落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

改憲へ

2013年05月03日 | 政治・外交
「尖閣に中国軍機が40機超飛来、前代未聞」(4月27日)というニュースがあった。
シナは尖閣に「核心的利益」ありと称して威嚇を繰り返している。シナにとって「核心的利益」は日本にとっても同様。しかも歴史に鑑みても日本の領土であることに変わりない。
70年代尖閣の地下に資源があると発表されてからシナは尖閣はわしのものと言い始めた。
戦争放棄、自衛のための武力行使が曖昧な日本の憲法を知り尽くした上での恫喝だろう。

日本国憲法は全くめちゃくちゃな憲法・・・
教科書が語らない「憲法制定」の真実 埼玉大学名誉教授・長谷川三千子 2013/04/30 03:15
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/650444/

【正論】「国民の憲法」考

 わが国では戦後ながらく、憲法についての思考停止状態がつづいてきました。昨今はそれが少し解消したかのようにも見えますが、基本的な点では、ほとんど何も変わっていません。
産経新聞が新しい憲法案「国民の憲法」要綱を発表しましたが、いくらよい憲法案を作っても、この思考停止が解けない限り、本当の「国民の憲法」は実現しないでしょう。
それを解決するのには、何よりも大切なのが正しい憲法教育なのですが、現状はいささかお粗末と言わざるを得ません。

 ≪素通りの「誰が作ったか」≫

 昨年たまたま、或る出版社のご好意によって、その年出版された中学公民の教科書をいくつか見る機会がありました。
いずれもきれいな写真が沢山のった観光パンフレットと見紛うような美装本で、かつての社会科教科書とは様変わりしていましたが、その中身は、ほとんどいずれも、敗戦直後の中学教科書『あたらしい憲法のはなし』を一歩も出ていない。
むしろ或る意味で思考停止ぶりが深まっているとすら言えるのです。

 かつて『あたらしい憲法のはなし』は、日本国憲法の成立についてこんなことを語っていました。

 「これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、国民にあたえられたものです。
しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本国民がじぶんでつくったもので、日本国民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります」。
もちろんこれは大ウソです。新憲法は「日本国民が自分でつくった」ものではなく、占領者の作った草案を日本人が「自由に」修正することも許されなかった。
しかし昭和22年、占領下の日本にはそのことについてウソをつかない自由すらなかったのです。

 では、ウソをつく必要のなくなった平成24年の教科書はどんな風に日本国憲法の成立を語っているのか。例えば清水書院の教科書はこんな言い方をしています。
「ポツダム宣言にもとづいて、憲法の改正を求められた日本政府は、連合国軍総司令部から民主主義を基本とする憲法案を示された。これをもとにつくられた改正案が、新たに20歳以上の男女による普通選挙で選ばれた国会で審議・議決されて、日本国憲法が誕生した」

 たしかに、ここにはウソは書かれていません。しかし本当のことも書かれていないのです。この文章がすべて「られた」「された」と受動態で書かれていることにお気付きでしょうか。
いったい、この憲法は誰が作ったのか、という肝心の問いを、この執筆者は完全に素通りしているのです。
 ≪主権なき中で主権うたう矛盾≫

 同時に、連合国軍総司令部が日本政府に憲法案を(示しただけでなく)強制したこと。
総司令部が厳しい検閲によって、そのことを一切日本国民に知らせなかったこと。
そうした事実も全く語られていません。
それに言及しているのは自由社と育鵬社のみなのですが、この2社ですら、当時の日本は軍事占領下にあって国家主権を奪われていた、という事実については、一言も語っていません。

 占領を解かれて半世紀以上もたっているのに、どうしてこんな風にすべての教科書が本当のことを避けているのでしょうか。
それはもし日本国憲法の成立について本当のことを語ってしまうと、それにつづく話がすべてめちゃくちゃになってしまうからなのです。

 どの教科書も、日本国憲法の三大原理として「国民主権、平和主義、基本的人権」をあげています。
その第一の「国民主権」とは、「国の政治のあり方を最終的に決める力(主権)が国民にあるということ」と説明されています。
当然それは憲法を改正したり制定したりする力でもあるはずです。
ところが、日本国憲法自体は「主権」が完全に奪い去られた状態で制定された--ということになると、まるで訳のわからない話になってしまいます。

 ≪事実示し考えさせる教育を≫

 公民教科書では「国民主権」と「国家主権」とが完全に別物のようにして扱われていますが、もともとは同じ一つの概念の内側と外側といった関係です。
実は、そもそも「国民主権」とは、フランス革命における、王を殺して国民が権力を奪うのが正義だ、という思想に基づく、問題のある政治原理なのですが、なににせよ「国家主権」のないところでは「国民主権」も成立しえないのです。

 さらに言えば、国家が一切の力を放棄するという日本国憲法の「平和主義」は、国家主権の放棄であり、そこでは「国民主権」が成り立たないどころか、近代憲法自体が成り立ちません。国民の「基本的人権」を守ることも不可能となります。

 つまりこんな風に、日本国憲法は全くめちゃくちゃな憲法なのです。
その衝撃の事実をありのままに子供達の目の前にさらけ出すこと--本当の考えさせる憲法教育はそこから始めるべきでしょう。
(埼玉大学名誉教授・長谷川三千子=はせがわ・みちこ)


改正の発議要件 3分の2→過半数 「国民の憲法」要綱 2013/04/26 13:25
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/dompolicy/649615/

「国民の憲法」要綱
 産経新聞は創刊80周年と「正論」40周年の記念事業として進めてきた「国民の憲法」要綱をまとめ26日、発表した。

【第十二章 改正】
 第一一七条(憲法改正の手続きおよび公布) この憲法の改正は、各議院の総議員の過半数の議決により、国会が国民に提案して、その承認を経なければならない。この承認には、憲法改正のための国民投票において、有効投票の過半数の賛成を必要とする。
  2 憲法改正について、前項の承認を得たときは、天皇は、直ちにこれを公布する。

≪解説≫
 改正の章では、「国民の憲法」の改正に必要な手続きを定めた。現行憲法は施行以来、一度も改正がなく世界でも指折りの古い憲法と化している。

 その原因は「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」とした第96条にある。

 衆議院と参議院でそれぞれ総議員の3分の2以上の賛同がなければ、発議すらできない。裏返せば「参議院でわずか3分の1超の議員が反対すれば、憲法改正は不可能」という高いハードルで、安倍晋三内閣もここから正していくべきだという考えだ。

 起草委員会の議論でも「憲法は状況に応じて柔軟に対応し何度でも改正を図れるものであるべきだ」といった意見が出された。

 「国民の憲法」の条文では「この憲法の改正は、各議院の総議員の過半数の議決により、国会が国民に提案して、その承認を経なければならない。この承認には、憲法改正のための国民投票において、有効投票の過半数の賛成を必要とする」となった。過半数とすることに、起草委員会から異論は出なかった。

 現行憲法第96条に関しては、7月に予定されている参院選の争点となることが必至で、国会でも改正機運が高まっている。

 自民党に続いて橋下徹共同代表率いる日本維新の会も第96条の改正の必要性を強調。一方、民主党は改正に消極的な見解を重ねて示している。

 ■現行の条文
 第九章 改正
 第九六条(憲法改正の発議、国民投票及び公布) この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
 2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
世界の保安官アメリカも中東、アフガン、と手を広げすぎ、日中有事の際、日米同盟が機能するのだろうか。
米自身、経済も衰退気味という。EU連合も一枚岩ではなく世界は多極化している。
そんな中、安倍・麻生コンビが着々と外交成果を上げつつある。
憲法を改正し普通の国になるところを目の黒いうちに見たいものだ。

自民党の公約・・・(自民党ホームページより)
自民党は新しい憲法草案を提示しています。
①国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つの原理は継承
②わが国は、日本国の元首であり、日本国および日本国民統合の象徴である天皇陛下を戴く国家であることを規定
③国旗は日章旗、国歌は君が代とする
④平和主義は継承しつつ、自衛権の発動を妨げないこと、国防軍を保持することを明記
⑤家族の尊重、環境保全の責務、犯罪被害者への配慮を新設
⑥武力攻撃や大規模自然災害に対応した緊急事態条項を新設
⑦憲法改正の発議要件を衆参それぞれの過半数に緩和