今回はカトー折りの接点があればと常日頃思っていた中、エコの関係で11/9に大学祭を訪問することが出来た。
そこに工学部の理科おもしろ工作を尋ねると、紙でつくったブロックを組んで立体模型をつくるところでカトー折りを披露する機会があった。紙から帽子や袋を作って見せたのだが、非常に関心を持っていただき、その覚える吸収力は凄かった。
どこで教わったのかと聞かれ、私が考案しましたと答えるとどうやって得られたのか、どのように誕生したのかと聞かれた。そういうことをお知りになりたいのなら、ぜひワークショップや教室でもやってもいいですよと答えて、そこで話しますと答えた。
以前からそういう質問が多いので、その答えを、私自身探究したい思いです。
これはある人に言わせると降りてくるものだそうです。
それを自分なりに整理すると、
こうするといいと自然とわいてくるものですね。あえて言うなら、降りてくるような状態になるには窮地に追い詰めて、そのあと無になっていくと降りてくるようでして、それは辛いものではなく、楽しいものです。考えるのではなく、紙を折る感触とその状態を見ながら、無意識のうちにそれと対話するような感覚かもしれない。すると、風呂上がりのときにパッと降りてくるんです。あ、そうすればいいんだと。。
あと、自立型ロボットを見学することができた。市販部品の組み合わせがほとんどだが、その苦労はものすごいものがあると感じた。やっていることはたいしたことはないが、その人の行動を分解して、マシンに落として、再現させる技術の深さと、それを実用化させるギャップの大きさを実感することができた。
私には学生さんがその重くて扱いにくい深層の部分まで知り尽くし、苦労していて、ロボットに何度も裏切られているという体験をしているんだと感じた。
ところで、その近くの玉川学園コミュニティセンターでもイベントがあり、そこでカトー折りを教える機会にも恵まれた。それは書道家の柴田さんから人柄が表れる書体の面白さについてお話されたときに、私に何かおやりになっているのではと尋ねられて、実はと、、カトー折りを話す機会があった。
とても感激されて、喜ばれたが、こんなちょっと時間に折り紙がこれだけの感動を伝えられることに、出版の意義は十分にあると再確認した。
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