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落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

岡山大空襲

2006年06月29日 | 日常・身辺
 61年前の今日、岡山大空襲があった。岡山の知人がブログで慰霊祭の模様を記事にしておられた。
 実のところこの日のことはすっかり忘れていた。
 母と兄と私は、母の兄を頼って岡山に疎開し空襲にあった。その模様はホームページの「母の戦争体験」に掲載している。
 母と伯母の機転で難を免れ今日ある。伯母が生前「○○ちゃん、あんたは死ぬとこやったんよ」といっていたが、1歳3ヶ月だった私は自覚がないので「ふーん、そうだったんですか」というしかなかった。その後、古いニュース映画などを目にするようになり、悲惨な状況でよく助かったんだなと思えるようになった。運が悪ければ単なる黒こげの赤ん坊の死体か、肉片となって散らばっていたかもしれない。

 昭和17年から20年8月にかけて全国各地に米軍の空襲があり、30万人が犠牲になった。原爆投下でさらに広島で14万人、長崎で7万人の市民が殺された。
 第二次大戦で日本は列国の野望に否応なく巻き込まれていった。現在も次々と新たな火種が世界各地に起き、日本の近海ですら戦争が起きかねず、近隣諸国のミサイルの射程に日本はすっかり覆われている。日米同盟はあるものの博愛主義で動く国などないことを銘記しておかなければならない。

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5 コメント

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Unknown (しょうた)
2006-06-30 07:16:49
あの空襲当時、私は岡山には住んでいませんでした。家は市街から5キロほど離れた田舎でしたが、その家の側の土手を大勢の被災者が雨にぬれながら、どこへ行くとも無く歩いていたと言う話を聞きました。

そういうむごい辛い時代を潜り抜けてきた実感が、後世の人たちは次第に薄れてきているようですね。

平和が続くことは大変いいことですが、世界の情勢をよく観察して、客観的に判断したいものですね。
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しょうた様  (落葉松亭)
2006-06-30 11:51:17
 雨の中、妹尾の駅から興除に向かっていたとのことなので、その被災者の中に我が家族もいたかもわかりません。



 そのとき、しょうた様は海軍通信隊で大変なご苦労をなさっていたのですね。終戦を迎え故郷に帰られるところなど、久しぶりに読ませていただき感動を新たにしました。

 戦後世代の私などは国のため家族のため命を投げ出すという感覚は想像を絶するものですが、戦時下の若者は軍国教育でみんなそのように思っていたわけですね。言論統制が布かれ、当時のマスコミ(朝日、毎日)が現在とは逆に大変な煽りようだったとききます。



 なぜ戦争が起こるのか、回避するにはどうするのか、仰るように世界の情勢をよくみて判断しなければなりませんね。
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Unknown (higejiro2002)
2006-06-30 13:57:05
私の従兄弟は幸いにも被爆致しませんでしたが....従兄弟の妻は即死状態で亡くなり...子供二人(女)長女は二日後に死亡...二女は2週間後亡くなりました...その従兄弟も四年前に86歳で亡くなりなりました...恐らく今は天国で水入らずの生活をしている事でしょう
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higejiro様  (落葉松亭)
2006-06-30 20:37:06
 やるせないですが、そう考えてさしあげるしかないですね。



 広島は悲惨でしたね。戦争は人命を奪い、人生を狂わせます。higejiro様ご自身やご家族大変なご苦労をなさったことと思います。
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Unknown (hjh67880)
2006-07-02 10:53:57
お休みですか....何か寂しいです...明日は諸用で私も休みますが.........
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