中国の新疆ウイグル自治区で、ウイグル人が中共によって弾圧され滅亡の憂き目に遭っている。
歴史を見てみると、
かつては、中央アジアの平原で遊牧国家を作った時期もあったが、ウイグル帝国が瓦解、モンゴル帝国の支配下に入ったりした。18世紀には清朝に征服され、19世紀には新疆省となった。
20世紀前半、中華民国のもとで東トルキスタン共和国の建国がはかられたが、国共内戦で中国共産党に帰順し、新疆ウイグル自治区となった。
1980年代、民族独立の動きもあったが、中国当局は厳しく取り締まり、2016年、ITによる「完全監視社会」下になっているという。(Wikipedia)
中国当局は、「テロ対策」「国家分裂防止」「過激派取り締まり」などの法律により合法的にウイグル人殲滅をはかっている。その規模はかつてのナチ以上といわれている。
チベットに対する弾圧も同様、中国共産党体制の崩壊が待たれる。
歴史を見てみると、
かつては、中央アジアの平原で遊牧国家を作った時期もあったが、ウイグル帝国が瓦解、モンゴル帝国の支配下に入ったりした。18世紀には清朝に征服され、19世紀には新疆省となった。
20世紀前半、中華民国のもとで東トルキスタン共和国の建国がはかられたが、国共内戦で中国共産党に帰順し、新疆ウイグル自治区となった。
1980年代、民族独立の動きもあったが、中国当局は厳しく取り締まり、2016年、ITによる「完全監視社会」下になっているという。(Wikipedia)
【正論】「文明の衝突」生むウイグル弾圧 文化人類学者静岡大学教授・楊海英
https://www.sankei.com/column/print/180920/clm1809200004-c.html
写真:静岡大学の楊海英教授(寺河内美奈撮影)2018.9.20 11:30
中国最西端の新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)でウイグル人たちが多数、再教育センターと称される強制収容所に拉致監禁されている。各国の報道によると、その数は優に100万人は超えるという。総人口約900万人のウイグル人にとって、実にその1割程度が完全に自由を失ったことになる。強制収容所内では習近平語録を暗記させられたり、中国の国歌を歌わされたり、場合によっては拷問をかけられて死亡する事態に発展している。
≪人口の逆転で抑圧を強める≫
強制収容所の存在は、ウイグル人の「民族の受難」を物語っている。1944年、パミール高原以東のオアシスと草原地帯でウイグル人とモンゴル人、それにカザフ人の3民族を主体とする民族革命が勃発。中国とは全く別の独立国家が建立され、ソ連邦への加入を理想とする東トルキスタン共和国が成立した。そこへ49年に人民解放軍が進撃。東トルキスタン共和国の指導者たちも毛沢東の招請を受けて北京に向かうが、「飛行機の墜落」で謎の死を遂げる。かくして東トルキスタン共和国は潰(つい)え、漢民族が多数を占める中華人民共和国に編入された。
中国政府がウイグル人にかぶせた「罪」は「民族分裂」と「過激なイスラム信仰」それに「テロ行為」だ。「民族分裂」の事実はなく、多少の抗議活動があっても、それは政府の民族政策に原因があったからだ。
最も典型的な抑圧政策は人口の逆転だ。中国に編入された当初、漢民族はわずか29万人だったのに対し、現在では既に1000万人に達し、先住のウイグル人とカザフ人、それにモンゴル人をはるかに凌駕(りょうが)している。あとからの入植者である漢民族には先住民に対する敬意など毛頭なく、オアシスからウイグル人を追放して屯田し、草原からカザフ人とモンゴル人を放逐して農耕地を開拓している。こうした民族政策に異議を唱えるとすぐさま「民族分裂的活動」だとして弾圧するのが、北京流の「民族自治」である。
≪中国は諸民族の「牢獄」と化した≫
パミール高原以東の住民がイスラムに改宗した時期は遅く、15世紀までのトルファンではモスクと仏教の寺院が向かい合って建つほど、さまざまな宗教が平和共存していた。ウイグル人のイスラム信仰も過激な思想や行動を生んだ事実はなく、土着のシャーマニズム信仰と融合し、異教徒に対しても寛容な態度を取ってきた。その点は、中国人自身が常に「ウイグル人女性は胸を大きく露出した衣装を纏(まと)って踊る」と表現する他者認識にも現れている。
そして「テロ行為」だが、ウイグル人とカザフ人も確かに中国政府の民族政策に不満を爆発させたことはある。1962年春に自治区最西端のイリとタルバガタイ地域に住む少数民族が大挙して越境してソ連領に入った。その数は6万人に達したが、人民公社の公有化政策で貧困化が進み、遊牧民の強制定住が原因だった。
このとき、中国本土で既に4000万人もの漢民族の農民が餓死していた事実が、公有化政策の失敗を雄弁に物語っている。独立ないしはソ連邦の一員になっていたら幸せだった、という見方はウイグル人の脳裏に消えずに残っており、中国は事実上、諸民族にとっての「牢獄(ろうごく)」と化した。
≪「火薬庫」となる新疆問題≫
冷戦崩壊後の国際社会において「地域の政治は民族中心の政治に、世界政治は文明を中心とする政治になる」と、政治学者のサミュエル・ハンチントン教授は96年に「文明の衝突」を上梓(じょうし)して唱えた。
新疆における中国政府とウイグル人などとの対立は、今やまさに文明の衝突の様相を呈しつつある。それはイスラム対儒教、遊牧対農耕、という文明間の対立を背景としている。いくら緩やかな信仰とはいえ、ウイグル人はイスラム世界の一員であるし、弾圧が強まるほど信仰もあつくなる。そして、全世界のイスラム教徒たちの目には、儒教信者が侵入してきて植民地体制を敷いていると映るだろう。
中国政府は国連常任理事国の地位を悪用して、アメリカが主導する国際的な「反テロ」のキャンペーンをウイグル人に適用し、自らの民族弾圧を正当化してきた。カザフ人とモンゴル人も最初は自身に及ばない限り、見て見ぬふりをしてきたが、今やカザフ人もウイグル人と同様な苦境に追い込まれている。国境を隔てて隣国のカザフスタンに住む親族と交流しただけで、逮捕監禁されている。モンゴル人は既に昨年秋から母語による教育権が剥奪されている。
問題は現地に入植した漢民族の人々だ。「物ごいだろうと、エリートだろうと、漢民族は常に政府側に立って民族抑圧政策を擁護する」と識者は指摘する(王力雄『私の西域、君の東トルキスタン』)。漢民族が差別思想を改め、ウイグル人が地域政治の中心とならない限り、新疆問題はますます「文明衝突の火薬庫」に発展するだろう。(文化人類学者静岡大学教授・楊海英 よう かいえい)
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何度か独立の機会が有りながら、陸続きの大陸ならではの栄枯盛衰。https://www.sankei.com/column/print/180920/clm1809200004-c.html
写真:静岡大学の楊海英教授(寺河内美奈撮影)2018.9.20 11:30
中国最西端の新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)でウイグル人たちが多数、再教育センターと称される強制収容所に拉致監禁されている。各国の報道によると、その数は優に100万人は超えるという。総人口約900万人のウイグル人にとって、実にその1割程度が完全に自由を失ったことになる。強制収容所内では習近平語録を暗記させられたり、中国の国歌を歌わされたり、場合によっては拷問をかけられて死亡する事態に発展している。
≪人口の逆転で抑圧を強める≫
強制収容所の存在は、ウイグル人の「民族の受難」を物語っている。1944年、パミール高原以東のオアシスと草原地帯でウイグル人とモンゴル人、それにカザフ人の3民族を主体とする民族革命が勃発。中国とは全く別の独立国家が建立され、ソ連邦への加入を理想とする東トルキスタン共和国が成立した。そこへ49年に人民解放軍が進撃。東トルキスタン共和国の指導者たちも毛沢東の招請を受けて北京に向かうが、「飛行機の墜落」で謎の死を遂げる。かくして東トルキスタン共和国は潰(つい)え、漢民族が多数を占める中華人民共和国に編入された。
中国政府がウイグル人にかぶせた「罪」は「民族分裂」と「過激なイスラム信仰」それに「テロ行為」だ。「民族分裂」の事実はなく、多少の抗議活動があっても、それは政府の民族政策に原因があったからだ。
最も典型的な抑圧政策は人口の逆転だ。中国に編入された当初、漢民族はわずか29万人だったのに対し、現在では既に1000万人に達し、先住のウイグル人とカザフ人、それにモンゴル人をはるかに凌駕(りょうが)している。あとからの入植者である漢民族には先住民に対する敬意など毛頭なく、オアシスからウイグル人を追放して屯田し、草原からカザフ人とモンゴル人を放逐して農耕地を開拓している。こうした民族政策に異議を唱えるとすぐさま「民族分裂的活動」だとして弾圧するのが、北京流の「民族自治」である。
≪中国は諸民族の「牢獄」と化した≫
パミール高原以東の住民がイスラムに改宗した時期は遅く、15世紀までのトルファンではモスクと仏教の寺院が向かい合って建つほど、さまざまな宗教が平和共存していた。ウイグル人のイスラム信仰も過激な思想や行動を生んだ事実はなく、土着のシャーマニズム信仰と融合し、異教徒に対しても寛容な態度を取ってきた。その点は、中国人自身が常に「ウイグル人女性は胸を大きく露出した衣装を纏(まと)って踊る」と表現する他者認識にも現れている。
そして「テロ行為」だが、ウイグル人とカザフ人も確かに中国政府の民族政策に不満を爆発させたことはある。1962年春に自治区最西端のイリとタルバガタイ地域に住む少数民族が大挙して越境してソ連領に入った。その数は6万人に達したが、人民公社の公有化政策で貧困化が進み、遊牧民の強制定住が原因だった。
このとき、中国本土で既に4000万人もの漢民族の農民が餓死していた事実が、公有化政策の失敗を雄弁に物語っている。独立ないしはソ連邦の一員になっていたら幸せだった、という見方はウイグル人の脳裏に消えずに残っており、中国は事実上、諸民族にとっての「牢獄(ろうごく)」と化した。
≪「火薬庫」となる新疆問題≫
冷戦崩壊後の国際社会において「地域の政治は民族中心の政治に、世界政治は文明を中心とする政治になる」と、政治学者のサミュエル・ハンチントン教授は96年に「文明の衝突」を上梓(じょうし)して唱えた。
新疆における中国政府とウイグル人などとの対立は、今やまさに文明の衝突の様相を呈しつつある。それはイスラム対儒教、遊牧対農耕、という文明間の対立を背景としている。いくら緩やかな信仰とはいえ、ウイグル人はイスラム世界の一員であるし、弾圧が強まるほど信仰もあつくなる。そして、全世界のイスラム教徒たちの目には、儒教信者が侵入してきて植民地体制を敷いていると映るだろう。
中国政府は国連常任理事国の地位を悪用して、アメリカが主導する国際的な「反テロ」のキャンペーンをウイグル人に適用し、自らの民族弾圧を正当化してきた。カザフ人とモンゴル人も最初は自身に及ばない限り、見て見ぬふりをしてきたが、今やカザフ人もウイグル人と同様な苦境に追い込まれている。国境を隔てて隣国のカザフスタンに住む親族と交流しただけで、逮捕監禁されている。モンゴル人は既に昨年秋から母語による教育権が剥奪されている。
問題は現地に入植した漢民族の人々だ。「物ごいだろうと、エリートだろうと、漢民族は常に政府側に立って民族抑圧政策を擁護する」と識者は指摘する(王力雄『私の西域、君の東トルキスタン』)。漢民族が差別思想を改め、ウイグル人が地域政治の中心とならない限り、新疆問題はますます「文明衝突の火薬庫」に発展するだろう。(文化人類学者静岡大学教授・楊海英 よう かいえい)
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中国当局は、「テロ対策」「国家分裂防止」「過激派取り締まり」などの法律により合法的にウイグル人殲滅をはかっている。その規模はかつてのナチ以上といわれている。
チベットに対する弾圧も同様、中国共産党体制の崩壊が待たれる。