落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

晩夏−2

2022年08月21日 | 日常・身辺
今朝は霧で明けた。

10時頃、弱い雨になった。
雲が流れて薄日が射すと木々に付いた雨露がキラキラと光っている。

昼にはまたどんよりした蒸し暑さが戻ってきた。
「ジージージャンジャン」という蝉の鳴き声は「ツクツクボーシ」に代わってきた。
鳴き声は結構強く、パタっと鳴きやむと耳鳴りのように頭のなかに残る。
共用階段(といっても、3階から上は自分だけだが)に蝉の死骸がころがるようになる。時々手ぼうきで掃いている。

団地も空き室が目立つ。どこかに蜂の巣ができたのだろうか、
ベランダ側のドアを開けていると、よく蜂が飛び込んでくる。
ひとしきり室内を飛び回り、窓の網戸の内側にはりついた。
子供の頃、後頭部を刺されたことがある、あの痛さは今でも覚えている。
「しょうがない奴だ・・・」、隙間を空けて逃がしてやった。

夏休みのはずだが子供を余り見かけなくなった。
今でも宿題に追われる夢を見ることがある。
 水鉄砲あそび(昭和30年前後)
(亡父のアルバムにあった3兄弟。手前から兄、弟、私)


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2 コメント

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Unknown (しょうた)
2022-08-24 12:02:01
懐かしい子供の頃の写真ですね。
私たちも子供の頃は夏が大好きで、夏休みの頃になると、近くの用水路(幅5mくらい)で、毎日泳いでいました。
昔は水道が無くて、用水路の水は生活用水としても使っていました。水も現在のように汚れてなくて、子供たちの水遊びには、大変良い場所でした。
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しょうた様 (落葉松亭)
2022-08-24 15:39:44
母(1916--2019)も子供の頃、用水路で遊んだと云っておりました。戦争中は、母の実家のある中畦におりました。男の人が川浚えをやっているのを用水路の石橋の上から見ました。川底まで深いですね。私の人生最初の映像記憶です。

その少し前、市内にも一時いて、空襲に遭ったそうです。
電車通りの側溝に避難して助かったそうで、伯母が「あんた死ぬるとこだったんよ」と云っていました。
乳飲み子で母の背中にいたのでしょう。私の記憶にはありません。

父が結構、写真を撮ってくれていました。おかげで私たち兄妹の子供のころの様子が残っています。
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