今日はまた暑さが戻ってきたような…午後のフラダンスが済んで整形へ行き、リハビリを終えて外へ出たときは何とも蒸し暑い!天気予報では午後は雨でしたが、どんよりとしているだけで降りそうにありません。土日も傘マークがでていましたが…
昨日は俳画でした。画題は「葡萄」(ぶどう)、秋の季語です。お手本はきっと巨峰だなと思いながら描きました。描き上げた後今度はマスカットを…。どっちかというと〝巨峰〟の方が微妙な色合いが出せて面白い!ここにお見せできないのがザンネンですが…
黒きまで紫深き葡萄かな 正岡子規
葡萄は古くから世界各地に存在し、紀元前2500年頃のエジプトの壁画などには、葡萄の栽培や葡萄酒の醸造の様子が描かれているそうです。日本ではブドウ属の植物が六種原生し、古名を「えびかずら」といいましたが、日本の文献で葡萄という語が初めて使われるのは、『日本書紀』のイザナギとイザナミの話の中の黄泉の国の部分だということですって。
ぶどうの品種はとても多く、世界には10000種以上のぶどうが存在するといわれます。このうち日本ではマイナーな品種を入れると100種類以上があり、主な品種で50~60種類ほどが栽培されているようです。私が知っているのは、昔ながらの〝キャンベル〟〝ベリーA〟〝デラウェア〟。そのうち〝巨峰〟が出回るようになりましたが、出始め当時は箱入りの高級品として主に贈答用でしたね。そうそう、〝マスカット〟も知ってはいましたが、これはもっと高級品でしたので買うことはなかったんです。今では巨峰も格が下がって、贈答用はもっぱら〝ピオーネ〟になっています。最近はスーパーでもいろいろな種類の葡萄が出回っていて、知らない名前のものがどんどん増えているような気がします。これからも更に改良されて、新しい品種の葡萄が生まれてくるのでしょうね。
ところで、子規の詠んだ葡萄は何だったんでしょうか。そういえば子規は、病気にもかかわらず大食漢で、特に果物には目がなかったようですよ。
〝巨峰〟が生まれたのは、1942年(昭和17年)。1919年(大正8年)に 「大井上理農学研究所」が設立され、そこの農学者・大井上康が試行錯誤の結果、日本の高温多雨多湿の気候に適した新品種として、品種名「石原センテニアル」商品名(商標名)「巨峰」として創り出したのです。だから巨峰が出回るのは当然戦後のこと。だとすれば、子規が死んだのは1902年(明治35年)ですから、この句の葡萄は絶対に巨峰ではありませんね。だとすると、キャンベルかベリーAということになるかしら。
写真は、先日主人が草刈で切ってしまった曼珠沙華を花瓶に挿してみましたら、ほらこんなにキレイ!