの行方(26)、 千年前の、自然災害を見る目(28)
平安の政治と姫君の入内(32)、紫の上は正妻だったのか(34・前半)
糖尿病だった藤原道長~平安の医者と病(35・後半)、結婚できない内親王(39・後半)
血と汗と涙の『源氏物語』(45)、乳を奪われた子、乳母子の人生(45)
平安の不動産、売買と相続(48)、「火のこと制せよ」(49)
平安式、天下取りの方法(49)、
少し列挙しすぎたが、バラエティに富んだ観点から、平安人に目を向けていくアプローチの広がりをイメージしていただければ、関心が湧くのではないか。
第5章の番外編は5つのテーマが論じられている。どれも興味深い内容である。その中で特に私がおもしろいと思ったのは番外編2「平安貴族の勤怠管理システム」と番外編5「中宮定子をヒロインモデルにした意味」である。
一つだけ気になる点がある。本書の11帖「花散里」は、「巻名は誰がつけた?」という見出しである。ここで巻名について清水婦久子氏の説を紹介して解説されている。そこには記されていないことで、併読の対比からふと思った素朴な疑問についてだ。
本書では、42帖の巻名を「匂兵部卿」とされている。瀬戸内寂聴訳では「匂宮」である。兵部卿は匂宮が登場してきた時の官職なので実質は全く同じなのだが、連綿と書写されて継承されてきた現存の帖には、「匂兵部卿」と「匂宮」が帖名として並存するのだろうか。あるいは、書写された帖には、帖の名称は記されていないのだろうか。
手許に源氏物語関連本がけっこう眠っている。それらをチェックしてみると、2冊だけは「匂兵部卿」を使っている。小学館の日本古典文学全集に収録されている『源氏物語』と『源氏物語必携事典』(秋山・室伏=編、角川書店)である。他は「匂宮」の帖名が使われている。帖の内容の理解と鑑賞には何の影響もないのだが・・・・。この差異が少し気になる。
本書は、『源氏物語』を一歩踏み込んで鑑賞していくための教養書と言える。
最後に、本書の「はじめに」に記された末尾の文を引用しご紹介しておこう。
「平安人の目と心を通して、今も昔も同じ、人という存在に思いを致していただきたいと思います。遙かな時空を超えて、光源氏の体温や紫式部の筆の気配を、どうぞすぐそばに感じてください。」(pⅷ)
手許にあって、手軽に立ち戻って行ける参照本の一冊として役立つと思う。
ご一読ありがとうございます。
[源氏物語ワールドへの誘い]
こちらもお読みいただけるとうれしいです。関連書を種々読み継ごうと思っています。
『源氏物語』全十巻 瀬戸内寂聴訳 講談社文庫
= ビギナーの友に =
『源氏物語の京都案内』 文藝春秋編 文春文庫
『源氏物語解剖図鑑』 文 佐藤晃子 イラスト 伊藤ハムスター X-Knowledge
『初めての源氏物語 宇治へようこそ』 家塚智子 宇治市文化財愛護協会
= 小説・エッセイなど =
『源氏五十五帖』 夏山かおる 日本経済新聞出版
『新・紫式部日記』 夏山かほる 日本経済新聞出版社