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亡父が所属していた高砂市荒井神社ボルネオ会慰霊祭に参列した。
楠の緑陰の下、忠魂碑に祭壇が設けられ粛々と行われた。
数年前には戦没者の奥様もおられたという。
長年主催されてきた荒井神社様は大変だったろうと思う。
亡父(1999年没)は幸いにも生還し、元気な頃はこの戦友会に参加していた。
昨年戦後70年で一区切りされた。
今年以降は毎年8月11日「山の日」に会食なしの自由参加となった。
10名足らずと少なくなったが、なかに初めて来たという女性がおられた。
戦死した父親がここに祀られていることを偶然知ったと涙ながらに語っておられた。
亡父は折に触れて「支那広東ではなぁ・・・」「ボルネオのジャングルはなぁ・・・」と戦争体験を語っていた。
子供の私は正直「また始まったか」と思ったりしたが、この女性(私と同じ1944年生まれだった)や何度も遺骨収集や慰霊に現地に行った方々の話を聞くと、なんと罰当たりな子供だったなぁと恥ずかしい。
昭和46年、先代荒井神社宮司広瀬正三氏が独歩367大隊の足跡として戦友や遺族の手記を編纂され、「あゝボルネオ」「続・あゝボルネオ」が貴重な記録として残った。
現在は関係者か国会図書館ぐらいにしかない。
数年前、お許しを得て拙ホームページに転載させていただいた。
ご一読いただければ幸いです。↓
http://kansai.me/tdym/ww2nd/WWII_brn_shuki.htm