■
こんにちは。
夏休みも終わりが近づいています。
今年の夏休みはいかがでしたでしょうか??
子供のころ画あるからに体験したものは懐かしいもの・・・・
純粋な心であけとめたものは、きれいな記憶として残るものです。
だから、懐かしいですし、心洗われるもの・・・・
さて、今日まで、ブログはお休みとお話していました。
昨日、気になることがありましたし、また、今日も、気になることがありましたので、
ブログを書くことにしました。
ただ、今回、ごらんになる方には申し訳ないのですが、夏休みに入ってからの3回分ののブログは、
再度、月曜日から再度の掲載になります。
あしからず・・・ご了承ください。
■
終戦記念日には、いつも思うのですが、
いまのような自由な世の中になるためには、多くの方々がなくなられた・・・・
尊い犠牲のうえになりたった民主主義だからこそ、民主主義を大切にしなければならない・・
なぜ、戦争に突き進んだのか・・・
そうして、戦争の後、日本は、どのようにかわったのか・・・
今の日本にどのように影響があるのか・・・
これから、日本は、どんな国を目指すのか・・・
どの項目をとっても、私には、十分な知識も、理解も、また、自分が考えていることを
誤解がないように説明することもできません。
ただ、いまある平和の中で、日々暮らしているに過ぎない人間です。
戦争のとき、犠牲になっていっていった多くの若者が、
「戦争をすること自体」に疑問を感じながら、言い残したことがあります。
「自分の死が無駄にしないでくれ。よい国になりますように・・・」
犠牲になっていった若い人たちのために、いまの日本に生きる私たちは何ができるのでしょうか・・・・
人それぞれで考え方は違うとおもいます。
私自身は、こう考えています。
多くの犠牲者の方々のためにも、民主主義の国を育ててるための、ほんのわずかな活動をしたい。
私は、大それた人間ではありません。
しかし、
今の日本の民主主義は、多くの人たちの犠牲の上に成り立っている・・・・
それを頭の中で忘れ去ることなく、どこかに引っかかっている一日本人に過ぎません。
引っかかっているに過ぎなかった思いが、このところ、あまたの中をぐるぐるめぐります。
いまのままでは、ただ単に、その尊い犠牲を無駄にしてしまうことになりかねない。。。。。
多くの命の犠牲の上に出来上がった「民主主義」が壊れていく・・・・
裁判員制度が、民主主義崩壊につながるものであってはならない・・・・
そう思うのです。問題点をしっかりとみていない。危ない。
■ 決断がちかいか??
昨日、本日と聞いた話を分析していて、私は、決断を下すときが近づいたかも・・・と感じたのです。
「組織犯罪」に泣き寝入りする・・・・これは、絶対に許してはならないこと。
個人の人権を蹂躙する「組織」が民主主義の世の中で、大手を振って歩く・・・
許していいのでしょうか・・・・・
公共の福祉のために、個人が譲歩することはあります。納得した上で・・・
しかし、いま、「人権犯罪銀行」も「圧力団体」も、
組織の犯罪を隠しとおし、自らが「正しい行動をする団体」であるという偽の看板
を作り出すために、人権を蹂躙している。
民主主義の国にあって、それが許されるはずがない。
もともと、独裁を狙う「圧力団体」ですから、「圧力団体」の意向に従わせるのが合目的的な
活動なのでしょう。
これが、いまの日本の大問題です。
戦争のときに、犠牲になった多くの若者たち・・・個人が多大な犠牲を強いられた・・・・
その犠牲者たちの思いが、踏みにじられている。
■ 弊害
いままそで、私は、「人権犯罪銀行」「圧力団体」として名称を公表していなかったのですが、
「出さないことの弊害」が出てきています。
「人権犯罪銀行」でも「圧力団体」でも、私が、固有名詞を出さないと推測し
好き勝手な話をでっち上げ、言い逃れをしている。
「組織」対「個人」だから、負けるはずがない・・・・「圧力」をかければいいだけ・・・・
それが、「人権犯罪銀行」と「圧力団体」に共通している認識・・・・・
数がいるのだから、そんな個人の話をもみ消すのは分けない話。
「個人の力で何ができるか・・・」ということです。
※ 圧力団体構成員が話しているのを聞いていますから、間違いないところです。
こういう考え方をしているから、司法制度をのっとるという発想になるのです。
もしかすると、「圧力団体」では、
日本国民が、ひれ伏すことを夢見ているのではないでしょうか・・・
あげく、「圧力団体」に逆らうものがいなくなる。
いままで、名誉毀損の問題から、このブログを継続して出せなくなることもあって、
個人や団体名はもとより、それそれが、特定できる「特別な話」も説明をしてきませんでした。
個人や、組織を特定させないために 、特定できる情報をあえて、伏せて記述していたというのが
実際のところ。
しかし、それでは、「人権犯罪銀行」の活動と「圧力団体」の裏の活動を
うまく、伝えることができないですし、告発し、人権犯罪を抑えることはできません。
なんか方法を考えなければなりません。より具体的な活動をしなければならない・・・・
わたしは、名誉既存で活動ができなくなることがないように、固有名詞を出すことを躊躇している。
その間に、「力」を使って、事実を捻じ曲げながら、圧力団体の行動が正しやに説明している。
私は、そういう嘘を許すことはありません。
前回のブログでも書きましたが、
許していいうそ と
許されないうそ
があります。
「人権犯罪団体」のうそを許すことはできない。
その嘘自体「犯罪」であるとかんがえています。
「独裁」を目指すものたちの巧みな嘘。
私は、その「嘘」の被害者・・・・・
好き勝手な話をさせておく時間は、とおに過ぎました。いままで、15年もの間・・・
だまっていれば、いつか終わると思っていましたが
かえつて、状況が悪化しています。
つまり、我慢すれば、通り過ぎるものではなく、戦わなければならない対象の団体である
という結論が出ていると思います。
一過性のものではない・・・・「圧力団体」に内在する問題であるから、
我慢すること自体が時間の無駄。
「独裁」を目指す「圧力団体」だからこそ、できた「人権犯罪活動」である。。。。と断定します。
私は、こういう分析を通じ、「裁判員制度」が狙われていることにきづきました。
しかも、その「人権犯罪」を追及されるときになると、
「人権犯罪銀行」「圧力団体」が、好き勝手なでっち上げをしていい逃れ、
あたかも、じぶんたちは正しかった・・・
やむをえないものだった・・・・
という話を作り上げる。
おそらく、裁判員制度の導入のときも同様でしょう。
「圧力」をかけることなんかありえない・・・という話をして
つまり、どんなときでも、
「圧力団体」の都合がいいように話をし、
「嘘」の話を「刷り込む」
「独裁」をかくしおおせるために・・・・
■ でっち上げの言い逃れは・・
さて、「人権犯罪銀行」と「圧力団体」その言い逃れの話しは、
わたしを犯罪者に仕立てて説明をするというものです。
「私が、人権犯罪銀行を脅した。。。。」というもの・・・・
こうなりますと、私としては、
「人権犯罪銀行」が、やっきになって、私の再就職の妨害・再就職先にまできて圧力をかけた
話の詳細を説明する必要があるようです。
そうでないとわかっていただけない。
さて、問題は、そもそも、「人権犯罪銀行」がなぜ、「圧力団体」に人権犯罪を依頼したのか・・・
今回の「まれにみる人権犯罪」は、そもそも、発端は、人権犯罪銀行の「人権犯罪行為」
のもみ消しからはじまります。
「人権犯罪行為」が銀行内部で、問題になったことが発端。
・不当差別的人事評価が、銀行内部で問題になました。
そのもみ消しを図ろうとしたものたちがいます。
・さらに、仕事上のねたみがかさなり、私は、仕方なく退職することにした。
・私が退職した事実も、また、再就職の妨害も銀行内部に知られると立場が危ない。
・しかし、再就職の妨害も、再就職先に対する妨害も、その事実が発覚。
人権犯罪銀行の犯罪者どもは、追求されることになったが、なんとか、追求を交わした。
・その後、「人権犯罪銀行」では、みずからが、人権犯罪をしていないという言い訳をするため、
自らの手を汚さずに妨害する方法として「政治家」を通じ「圧力団体」に依頼した。
これがそもそもです。
そのとき、「人権侵害銀行」のものがいったのが、
「自殺したら、わびてやるよ。。。。」
もっと詳しい話を書けるのですが、今日は、このあたりまでにしておいたほうがいいでしょう。
では、次回に・・・・
こんにちは。
夏休みも終わりが近づいています。
今年の夏休みはいかがでしたでしょうか??
子供のころ画あるからに体験したものは懐かしいもの・・・・
純粋な心であけとめたものは、きれいな記憶として残るものです。
だから、懐かしいですし、心洗われるもの・・・・
さて、今日まで、ブログはお休みとお話していました。
昨日、気になることがありましたし、また、今日も、気になることがありましたので、
ブログを書くことにしました。
ただ、今回、ごらんになる方には申し訳ないのですが、夏休みに入ってからの3回分ののブログは、
再度、月曜日から再度の掲載になります。
あしからず・・・ご了承ください。
■
終戦記念日には、いつも思うのですが、
いまのような自由な世の中になるためには、多くの方々がなくなられた・・・・
尊い犠牲のうえになりたった民主主義だからこそ、民主主義を大切にしなければならない・・
なぜ、戦争に突き進んだのか・・・
そうして、戦争の後、日本は、どのようにかわったのか・・・
今の日本にどのように影響があるのか・・・
これから、日本は、どんな国を目指すのか・・・
どの項目をとっても、私には、十分な知識も、理解も、また、自分が考えていることを
誤解がないように説明することもできません。
ただ、いまある平和の中で、日々暮らしているに過ぎない人間です。
戦争のとき、犠牲になっていっていった多くの若者が、
「戦争をすること自体」に疑問を感じながら、言い残したことがあります。
「自分の死が無駄にしないでくれ。よい国になりますように・・・」
犠牲になっていった若い人たちのために、いまの日本に生きる私たちは何ができるのでしょうか・・・・
人それぞれで考え方は違うとおもいます。
私自身は、こう考えています。
多くの犠牲者の方々のためにも、民主主義の国を育ててるための、ほんのわずかな活動をしたい。
私は、大それた人間ではありません。
しかし、
今の日本の民主主義は、多くの人たちの犠牲の上に成り立っている・・・・
それを頭の中で忘れ去ることなく、どこかに引っかかっている一日本人に過ぎません。
引っかかっているに過ぎなかった思いが、このところ、あまたの中をぐるぐるめぐります。
いまのままでは、ただ単に、その尊い犠牲を無駄にしてしまうことになりかねない。。。。。
多くの命の犠牲の上に出来上がった「民主主義」が壊れていく・・・・
裁判員制度が、民主主義崩壊につながるものであってはならない・・・・
そう思うのです。問題点をしっかりとみていない。危ない。
■ 決断がちかいか??
昨日、本日と聞いた話を分析していて、私は、決断を下すときが近づいたかも・・・と感じたのです。
「組織犯罪」に泣き寝入りする・・・・これは、絶対に許してはならないこと。
個人の人権を蹂躙する「組織」が民主主義の世の中で、大手を振って歩く・・・
許していいのでしょうか・・・・・
公共の福祉のために、個人が譲歩することはあります。納得した上で・・・
しかし、いま、「人権犯罪銀行」も「圧力団体」も、
組織の犯罪を隠しとおし、自らが「正しい行動をする団体」であるという偽の看板
を作り出すために、人権を蹂躙している。
民主主義の国にあって、それが許されるはずがない。
もともと、独裁を狙う「圧力団体」ですから、「圧力団体」の意向に従わせるのが合目的的な
活動なのでしょう。
これが、いまの日本の大問題です。
戦争のときに、犠牲になった多くの若者たち・・・個人が多大な犠牲を強いられた・・・・
その犠牲者たちの思いが、踏みにじられている。
■ 弊害
いままそで、私は、「人権犯罪銀行」「圧力団体」として名称を公表していなかったのですが、
「出さないことの弊害」が出てきています。
「人権犯罪銀行」でも「圧力団体」でも、私が、固有名詞を出さないと推測し
好き勝手な話をでっち上げ、言い逃れをしている。
「組織」対「個人」だから、負けるはずがない・・・・「圧力」をかければいいだけ・・・・
それが、「人権犯罪銀行」と「圧力団体」に共通している認識・・・・・
数がいるのだから、そんな個人の話をもみ消すのは分けない話。
「個人の力で何ができるか・・・」ということです。
※ 圧力団体構成員が話しているのを聞いていますから、間違いないところです。
こういう考え方をしているから、司法制度をのっとるという発想になるのです。
もしかすると、「圧力団体」では、
日本国民が、ひれ伏すことを夢見ているのではないでしょうか・・・
あげく、「圧力団体」に逆らうものがいなくなる。
いままで、名誉毀損の問題から、このブログを継続して出せなくなることもあって、
個人や団体名はもとより、それそれが、特定できる「特別な話」も説明をしてきませんでした。
個人や、組織を特定させないために 、特定できる情報をあえて、伏せて記述していたというのが
実際のところ。
しかし、それでは、「人権犯罪銀行」の活動と「圧力団体」の裏の活動を
うまく、伝えることができないですし、告発し、人権犯罪を抑えることはできません。
なんか方法を考えなければなりません。より具体的な活動をしなければならない・・・・
わたしは、名誉既存で活動ができなくなることがないように、固有名詞を出すことを躊躇している。
その間に、「力」を使って、事実を捻じ曲げながら、圧力団体の行動が正しやに説明している。
私は、そういう嘘を許すことはありません。
前回のブログでも書きましたが、
許していいうそ と
許されないうそ
があります。
「人権犯罪団体」のうそを許すことはできない。
その嘘自体「犯罪」であるとかんがえています。
「独裁」を目指すものたちの巧みな嘘。
私は、その「嘘」の被害者・・・・・
好き勝手な話をさせておく時間は、とおに過ぎました。いままで、15年もの間・・・
だまっていれば、いつか終わると思っていましたが
かえつて、状況が悪化しています。
つまり、我慢すれば、通り過ぎるものではなく、戦わなければならない対象の団体である
という結論が出ていると思います。
一過性のものではない・・・・「圧力団体」に内在する問題であるから、
我慢すること自体が時間の無駄。
「独裁」を目指す「圧力団体」だからこそ、できた「人権犯罪活動」である。。。。と断定します。
私は、こういう分析を通じ、「裁判員制度」が狙われていることにきづきました。
しかも、その「人権犯罪」を追及されるときになると、
「人権犯罪銀行」「圧力団体」が、好き勝手なでっち上げをしていい逃れ、
あたかも、じぶんたちは正しかった・・・
やむをえないものだった・・・・
という話を作り上げる。
おそらく、裁判員制度の導入のときも同様でしょう。
「圧力」をかけることなんかありえない・・・という話をして
つまり、どんなときでも、
「圧力団体」の都合がいいように話をし、
「嘘」の話を「刷り込む」
「独裁」をかくしおおせるために・・・・
■ でっち上げの言い逃れは・・
さて、「人権犯罪銀行」と「圧力団体」その言い逃れの話しは、
わたしを犯罪者に仕立てて説明をするというものです。
「私が、人権犯罪銀行を脅した。。。。」というもの・・・・
こうなりますと、私としては、
「人権犯罪銀行」が、やっきになって、私の再就職の妨害・再就職先にまできて圧力をかけた
話の詳細を説明する必要があるようです。
そうでないとわかっていただけない。
さて、問題は、そもそも、「人権犯罪銀行」がなぜ、「圧力団体」に人権犯罪を依頼したのか・・・
今回の「まれにみる人権犯罪」は、そもそも、発端は、人権犯罪銀行の「人権犯罪行為」
のもみ消しからはじまります。
「人権犯罪行為」が銀行内部で、問題になったことが発端。
・不当差別的人事評価が、銀行内部で問題になました。
そのもみ消しを図ろうとしたものたちがいます。
・さらに、仕事上のねたみがかさなり、私は、仕方なく退職することにした。
・私が退職した事実も、また、再就職の妨害も銀行内部に知られると立場が危ない。
・しかし、再就職の妨害も、再就職先に対する妨害も、その事実が発覚。
人権犯罪銀行の犯罪者どもは、追求されることになったが、なんとか、追求を交わした。
・その後、「人権犯罪銀行」では、みずからが、人権犯罪をしていないという言い訳をするため、
自らの手を汚さずに妨害する方法として「政治家」を通じ「圧力団体」に依頼した。
これがそもそもです。
そのとき、「人権侵害銀行」のものがいったのが、
「自殺したら、わびてやるよ。。。。」
もっと詳しい話を書けるのですが、今日は、このあたりまでにしておいたほうがいいでしょう。
では、次回に・・・・