神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] SFマガジン2013年7月号

2013-06-17 21:47:37 | SF

『S-Fマガジン 2013年7月号』 (早川書房)

 

特集「コニー・ウィリス特集」。

コニー・ウィリスはやっぱりおもしろい。その中でも、代表的なシリーズがオックスフォード大学史学部シリーズ。

最初に『ドゥームズデイ・ブック』を読んだときは衝撃的だった。SF的なネタというよりは黒死病時代のヨーロッパで、ただの史学部生でありながらペストに対して絶望的な戦いを挑むキヴリンの姿に感動した。それはもう、『JIN -仁-』どころの騒ぎじゃないわけで。「来てくださると思ってました」という最後のセリフは本当に感涙ものだった。

その時は、実は『わが愛しき娘たちよ』の著者と結びついていなくって、「見張り」が史学部シリーズだったというのも後から知ったんだったよな。

その後、『犬は勘定に入れません』がコメディで、『ブラックアウト』+『オールクリア』はサスペンス。どれもおもしろくて、途中から読み返してでさえ、引き込まれてしまう。『オールクリア2』も、さっさと入手しなければ。

もうひとつの特集は「攻殻機動隊特集」。すでに懐かしい未来になりつつある世界がさらに変貌を遂げ、新しく生まれ変わるらしい。でも、これはあんまり詳しくないので、ふーんという感じ。しかし、この特集のせいか、最寄りの書店では、この号は普通以上に売れていたようで、危うく入手できないところだった。まぁ、たまにはそういうこともあるか。


「エミリーの総て」 コニー・ウィリス
美少女ロボットは女優になりえるのか。いくつもの見方ができそうな事件ではあるが、メインの視点をハッピーエンドに持ってきているところが素晴らしい。おそらく、考えれば考えるほど深みにはまる罠を隠している。読み方が意地悪いだけ?

「ナイルに死す」 コニー・ウィリス
本当に死んだのか、目覚めない夢なのか。悪夢っぽいショートストーリー。エジプト好きで、行ったこともあるので笑いながら読んでしまった。

「天の誉れ」 菅浩江
自分自身による思考の矯正。これを悍ましいと思うかどうかは、確かに微妙ではあるが……。個人的には、やっぱり気持ち悪い。

「偽アカシヤ年代記(第2部)[後篇]」 野阿梓
諦めました。単行本が出たら読む。

 


[SF] ヨハネスブルグの天使たち

2013-06-17 21:09:44 | SF

『ヨハネスブルグの天使たち』 宮内悠介 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

 

敢えて言うけれども、この小説は美少女の夕立、次々と落ちていく美少女型ロボットという情景を書くためだけに書かれた作品なんじゃないかと思う。それぐらい、このモチーフは強烈だ。

短編連作の中で、美少女ロボットDX9は落ち続ける。ヨハネスブルグの廃墟と化したマンションから、911を再現するために再建されたツインタワーから、落下傘降下でアフガンの空から、イエメンの脆い土壁の摩天楼から、そして、東京の下町に広がる団地の屋上から。

DX9は言わずと知れたYAMAHAのシンセサイザーの名機だ。そして、この名前が唄うために作られた美少女型ロボットに付与されたとき、当然のようにそこにはYAMAHAのVOCALOIDが浮かび上がる。宮内氏は隠れボカロPなんだそうな。さもありなん。

落ち行く美少女の情景に、さらに“テロ”というテーマが付与される。美少女とはまったく正反対に位置するテーマかもしれない。泥沼の宗教戦争、民族差別と内戦。そのミスマッチが読者の心をひっかく不協和音になって襲い掛かる。

その違和感は第2話の「ロワーサイドの幽霊たち」で顕著だ。ちょっとした叙述トリックにもなっているのだが、そのときツインタワーにいたのは、1700人の犠牲者ではなく、服装こそ違えど、まったく同じ顔をした美少女ロボットだったのだ。オフィスで働く人々も、屋上レストランで会合を持とうとしていた資産家たちも、飛行機の乗客やハイジャック犯ですら、まったく同じ顔の美少女。

このグロテスクさと、911再演の理由が明らかになる最後のメッセージの暖かさが、さらなるギャップを生み、耳障りな不協和音をけたたましく奏で続ける。

中途半端なガジェットとして持ち込まれた“事象の種”も、人格転写と失敗した自爆テロが生み出した二つの人格も、その他のSF的くすぐりネタのすべては落ち行く美少女ロボットの圧倒的なイメージの前に色褪せていく。

ちまたでは伊藤計劃の『虐殺器官』を継承するとかいう論調のレビューをよく見るのだけれど、果たして本当にそうか。

個人的な感想で言えば、伊藤計劃の方がより観念的であり、宮内悠介の方がより視覚的だと思う。さらには、一本のメッセージ性がより明確な『虐殺器官』に対し、『ヨハネスブルグ~』はモチーフのパッチワークであるともいえる。

多数の印象的なモチーフをパッチワークのように散りばめることによって現れてくる絵柄は、まるでロールシャッハ・テストのように読者の心から何かを引き出し、それが呼び水となって、さらに取り留めのない思いを噴き出させる。それは自分の強い想いを作品に託した伊藤計劃とは、ちょっと異なるんじゃないか。

そういった意味では、二人の作家の類似性は他人のそら似で、本質的にはまったく違う作家性を持っているんじゃないかと思う。

とか言いつつ、『盤上の夜』すらまだ読んでないので、評価をひっくり返すかしれませんけどね。