ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝張りとほす女の意地や藍ゆかた〟

2018年07月11日 | 俳句

 山口を含む九州北部地方が梅雨明けと発表された9日から、毎日30度を超す暑い日が続いています。被災されたところはこの暑さの中での復旧作業…精神的なダメージに加えこの暑さでは肉体的にも疲労困憊に違いありません。お察しします。

 こういう時って、本当に言葉が見つかりません。ありきたりのことを白々しく書くぐらいならまだ黙っていた方がいいと、私はいつも思うんです。私の親戚や知人たちは皆大丈夫の様子…申し訳ないけど、でもアリガタイです。

 広島・岡山ではまだ激しい雨が降っていて、土砂災害の警報がでているようです。どうかこれ以上の被害が出ませんように…。

 8日の日曜日、娘が通っていた着方教室の修了パーティーが「ANAクラウンプラザホテル宇部」で行われました。以前初級を一緒に習いに行き、その時は冬でした。私はその初級で辞めたのですが、娘は中級、上級と進み、今回は上級の修了式。夏ですので、浴衣でのパーティーになりました。私も参加していいってよと娘が誘うし、知っている方もいることだし、と参加を決めました。その大きな理由は、母の形見分けに夏物の着物を貰ったのですが、それを着る機会が全くなく残念に思っていたからなんです。

 実を言うと、娘が着ていくという浴衣は、私が新婚当初自分で縫って着ていたもの。娘が成人した時にこの浴衣をあげましたが、娘も1,2度着ただけらしいので、とてもキレイでした。洋服はすぐに着れなくなりますが、着物は4,50年経っても着れるんですね。スゴイです。 私のは…これは浴衣ではありません。間違いなく夏物ですが、私の知っている「紗」でも「絽」でもないし…すると、娘がネットで調べて「上布」じゃあないかと言う。それでは修了式に行って先生に聞いてみようということで、二人で出掛けたのでした。

 「浴衣」「上布」ともに夏の季語です。上布は、薄地の良質な麻織物。雪晒しでも知られる越後上布や紺地絣・白地絣・赤縞を特徴とする薩摩上布が有名。ということは、これは薩摩上布ではないかと思うのですが…。

  張りとほす女の意地や藍ゆかた   杉田久女

  生き堪へて身に沁むばかり藍浴衣  橋本多佳子

  上布著てこの身世に古る思ひかな  松尾静子

 私は帯を結ぶのには自信がないので、娘のところで一緒に着付け…慣れないことをするものだからもう汗ダクダクです。どうにか11時からのパーティーに間に合うように着れました。イザ、出陣…そんな気分で~す。

 久し振りの方々にご挨拶をして、先生にこの着物のことを聞くと、やはり〝上布〟でした。着付けも上手ですよと褒められましたが…襦袢、帯揚げ、帯紐がイマイチ…これが揃えば満点なのにね~と。そうなんです。急遽のことなので、着物と帯以外は夏用のものを持っていなかったからなんです。本当に昔の人は大変!こんなに暑苦しいものを着て、過ごしていたんですからね~。敬服します。いい着物だから娘さんが今度はもらったらいいわよと先生。ウン、形見に貰ってね~などと話が弾みました。お母さんありがとう!もっと早くに着物に関心を持っていたら…と思うことしきりでした。

 写真は、娘の浴衣の後ろ姿(帰りにとうとう雨が降りだし…)、上布と私の着物姿(顔はゴメンナサイ…)、修了式パーティーの様子、パーティーが終って二人でティータイムのケーキセット。美味しかったよ~。

 今日は今から、ウインブルドン準々決勝戦の錦織選手を応援するため、ブログ早く書き上げましたよ~。スゴイでしょ!

 

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兼題の〝汗〟ならぬ〝冷や汗〟

2018年07月10日 | 俳句

 今朝、西日本豪雨の影響で高速道路・一般道路が通行止めのため、宅配牛乳の納品が出来ないというお詫びのチラシが入っていました。エエッ、こんなところにまで影響が出ているんだと思いました。

 呉の叔父さんのところに電話すると、やはり交通網が全くダメで病院に通うのも困ると…もちろん食べるものも。また、知人などにも電話してみるとまず水がないのが一番困ると。呉にいらっしゃる先生のお宅では先ほどやっと水道が使えるようになったので安心したと仰っていました。

 テレビではとうとう死者150人超で、安否不明の方も50人以上はいると報道しています。どんどん被害が拡大していってまさかこんな大惨事になるとは夢にも思いませんでした。被災された方々には申し上げる言葉が見つかりません。こんな時ってホントに無力ですね。

 今日は先週の教室が台風で変更になったので、二教室合同の句会でした。総勢20人ですが、欠席4人の16名。急遽の合同でしたので、兼題は別々の、「夕立」と「汗」でした。

 それよりも、昨日は夜9時過ぎから錦織選手のウインブルドン4回戦がありましたので、それを必死に応援してブログ書くどころではありません。というより今日の資料がまだ出来上がっていないのに、です。でも、応援した甲斐あって、ベスト8ですよ。11日には準々決勝戦です。また応援しなくっちゃ!忙しいですよ。サッカーにテニスと夜中の試合が続いたでしょう。勝つのは嬉しいけど…身が持ちません、寝不足になって。でも今しかないんだから見逃したくないですよね~。ガマン、ガマン!

 終ったのが1時30分ごろ…もう眠くって眠くって、教材のプリントを仕上げるどころではありませんでした。ああ、朝早く起きてやろう…と思ったのがいけませんでした。日曜日にはイベントがあって、娘と出かけましたし…なにやかやと疲れが溜まっていたのでしょう。早く起きるどころか普通よりも遅くなってしまい、朝食後すぐにパソコンを開いて取りかかったのですが、それからがいけませんでした。パソコンがフリーズしてしまい、にっちもさっちもいかなくなったんです。資料の付け加えたデータもまだ保存していなかったし、強制執行して一からやり直せばデーターは消えてしまいます。もちろんプリントも出来ません。もうお手上げです!

 いつもは13持30分からですが、多いので30分早めていましたので…ああ、どうしょうと、時間が刻々と過ぎて本当に焦ってしまいました。しばらくそのままに置いていたら戻るかもしれないと主人が言うので、先に出掛ける用意を済ませたんですが、何も変わりませんでした。もうギブアップかなと諦めかけていたら、主人があれこれと操作してくれて…ギリギリのところで戻りました。もう昼ご飯どころではありません。とにかくしあげてプリントとコピーをして、会場に着いたのが13持1分過ぎ、セーフ!でした。

 ああ、疲れました。家に帰ったらもう何もしたくない心境、パソコンも見る気がしません。しかし、昨日も書いていませんので、やっぱり書いておかなくっちゃと思って書き上げました。

 さあ、今日は何か写真が…ありませんので、ゴメンナサイ!句会のことはまたですね。

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〝出水〟の西日本列島

2018年07月08日 | 俳句

 もう西日本は大変なことになってしまいました。昨日までは死者40人ちょっとの報道でしたのに、どんどん増えて、今日先ほどのニュースでは死者80人あまり安否不明者60人弱と…このままだと優に100人を越えてしまうのではと心配でなりません。

 ニュースなどを見て大分の弟が〝宇部の方は大丈夫なん?〟と電話をくれました。以前は台風や大雨などで山口県のことが報道されると、真っ先に母が心配して電話を掛けてきました。もうその母もいなくなりましたが、でもまだ心配してくれる兄弟がいるということはアリガタイことです!

 相変わらずニュースは洪水のことばかり…それを見ていたら義母から電話。こんな夜に…どうしたん、何かあったの?と聞くと、主人に代わってと言う。何ごとかと思っていると、広島呉市にいる叔父さんのことでした。

 母の実家なんですが、家の横に小さな川が流れているのです。その川が氾濫して、上の方から土砂や車などが流されてきて…エエッ、じゃあ家は?と聞くと、大丈夫だったけれど、流れてきた大きな岩が門の前を塞いで出入りが出来なくなったんだと。反対側の畑は土石が流れ込んで埋まってしまったが、皆無事だからと…ああ、よかった、ホッとしました。

 母の実家は呉市吉浦というところで、このあたりの住宅地はみな崖の上から海岸へ向かって切り開かれた傾斜地にありますので、台風や洪水のときはとても心配なのです。

 私が嫁いで初めての墓参りでした。11人だったかしら、一つの墓標に同じ命日で名前が刻まれていたんです。昭和20年でしたので、原爆なのかと思ってしまったのですが、9月でしたからなぜと聞くと、終戦直後の台風で、この吉浦一帯は土石流で押し流され埋まってしまったんだそうです。その時、母の両親、長兄夫婦にその子供たち、おまけに近くに住んでいた次兄の家族までが危ないから(次兄の家にいたら無事だったと…)と言って避難してきて、全員が一緒に流されて亡くなったんだそうです。一番末の弟の叔父さんは戦地からまだ戻っていなかったので助かったと。この話を母から墓参りに行く度に何度も聞きました。

 この台風は、室戸台風、伊勢湾台風と並んで昭和の三大台風のひとつに数えられる〝枕崎台風〟です。調べてみると、「被害者の内訳は死者2,473人、行方不明者1,283人、負傷者2,452人。終戦直後のことであり、気象情報が少なく防災体制も不十分であったため、各地で大きな被害が発生した。特に広島県では死者・行方不明者合わせて2,000人を超えるなど被害は甚大であり、原爆の惨禍に追い打ちをかけた。また、柳田邦男のノンフィクション小説『空白の天気図』の題材にもなった。」と。(Wikipedia)

 特に広島県の死者・行方不明者合せて2000人余りのうち、呉市の土石流で亡くなったのが1156人…。母は幼い主人を背中に負って、土石の中から死体を掘り出しては…義父はまだ戦地でしたので…埋葬、といっても火葬場などは使えなくて、残っている近所の人たちと穴を掘ってはそこで臨時の火葬をしたと…その時はもう人間らしい感情というものはなく、だた〝やらなくっちゃ〟という義務感だけで必死に働いたそうです。だって暑いから早くしないと腐敗が始ってしまうと、淡々と話す母を、私はただ黙ってウン、ウンと頷いて聞くことしか出来ませんでした。こんな苦しみを乗り越えてきた母ですから本当に強いです。心から尊敬しています。私の母も辛抱強くて逞しかったけど、本当にこの時代の人たちは、特に女性は強いですね。自分が歳を取ってくるに従って、見倣わなくてはと思うのですが、到底足元にも及びません。その義母ももうすぐ白寿になります。

 ところで、この梅雨期の豪雨により、河川の氾濫することを「出水」(でみず)といって、夏の季語です。台風による出水は「秋出水」といいますので気を付けましょう。

  一夜さに出水一湾濁したり    千田一路

  目のついてゆけぬ迅さの出水川  藤崎久を

 写真は、宇部の中津瀬神社にある「龍吐の名水」とその説明。雨の中で撮りましたのでいよいよボケていますね。ゴメンナサイ!

 

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今日は〝七夕〟?

2018年07月07日 | 俳句

 今日は7月7日、「七夕」です。でも、俳句では旧暦の7月7日の行事で、五節句の一つとして秋の季語になっています。しかし、現在では新暦の7月7日や月遅れの8月7日に行うところが多いですね。こちらでも殆ど新暦で行っていますので、彦星と織姫や天の川などが見られるということは滅多にありません。今宇部は雨が降っていませんので、先ほど外に出てみましたが、全く何も見えませんでした。ちなみに今年の旧7月7日は8月17日になっています。やっぱり七夕は星のよく見える秋でなくっちゃ意味ないと思うんですがね~。皆さんはどう思われますか?

  七夕や野にもねがひの糸すすき   小林一茶

  七夕の一粒の雨ふりにけり     山口青邨

  荒梅雨のその荒星が祭らるる    相生垣瓜人

 一茶の句は勿論のこと、青邨の句もきっと旧暦の七夕を詠んだものでしょう。しかし、瓜人の句はまさに新暦の七夕ですね。

 新暦ですれば、大体梅雨の明ける前ですから雨になることが多いのも仕方がありませんが、今年は先日来の大雨で、今日はあちらこちらでかなりの被害が出ています。山口県でも周南市や岩国市で土砂災害のため死者まで出ているようです。

 宇部の方は昼前から雨が上がって、日光まで差し始めました。風が吹いて蒸し暑くもなく、さらりとした過ごしやすい日でしたので、同じ山口県で被災された方々の様子をテレビで見ていると申し訳ない気持ちになります。

 そうしたら先ほどは地震の速報が…今度は関東で5弱とか?(詳しいことが分からないので、今ネットを見てみるとどうも震度はマチガイのようで…)もう本当に日本列島はあっちもこっちもズタズタですね。どうしたらいいんでしょうか?天の神様のなされるがまま…ということしか言えないのかしら!

 写真は「牡丹臭木」です。去年もブログに紹介して書いていますので省きますが、最初のは6月27日に撮った蕾です。その3日後と一週間後のものですが、私はちらほら咲き始めている3日後ぐらいの花が一番好きですね。

 

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千手和子さんを悼み

2018年07月06日 | 俳句

 今日も朝から梅雨前線の停滞で、断続的に強い雨が降り、宇部をはじめ山口県の各地には土砂災害発生の恐れがあると言うことで避難勧告が発令されました。大雨、洪水警報に雷注意報まで出されて、JRも宇部線、小野田線、美祢線などで運転見合わせ、高速道路も通行止めの所があちらこちらと…とにかくいろいろなところに影響が出ています。

 それで今日は外出を止め、おとなしく家で溜まった仕事や片付けなどをして過ごしましたが、テレビは一日中オウム真理教の松本智津夫死刑囚ら七人の死刑執行のニュースと集中豪雨の災害ばかりを報道していました。それを見ると福岡・山口だけでなく京都など、日本列島各地で記録的な大雨だということ…。

 家の中もこのまま降り続ければもう黴だらけになりそう。ああ~イヤダ、イヤダ!洗濯物も溜まって困ります。更に先日の停電の原因となったエアコンは毀れたままで、電気店に頼んでも取り付けは16日になるという、サッパリですよ。

 ところで、先日FAXに訃報が入ってきました。馬酔木の大先輩千手和子さんが6月28日に亡くなられていて、葬儀などは近親者のみでもう済まされたというお知らせでした。

 入院加療中ということも全く知りませんでした。以前は馬酔木の行事などでお会いしたり、通信句会でもご一緒したりしていましたが、最近はお会いする機会が殆どなくなっていました。私が第一句集『風聲』を出版したときは、「馬醉木」に選評を書いて載せて下さったし、第二句集を差し上げたときは、礼状がもう書けないので電話でご免なさいねと掛かってきて、いろいろお話ししたのが昨年の暮れでした。それが最後になってしまいました。本当に話好きな先輩で誰にでも気安く話して下さり、私のような新参者とも電話で話し込んでアッという間に時間が経ってしまったことも度々ありました。

 先月出された「馬酔木」7月号に以下の五句が掲載されていましたので、そんなに具合が悪いとは夢にも思っていませんでした。同人の投句は15日が締切なので、7月号は5月15日のもの。もしかしたら6月の分も投句されているとしたら今度の8月号に載るでしょうね。 

  遠山に雲湧きつげり初幟

  武者幟葡萄の丘を統べて立つ

  菖蒲湯や事多き世にかく生きて

  同じ日の来る幸せや桐の花

  話また昔に戻る葛ざくら

 日常の生活詠を淡々と詠まれて、どれも和子さんらしい句ばかりです。今までの人生を振り返り、平凡な一日一日を「同じ日の来る幸せ」と諾う穏やかな心情、さらに「話また昔に戻る」という古きよき時代…とはいってもきっと青春時代は戦中戦後で辛いことが沢山あったでしょうが、今はみなよい思い出ばかりが残り、それに包まれて食べる…「葛ざくら」が何ともやさしいですね。

 そういえば、以前「みどりの日」のタイトルで書いたブログ(平成29年5月4日)に和子さんの句を取り上げたことがありました。

  昭和史のおほかたを生きみどりの日

 来年の4月で平成も幕を閉じますね。だとすれば、さしづめこの句は〈昭和平成おほかたを生き…〉というべきかも…

 本名石山和子、昭和3年5月27日東京生、横浜市在住。昭和28年馬醉木入会、水原秋櫻子に師事。昭和41年中断、平成2年復帰して、水原春郎に師事。平成5年馬醉木新樹賞受賞。平成6年馬醉木同人。平成25年馬醉木賞受賞。享年90歳。合掌。

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〝蘇民将来〟

2018年07月05日 | 俳句

 昨日と打って変わって、今日は雨が一日中…まさに梅雨のまっただ中という感じでした。というより山口県では朝から大雨洪水注意報がテロップで何度も流されていました。宇部には出ていませんでしたが、下松などは1時間に86ミリの雨という観測史上最大を記録して、床上や床下浸水の様子がニュースで流れました。

 最近は日本のどこということなしにあちらこちらで〝ゲリラ豪雨〟が暴れているようで、ホントに困ったものです。

 昔から怖がられるものに「地震・雷・火事・親父」ということわざがありますが、今ではもう〝親父〟は完全に廃れてしまいましたよね。あとのものは天災なので仕方がありませんので、親父の代わりに「台風」や「ゲリラ豪雨」などに変えたらどうでしょうか。とにかく人間の力でどうすることも出来ないのが天災ですもの。神仏に心から祈りましょう。

 ところで、先日6月30日、〝夏越大祓〟で「茅の輪」を潜ってきましたが、その潜り方が書いてありましたので写真を載せましたね。その時〝蘇民将来〟を唱えて潜ると穢れが祓われて無病息災に過ごせるということでしたが、その由来が詳しく書いてある新聞を見つけましたので皆さんにも紹介しますね。

 北の国の武塔神が旅に出たところ、日が暮れてしまい、蘇民将来と巨旦将来の兄弟に宿を頼んだ。金持ちの弟の巨旦は断り、貧乏な兄の蘇民は粟飯で歓待した。年を経て武塔神は巨旦の一族を皆殺しにする。武塔神は告げた。「われはスサノオの神である。疫病がはやるとき、蘇民将来の子孫を名乗り、茅の輪を腰につけたものは免れるであろう」武塔神は疫病神だが、同時に疫病から人を守る神でもある。茅の輪や、蘇民将来の子孫と書かれた札を身に着ける風習が生まれた。長岡京の跡から、「蘇民将来之子孫」と書かれた札が出土しており、8世紀には信仰があったことがわかる。この茅の輪から、茅の輪くぐりの風習が生まれたとされる。

 写真は、去年茅の輪潜りの神事に参加したときにいただいたものです。今年のはいただきませんでしたので、ありません。

 

 

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台風一過

2018年07月04日 | 俳句

 台風7号は、3日夜から4日未明にかけて山口県に最接近しました。宇部市内は強い風雨の影響で、広範囲で停電し、土砂災害発生の恐れがあるため、全市に避難準備・高齢者等避難開始が発令されました。

 私の携帯にもその防災メールが入ってきました。しかし、今朝はもう落ち着いていて、それほど大きな被害もありませんでしたので、避難勧告もすぐに解除されました。電車もJR美祢線だけは全線運転を見合わせていますが、他はみな午前中に再開したものの多少ダイヤに乱れが生じているとのこと。台風一過とまではいきませんでしたが、朝から青空が見えていました。しかし、だんだんと曇ってきて、まだまだ梅雨が明けるという感じはありません。とにかく蒸し暑~い一日となりました。

  巣箱もろとも倒木の台風過     森田峠

  台風一過倒木蟻を噴き出しぬ    鵜飼直子

 わが家はこの句ほどではありませんでしたが、柿の枝が折れたり実が飛び散ったり、他の木も倒れることはありませんでしたが、枝や葉があちらこちら庭中に散らばっていました。結局は皇帝ダリアが4本折れてダメになったぐらいで済みましたが…。

 そうしたら先ほどニュースで、早くも台風8号の進路などを放送していましたよ。ちょっと発生が早過ぎませんかね?これでは息つく暇がないじゃないですか。もしかしたら今年は台風の当たり年なのかも。もしそうならこれは本当に大変なことですよ。

 考えてみれば、去年は今度こそ…今度こそ来ると待ち構えて(?)いましたが、いつもすっぽかされて(笑)…嬉しい悲鳴を挙げていましたもの。だから今年は本気で構えておかないといけないような気がしています。これはもう神仏に祈るしかないですね。 

 今週は火曜日の句会がなくなった分とてものんびりしていますが、その代わり来週が大変です。早めに準備をしておこうかな!

 

  

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台風7号

2018年07月03日 | 俳句

 予報がずれて強い台風7号は、7月3日今日夜遅くに山口県へ最接近するようです。そのため宇部では朝から大雨、雷、強風、波浪警報が出て、市内小中学校はもちろんのこと高校までが早々と休校になっていました。

 夕方ちょっと外に出ると雨は小降りになっていましたが、風が強く、皇帝ダリアが高くはなっていないのでまだ大丈夫かと思っていましたが、下の写真のようにもう2,3本倒れていました。 

 それはそうと、昨日は夕方から8時前まで停電で…これは早くも台風の影響かしらと思ったんですが、みるとわが家だけの停電。慌てましたよ。業者にいくら電話しても繋がらず、おまけに懐中電灯は電池が切れそうだし…と、主人は急いでスーパーに買いに行きました。私は蝋燭を着けて、調べてくれるという電気が専門の知人を待っていました。こういう時のオール電化は本当にお手上げですよね。携帯があってほんとうに良かった!

 主人が帰ってくるより先に知人が来てくれましたのでホッとしました。今までにもテンパールが落ちることはよくありましたが、全部が停電というのは、台風などの電力会社の停電ぐらいでしたから。このまま朝まで過ごさなくてはいけないかもと考えただけで不安でした。おまけに台風でしょう、そうそう業者も来てはくれませんしね。

 以前私が初心の頃に詠み、第1句集に収めた次の句を思い出してしまいました。

  蠟燭に顔突き合はす野分中

 ほんとに良かったです。電気が着いたときは感謝!感謝です!

 そういうわけで、昨夜はブログ書いたら疲れてしまい、サッカーは見ずに寝てしまいました。今朝ニュースで見てみると、2-3で惜敗と。後半に2-0となった時はもう勝ったと思ったでしょうね。その後2-1,2-2と追い詰められながら…最後のロスタイム4分の終盤で逆転と…。もし起きて見ていたらきっと悔しくて、私は眠れなかったことでしょう。でもみんないい試合だったと…選手も力を出し切ったと言っていましたから、先日のようなモヤモヤ感は残らなかったでしょう。ヨカッタ、ヨカッタ!みなお疲れ様です。

 ところで、昨日の7月2日を「一年のヘソ」とY新聞にありましたので書いたのですが、昔から「6月30日」をそう言うと…。要するにどっちにしても「一年のヘソ」とは、一年のちょうど真ん中、半季の終わりに当たるということですね。

 また、この「台風」というのは秋の季語で、昔は「野分」(のわき)と言っていました。ところが発生するのが年々早くなって、今では秋だけではなくなってしまいました。こんな時〝夏の台風〟とは詠みづらいですよね。だったら夏の季語と認定するかというと、毎年10月頃まで台風は来ますので秋の方がメインとも。どっちも間違いではありませんので、指導するときいつも困ってしまう季語の一つなんです。歳時記をとるか、現実をとるか…。私はもうそんなことに拘らずに「台風」「野分」のイメージが生かされて詠めていればいいのではないかと、そう思うようになりました。そんな季語もあるかと…。

  野分中つかみて墓を洗ひをり  石田波郷

  先んじて風はらむ草颱風圏   遠藤若狭男

 このように地球温暖化のせいで変化するという季語はこれからはますます増えていくのではないでしょうか?今後の季語の扱い方の大きな課題の一つになるような気がしますね。

 写真は、先日の〝茅の輪〟潜りに行った中津瀬神社に奉納されていた硯の「赤間石」です。そこにノラ(?)猫が雨宿りをしていました。

 

 

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〝半夏生〟と〝半夏生草〟

2018年07月02日 | 俳句

 今日、7月2日は1年365日のヘソ、すなわち真ん中だそうですが、俳句の季語では「半夏生」(はんげしょう)といいます。

 二十四節気七十二候のうち、夏至の三候。サトイモ科の半夏が生じるので、この名があると言われています。「半夏」とは、以前ブログに写真を載せました「烏柄杓」(からすびしゃく)のことです。「半夏半作」といわれて、かつてはこの日までに田植を終えるものとされていました。また、この日はさまざまな禁忌があり、物忌みをする風習がありました。また、この日の雨を「半夏雨」といい、降れば大雨が続くと言われています。

  卓上日記いま真二つ半夏生    鈴木榮子

  磐梯をしんそこ濡らし半夏生   阿部みどり女

 ところで、この時候の季語「半夏生」とよく間違われるものに、植物の「半夏生」があります。これはドクダミ科ハンゲショウ属の臭気のある多年草。名前の由来は、半夏生(太陽の黄経が100°になる日。グレゴリオ暦で毎年7月2日頃)の頃に花を咲かせるからという説と、葉の一部を残して白く変化する様子から「半化粧」とする説があります。また、葉の片面(表面)だけが白くなることから古くは「片白草」(かたしろぐさ)とも呼ばれていました。この「半夏生」を句に使いたいときには、花と分かるように「咲く」を付けたり、「草」を付けて「はんげしょう」と読ませたりしていますので、気を付けて詠みましょう。

  半夏生咲かせ半信半疑かな   山田みづえ

  片白の何をたくらむ半夏生草  松岡心実

 この写真はわが家の「半夏生草」です。去年主人が草と一緒に刈ってしまってなくなっていたところに、1、2本残っていたのがやっと1本花を咲かせました。ジンジャーの中に埋もれたように咲いていました。最初の写真は、6月11日、まだ花が小さな蕾なので葉が白くなっていません。次が6月22日で、花がしっかりしてきたので葉が白くなりました。最後のが6月25日のもので、花が開いています。

 台風7号が明日の午後から夜にかけて山口上空を通過するという気象情報が出ています。それで、明日の句会は1週間後に変更しました。ワールドカップ決勝トーナメントベルギー戦も夜中の3時からと…どうしょう?眠くなって寝てしまうかも…。もし勝つなら見たいし、負けなら見たくない…そりゃ誰でも同じですよね~。でも、そのハラハラドキドキがLIVEの醍醐味なんだから。録画じゃ勝利の喜びなんか半減しますものね。  

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