安倍さんのスローガン「日本を取り戻す」に、田母神さんはぴったりだろう。
この方も田母神さんを応援されている。
■「加瀬英明のコラム」1/31 メールマガジンより
この方も田母神さんを応援されている。
■「加瀬英明のコラム」1/31 メールマガジンより
題 名 : 日本を取り戻そう
2月9日の都知事選の投票日が、迫っている。私は田母神俊雄さんを、応援してきた。
東京が近いうちに大震災に襲われる確率が高いが、何といっても都民の生命を守ることが、すべてに優先するべきだ。
生命を守ることこそが、最大の福祉だ。航空幕僚長として、五万人の航空自衛隊を指揮した経験が、活かされる。
アメリカをはじめとする主要国では、大きな天災によって見舞われた場合に、すぐ救援活動が行えるように、あらかじめ軍司令官を長として、消防、警察、湾岸警備隊、医療機関、食品、運送会社などが即時動ける体制を整えている。
日本では3年前の東日本大震災の場合もそうだったが、まず閣議が召集され、どう対応すべきか協議するところから、始まる。諸国のように即応できる体制を、1日も早く整えなければならない。
田母神さんは都民が睦み合う、優しい心を持った東京を創るために、教育に力を注ぐことを約束している。
6年後に、東京オリンピック大会とパラリンピック大会が開催される。力を合わせて、両大会を成功させたい。
2つの大会は、日本が世界でもっとも気高い心を持っている国であることを、世界に示す好機である。
私が少年だったころまでは、日本人は隣近所を思い遣り、扶け合ったものだった。行き交うたびに、挨拶を欠かさなかったし、誰か入院するといえば、みなでお金をだしあった。大きな家族のようだった。
私は江戸時代の研究者だが、江戸の人口は260年にわたって、町人がほぼ70万人だった。南北の奉行所が70万人の町人を治めていたが、332人の役人が詰めていた。この人数は江戸時代を通じて、変わらなかった。
このなかで、64人が司法と警察を担当していた。警察業務に当たったのが12人で、定廻り同心、町方同心と呼ばれた。僅か12人で、70万人の治安を維持していた。犯罪がほとんどなかった。今日、警視庁が4万4千人以上を擁しているのと、較べてほしい。
後藤新平といえば、関東大震災の時の東京市長だったが、市長時代に『江戸の自治制』という研究書を著している。後藤はどうして12人で、70万人の町民の治安を預かることができたのか、それは住民の徳性が高かったからだったと、答えている。
江戸時代の日本は平和が3世紀近く続いただけでなく、世界のなかで庶民がもっとも恵まれた生活を営んでいた。寺子屋が全国で2万校以上あって、男女ともに庶民の教育水準が、世界のどこよりも高かった。読み書き算盤、地方ごとに農業や漁業について教えたが、躾けを何よりも重視した。
どうして気高かった日本で、今日、人々が利己的になったために、共同体が崩壊して、社会が劣化してしまったのだろうか。東京では、共同体の基本単位である家族の絆が失われて、多くの高齢者が大事にされないようになっている。
悪しき西洋化が、進んだためだ。明治28(1895)年に、樋口一葉が日記に「あはれ外(と)つ国の花やかなるをしたい、我が国振りのふるきを厭(いと)ひて、うかれうかるゝ仇(あだ)ごころは、流れゆく水の塵芥(ちりあくた)をのせて走るが如(ごと)く、とどまる處(ところ)をしらず。流れゆく我が国の末いかなるべきぞ」と、嘆いている。一葉は翌年、25歳で病没した。
今こそ、躾けを小中学校の正課とすべきである。
私たちは日本を取り戻さねばならない。
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加瀬英明事務所
お問い合わせメール: info@kase-hideaki.co.jp
ホームページURL: http://www.kase-hideaki.co.jp/
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2月9日の都知事選の投票日が、迫っている。私は田母神俊雄さんを、応援してきた。
東京が近いうちに大震災に襲われる確率が高いが、何といっても都民の生命を守ることが、すべてに優先するべきだ。
生命を守ることこそが、最大の福祉だ。航空幕僚長として、五万人の航空自衛隊を指揮した経験が、活かされる。
アメリカをはじめとする主要国では、大きな天災によって見舞われた場合に、すぐ救援活動が行えるように、あらかじめ軍司令官を長として、消防、警察、湾岸警備隊、医療機関、食品、運送会社などが即時動ける体制を整えている。
日本では3年前の東日本大震災の場合もそうだったが、まず閣議が召集され、どう対応すべきか協議するところから、始まる。諸国のように即応できる体制を、1日も早く整えなければならない。
田母神さんは都民が睦み合う、優しい心を持った東京を創るために、教育に力を注ぐことを約束している。
6年後に、東京オリンピック大会とパラリンピック大会が開催される。力を合わせて、両大会を成功させたい。
2つの大会は、日本が世界でもっとも気高い心を持っている国であることを、世界に示す好機である。
私が少年だったころまでは、日本人は隣近所を思い遣り、扶け合ったものだった。行き交うたびに、挨拶を欠かさなかったし、誰か入院するといえば、みなでお金をだしあった。大きな家族のようだった。
私は江戸時代の研究者だが、江戸の人口は260年にわたって、町人がほぼ70万人だった。南北の奉行所が70万人の町人を治めていたが、332人の役人が詰めていた。この人数は江戸時代を通じて、変わらなかった。
このなかで、64人が司法と警察を担当していた。警察業務に当たったのが12人で、定廻り同心、町方同心と呼ばれた。僅か12人で、70万人の治安を維持していた。犯罪がほとんどなかった。今日、警視庁が4万4千人以上を擁しているのと、較べてほしい。
後藤新平といえば、関東大震災の時の東京市長だったが、市長時代に『江戸の自治制』という研究書を著している。後藤はどうして12人で、70万人の町民の治安を預かることができたのか、それは住民の徳性が高かったからだったと、答えている。
江戸時代の日本は平和が3世紀近く続いただけでなく、世界のなかで庶民がもっとも恵まれた生活を営んでいた。寺子屋が全国で2万校以上あって、男女ともに庶民の教育水準が、世界のどこよりも高かった。読み書き算盤、地方ごとに農業や漁業について教えたが、躾けを何よりも重視した。
どうして気高かった日本で、今日、人々が利己的になったために、共同体が崩壊して、社会が劣化してしまったのだろうか。東京では、共同体の基本単位である家族の絆が失われて、多くの高齢者が大事にされないようになっている。
悪しき西洋化が、進んだためだ。明治28(1895)年に、樋口一葉が日記に「あはれ外(と)つ国の花やかなるをしたい、我が国振りのふるきを厭(いと)ひて、うかれうかるゝ仇(あだ)ごころは、流れゆく水の塵芥(ちりあくた)をのせて走るが如(ごと)く、とどまる處(ところ)をしらず。流れゆく我が国の末いかなるべきぞ」と、嘆いている。一葉は翌年、25歳で病没した。
今こそ、躾けを小中学校の正課とすべきである。
私たちは日本を取り戻さねばならない。
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